イカサマグループ
天使と戦う話 2/5
一クラス三十人のうちの学校では、新学期が始まる度にクラス代表の十人がくじを引く事になっている。二学期の代表の一人に選ばれた私は早速教卓の前へと赴き、先生の用意した箱の中に手を突っ込んだ。この中には代表に選ばれなかったクラスメイト二十人分の名前が書かれた紙が入っていて、その中から二枚の紙を引き取る事になる。それを十人分繰り返すと三人一組の班が十班出来上がり、その班が期末までの掃除の班になるわけだ。
私は箱の中から二枚の紙を取り出した。先生は私から紙を受け取ると、そこに記載されていた名前を読み上げる。
「はい。一班は有生みほりさん、佐藤タロウくん、金城ダイチさんの三人ですね」
ほーん。そんな偶然ってあるもんなんだな。いやー、人生何があるかわかんねえな。まさかぼっちの私と同じ班の二人がどちらも例外的に絡みのある二人だなんてな。いやー偶然だなー。マジで偶然だなー。偶然だなー。さっきメリム持って利用者の少ない体育館のトイレに行ったけど、だからと言ってこの三人が同じ班になるのと何か相関性があるわけでもないしなー。本当偶然過ぎて驚くなー。びっくりだなー。マジでびっくりだなー。
「お前なんかくじに細工とかしてねえだろうな」
「はぁ⁉︎ なんだよ! 証拠でもあんのかよ! 言いてえ事あんならまず証拠から出してみろよバーカ! ザーコ! アホドジ間抜け!」
「有生、お前なんか日に日に精神年齢下がってねえか……?」
図工室の窓拭きをするダイチ目掛けて思う存分悪態をついてやった。
金曜日の授業終わり。私の細工……もとい運命に導かれて集った一班の掃除場所は図工室だ。図工室の主な掃除箇所は洗い場と掃除機かけと窓拭きと、そしてテーブル拭きの四箇所。私の担当は洗い場の掃除で、今が真冬なら地獄のような掃除だろうけれど、今日はまだまだ暑い九月初旬。ひたすら冷たい流水に触れるこの掃除は天国だな。
「ぜってえおかしいって。この三人が同じ班とかどんな確率だよ……」
ぶつぶつと文句を言いながら濡れた新聞紙で窓を拭くダイチ。
「本当は嬉しいくせに」
そんなダイチを茶化すようにタロウは机を運びながらボソリと呟いた。そんなタロウの頭に丸めた紙屑が投げつけられる。ダイチが使用済みの新聞紙を野球ボール程に固めて投げた物だった。
「何の冗談だこの野郎……?」
怒り半分、笑い半分の器用な表情を浮かべながらタロウに詰め寄るダイチ。
「つうかタロウ。てめえやっぱ朝の腕相撲も手加減しただろ?」
ダイチはタロウの行動を指差しながら心中の不満を吐き捨てた。それもそのはずだ。何故ならタロウは掃除機かけの為に図工室の机を一人で運搬しているのだから。教室の机よりも頑丈で重量も桁外れの図工室の机を一人でだ。
「もう一回やれよ。今度は本気で」
ダイチはタロウの運ぶ机に手を置いて朝の続きを勃発させようとしていたから。
「おめえは掃除をしろ!」
私はダイチの脛を蹴飛ばした。脛を抱えながら疼くまるダイチ。どうやら私とダイチ程の体格差があっても弁慶の泣き所への打撃は有効らしいな。そんなダイチを見ながらタロウも一言呟く。
「嬉しいくせに」
「おめえにはこれが嬉しそうに見えんのか⁉︎ なぁ⁉︎」
掃除一班はとても仲良しだ。
「そういやタロウ」
それは図工室の掃除も終盤になったあたりで唐突に思い出した事だった。三人で最後の机拭きをしている最中、ここは私達の他に部外者が存在しない、一時的に隔絶された空間である事を思い出す。タロウに集う人だかりのせいですっかり諦めそして忘れていたけれど、私は今日こいつに聞きたい事が色々あったじゃないかと。
「トヨリのやつ、結局どうなったんだ?」
中でも一番気になっていたのがトヨリの容態だ。確かあいつは今日、集中治療室とやらに運ばれて徹底的な治療を施されるはずだったけど。
「ICUには移さなかったよ。昨日の夜から容態が落ち着いて来て、この様子なら大丈夫だろうって先生からも言われた」
「……そっか」
私はタロウの言葉に頷いた。本当ならそりゃあ良かったの一言も添えたいところだけど、あのクソガキの健康を心配するのはなんか癪だから言わないでおこう。
「なんだ、結局会ったのか。どうだった? あのおかっぱ頭。見るからに地雷だったろ」
ほくそ笑むようにダイチが呟いた。私はこれでもかとばかりにダイチに共感する。
「本当にな! なんだよあのメンヘラ。喋る度に一々こっちをイライラさせるような言葉を選びやがってよぉ。思い出すだけでもむしゃくしゃする。性格悪過ぎんだろ、ぜってえ友達いねえわあいつ」
「……」「……」
「何だよその目は殺すぞ⁉︎」
ダイチとタロウにそれぞれ目潰ししてやろうと思ったものの、二対一の状況に持ち込まれては勝ち目も無さそうなので許してやる事にした。
「あんまり言ってあげないでよ。あれでも一応は僕の妹なんだし」
昨日の愚痴を漏らす私にタロウがフォローを入れる。しかしそのフォローはどうにも納得がいかない。
「それだよそれ! お前何あんなクソガキのフォローなんかしてんだよ。お前が甘やかすからあんな悪女に育ったんじゃねえのか? あいつ自分が病人で弱い立場なのを理解した上で調子に乗ってんだぞ。兄貴分ならもっとビシッと言えビシッと!」
まぁ、兄貴分とは言ってもそれが書類上のものでしかないのはわかってるけどさ。
「僕が甘やかす前からトヨリはずっとあんな感じだったよ。健全なる精神は健全なる肉体に宿るって言うでしょ? 体が不健康だと心が病むのも仕方がないよ」
「そういうのを甘やかしてるって言ってんだよ」
「そう? みほりちゃんが厳し過ぎるんじゃない? 考えてみてよ。トヨリはご飯を食べたら結構な確率で吐き出す。食事は毎食病院で用意された味気ないものばかりだ。水を飲める量も決まっていて、酷い時は一日500ミリの水しか飲めない日だってある。それなのに利尿剤の影響で喉は常にカラカラ。排尿や排便だって看護師さんの手を借りなきゃ出来ない日も多い。十一歳の女の子にとってそれがどれだけ恥ずかしい事なのか、みほりちゃんでもわかるでしょ?」
「そ、それは……」
まさかこいつに恥ずかしさについて説かれる日が来るとは。思わず歯軋りをしてしまいそうになる。
「利尿剤以外にも、例えば抗血液凝固剤だって大変だよ。これを使わないと血が固まってトヨリの血管を詰まらせるのに、分量を少しでも間違えると血を溶かし過ぎてあちこちに出血が発生するからね。そんなギリギリの状態をずっとベッドの上で過ごしているんだよ。大好きなペットとも触れ合えずに、一年……」
と。そこでタロウの言葉が不自然に詰まった。
「……二年以上も。ずっとね」
どうも一年と二年を言い間違えたようだけど。でもなんだろう。本当に言い間違えただけなのだろうか。心に釣り針が引っかかったような、妙なわだかまりが残った。
そしてわだかまり以上に私の心にまとわりつくのが、タロウのその口振りだ。さっきからトヨリを甘やかす理由を事細かく説明しているけど、その言葉一つ一つにトゲのような物を感じる。まるでトヨリを敵視する私の事を敵視しているように思えてしまう。
「みほりちゃんの言う通り、トヨリはお世辞にも健全な性格をしているとは言い難い。でもあの子の性格を劇的に歪めたのは、間違いなく長くて空虚な闘病生活にあると僕は思う。みほりちゃんはこんな生活を続けて笑っていられるの? あの子はみほりちゃんみたいに、面白い物を見て素直に爆笑するだけでも命に関わるんだよ。それに」
「ストップ」
と、その時。ダイチの手のひらがタロウの口を覆う事でタロウの言葉が遮られた。
「いや、ストップって言っておいてなんだけど、ぶっちゃけ俺が一番お前らの事情に詳しくないからさ。だからもしかしたらこれは的外れな意見になるかも知んねえけど、でも一応言っとくわ。そっから先は有生の悪口になりそうだしここいらでやめとけ」
「……」
押し黙るタロウ。ダイチはダイチで相変わらず私に甘く、タロウから私を庇ってくれているのはなんとなくわかるけど。
「何熱くなってんだよ。好きなのか? 妹が」
けれどその一言が余計な一言である事は間違いなかった。散々人から空気が読めないと言われ続けた私でも理解出来た。なんだろう、その挑発じみた言い方は。まるで自分がやられた事をやり返すようにダイチは淡々とタロウに言い放つ。タロウはそんなダイチの手のひらを払い除け、その問いに答えた。
「ダイチくんはみほりちゃんの事どう思ってる?」
「……」
「僕がトヨリに向けている感情も、多分そのくらいだよ」
なんだろう。タロウとダイチって私と絡みがあるだけで、こいつら同士の接点なんて殆どないも同然だよな。でも一ヶ月遅れの誕生日パーティーでも、なんか私にはわからない秘密を共有している感をどことなく漂わせていたし……。
タロウがトヨリに向けている感情は、ダイチが私に向けている感情と同じか。私は給食での出来事を思い出す。和泉に私との仲を問われた際のダイチの解答を。ダイチは遠慮がちながらも、けれど間違いなくそこそこ仲が良いと答えてたっけ。
「要するにそこそこトヨリの事が好きって事か。お前も物好きだな。お前のいい分はわかったけど、それでも嫌な思いをした身からしたら二度と話したいとは思わなかったよ、あんなやつ」
だから私はタロウの気持ちを代弁したのだけれど、何故だろう。私の言葉を聞いて、ダイチもタロウもどこか呆れたような表情を浮かべた気がした。
「実際お前がトヨリを贔屓してんのって本当に可哀想だからなのか? お前達の会話を見た感じ、お前もトヨリのせいで嫌な思いしてんだろ」
タロウは少し考えた後、頷く。
「そうだね。確かに理不尽な目には何度も遭わされてる。それでも不思議とあの子の事が嫌いになれないんだ。多分、一種の親近感だと思っているけど」
「親近感?」
タロウとトヨリの関係を結ぶ上で最も適さない言葉の一つがタロウの口から出てきた。
「トヨリは僕とは正反対なんだよ。価値観が全くと言っていいほど合わない」
「何だそりゃ。真逆ならむしろ大嫌いになるだろ」
「そうかな? 動物は自分の知らない情報を持った相手が気になるように出来てる。自分とかけ離れた遺伝子を持った相手に惹かれるのは自然の摂理だ。トヨリは僕の知らない人間の在り方を沢山持っていて、見ていて凄く興味が湧く。みほりちゃんにはトヨリが悪魔みたいに写っているのかも知れないけど、僕の目に天使のように写っているよ」
天使、か。でもそうだな。目を覚ます前のトヨリだったら確かにそうなのかもな。目を開けた瞬間堕天しやがったけど。
私がトヨリに対してどんな感想を持とうと、タロウの抱くトヨリへの気持ちが決して揺るがないのを理解した。正直、私は昨日タロウを庇ってトヨリに噛み付いた身だ。それなのにタロウ本人はトヨリを全く嫌う素振りを見せないのが癪だけど、しかしタロウの意思を否定する権利なんて私にはない。……でも。
「そうかよ。ま、お前があいつに興味を持ったってんならそれまでだ。でもよ、それって余計なお世話じゃねえの?」
タロウの言い分にトヨリに意思が反映されていないのは問題だと思った。
「あのクソガキ、人付き合いそのものを嫌がってるようにしか見えなかったぞ。お前の事だって目の敵にしてたしな。お前があいつに構うのは自由だけど、あいつの意思はどうなんだよ? 放っておいてやるのが一番なんじゃねえの?」
それはタロウだってわかっている筈だ。たったの一度しかトヨリと会っていない私と違って、タロウは何回もトヨリと会っているのだから。
「お父さんが言っていたよ。トヨリは本当は人一倍寂しがり屋な子だって」
しかし、何度も会っているからこそ、私の知らないトヨリの一面を知っていたりもするようだった。あのクソガキが寂しがり屋だなんて私には到底想像もつかないけれど。
「昔は誰かと仲良くなろうと一生懸命だったらしい。でも付き合う人に恵まれなかったり、トヨリ自身気が立ったら酷い事を平気で口にしちゃう性格だったりするから中々上手く行かなかったみたいで…………」
と。そこでタロウが言葉を区切る。今度はダイチに口を塞がれたわけではない。タロウが自分の意思で、自分の判断で言葉を堰き止めた。言葉を堰き止めて、じーっと私の事を見て来たのだ。
「なんだよ」
「……いや。なんだかそれって誰かに似てるな、って思った」
そこでタロウの表情に光が差し込む。相変わらず感情表現の苦手な表情をしているけれど、しかし間違いなく心に纏わりつくしがらみから解き放たれたような澄んだ瞳をしていた。
「……そうか。トヨリってみほりちゃんに似ていたんだ」
とても澄んだ瞳でそう呟いた。
「だから憎めないし、かまってあげたくなっちゃうんだ。……やっとこの気持ちの正体がわかった」
タロウの口角が僅かに吊り上がり、笑顔を浮かべているように見えたのは私の気のせいなんだろうか。
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