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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第五章 子供を産めない体
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大丈夫

 別に何もおかしくなんかない。当然の事だ。だってこの異世界留学、最大六年間自費を削って魔女の子を養っておきながらお別れの時になったら記憶を消したハイさよならだなんて、そんなのホストに対してメリットがなさすぎる。私を育てた分の対価を貰っている事くらい、少し考えればわかる事じゃないか。


 サチは悪くない。仕事をした分の対価を貰っているだけだ。それに見返りがあったからってなんだよ。例えば手塩にかけて育てた子供が大成して、その子から仕送りを貰ったらその親は金の為に子供を育てた事になるのか? そんな話があってたまるか。例え見返りがあったとしても、それまで親が子にかけた来た情が嘘になるだなんて、そんな話……。


 ……ただ。出来ればこう言うことは先に知っておきたかった、かな。魔界に帰る土壇場になって実はこの異世界留学には見返りがあったなんて知っちゃって、ショックがないって言ったらどうしても嘘になっちゃうから。そんな気持ちに塗れた土曜の夕方。


 タロウを家に帰してから一時間は経っただろうか。あれから平静なフリをしてタロウと話したつもりだけど、正直どこまで平静を装えたかなんてわかったもんじゃない。それでも私は平静を装いながらサチを待つしかなかった。


 目を閉じ、余計な外部の情報を遮断する。聴覚以外の情報を断ち、聴くことだけに専念すると、五年住んだ我が家の声が私の鼓膜を撫でた。どこかの部屋のドアが開閉する声、どこかの部屋の誰かが重い物を床に落とした声、どこかの廊下を誰かが歩く声。そしてエレベーターがこの部屋のある階に止まる声。


 エレベーターが開くと同時に一つの足音がこの部屋に向かって近づいてきた。よく聞き慣れた足音だ。五年も聞き続けた音だ。足音が部屋の前で止まると、次に聞こえたのは鍵を開ける音とドアが開く音。そして。


「ただいまー。遅くなってごめんね?」


 サチが仕事から帰る音。


「ドンキで卵十個入りが九十八円でね。土曜で人も多かったし並んじゃったよぉ」


 五年間、何度も私を励ましてくれた音。何度も私を助けてくれた音。何度も私を愛してくれた音。


「すぐに夕飯作るから……」


 私が世界で最も愛おしいと感じるその音は、サチがリビングに足を踏み入れたと同時に鳴り止んだ。


 私は立っていた。一冊の本を抱えて俯きながら立っていた。その本がメリムではないだけでここまで場の空気が凍てつくとは。


 この凍てついた場を作ってしまったのは他でもない私だ。顔を上げたい。サチが今どんな顔をしているのか確認したい。私にはその義務がある。……でも、無理だ。首をほんの少し上げるだけの単純な動きを体が拒む。参ったな、全然平静を装えない。これじゃあまるで私がサチに失望しているみたいじゃないか。


 ……違う。違う違う。そんな事はない。そんな事は絶対にない。今までどれだけの愛を注がれた? どれだけサチから守ってもらった? 見返りがあったくらいで失望なんかしてやるもんか。全身の筋肉が強張る中、せめて口と喉だけでも動いてくれと神に祈りながら私は言葉を発した。


「……私、今年の年度試験は突破出来そうにないです」


 大丈夫だ。私の頭はサチから受けた愛をしっかり覚えている。この程度の事で嫌いになんかなれるかよ。


「明日が最後の滞在日になると思います。帰ったらお母さんに見せようと思って、アルバムを探している時にたまたまこれを見つけちゃいました」


 それにね、サチ。サチの叶えたい願いを見た時、私はもっとサチの事が好きになったんだ。


 私を六年間育て切る事が出来れば、サチはどんな願いでも叶える事が出来る。どんな願いでもだ。なのにあの願いを見た時。あんな謙虚なサチのお願いを見た時。本当にサチらしいって思った。


「押し入れを勝手に開けてごめんなさい」


 だから私は最低なんだ。あれだけサチに助けられておきながら、私はサチのあんな小さな願い一つも叶えてあげられないんだから。サチの願いはとても謙虚な物だけど、魔法を知られていないこの世界においては決して叶う事のない願いだ。私が卒業試験を突破しなきゃ叶えられない、そんな願いだ。私はそんなサチの謙虚な願い一つ叶えてあげる事が出来ない。


「サチの願い事、叶えてあげられなくてごめんなさい」


 でも、代わりに目標が出来た。今日の今日までただ出された課題をこなすだけだった私に目標が出来たんだ。顔を上げろ、サチを見ろ。サチの目を見てしっかり伝えるんだ。私が。


「だけど約束します」


 私が代わりに。


「今は無理だけど、魔界に帰ったらもっと勉強して」


 この世界の技術じゃ実現出来ないサチの願いを、私が代わりにいつか必ず叶えてみせるって。


「いつか絶対、私がサチの願いを叶えて……」


 叶えてみせるって、伝えるにはどうすればよかったんだろう。結局私は最後のその一言を言い切る事が出来なかったよ。


「……サチ?」


「……」


 顔を上げるとサチが私を見ていたんだ。ただじっと私の事を見ていた。


 いや、人はこれを見ていると言っていいんだろうか。私は今、間違いなくサチと視線を合わせているのに、まるでサチに見られている実感がない。サチの視線はそれほどまでに虚だった。私を見ているのではなく、ただ目が開いているだけのように思えた。


「それって何年くらい?」


 無限のような数秒を経て、サチはようやくその重い口を開く。


「え……えっと……。結構難しい魔法だし十年か二十年は……じゅ、十年! 十年以内には絶対に」


「りいちゃん。私、もう三十三歳なんだ」


 サチに言葉を阻まれたのか、それとも自分の意思で言葉を止めたのかもわからなかった。それ程までにサチの視線は冷め切っていた。でも。


「私は魔女じゃないの。百年生きるのも難しいただの人間なの」


 流石にもう理解出来た。サチは私を見てなんかいない。道端の石や部屋の中をぷかぷか漂う埃と同じだ。たまたまサチの視界に私が入っているだけなんだ。


「待てないよ」


 粉雪でも降り注いでいるかのようなか細い声が、雪崩にように私の鼓膜を飲み込んだ。


 サチはそれ以上の言葉を発することはなく、ドンキで買った卵を冷蔵庫に収納してから静かにリビングのソファに横たわる。私も私でその姿を視線で追うのが精一杯で、サチの元に歩み寄る事も自分の部屋に戻る事も出来ない。祈れど念じれど足が動くのを拒絶する。


「あの……夕ご飯の時間、ですね」


 ならばせめて口くらいはと思い、目の前で起きている事から目を背けて思わずそんな日常会話を発してしまった。もしかしかたら私は幻覚を見ていて、いつもの日常会話をする事でサチもいつものように返事を返してくれるのかもと言った淡い期待もあった。が、サチから返って来たのは一つのため息と。


「私が一番嫌いなお客さんのタイプはね、雰囲気が悪くなった後に何事もなかったかのように接してくる人なんだー」


 そんな一つの例え話だった。けど、私はそんなサチの例え話をどこまで聞いていられただろう。この時から既に私の体はサチの言葉を拒む体制を整えていたのかもしれない。


「私はもうその人と関わりたくないから、あからさま過ぎるくらい険悪な態度で接してるの。なのに向こうは平静を装って気さくに話しかけてくる」


 なんだ? サチは何を言っているんだ? 左耳が聞こえない。……なんか、左耳がキーンってする。


「私と縁を切りたくない、でも険悪になった原因に触れる勇気もない。だからそもそも自分達は喧嘩なんかしてなかったよね? って体で話しかけてくるんだよ」


 足もおかしい。さっきまで杭のように床に刺さって動けなかったのに、どうしてこんなに震えるんだ? 腰にも力が入らない。……あれ? 私、今どうやって立ってる? それになんか目も。視界も外側から少しずつ暗くなっているような……。それにお腹が……。喉が……。


「そういうのを相手してると、気持ち悪くて反吐が出そう」


「……っ」


 そして私はそんなサチの言葉を最後まで聞ききる事はなかった。今にも倒れそうな体に鞭を打ってリビングからトイレに駆け込んだからだ。少し前にタロウと食べていたケーキを盛大に便器に吐き出してしまった。鳴き声でもあげるように「あ」とか「う」のような母音に濁音を組み合わせた悲鳴も漏らしながら。


 体温の上昇を感じる。脈拍も上昇し、呼吸も切羽詰まっている。が、代わりに闇に覆われかけた視界は極めて綺麗だ。


 そういえば前に健康番組か何かで見た気がする。人には血管迷走神経反射っていうのがあるようで、人は一度に強いストレスを受けると全身の血管が広がってしまうらしい。そうなると血圧が急激に下がり、血液を頭まで送る事が出来なくなって意識を失う。要するに頭に血が届かないせいで気絶するのだから、頭の位置を低くして物理的に脳に血を流し込めば気絶は避けられる。どうやら胃の内容物を吐き出す為に頭の位置を低くしたおかげで気絶は免れたのだろう。


 いつまでも息を荒らしながら便座を抱えるわけにもいかず、なんとか気力を頼りに立ち上がってトイレを流す。トイレから廊下に出る際、腕の力が抜けて例の冊子を廊下に落としてしまった。なんとか拾おうと腰を落としかけるが、たまたま開いていたページはサチの願いが書かれていたページ。


「……」


 整い始めていた息がまたしてもフゥーッ……フゥーッ……と、荒れる兆しを見せ始めた。そして再び濁り始める私の視界。涙がじわりと滲み出てついにはページの文字さえも読みにくくなる。私はパンフレットを拾うのを諦めて静かに自分の部屋へと足を向けた。廊下には魔女に見放された『赤ちゃんを産める体に戻してください』の文字が、ただ寂しく横たわった。


 部屋に戻ってからも私は静かでい続けた。電気はつけず、真っ暗な部屋でベットにうつ伏せながら静かにい続けた。話相手ならいる。それこそ一生の付き合いになるであろう生涯のパートナーだ。なのに私はサチの変貌に関して話題に出さず、また向こうから出してくる気配もない。私の頭を巡るのはこれまでのサチとの思い出ばかり。走馬灯と言われても納得しそうなほど。


 全部嘘だったのかな。この世界に来たばかりであらゆる物を警戒していた私に、なんとか好かれようと奮闘してくれた事も。和食に慣れない私を気遣って朝食は毎朝洋食にしてくれた事も。二年前の一件があるまでは私を楽しませようと毎月一度は遠出してくれた事も。長期休暇の度に旅行の計画を建ててくれた事も。私に似合うからと桜柄のお洋服やアクセサリーを何度もプレゼントしてくれた事も。私の為に。


『私ね。りいちゃんがいじめられていたって知った時』


 私の為に……。


『殺してやろうって思った』


 私の為に人を殺したいとまで言ってくれた事も。


「全部……嘘だったのかな」


 思いは遂に声になって口から発せられてしまった。そして私が声を出すと、その相棒は必ず答えてくれる。散々悪態をついてくるこいつだけど、こいつに無視された事は一度もないんだ。


【お前に嫌われようとしてんだよ。お前が後腐れなく魔界に戻れるように。お前が魔界に戻った後、あんな奴と離れられて清々したって思えるように】


 そしてらしくもない慰めだってしてくれる。あの時だってそうだった。


 私に嫌われようとしている。私が心置きなく魔界に帰れるように。私がサチに未練を残さないように。まるで蜘蛛の糸を掴むようなか細い希望。メリムの予想が事実だったとして、果たしてサチは演技であんな表情を出来るんだろうか。今まで一度も見せた事のないあんな虚ろな視線を私に向けられるのだろうか。


 ……あぁ。私、なんでサチに謝っちゃったんだろ。最初の予定通り何も言わずに帰ればよかったのに。そうしたらこんな気持ちになる事もなかったのに。


 なのにサチのあの願いを見た瞬間、黒いもやもやした物がお腹の中に溜まっていくのを感じた。申し訳ない気持ちと罪悪感で破裂しそうになった。それでも吐き出すのをグッと堪えて、飲み込んで、そして知らんぷりをしたまま過ごすのが正解だったんだろうか。


【あまりオススメはしねえけどな。最悪魔法を使ってここ一時間の記憶をサチから消すとか、サチを本音しか話せないようにして問いただすとか、お前にはそういう選択肢があるのも忘れるなよ? 心を操る魔法を使う奴ぁ間違いなくクズだと思うが、ぶっ壊れた主人に仕えるよりかはクズな主人に仕えた方が俺的にはマシだしな】


 答えの出ない疑問に悩み続ける私を見かねたのか、メリムはそんな一つの提案をしてきた。なんやかんや言ってこいつも結局私の事が大好きなんだろう。


「それはねえよ」


 でも無理だな。その提案だけは絶対に乗りたくない。


「正直今、サチの事が嫌いになりかけてる。確かに魔法でサチに本音を吐かせて、あの態度の理由がメリムの言う通りだったとしたら、今ならギリこの気持ちもまた好きに傾くと思う。……ううん、大好きに傾くと思う。私だったら無理だもん。好きな人の為にその人から嫌われようとするとか」


 逆の立場で考えてみる。もしも私がサチを見送る側だったとして、あんな風に悪態をついて嫌われようと出来るだろうかと。……無理だ。私は好きな人には好かれたい。相手の幸せの為に相手から嫌われる勇気を私は持っていない。だからメリムの言う事が本当だったら、私の為にそんな辛い事をやり切ったサチの事が愛おしくて愛おしくてたまらなくなるだろう。……でも。


「でも、そんな魔法を使ったら私は自分が嫌いになる。好きな人を信じられないから相手の頭を覗く? そんなだせえ真似してたまるかよ」


 私の人生はサチと別れてからの方が遥かに長いんだ。自分を嫌いになりながら過ごす何十年、何百年という時間だと? そんな生き地獄に誰が足を踏み入れるもんか。


【そうか。お前に仕えて正解だったわ。仕える主人に恵まれて俺は幸せだよ】


「だろ? 恋人の浮気疑ったってスマホの覗き見だけは絶対にしない出来た人間なんだよ、私は」


【そういう軽口はガキらしくニヤニヤしながら言うから可愛げがあんだ。明日までにそのカチコチの無表情なんとかしやがれ】


 メリムに言われ自分の顔に手を置いた。涙が流れた跡はすっかり乾き、微かな塩気の轍を引いている。唇も触った感じ口角はお世辞にも上がっているとは言えない。これでもいつものようにヘラヘラ笑いながら軽口を叩いたつもりなんだけどな。


 でも、少し気は楽になった気がする。人間の友達には恵まれない私だけど、どうも自分の本性を包み隠さず話せる友達には恵まれているらしい。


 私は静かに目を瞑る。色々な思考を巡らせながら目を瞑る。有生サチとどのように接しようかとか、サチに全てを打ち明けた自分の行動は間違いだったのかとか、サチと初めて会ってから今に至るまでの事とか。……なんだ。私、結局サチの事ばっか考えてるんじゃん。


 大丈夫。魔法なんか必要ない。サチに向けるこの信頼は本物だ。大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫だから……。


 ……………………。


 …………。


 ……。


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