私が欲しい静かな世界
天使と戦う話 4/5
私とタロウを出迎えるべきその部屋の主は、愛想笑いも建前上の明るさも見せず、ただ一言「はぁ……」とだけ溜め息をついた。
「……私は来るなって言ったのに。……なんで仲間連れて来るかな? マドハンドなの?」
「有生みほりだ」「佐藤タロウです」
「……知ってるよ」
トヨリは呆れながら二度目の溜め息を吐いた。せっかくマドハンド扱いされた事だし、どうせならダイチも連れて来ればよかったと思ってる。あいつもなんやかんやトヨリとは面識があるみたいだし。でも。
『俺? 無理無理。この後予定あっから』
放課後に一緒に病院に行こうと誘う私の手をダイチは振り払った。
『予定って何だよ。少年サッカーもしばらく休むんだろ?』
『予定は予定だ。俺も俺で色々忙しいの』
『忙しいねぇ……。バイトでもやってんのか?』
『……』
『……ダイチ? おいダイチどうした! 汗やべえぞ! つうかめっちゃ震えてんぞおい⁉︎』
ダイチ、めっちゃ震えてた。あいつの身に何があったのかはわからないけれど、ともかくあれを無理矢理病院に連れて行くのも可哀想だったから見逃す事にした。……いや、むしろあの時のダイチはトヨリ以上に病人感あったし、いっそのこと病院に連れてった方が一石二鳥だったのかもしれない。まぁ今更考えたってしょうがないけど。
病人と言えば相変わらず暗くて寒い部屋だ。カーテンは閉めっぱなしで冷房も効きっぱなし。ここに長居していると私の方まで病気になっちまいそうだよ。
「……で? 来るなって言った私を無視して何の嫌がらせをしに来たの?」
トヨリは相変わらず笑顔を浮かべていた。言葉では怒っているのに、表情が言葉と釣り合わない。それがどことなく不気味で、奇妙で、薄気味悪い。トヨリの事を天使のようだと口にしたタロウには心の底から賛同しかねるが、しかし人間らしさを欠如していると言った意味では心の底の底から同意だった。
「嫌がらせ? 馬鹿言ってんじゃねえよ。昨日の事を謝りに来ただけだ」
「……昨日の事?」
私は一歩踏み出し、トヨリとの距離を僅かに詰める。
「昨日、お前にくたばれって言っちまった。勘違いしてたんだ。お前が重い病気なのはわかっているつもりだったけど、具体的にどんな病気なのかは全くわかっていなかったから。……いや、そもそもわかっていなくても病人に対してくたばれとか言うもんじゃないだろ。だから……」
「……」
「ごめん」
私の視界からトヨリの姿が消える。トヨリの目の前で頭を下げた。いつまで下げるのかって言われれば、もちろんトヨリから声をかけられるまでだ。もしもこいつがこのまま私を無視するつもりなら、医者や看護師が診察に来ようが面会時間が終了しようがいつまでも頭を下げるつもりだった。
「……土下座」
それこそどんなムカつく事を言われてもだ。昨日の私はそれだけの事をトヨリに言ってしまったと、今でも深く反省しているんだから。
「……頭下げるだけとか中途半端じゃない? どうせならとことん謝ってよ。……ほら、土下座」
「……」
「……何で黙ってるの? 謝りにに来たんでしょ?」
「……」
「謝る気ないなら帰れよ。何しに来たんだよ」
「……わかった」
視界が一気に床まで近づく。昨日の土下座は半分冗談みたいなもんだとして、本気の土下座をしたのっていつ以来だろう。下手したら生まれてから今日まで一度もしていないんじゃないか? 嫌いな相手への土下座って中々屈辱的なもんだな。頭上から聞こえるトヨリの微笑がやけに耳に障る。トヨリの口から声が漏れる度に何度も思ってしまうのだ。
「……お兄ちゃん。そいつの頭、踏んでみて」
こいつ、本当に性根が腐ってんだなと。
頭は変わらず下げたままだからトヨリの様子は窺えない。まぁ、頭を上げたところでトヨリは笑顔しか浮かべていないのだろう。それでも私にはトヨリが憤りを覚えているであろう事が手に取るように感じ取れた。トヨリが指示を出してから何秒経ってもタロウは行動を起こさなかったからだ。
「……早くやれよ」
どれだけ待ってもタロウが行動しないものだから、遂にはトヨリの方から催促し始める。
「ごめん。やりたくない」
それでもタロウは行動を起こさないどころか拒否の意思まで示すものだから、遂にトヨリの口からは溜め息まで漏れ出るのだった。
「……あのさ。……私、何度も来るなって言ってるじゃん。それなのに毎日……、毎日……、懲りずに来てさ。私の意思はお構いなしかよ。……何で私ばっか……、我慢しなきゃいけないの? 気持ち悪いんだよ。……人間の真似事ばっか見せられる……こっちの身にもなれっての」
トヨリの欠点。気が立つと平気で汚い言葉を吐き散らす。タロウに言われるまでもなく、私は昨日の時点でその被害を思う存分味わっている。
「私は我慢してるんだ。……だったらそっちも少しくらい……私のわがまま聞いたら?」
耳が痛い。私の頭上を飛び交う悪意に鼓膜が破れそうだった。それがトヨリの生まれ付いての性格なのか。それともタロウの言う通り、不便で窮屈な入院生活を長期間重ねた事でこんな風になってしまったのか。それを判断出来る程私はトヨリという人間の事を知らない。当たり前じゃないか。こちとら昨日会ったばかりなんだよ。何をもって判断しろってんだ。
生まれ付きの性格なら最悪だけど、もしもタロウの言う通りなんだとしたら同情もんだと思う。好きな物を食べられず、好きな所にも行けず、一日の殆どをベッドの上で過ごす。食えないどころか水さえ好きに飲めない上に、トイレの度に見ず知らずの他人にケツとか拭かれるわけか。仕事でやってくれている看護師には悪いけど、私が知らねえ人間にけつとか拭かれる立場だったら恥ずかしくて生きていけねえや。
そんな生活を二年。こいつは生死と隣り合わせになりながら、そんな生活を二年も続けている。それは辛い。健康な体を持った私が言っても嫌味にしかならないのかも知れないけれど、想像するだけで苦しい。だからそんな苦痛を二年も味わったトヨリにくたばれと言い放った私はやっぱり最低なんだと思う。
……でも。
「トヨリ。僕は」
「喋るな」
それでも。
「人間の真似すんなっつってんだろ。ここに来るならせめて喋るな。人形らしく黙って私の言う事を聞いてろ」
やっぱり私はこいつの事が気に食わない。
「……何? その目」
トヨリの悪意の標的が、タロウから私へと切り替わった。
とっくに頭は上げていた。頭を上げ、怨念をたっぷり詰め込んだ視線をトヨリへ送っていたのがバレた。もっとも、バレる以前に隠すつもりなんて微塵もなかったけどな。
「私が悪いの? ……二人ともわかってるよね。私がどんな人間か。……私と一緒にいたら……何をされるか。わかった上で来てるんだよね? ……嫌な思いしたくないなら……そもそも来なければいいんだよ」
トヨリの口は止まる術を知らない。私は既に頭を上げるどころか立ち上がっている。トヨリは怖くないのだろうか。そんな風に悪態をつき続けた結果、我慢の限界が訪れた私に殴られるかもだとか。ほんの少しも思わないのだろうか。私からすればトヨリの方がよっぽど得体が知れなくて不気味だよ。
「……私は一人でいたい。……一人で静かに過ごしてたいの。……みほりちゃんも不快な思いするのは……いやでしょ? なら簡単じゃん。来なければいいんだ。ここに誰も来なかったら……私は静かに過ごせて幸せ。みほりちゃんだって嫌な目に遭わなくて済むから……やっぱり幸せ。……何でこんな簡単な事……わかんないかな」
と、その時。放っておけば日が暮れるまで恨み言を呟きかねないトヨリのご機嫌な口が、ある瞬間をきっかけにその勢いをなくした。
「……そうだ。みほりちゃん。……それ、殴ってよ」
けれどそれが私への苛みを辞めた意思表示でないのはすぐにわかった。なんて楽しそうに呟くのだろう。なんて嬉しそうに呟くのだろう。見ているだけでむしゃくしゃする。
「……それ、私の言う事聞いてくれないみたいだし。……代わりにみほりちゃんがそれ、殴ってよ。私に悪い事をしたって気持ちが……本当にあるなら」
あまりにもむしゃくしゃしたもんだから。
「……わかった」
私はタロウの方へと振り返った。それはトヨリの提案を快く引き受けるという意思表示でもあった。ちょうどいいじゃないか。私は今、こいつのせいで溜まりに溜まったストレスを発散したくてしょうがない。誰かを殴れると言うなら願ったり叶ったりだ。タロウには悪いけど、ここは渾身の力で引っ叩かせてもらう。
「タロウ。私、今からお前の顔を思いっきりぶん殴る。だからお前も私をぶん殴れ。一回は一回だ。絶対にやり返せよ?」
「ごめん、みほりちゃん。何を言っているのかわから」
タロウの言葉よりも、タロウの頬を思い切り殴打した私の平手の音の方が早かった。人を平手で殴るなんていつ以来だろう。拳で殴った記憶は数あれど、ビンタをした記憶なんてマジでねえや。
手のひらが痺れる。拳で殴るより何倍も痛い。空気の乾き切った部屋が乾いた音に包まれて行く。それから数秒程経ってようやく聴こえて来た最初の音は、そんな私とタロウのやり取りを見ながら微笑むトヨリの笑い声だった。
「……やるじゃん。本当にするとは思わなかった」
どうやらこの部屋の主はその一連の流れに満足してくれたらしい。楽しそうで何よりだ。満足してくれたのなら、ここから始まる本番もきっと楽しんでくれる事だろう。私は両手を後ろで組んで、タロウの前で仁王立ちする。
「来い、タロウ」
「……」
「早くしろ。お前がやり返してくれなきゃ私はただ殴っただけの悪者じゃねえか」
「……」
「やれよ。プラスマイナスゼロにしてくれ」
「……わかった」
そして私の頬にも強烈な一撃が叩きつけられるのだった。
再び病室を包み込む乾いた破裂音。ビンタは拳よりも殴った時の痛みが強いとは思ったものの、結局顔を殴られる痛みが一番キツいのだと改めて思い知る。
タロウが手加減してくれているのはわかっている。こいつが魔法を使って本気のビンタをかました日には、今頃私の首と胴体は別々の人生を歩む事になっていただろう。とは言え魔法なしの純粋なタロウの腕力によるビンタも中々のもんだ。殴られたのはたったの一発なのに、タロウの平手が私から離れてもなお私の頬には電流が走っている。痛くて痛くてたまらないし、涙腺の弱さも相まって涙まで出て来た。
「……おう。サンキュー」
私は私が悪者になるのを防いでくれたタロウに礼を言って振り返った。そしてトヨリに問いかけるのだ。
「おい。これで満足か?」
私の問いかけに対し、トヨリは優しい笑顔を浮かべながら。
「うん。とっても」
と。この一連の騒動に満足したと。はっきりと口にした。はっきりと口にしたから。
「そうか。じゃあ」
私はトヨリの笑顔にも渾身の平手を叩きつけた。
ずっと考えていた。こいつから漂う不気味さを取り払う方法を。こいつとしっかり目を合わせて話す方法を。私がトヨリを不気味に思うのは、その仮面のような笑顔が気に食わないからだ。面白くもないくせに、楽しくもないくせに、私やタロウをイラつかせる為だけに笑顔を浮かべているようにしか見えない。どうすればこいつのこの薄気味悪い笑顔の仮面を引っぺがせるのか、ずっとずっと考えていた。
「これでお前もおあいこだな」
そして私の思惑通りに事は進んだ。まさかこんな物理的な方法でこいつの仮面を引っぺがせられるとはな。見るからに動揺して口を半開きにしているトヨリの表情が愉快で堪らない。
「何だよその顔は。人に殴らせておいて自分は殴られないとでも思っていたのか? そんなわけあるかバーーーーーーーカっ!!」
私は浴びせるようにトヨリに怒鳴りつけてやった。きっと今の叫びで私の唾も数滴トヨリの顔にかかったに違いない。ざまあねえや。
「言ってみろ。次は私のどこを殴りたい? お前の言う通りにタロウに殴られてやるよ。こいつが拒否るならその辺の壁にでも頭ぶつけてやるし、窓から飛び降りろって言うならその通りにしてやる。ただし、その後は同じ力でお前をぶん殴る」
私はトヨリのベッドに足をかけ、僅かに私の方が高い身長でトヨリを見下しながら宣言した。
「喧嘩しようぜトヨリ」
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