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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第四章 天使が消えた世界
156/369

九月十一日 来週、りんごが乗る

天使が死ぬ話 3/10

 ◇◆◇◆


「りいちゃんっ!」


 日曜日で学校がない今日。本当ならサチは私を起こしに来る必要なんかない。そんなサチが慌てながら私の部屋にやって来たのには、やはりそれ相応の理由があった。


「トヨリちゃん、目を覚ましたって……」


「……」


 迷いはなかった。私はすぐに朝食を摂ってから身支度を済ませ、面会開始時間丁度に病院に到着した。


「あ……。おはよう……ございます」


 集中治療室の前では既におっさんが佇んでいた。患者の親族の場合は病院に寝泊まりする事も出来るらしいけれど、おっさんは家に帰らずにずっとそうしていたのだろうか。僅かに伸びたおっさんの口髭が私にそう思わせる。


「あの……、この前はごめんなさい。ずっと黙りっぱなしで……、謝るのも全部サチに任せっぱなしで」


「いいよ。そんな畏まらなくて」


 おっさんはそう言うけれど、しかしおっさんは一切私に見向きもしない。おっさんの視線は常にガラス張りの向こう側ただ一点だけを見つめていた。私も釣られるようにその先へ視線を向ける。そこではトヨリらしき人物の手が僅かに動いているように見えた。トヨリらしき人物と言ったのは、そいつの頭が横向きになっているせいで顔を認識出来なかったから。その人物はポータブルDVDプレイヤーに映る映画をじっと眺めていた。


「手足も動かせない状態だからね。出来る暇つぶしなんてあれくらいのもんだよ」


 おっさんが呟く。その解説も相まって、トヨリはあくまで目を覚ましただけであり、決して健康状態が良くなったわけでない事は理解出来た。


「体調はどんな感じなんだ?」


「昨日よりかはマシ。一昨日よりかは大分マシ。でも、心臓の律動が不規則でね。色んな薬を使って調節しているけど、どうも効きづらくなっているみたいだ。それでVADの装着を視野に入れる事になった」


「VAD?」


 聞き慣れないその単語について聞いてみた。


「補助人工心臓。機械の心臓って言えばわかるかな?」


 おっさんの口から紡がれた答えに、僅かな希望を垣間見る事が出来た。機械の心臓。そんなものがあったんだ。ならそれを装着すればトヨリの命もまだ暫く保つんじゃないか。ほんの少しだけど肩の荷が降りたような感覚に囚われる。……が。


「何を考えているのかわからないけど、決して良いものだとは言えないよ」


 おっさんの視線が私を捉えた。よっぽど私はわかりやすい表情をしていたのだろう。それでいてよくもそんな馬鹿な考えを出来たもんだとも思った。もう少し深く考えればわかった事だ。そんな便利な機械があるなら、普通は最初からそれを着けている。なのに今の今までそのVADってものをトヨリが着けてこなかったのは、それ相応の理由があるからに決まっているじゃないか。


「トヨリは何も寝たきりってわけじゃない。あの子が嫌がるからそうしないだけで、本人が望むなら車椅子に乗って軽い散歩をするくらいは許されているんだ。でも、VADを装着したらそういうわけにもいかなくなる」


 そこでおっさんは両手を使って輪を作った。ちょうどリンゴ程の大きさはあるであろう輪っかだった。


「このくらいの大きさのポンプを取り付けるんだよ。中はトヨリの血液で満たされるから、真っ赤に染まってリンゴのようにも見えるかもね。ポンプからは三本の管が伸びていて、二本はトヨリの心臓と大動脈に、もう一本は駆動装置っていうとても大きな機械に繋げる。そんな大きな機械と常に繋がった状態で、人は何が出来ると思う?」


「……」


「何も出来ないよ。心臓移植をするか死ぬまで一生ベッドから降りれなくなる。そういう機械を取り付ける為の手術だ。早ければ来週中にもするべきだって、そう言われた」


 まただ。また私は深く考えず、短絡的な思考で満足してしまった。トヨリがこうなったのだって私の短絡的な考えが原因なのに。私は知識が足りない。知識どころか考えそのものが足りない馬鹿だ。こんな馬鹿に振り回されてしまったんだ。サチも、おっさんも、トヨリも。


「トヨリには会って行くの?」


 今もまた私の気持ちが表情に浮かび出たのだろうか。おっさんは話の流れを変えようと、そんな話題を持ち出した。


「まぁ……。おっさんが良いって言うなら。おっさんは?」


「みほりちゃんが帰ってからにするよ。ここで面会出来るのは一日三回、それぞれ十分まで。一度に入っていいのも一人までだ。感染症にかかっちゃうかも知れないからね」


「……わかった」


 私はおっさんの言葉に甘え、集中治療室の入り口でアルコール消毒をしてから中へと足を踏み入れた。


 感染症対策をしているからにはどれだけ澄んだ空気なのかと思えば、部屋の中の空気も外の空気も大した違いは感じられなかった。物理的な意味での空気は全く一緒だ。しかしそれも精神的な意味ともなると話が変わってくる。この部屋の精神的な空気は、多くの生と死で溢れかえっていた。


 この部屋に健康な人間はいるのだろうか。治療を受けている多くの患者は論外として、彼らの治療に励む医療スタッフでさえ精神的にはとても健康とは言い難いように見えてしまった。いつ死んでもおかしくない患者達を死なせまいと、誰も彼もが殺気立っている。目に見えない圧力が部屋中を満たしていた。


 私はそんな圧力を掻い潜りながらトヨリの隣まで足を運んだ。トヨリはすぐに私に気付いた。


「……よう」


「……」


「えっと……大丈夫か?」


「……」


「……って。大丈夫なわけないよな」


「……」


「私のせいだよな」


「……」


「……ごめん」


 トヨリは何も喋らない。呼吸器の管が口の中に差し込まれているのだから当たり前だ。トヨリは今、何を考えているんだろう。最近はやたらと感情的になってくれたのに、また以前の人形のようなトヨリに戻ってしまった。私がそうしてしまった。これで面会時間はたったの十分とか、ろくに話す事も出来やしない。一体何の為の面会なんだ。


 と、その時。トヨリの指先が私の手に触れる。私は手なんか動かしていないから、それはトヨリから触れに来たものだった。


「なんだ? 手がどうした?」


 彼女の意図を汲み取れないため、彼女にされるがままに私の手を差し出す。するとトヨリは私の手のひらに指先で字を書き始めた。


『ニ』……、いや違う。その上に濁点らしきものを書いている。これは『ニ』じゃなくて『ご』だ。そんなひらがな一文字を書くのに十秒近くも時間をかけないとダメなのか。私はそれからも手のひらに意識を集中させ、彼女の書く文字を一つ一つ追っていった。


 二分近い時間をかけてようやく彼女が書ききった六文字は『ごちそうさま』だった。そこから更に二分近い時間をかけ『おいしかった』とも書き記す。私は殺しかけた相手に慰められた。


「……やめろよ。……いいんだよ、そういうの」


 許されるのが辛い。許される度にトヨリへの負い目が重くのしかかってくる。それを知った上で私を許しているなら、こいつは大した女だ。


 トヨリは私と対等になる事に拘っていた。だけど私はもうこいつとは対等になれる気がしない。なれるわけがない。ここまでの事をしておいてトヨリと対等でいようだなんて、そんなのただの傲慢だ。


 トヨリの指が再び動き出した。またしてもトヨリはたった一言を言うためだけに、数分かけて私の手のひらに字を書いた。


『それとごめん』と書き切るまでに二分、『なんかもうだめかも』と書き切るまでにもう二分。十分間の面会時間のうち、たったの四言を伝える為だけに八分もの時間を費やした。


 残りの二分は何もなかった。強いて言えば私の指を掴んで引っ張っているような気がしたから彼女に合わせて私の手のひらを動かすと、トヨリは私の手のひらに自分の頬を静かに乗せた。私の体温を味わうように、安心しきった表情で私の手のひらを枕代わりに利用する。


 三日前、トヨリとゲームをし過ぎて疲れが溜まり、トヨリのベッドで力尽きた事がある。でもあいつのベッドで寝てしまった一番の原因は、遊び疲れた事よりも、程よく暖かいトヨリの体温が心地良かったからだと思う。窓を開け、部屋の空気を入れ替え、光の差し込む明るい部屋で過ごすようになったトヨリの体温はとても暖かいと思った。かつて感じた雪のような冷たさが信じられないくらいだ。


 今、私の手のひらに乗るトヨリの頬がめちゃくちゃ冷たい。やっと暖かさを取り戻したトヨリなのに、私はそんなトヨリを再び吹雪の中に置き去りにしてしまった。雪の中に手を埋めているようだ。本当に生きているのか、これ。体中を機械に繋がれたその姿も相まって、私はトヨリを人と認識出来ずにいる。


「あの……、いいかな?」


「……」


「ごめんね。もう時間だから」


「……はい」


 背後から看護師に声をかけられた。彼女に誘導されるままトヨリから手を離すと、空気に触れた私の手のひらに暖かさが戻ったような気がした。トヨリの体温より気温の方が暖かいと感じてしまったんだ。


 集中治療室を出て、おっさんの隣に腰を下ろした。ガラスの向こうからは、私の背中を目で追いかけていたトヨリがこっちを見ている。私なんかより映画を見ていた方がよっぽど面白いだろうに、それでも私をこの場から立ち去らせまいと、懇願するように私の事を見ていた。


「なぁ。おっさん」


「うん?」


 おっさんと一緒にトヨリを見ながら私は呟いた。


「VADっていくらくらいするんだ? やっぱ凄え高いのかな……」


 それは治療費を負担する事になるサチへの負い目から来る疑問だった。


「難病には医療費助成があるからね。心配する程の値段にはならないよ。どちらかと言えば医療費以外の方が問題かな」


「医療費以外?」


「例えば僕は来週から仕事を休まないといけない。VADを装着する為の条件だ。家族の人が二十四時間、いつでも病院に駆けつけられる状態じゃないといけないからね」


「……」


「それに機械の力で心臓をコントロールするからと言って絶対に命が助かるわけでもないよ。体に穴を開けるんだから、当然感染症のリスクは高まる。VADを着ける人は元々栄養状態も悪いから免疫力も低いんだ。それに血液をポンプに出し入れするから、血が固まって血管を詰まらせるリスクがある。それを防止する為に血を溶かす薬を飲んだら、今度は血がサラサラになり過ぎてあちこちで出血する事だってある」


「……なんだよそれ。死なない為の手術なのに、その手術のせいで死ぬのか?」


「手術っていうのは健康になる為にするんじゃないよ。これ以上症状を悪化させない為にするものだ。手術を受けなくていいなら、それに越した事はないんだよ」


 思わず突っかかってしまったものの、しかしおっさんの返事を聞いて納得してしまった自分がいた。おっさんの言う通りだ。手術なんて受けないに越した事はない。手術を受けないで良い体を持つ以上の健康がどこにある。そして、トヨリをそんな手術が必要な体にしてしまったのは紛れもなく私なわけで……。


「それでも一応VAD装着患者の生存率は95%を超えるそうだよ。けど、肉体的には助かっても精神的にはどうなるか。パジャマを捲れば胸の上に自分の体に刺さるポンプがあるんだ。その中は自分の血液で満たされている。そんな悍ましい道具を毎日見ながらトヨリは生き続けないといけない。心臓移植を受けるか、死ぬまで」


 だからこそ私は、次におっさんが放った一言でハッと気付かされたんだ。


「……ほんと、代われるものなら代わってあげたいよ」


「……」


 頭の中で渦まくモヤモヤが晴れていく。算数の難問を問いた時のような爽快感が頭を駆け巡る。


 ずっと考えてた。どうすれば私が罰を受けれるのかって。これは私の馬鹿な判断が招いた結果なのに、苦しんでいるのは私じゃない人ばかりだ。血の繋がった娘を失いかけ、仕事も休む事になったおっさん。私の責任を取る為にお金を失う事になるサチ。そして何より私を信じたせいで生死の狭間を彷徨う事になったトヨリ本人。


 私だけだ。一番罰を受けるべき私だけが何の処罰も受けれていない。それがずっと心苦しくてたまらなかった。でも、あるじゃないか。トヨリを不幸から救い出し、私だけが罰を受ける方法が。


 昨日、先生に言われた一言が浮かび上がる。


『また何か難しい魔法を使う機会があったなら、その時は自信を持ちなさい。魔法にとって自信は最大のスパイスになるわ』


 それが具体的に何を指しているのかはわからない。でも身に覚えはある。私が魔法に成功しやすい時は決まって自信を持って魔法を唱えた時。逆に私が魔法に失敗しやすい時は決まって自信を持たずに魔法を唱えた時。


 自信だ。自信を持て、私。タダでトヨリの心臓を治そうと思うから自信が削がれるんだ。タダ程信用出来ない言葉はない。価値というのは対価があって初めて成り立つ。現に私は今こう思えている。これだけの対価を支払えば、どんなに重い病気でも流石に治せるはずだと。


「……私が」

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