九月三日 約束した
天使を殺す話 1/7
◇◆◇◆
こうして彼女による嫌がらせの日々が幕を開けた。
一日目。
「ちーっす! ろくでもあるトヨリちゃんの友達第一号でーっす!」
わざとらしい大声をあげながら、扉を蹴破るような乱雑なやり方でみほりちゃんがやって来た。存在感を轟かせる堂々とした足音が耳に障る。なんて汚い足音なんだろう。まるで私の安息の地を土足で踏み躙られている気分だ。
昨日、彼女に宣言された瞬間から諦めはついていた。彼女が有言実行を体現したような子である事は、彼女と知り合って二日しか経っていない状態でも理解出来た。何を考えているのかはわからない子だけれど、やると言ったからには必ず実行する子だ。昨日のあれは冗談でも脅しでもなく、彼女は本気で毎日ここに通い詰めるつもりなのだろう。
だから面会時間が始まった午前十一時には、既にこの部屋を荒らされる覚悟は出来ていた。覚悟は出来ていたけど……しかしやっぱりこうして堂々と来られると気が滅入る。彼女の来訪は分かりきっていたけれど、それ以上に来ないで欲しい気持ちの方が圧倒的に強かったからだ。
「おいおいどうした? ノリが悪いな。お前もテンション上げてけよ。病気ってのは辛気臭い人間が大好きなんだ」
「……」
私はこの安息の地を彼女の魔の手から守らなければならない。気分はさながら神殿の守護者だ。だけど私には彼女に立ち向かうだけの力がない。力で抵抗した所で決して彼女に敵わないのは、こんな体になってしまった日から私自身がよくわかっている。
「ったく、今日も真っ暗アンド冷房マックスかよ。電気はつける、温度も上げる。あ、窓も開けるぞ」
だから私は力を使わない抵抗を試みた。この部屋の主である私は、なんとしてもこの部屋の平和をこの悪魔から守り通さなければならないのだ。
「かーっ! 今日もあっちいな? なぁ、トヨリ。お前って夏と冬じゃどっちが好きなんだ?」
「……」
「私は断然秋だな。もう一年中食欲の秋に染まってくれりゃいいのにって思ってる」
「……」
「おいここツッコむ所だろ? いや夏冬の二択じゃないんかーい! とかさ」
「……」
そこまで言って、ようやくみほりちゃんの表情に曇がかかった。この子は馬鹿なんじゃないだろうか。普通、部屋に入って第一声をあげた時点で気づかないかな。私に無視されてるって。それなのにこんな長々と独り言で世間話を続けて。
「おい」
「……」
「聞いてんのか?」
「……」
「無視か?」
「……」
「そうか」
みほりちゃんが私のベッドに腰を下ろした。諦めたわけではなさそうだけど、一体何を……と、その時。
「あぁあっ⁉︎」
「いてぇっ⁉︎」
突然の出来事だった。何か変な事をやらかして来そうな気配はあったけど、まさか布団に潜り込まれて体をくすぐられるだなんて思ってもいなかった。思わず持っている本で布団の上から彼女の頭を叩いてしまった程だ。
「へっ、思い知ったか。また無視してみやがれ。無視される度に無視出来ないような事をしてやっからな」
布団の中から顔を出し、指先でわしゃわしゃと不穏な動きを見せつけながら脅迫してくる。私に殴られた後頭部が痛むのか、片手は自分の頭を撫でていた。
「……」
「返事は?」
「……わかったよ」
無視をする度に無視出来ないような事をされる。彼女のその悍ましい脅しに屈した私は、渋々ながらも彼女の傲慢に付き合う事にした。
「じゃあテイク2行くぞ。夏と冬、好きなのはどっちだ?」
「……冬」
「どうして?」
「……暑いのが嫌いだから」
「へー、そうなのか」
「……」
「……」
「……」
「……」
数秒後、みほりちゃんは腕を組みながら考え込んだ。
「……無理して考えないと話が繋がらないならそもそも話しかけないでよ」
「そんな事言うなよ! 私だって春まではガチもんのぼっちだったんだぞ⁉︎ それでもお前みたいな奴と仲良くなろうと一生懸命頑張って話題捻り出してんだよ!」
だからそんな無理してまで仲良くなろうとするなって言ってるんだけどな。やっぱり馬鹿なんだ、この子って。
彼女を善人か悪人かで判断するなら、万人が万人彼女の事を善人だと評価するだろう。私の主観でもそう思うし、客観的に見ても彼女が悪人でない事は明らかだと思う。……が。だからと言って彼女の事が好きになれるのかと言えば、それとこれとでは話が違う。何故なら彼女は善人である以前に馬鹿だからだ。
私は馬鹿が嫌いだ。馬と鹿は好きだけど、馬鹿な人間は本当に嫌い。悪人と同じくらい大嫌い。どんな善人であっても馬鹿の要素が付け加えられるだけで反吐が出そうになる。頭の悪い善人というのは、頭の良い悪人と同じくらいタチが悪いのだ。
優しさというのは相対的な物だ。ゲームの助言やアドバイスを喜んでくれるAさんがいれば、反対に助言やアドバイスを余計なお世話だと感じてしまうBさんもいる。Bさんは自分の力でゲームを進めたいのだ。自分で考え、試行錯誤を重ねた上で勝利を勝ち取りたいのだ。それなのに助言だのアドバイスだのと言われて第三者から指示を受ければ、そりゃあ不快にもなるだろう。
けれどBさんに助言を送った当の本人は、どうしてBさんが不機嫌になっているのかが理解出来ない。何故なら彼は馬鹿だからだ。自分の善意が余計なお世話だなんて思う事が出来ず、Bさんが純粋に喜んでくれると信じて疑わない。皆が皆自分の助言やアドバイスを快く受け止めてくれるものと勘違いしている。そしてみほりちゃんの善意もまた、間違いなくその類の善意に分類されるものだ。
みほりちゃんは真っ直ぐだった。良くも悪くも真っ直ぐ過ぎるのだ。彼女と同じ方角を向く人からすれば、彼女のぶれない芯の強さはとても心強い指針となってくれるだろう。でも、ここで問題なのは彼女とは別の方角を向いている人の方。みほりちゃんの善意は他方を向く人の視線さえも無理矢理自分と同じ方角に向けさせようとする。
とても酷い独りよがりだ。エゴの塊と評しても過言ではないだろう。彼女と真逆の方角を向く私には、その事が嫌と言うほど理解出来た。
「よし! 好きなものの話にしようぜ。お前の好きな食い物ってなんだ? 私は野菜以外は大体好きだな! 野菜でもピクルスとかレタスとかオニオンとかなら稀に好きだったりする」
ハンバーガーの材料だった。私はため息を吐きながら彼女の問いに答えた。
「……お菓子」
「甘いのか? しょっぱいのか?」
「……どっちでも」
「どっちかって言えばどっちだ?」
「……どっちでも」
「そこを敢えて選ぶとしたらどっちだ?」
「……どっちでも」
みほりちゃんの表情に雲がかかる。まずいな。さっきのくすぐりと同じ空気を感じる。無視がダメなら適当な返事だけ返しておこうと思ったものの、選択を間違えたのかもしれない。だって彼女は気に食わない事があると行動に移す。さっきのくすぐり然り、昨日のビンタ然り。
そしてそんな私の予想は見事的中した。
「てめえこの野郎! もっと頑張ってお喋りするんだよ! おら! てめえ! もっと口を開けろ口を! 引き裂くぞ⁉︎」
「ちょっ……! 待っ……やめ、……きたゃない……っ! 分かったゃから……っ!」
口の中に指を突っ込まれて無理矢理こじ開けられた。これは私が思っている以上に深刻な事態なのかも知れないと思った。私は今日からこんなのに付き纏われないといけないの? いつまで? 死ぬまで? 毎日? ……あぁ、頭が痛い……。
「わかればよし! 会話のキャッチボールはコミュニケーションの基本だぞ」
春までぼっちとか言ってたくせにコミュニケーションを語るな。……と言おうと思ったけど、それを言ったら今度はどんな不潔な仕打ちをされるかもわからないから、ここは頑張って言葉を喉の奥へと押し込めた。
「それじゃあ好きな食いもんの話に戻すか。私は……そうだな。最近はお菓子よりもカップ麺派かな。六月に生まれて初めてカップ麺を食ったんだけど、あれやばいよな。お前食った事あるか? カップ麺の魔力ってマジでぱねえぞ。濃厚な出汁と塩加減と油っこさが絶妙でよぉ。しかもカップ麺の凄いとこって味と値段が綺麗に比例すんだよ。いや、だからと言って安もんがまずいって訳じゃねえぞ? 安いやつは安いやつで普通に美味い。でもそれ以上に二百円超えのカップ麺ってよーく味が調整されてんだ。百円玉二枚ちょっとであれだけの幸せを味わえるとか良い時代に生まれたもんだよなー」
「……」
こいつ急に饒舌に語り出したな。食べる事が好きなのだろうか。見た感じ太っているようには見えないというか、手足も細いしむしろかなりの痩せ型だと思う。……あー、でも二日前にこいつの体を触った時はどこかムチムチした感触もあったような……。あれだ。筋肉が少なく、殆どが脂肪で構成されたような体。隠れ肥満って奴だ。屠殺されて上カルビにでもなればいいのに。
「お前の好物はなんだ? しょっぱいお菓子や甘いお菓子って事はやっぱポテチやプリンとかか? いいよなー、ポテチにプリン。ポテチの塩っけで奪われた水分をプリンで補給とか想像しただけでよだれが出てくる」
私が何を考えているのかも知らずにつらつらと独り言を続けるみほりちゃん。
ふと。そんな彼女を見ながら、彼女を私から遠ざける一つのアイディアが頭に浮かんだ。馬鹿な彼女の事だ。自分が今どれだけの地雷源にズケズケと踏み込んでいるのか気づいてさえいないのだろう。なんなら既にいくつもの地雷を起爆しているのに、それでも彼女は気付く様子がない。きっとこれからも気づく事なく、平気な顔して地雷源を歩き続けるんだ。だから。
「……好きだよ。ポテチも、プリンも」
私が気付かせればいい。
「……好きなら何? 食べさせてくれるの?」
みほりちゃんが今どこを歩いているのか。そこにはこんなにも沢山の地雷が埋まっているのだと。馬鹿な彼女でもわかるように教えてあげた。
「……どっちも私の体にとってはただの毒だよ。……プリンは殆どが水分だから、血圧が上がって心臓と血管に負担がかかる。……塩分はナトリウムの塊で血管の中に水を引き込むから、やっぱり血圧が上がる。……そこにペットボトルあるでしょ?」
私はテーブル棚に置かれた一本のペットボトルを指した。
「……それが私が飲んでいい一日分の水分だよ。よくこんな私に好きな食べ物の話を……しようとか思ったよね」
「……」
「……最低」
ただ単に彼女を拒絶するやり方は通用しないと理解した。だからしっかり説明してあげたのだ。彼女の言動一つ一つが無神経で、モラルに欠けていて、そのせいで傷ついた私という存在がここにいると。食べられない病人に食べ物の話を持ち掛けたその残酷さを、馬鹿でもわかるようにはっきりと説明してやった。……してやったのに。
「そう言うの待ってた」
「……」
みほりちゃんは笑顔だった。私には出来ない、嘘偽りのない真っ直ぐな笑顔だ。自信に満ち溢れた笑顔……いや、彼女のそれは最早自信を超えて全能感の領域にさえ到達している気がする。
「なんだよやれば出来るじゃん! そう言うのだよそう言うの! トヨリ、お前何がしたい? やりたい事あったら全部言ってみろ!」
「……言ったらどうなるの?」
「叶えてやる! そりゃあ今すぐにとは行かないし、なんでもかんでも叶えてやれるわけでもねえ。でも、私に出来る限りの事は叶えてやるよ」
「……みほりちゃんに何が出来るの? こんな大きな病院に入院し続けても出来ない事なのに」
「私なら出来んだよ! 信じろ! まずはポテチとプリンを食えるようになりたいんだな?」
「……」
モヤが見えなかった。嘘をつく人間に纏わりつく黒いモヤ。私が信じるに値する人間かどうかを見極める為の大切な基準。つまり彼女は嘘をついていない。私に塩分と水分を思う存分食べさせられると、本気で口にしている。
「お前、しばらく美味いもん食ってないんだろ? だからきっと忘れちまってんだ。食うってすげえ気持ちいいんだぜ? 美味いもん食ってるとそれだけで幸せな気持ちになれる。私は美味いもんが好きだし、美味いもん作ってくれる人も大好きだ。美味いもんを食えばお前の病み病みメンタルだって忽ちよくなるさ」
これは一体どう言う事だろう。彼女は決して正直者と呼ばれる側の人間などではない。現に彼女は何度か私に嘘をついている。それは他でもない彼女自身も認めた事だ。彼女は普通に嘘をつく人間なのだ。それなのに彼女の言葉にモヤがかからないという事は……どう言う事だろう。みほりちゃんは本気で言っているの? お医者さんでも、お薬でも、こんなに大きな病院でも出来ない事が自分には出来ると。心の底からそう思っているのだろうか。
奇妙な胸騒ぎに、思わず片唾を飲み込んでしまう私がいた。
「……勝手に心の病気扱いするな。……ていうか仮に心が病気だったとしても……、心の病気はお医者さんでも治せないんだよ」
「はっ、知らねえな。医者でも治せないだ? なら安心しろ。私は医者じゃないから治してやれるぜ?」
「……」
「まぁせいぜい楽しみに待ってな? ポテチとプリンくらいならすぐにでも腹一杯食わせてやっからよ。私を信じるかどうかはその後にでも決めてくれ」
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