それでもお前にはうるさい世界
天使と戦う話 5/5
それから数秒、トヨリは無言を貫いた。未だに動揺が抜け切れていないのか、それとも私に言い返す言葉を考えているだけなのかはわからない。そんな静かな時間を経てようやくトヨリが紡いだ言葉はと言うと。
「……パパやお医者さんに言いつけるね。みほりちゃんに殴られたって」
相変わらずそんな挑発混じりの発言だった。こいつは自分が弱者である事を知っている。知った上でその立場を存分に利用しようともしている。
「言えよ」
だから私が強気な態度で反発したところで。
「……へー。ご両親に迷惑かかってもいいんだ」
トヨリは決して態度を改めてはくれない。昨日のやり取りで私がサチに迷惑をかけたがらない人物である事を理解したのだろう。こう言えば私が怖気づいてたじろぐと確信しているのだろう。
「良いわけねえだろ。だから今日、家に帰ったら誠心誠意謝るね。病人殴っちゃった、ごめんなさいって。都合の良い事に土下座の練習ならたった今したばかりだからよ。他に何か言いたい事はあるか?」
「……」
けれど今日の私は今日の私。昨日の私とは別人だ。今日の私はここで後退るなと言っている。ここで躊躇すればまたトヨリの思う壺だと警告してくれている。
そんな私の作戦は成功したと言ってもいいのだろうか。トヨリは見るからに不機嫌そうな表情で私の事を睨んでいた。年相応に子供らしく、それでいてとても人間らしい良い表情だと思った。私はトヨリが何かして来たら真っ向から受けて立ち、そして同じ力で反撃すると宣言している。下手な事をすれば自分にも危害が及ぶとトヨリも理解したらしい。
そりゃあ確かに今の世の中、トヨリのような弱者は法律にギッチギチに警護された強者なのかも知れない。だけど生憎私は法律じゃない。こいつに反撃しない道理だってありはしない。私には意思があって感情もあるんだ。
私はトヨリが気に食わない。こいつの舐めきった態度にイライラする。
「ないなら続けようぜ? 喧嘩」
だから私は真正面から、正々堂々トヨリに喧嘩を売りつける。
「……お前ウザいよ。お前みたいな奴がいるから……私は人間が嫌いなんだっての……」
しかしトヨリから発せられた言葉は私の望むものではなかった。勿論私は自分からトヨリに殴りかかるつもりはない。私はあくまでやられたらやり返すだけだ。トヨリが望む通りに自分を傷つけて、それと同じだけの痛みをトヨリに返すつもりだった。だからこうして悪態だけつかれようものなら、私はトヨリに指一本触れられない。向こうから何かして来なきゃ、私は病人を殴るだけのクソ野郎になってしまう。だから私は更なる追撃でトヨリを挑発する事にした。
「なぁ。今まで一度も付き合った経験のない奴が『自分は異性に興味がない』とか言ってたらどう思う? 私は負け惜しみだと思うね。付き合った上で嫌な思いをしたってんなら話はわかるよ。でも付き合ってもねえくせにそんな戯れ言タラタラ言ってたら、それはもう負け犬の遠吠えにしか聞こえなくね?」
「……何が言いたいの?」
「おめえの負け惜しみがキモいっつってんだよ」
私の挑発が功を制したのかはわからないが、トヨリの眉が僅かに歪む。
「なーにが人間嫌いだ馬鹿じゃねえの? 何歳だよてめえ。中二病発症するには少し早すぎるだろ。大体お前、本当は寂しがり屋らしいじゃん? 昔は一人ぼっちが嫌で結構積極的に人付き合いとかしてたらしいな?」
トヨリがタロウを睨みつけた。父親越しにトヨリの過去を聞いたタロウが、そっくりそのままトヨリの事を私に伝えたと判断したのだろう。
トヨリの掛け布団に皺が寄る。掛け布団を握るトヨリの拳に力が込められたのだ。本人は無自覚なのかも知れないけれど、歯も若干食い縛り気味だ。しかしそんなトヨリの様子を見ても、不思議と私の心を満たすのは安心感だった。トヨリは笑顔以外の表情も浮かべられる。しっかり怒る事が出来る。こいつは紛れもなくただの人間だ。……それに何より、こいつの抱く怒りの正体を私はよく知っているから。だからこんなにも安心してしまうんだ。
恥ずかしいよな。寂しがり屋なくせに友達がいないのって。友達がいない以上に、ぼっちだと他人に認識される事実そのものが恥ずかしくて悔しくて堪らない。私はその恥と怒りをよく知っている。それこそ五年もの間、痛いくらい味わい尽くした感情だ。……そして。
「……何を聞かされたのかはわかんないけどさ。私、まさにその人付き合いで嫌な思いをして……一人を選んだんだけど」
「あぁ、それも聞いてるよ。クソみたいな相手とばっか連んでたんだってな」
そんな私とこいつの共通点を認識した今、私の中で第二の感情が芽生えた。不思議な感情だ。私は間違いなくトヨリを憎んでいるのに、まさかこの感情が憎しみと共存出来る感情だなんて思いもしなかった。……いや、でも完全に心当たりがないわけじゃない。だって私には前例がある。
魔界にいた頃は、しょっちゅう喧嘩ばかりしていたガッキー相手にこの感情が芽生えていた。最近だと、春まであれ程憎いと思っていたダイチにもこの感情が芽生えている。私は嫌いだったはずの相手にもこのような感情を抱けるような馬鹿だから、当然トヨリ相手にこの感情が芽生えたとしてもそれは何らおかしい事じゃない。
だから私は窓を遮るカーテンに手を伸ばした。その行動がこの感情を実行する為の第一歩になる気がした。
「でもそれは違くね? ろくでもない奴との絡みを人付き合いにカウントすんなよ。まずはろくでもある奴と絡んでみろ。その上でまだ人間嫌いってほざけるのか判断しようぜ?」
私は掴んだカーテンを力のままに開放し、昼のくせに薄暗いこの部屋に燦々と照りつける太陽光を差し込ませる。
「私がそのろくでもある友達第一号になってやる」
薄暗い部屋に真夏の太陽が差し込んだ。黒の世界がたったそれだけの行動で白の世界へと姿を変えた。やっぱり生き物にとって太陽というのは絶対的な正義だ。四季の存在する国で過ごした人間なら誰でも一度は経験するだろう。あれだけ疎んでいた真夏の太陽なのに、いざ夏が過ぎるととても切なくもどかしくなる。私だってそうだ。太陽なんか大嫌いで夏は一日中冷房の効いた部屋で過ごしているのに、やっぱり夏が終わると後悔にも似た妙な感覚が胸の中に溜まっていく。結局太陽ってやつは存在するだけで生き物の希望になってくれるんだ。
「知ってるか? 健全な精神は健全な体に宿るらしいぜ? って事は逆もまた然りだよな。健全な体は健全な精神に宿るんだ。こんな昼かも夜かもわかんねえ部屋で毎日過ごしたらそりゃ精神も擦り減るっつうの」
実際、日差しが差し込んだ事でトヨリの姿が輝いて見えた。それは比喩でもなんでもなく、真夏の太陽光を存分に浴びたトヨリの白い肌が言葉通りの意味で光を反射している。トヨリの顔にかかっていた影も闇も暗黒も、太陽という絶対的な光の前ではなす術もない。初めてトヨリの素顔を見たような気にさえなってしまった。
「いい顔してんじゃん。折角の綺麗な肌なのに光に晒さなきゃ勿体ねえよ。それとクーラーもなんだこれ? 十八度? 体ごと心もカッチコチになるっつうの。温度上げろ上げろ」
続いて私は冷房の温度も六度程上昇させる。しかしまだまだこの部屋は改善点だらけだな。私がもう一度窓際まで足を向けると、トヨリはあからさまに不機嫌な態度で私の行動を咎めた。
「……私の部屋荒らさないでくれない?」
「荒らしてない! リフォームだ! なんということでしょう! 北極のように寒かった部屋の気温がものの数秒で三十度まで上昇しました!」
けれどトヨリの意思なんか知ったこっちゃない。私は部屋の窓を全開にして外の湿気と気温も部屋の中へと雪崩れ込ませた。
「……暑いんだけど」
「少しだけ我慢しろ。お前いつから窓閉めっぱなしだった? これから毎日換気しに来るから覚悟しとけよな」
「ちょっと待って、毎日って……」
すると今度はわかりやすいくらいに焦ったような態度を取るのだ。数分前のトヨリでは決して見れなかったであろうその姿がどこか面白可笑しくて、私の口角が僅かに吊り上がった。
「毎日は毎日だよ。私って病院通いのプロだからな。いいか? 毎日だ。土日も祝日も関係ねえ。目にタコが出来るまで私の顔を見せつけてやるよ」
「……信じらんない。……どうして人が嫌がる事をするかな?」
お前が言うな。心の底からそう思った。しかしそれとは別に、トヨリのその疑問に対する答えも私はしっかり持ち合わせていた。
「タロウに言われたんだ。私はお前と似てるんだとよ。失礼もいいとこだよな? 誰がこんなクソガキと似てるってんだ。……でもな。本当に不本意だけどな。マジでムカつくんだけど、ちょいちょいお前に共感出来る部分も……まぁいくつか思い当たった」
「……例えば?」
「一人が良いって強がってるところ」
私は春頃の自分を思い出しながら、トヨリにそう言い放った。私とトヨリは似ている。それはもう悔しいくらいに。腹立たしいくらいに似ていると思っている。他でもない私自身がそうだったのだ。
「強がりだろ? お前のそれって。友達なんかいらねえって思いながらクラスの陽キャ共を見下していた頃の私とそっくりだよ」
「……は? お前と一緒にしてんじゃねえよ」
「するね。お前の本心なんか知ったこっちゃねえ。お前のそれはただの強がりだ。たった今私がそう決めた。誰が何と言おうが覆らない。まぁ、そうカッカすんなよ。すぐにわからせてやるからよ。お前のそれはただの強がりだって」
気がつくと私の胸中は驚く程清々しい清涼感によって満たされていた。この気持ちの正体は、きっとあれだ。共感という奴だ。私は今、トヨリの人間嫌いの本質に悔しいくらい共感してしまっている。
「今日から友達の楽しさをその体に叩き込んでやる。お前、来月頃にはろくでもある友達のありがたさを噛み締めながら私に感謝する事になるぜ? 私の事が好きで好きでたまらなくなるかもな」
そして共感しているからこそわかる事もある。その人間嫌いは簡単に治せる代物なのだと。だって私はもう友達がいらないだなんて思わない。いや、思えない。友達って結構楽しいもんなんだ。タロウをどついたり、ダイチをどついたり、アキを……。アキもいずれどつくか。不公平だし。
ともかく、今の私は春までの私に比べて楽しい日々を送れているんだ。胸を張ってそう言い切れる。だからいくらトヨリが意地張ってぼっちを続けたいと言っても。いくらトヨリが耳を塞いで周りの騒音を遮っても。
「お前の好きな静かな世界は今日でお終いだ。人生、好きな事だけして生きていけると思うなよ? 好きな事をする為にはそれと同じか、それ以上に好きじゃない事もしないといけないんだぞ。勉強や仕事をするから人は遊んでもいいんだ。クソまずい野菜を我慢して食うから肉やデザートも食べさせてもらえるんだ。お前はもう二年も静かな世界を満喫した。ならもういいだろ? もう十分だろ?」
それでもこいつには。
「明日からお前の世界のど真ん中でジャイアンリサイタル開いてやるよ」
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