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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第二章 天使と喧嘩する魔女
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三千四十五億円分の心臓

天使と戦う話 3/5

 だから私はもう少し考えた上で発言をした方が良かったんだ。私は次の言葉を放ってしまった事を後悔する事になる。折角珍しいタロウの表情を見る事が出来たのに、考えの足りない私のたった一言のせいで、タロウの表情から笑顔らしき光はすっぽりと抜けてしまったのだから。


「ハッ、私があれと似てる? ふざけんじゃねえっつうの。あんにゃろう、病人でいる間は手ぇ出さないでおいてやるけど、病気が治ったら速攻焼き入れてやっからな」


「……何を言っているの?」


 せめてもう少し。ほんの少しでもトヨリの病気に関心を持っていればよかったんだと思う。トヨリの病気について、ほんの少しでもネットで調べてさえいれば、タロウの険しい表情なんて見る事もなかったのに。


「トヨリの病気は心臓移植以外じゃ絶対に治らない病気だよ」


「いや、だから受けるんだろ? 心臓移植。お前らこの前テレビに一瞬映ってたよな? 募金も二億六千万くらい貯まってたし、もう目と鼻の先じゃねえか」


「……」


 タロウがスマホを取り出した。学校の校則でスマホの持ち込みは許可されているものの、校内での使用までは認められていない。そんな校則を破ってでも見せたいものがタロウにはあったのだ。


「無理だよ。トヨリの募金はここ数ヶ月間、ずっと横ばい状態だから」


 それはクラウドファンディングのサイトだった。佐藤トヨリちゃんを救う会。そこには数多くの有志達により集められた二億六千万という数字がデカデカと表示されている。サイト下部にはいつ、誰が、いくら募金したかなどの情報も履歴として残っていたものの、最後に募金があったのは今からおよそ十日前。それより前の募金は……三週間前? しかも募金してくれた人に対してこう言うのもなんだけど、一度の募金額にしたって大した額じゃない。目標金額と照らし合わせれば、雀の涙にも満たないちんけな額だった。私は履歴を遡りながら、そのクラファンに覚えた違和感を突きつけた。


「何だよこれ。始めたばっかの頃はじゃぶじゃぶ金が入って来てんのに、どうしてこんな急に伸び悩んでんだ? 何かやらかしたのか?」


「まさか。強いて言えば、トヨリが可哀想じゃなくなったからかな」


「可哀想じゃないって……」


 タロウは私からスマホを取り上げて再び操作する。そして次に見せて来たサイトの上部には、見るからに堅苦しい文字でこう書かれていた。JOT 公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク。タロウはそのサイトに記載された数字を読み上げながら、トヨリが今置かれている状況について淡々と解説した。


「日本国内における拡張型心筋症患者の心臓移植希望登録者数は現時点で515人だ。他の心臓病も含めると、この国には合計932人の患者達が心臓移植の待機をしている。だけどこれだけの心臓を国内で用意するのは不可能だ。だから全員が全員ってわけじゃないけど、沢山の人が確実な心臓移植を求めて、支援団体の協力のもと海外での移植の為に募金活動を手を出す事になる。トヨリもその内の一人だね」


 既知の知識と初耳の知識が混合する話だった。トヨリが移植の為の募金活動をしている事は、この前のテレビを見て知っていたつもりだ。けれどトヨリと同じ境遇の人間がこの国にそれだけ存在していたというのは、タロウに教えられて初めて知った知識だった。


「海外で心臓移植を受ける為の相場はおよそ三億五千万円。普通のサラリーマンの生涯収入が大体二億円だから、人生1.5回分の稼ぎがあってようやく届く金額だ。患者一人ならまだしも、それが数百人分なんて到底集まるわけがない。そうなって来ると当然募金額にも偏りが生じて来る。より多くの人から同情を買えた患者にばかり募金が集まるんだ。特に幼い子供とかね。心臓移植を希望している待機患者の中でトヨリより幼い児童はおよそ50人。トヨリ以上に同情を集めやすい患者がこの国には50人もいる」


 五十人。まるでその五十人は敵だとでも言いたげな言い方に、妙な居心地の悪さを感じた。けれど見知った一人と見知らぬ五十人とではそりゃあ主観的な命の重さは段違いだろう。


 私だって同じだ。テレビで有名人の死亡ニュースを見た時。事件や事故、災害による被害者の情報をニュースで見た時。程度の違いはあれど、私はそこまで心が動かされたりはしない。よっぽど有名な芸能人とかなら何日か驚きが続く事もあるけど、一週間も経てば話題にさえ出てこなくてなる。見ず知らずの他人の死なんて、結局その程度のものにしかなり得ない。きっとこれがサチの死ともなれば話は大きく変わって来るのだろうけれど。


 しかしタロウのその話には一つだけ腑に落ちない点が存在した。まるで心臓病患者の誰もが国内での移植を諦めているかのような言い振りだったからだ。タロウは932人分の心臓なんて国内じゃ集まらないと言ったけど、本当にそうなのか? 日本で年間何人の人間が死んでいると思ってんだ。


「……でも、それって絶対に海外で受けなきゃいけないのか? 日本の中ならもっと安く受けられるだろ。大体932人分の心臓って本当に集まんねえのか? 社会の時間で習ったじゃねえか。日本じゃ一日三千人近い人が亡くなってるって」


「故人の臓器ならなんでもかんでも移植出来るわけじゃないよ。人間の死因なんてその殆どは病死だから、大抵の場合故人の内臓は使い物にはならない。臓器が健康で死亡判定が下される事……、つまり脳死患者でないとドナーになる事は出来ないんだ」


「それって……大体何人くらいいるんだ?」


「62人」


「え」


 62人? なんだ、一日62人もドナーがいるなら932人なんてあっという間じゃないか。……なんて思ったものの。


「年間62人だよ」


 直後にタロウが付け足したその言葉に残ったのは、ただただ果てしない絶望だけだった。


「毎年百万人近くが亡くなる中で、ドナーとして臓器提供をしてくれる人間はたったの62人しかいない」


「なんでそんな少ねえんだよ。そりゃ内臓が健康なまま頭だけ死ぬなんて珍しい死に方だと思うけど、日本じゃ毎年百万人も亡くなってるんだろ? なら千人くらいはいたって……」


「しょうがないよ。ここはそう言う国なんだから」


 タロウは諦めたように冷たく、淡々と、そう言い放った。


「日本は元々脳死患者を死人とは認めていないんだ。脳死患者本人が臓器提供をしたいって意思を示した場合に限り、この国は脳死患者に死亡判定を下してくれる」


「は? 内臓は元気でも頭は死んでんだろ? そんなのどうやって意思表示なんかすんだよ」


「生前に臓器移植意思表示カードにサインをするんだよ。自分はいつ死ぬかわからない、どうやって死ぬかもわからない。だけど仮に私が脳死した場合、どうか私の臓器を誰かの為に使ってあげてください。そんな起こるかどうかもわからない時の為に、自分からカードを貰いに行ってサインをする。そしてこの人がたまたま何らかの原因で脳死した場合に限り、この人の臓器がやっと移植希望患者の元へ届く事になるんだ」


「……」


 だとしたら話は色々と変わってくるな。日本では年間たったの62人しか臓器を提供しないんじゃない。そこまでして自分の臓器を提供しようとする人が62人もいるんだ。そのカードにサインした人間も含めれば、きっとそれ以上にたくさんの人が……。


「これが海外だったら事情も変わって来るんだけどね。例えばアメリカやドイツ、イギリスなんかは患者が生前に意思表示をしていなくても、その遺族が同意すれば患者の臓器を臓器提供に回す事が出来る。オーストラリアやフランス、スペインなんかだと患者が生前に絶対臓器を提供したくないって意思表示しない限り、脳死後は速やかに臓器提供に回される事になる。先進国の中だと日本くらいなものだよ。ここまで臓器移植をしにくい環境なんて」


 日本は特別に臓器移植がしにくい環境か。それが良い事なのか悪い事なのかは一概には言えないけど、パッと聞いただけなら折角の使える臓器を無駄にしている行為のような気もする。……でも。


「一応2010年に臓器移植法が改正されてからは、日本でも遺族の同意があれば本人の意思に関係なく、脳死患者の臓器を提供出来るようにもなった。でもそれまでの期間が長すぎたんだ。脳死は人の死じゃない。脳死患者から臓器を取り除く行為は殺人行為だ。そう言った風習が、移植法改正後の今の日本にも強く根付いてる」


 もしもサチが脳死なんかになったら、私は絶対にサチの臓器を誰かに渡したいだなんて思わないと思う。万が一、億が一、兆が一、なんならいっその事ゼロでもいい。脳死から回復する確率が仮にゼロだったとしても、サチの臓器を誰かに明け渡したら、それは私がサチにトドメを刺したような物じゃないだろうか。そんな行為に同意だなんて、私には出来ない。


「国内での臓器移植で助かる心臓病患者は年間でたったの62人だ。932人のうち、たったの62人しか心臓を受け取る事が出来ない。残りの870人は当然お預けを食らう。この870人をすぐに助けたいなら、全員海外で移植手術を受けるしかない。その場合の費用は三億五千万が870人分だから……」


 三千四十五億円。タロウの口から紡がれた、私の人生とは決して縁がないであろうその数字の重さが、やけに現実的に私の心に吊り下げられた。


「……でもさ。それでも一年で62人も臓器提供をしてくれる人がいるんだろ? 今すぐには無理でも、十年とちょっとさえ待っていればいつか必ず順番は回ってくるんじゃねえの?」


「無理だよ。拡張型心筋症の五年生存率はおよそ七割。患者の三割が五年以内に死ぬ事になる。それに心臓移植で病気を根治した人がいれば、その反対に心臓病を発症させる人だっている。児童の拡張型心筋症だけに絞っても毎年80人近くが新たに発症しているんだから、結局国内じゃまかないきれっこない。それに国内で臓器移植を受けるにしても、結局同情票は必要だからね。国内で脳死ドナーが出た場合でも、やっぱりその臓器はより可哀想な患者へ回される傾向が強いから」


 また出た。同情とか、可哀想とか、そう言った類の単語。同じ病気を抱えた人達の命を値踏みする為の基準。私だって人の命が平等だとは思わない。私の知る人物と私の知らない人物とでは当然私の知っている人物の方が命の価値は重いし、更に言えば私の知っている人物の中でもやはりランク付けは存在するのだ。特に一位の人物なんて、一生その地位が揺らぐ事はないだろうと断言する事だって出来る程だ。


 だからこの気持ちの正体が、自分の事を棚に上げた悪質な気持ちである事は理解しているけれど。それでもやっぱり同情度合いで人の命に価値が付与されるというその言葉には、どうしても残酷さを感じずにはいられなかった。


「ただ、国内での移植は日本臓器移植ネットワークの人達や厚生労働省の人達が厳正な審査をした上で臓器の提供先を決めるからね。募金活動は一般人から寄付を集うからどうしても主観が入って幼い子供にお金が集中しがちだけど、それに比べたらかなり幅広い年齢層の患者達に公平に臓器が振り分けられるはずだよ。長期間病気に苦しめられた人とか、病気による悲劇的なエピソードを持った人とか。……でも、トヨリの入院期間はたったの二年だ。トヨリの何倍もの入院生活を経験している高齢者の患者なんて山のようにいるし、病気のせいでトヨリ以上に悲劇的な経験をした人だって星のようにいる。そんな人達を掻い潜ってトヨリが心臓を手に入れられる確率なんて、それこそ……」


 いつの間にか掃除をする腕は止まっていた。タロウの話に夢中になっていたと言うのもあるし、何より昨日の出来事が何度も脳裏にフラッシュバックされるのだ。


 私は酷い勘違いをしていた。トヨリのそれが難病である事は理解していたけど、それを治す為にこれだけ多くの関門が設置されているだなんて思いもしなかった。


 思えば一学期のあの日、タロウのおっさんと公園近くで鉢合わせたあの日。あの日、私はタロウのおっさんの逆鱗に触れたような気がしたっけ。あの時は気のせいだと思いたかったけど、今になってようやくわかった。あれは気のせいでもなんでもないのだと。


『みほりちゃんは動物を飼いたいとは思わ』


『思わない。だってほら、私より先に死なれたら辛いじゃん? 犬や猫の寿命ってたった十年くらいなんだろ? 人間の八分の一くらいか? 私なんて魔女だからもっと寿命に差があるだろうしな。そんな寿命の短い相手と仲良くなんかなったら……』


『人間でも十年くらいで死ぬ人はいるよ』


 私、あの時おっさんの逆鱗を何枚剥がしてしまったんだろう。……いや、おっさんだけじゃない。私は昨日、おっさんの逆鱗よりも触れてはいけない大事な聖域に土足で踏み込んだ。


「……どうしよう、タロウ」


「何が?」


「……私、てっきりあいつはちゃちゃっと手術を受ければ治るもんだとばかり思って。それで……」


 土足で踏み込んで……。


「くたばれって言っちゃった……」


 掃除の時間が終了した事を知らせるチャイムが鳴る。もはや仕上げの机拭きをどこまでやったかも思い出せない、そんな空気だ。私の首筋に不自然な冷たさが宿らなければ、私はいつまでもここで俯いていたんじゃないだろうか。


「冷たっ⁉︎」


 何事かと思い振り向くと、ダイチが私の首筋に水滴を垂らしていた。


「掃除終わり。お前ら何言ってんのかわかんねえから全部一人でやっちまったんだけど」


「……え。あぁ、ごめん」


 言われて気がつく。確かに周囲のテーブルの表面は水分で微かに光を反射していた。班行動なのに、仕上げの机拭きはダイチ一人に全部押し付けちまったわけか。


「次は今日の分も私がやるよ」


「いいよ別に。さっさと教室戻ろうぜ? 帰りの会に遅れちまう」


 ダイチにそう言われるまで、帰りの会が迫っていた事すらも頭から抜け落ちてしまったのか。私達はダイチに促されることでようやく図工室の外へと足を運んだ。


「タロウ。俺からも一つ質問あんだけど」


 教室までの道中。静かな廊下でふとダイチがタロウに声をかける。


「何?」


「お前の妹って胃潰瘍じゃなかったの?」


「……」


 私とタロウは交互にダイチの脛を蹴飛ばした。


「馬鹿!」「アホ」「ドジ!」「間抜け」「クズ!」「カス」「無神経!」「むっつりスケベ」


「何だよ⁉︎ なんなんだよ⁉︎ ってか最後のやつはマジでなんだよ⁉︎」


 タロウが乗ってくれたのだけは意外と楽しかった。

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