人間検査
天使と出会う話 6/7
「お前何言ってんの?」
「……こっちに来いって言ってるの」
「いや、何考えてんだよ……。ってかお前今調子悪いんだろ? 変な病気移しちゃいけないし早く帰るようにタロウに言われたんだけど」
「……あれの言う事なんてどうでもいいよ。それにこういう事…….今まで何度もあったし。どうせまた抗生物質使って……おしまいだから」
「良いわけねえだろ! 大体何でそんな事しなきゃいけねえんだっつの!」
「……だって調べたいじゃん。みほりちゃんが人間なのか、人間じゃないのか」
「……」
「……嫌なら別にいいけどね。でもそしたら私、大人達に言いふらしちゃうかも。……みほりちゃんは人間じゃないって」
そこまで言ってトヨリは指を三本立てた。
「三」
そしてカウントダウンが始まる。指を全て畳むまでに来るか来ないか、私の意思で決めろという事だろう。
「ニ」
トヨリの指が一本畳まれ、私に猶予がない事をわかりやすく表した。まるで命の蝋燭が吹き消されていくようだ。でも私が人間なのかどうか調べるったって、こいつに一体何が出来るって言うんだ。魔女の体は人間と殆ど変わらない。そもそも知的生命体というのはどの世界の住人だろうが、その殆どにおいて人型の形状に落ち着くのだと異世界留学前に教えられている。
簡単な話だ。脳が大きくなるには四足歩行よりも二足歩行の方が都合がいい。商品をパンパンに詰め込んだレジ袋を持ったまま腕を伸ばせばわかる。腕を真っ直ぐ前に伸ばすよりも、腕を頭上に伸ばした方が圧倒的にバランスが取れて安定するのだ。四足歩行の動物の脳が肥大化してみろ。そいつの重心は前方に傾き、ろくに歩く事だって出来なくなる。
脳を肥大化させるには、脳の位置を体の中心に、尚且つ頭上に来るようにするのが最も都合が良い。例外があるとすれば、肥大化した脳を支えられる強靭な肉体を持った象のような生物か、或いは水中生活によって重さから解き放たれたイルカや鯨のような生物くらいなもの。そう言った例外を除いてしまえば、どの世界の住人にしたって知的生命体の容姿は自ずと人型に収束していく。中でも私やガッキーが飛ばされた世界は、私達魔女と著しく似通った進化を辿った人という生き物が支配する世界なわけで。それこそ交配によって子孫を残せるくらい遺伝子レベルで似通った種族なわけで。
「一」
私と人間の身体に差異はない。絶対に有り得ない。そう確信している私は、トヨリの指が畳み切る前にトヨリの隣へ腰を下ろした。
「あの……」
「……何?」
「いや何って……それどう考えてもこっちのセリフ……」
「……別に何もしてないじゃん」
「してるだろ⁉︎」
私はトヨリの体を突き飛ばそうと思い立つも、しかしその反動でこいつがベッドから転げ落ちたらどうなるのか考えてしまった。少なくとも医療機器に繋がれている無数の管は体から引っこ抜かれてしまうに違いない。病人にとってそれがどれだけ致命的な事なのか理解出来ない程私は馬鹿じゃないから、トヨリを突き飛ばしたい衝動はなんとか腹の奥まで押し込んだ。
でも、キツい。めちゃくちゃキツい。トヨリに言われるがままこいつの隣で仰向けに寝たものの、そしたらこの野郎、いきなり私の胸を枕代わりにして来やがったんだ。私の胸が呼吸で上下する度にこいつの頭も上下に揺れる。このままだとトヨリの頭が私の胸の中に沈んで行きそうな錯覚にまで囚われてしまいそうだ。
「なぁ、どいてくれよ……。お前今体が悪いんだろ? 勝手に入った事は悪いと思ってるし反省もしてる。でも……今日はもう帰らせてくんね? 私が気になるってんならお前の体がよくなった時にでもまた来るし」
「……うるさい。静かにして」
「うるさいって……」
「……心臓の音、聞こえない」
「んなもん聞いて何が楽しいんだよ!」
「……楽しいよ? 私にはないもん」
「はぁ? 意味わかんねえ事言ってんじゃ……って冷たっ⁉︎」
私は思わず悲鳴をあげてしまった。トヨリの冷たい手のひらが服の中に入って来たのだ。
「……温かいね。熱すぎるくらい」
「おめえが冷た過ぎんだよ!」
まるで服の中に雪の塊が入って来た気分だ。夏の暑空を歩いて来た私の体温が高いのを差し引いたとしても、トヨリの体温の低さは異常である。変温動物の蛇に素肌の上を這われるような不快感に耐えきれず今にも吐き出しそうになるが、トヨリの奇行はこれだけに留まらない。
トヨリは一通り私の心音を堪能すると、私の体内の様々な音に聞き耳を立てて行った。心臓の位置から少し上に上昇して肺が伸縮する音を堪能したかと思えば、今度は腹部まで下降して胃や腸の音を嗜んでいく。
「近い近い近い近い!」
その上眼前およそ数ミリの距離まで顔を近づけては、私の口から漏れ出る吐息や瞳の状態なんかも食い入るように見て来るのだ。
「……みほりちゃんは……本当に普通の人間に見えるね。お腹の中の幽霊以外……全部普通の人間だ」
まぁいくらこいつに調べられた所で、遺伝子レベルで人間と変わらない私の正体なんかわかるはずもないのだけれど。
「……血が出るか試してもいい?」
「嫌に決まってんだろ⁉︎」
私の心からの拒絶を見ながらトヨリは静かに笑った。相変わらず仮面のような、無機質で無感情な冷たい笑顔だった。
これ以上調べても無駄なのはトヨリ本人も理解したのだろう。トヨリは私から顔を離して世間話を持ちかける。
「……ねぇ。何であれと友達なんかやってるの?」
世間話と言うには悪意成分の割合が比較的多く感じるけど。
「あれってタロウの事か?」
「……そうそう。それそれ」
やっぱ訂正する。比較的じゃなくて絶対的に悪意成分の方が多い。タロウの友達として、私にはこいつの悪意を改めされる義務があると思った。
「お前なぁ、さっきからあれとかそれとか自分の家族を物みたいに……」
「物でしょ」
けれどトヨリは私の反論を呆気なく拒絶する。自分の正しさを微塵も疑っていない。その自信の塊を前にすると、まるで私の方が間違った主張をしているような錯覚に陥ってしまいそうだ。
「……違うの? 私にはあれが物にしか見えないけど」
「……」
「……答えないんだね。違うなら否定すればいいのに」
物。作られた物。あいつを生い立ちで判断するのなら、トヨリの主張は概ね正解なのかも知れない。しかしあいつと四ヶ月近い交流を持った私には、例えそれが正論だとしても首を縦に振るわけにはいかないのだ。
タロウは自分の意思で私とサチの仲を取り持った。タロウはヤンキーに囲まれる私を見て怒りを露わにした。タロウは恐らくトヨリとの関係に悩み、病院のベンチで思いにふけていた。タロウは私の誕生日に自分で稼いだ金でプレゼントを持って来た。それに何より、あいつがバイトを始めた本当の理由は……。
「……みほりちゃんはあれの正体を知っているの?」
「……」
「……これも答えられない質問? 秘密ばっかだね。じゃあ質問を変えるけど……、みほりちゃんにはあれが何に見えるの? ……私にはあれが人間に見えない。人間にしか見えないのに人間には見えないの。人間のふりをしている何かに……見える。人外なら人外らしくしてくれたら……可愛げもあるのにね。……人間のふりなんかしてるから……キモくてキモくて仕方ないよ」
トヨリはそう言うと、冷たい手のひらで私の頬に触れて来た。
「……温かいね。あれの体も温かかった。……汗もかくし、……息もしていたし……、心臓も動いていた。私とは大違い。私なんかより……よっぽど人間らしくて本当に気持ち悪い」
「私とは大違いって……、お前さっきからやたら自分の体を自虐するよな。お前はこんな部屋にいるから冷たいだけだ。体温くらい普通にあんだろ。汗もかくし、息もするし、それに心臓だって」
心臓だって動いている。私が最後までその言葉を言い切れなかったのは、トヨリに頭を抱き寄せられたからだ。私を抱き寄せるトヨリの腕力は酷く貧相で、抵抗なんかしなくてもこいつに私を抱き寄せられない事は一目瞭然だった。だから私は半ばトヨリに協力する形で、自分からトヨリに抱き寄せられにいった。そうでもしないと無理に力の入ったトヨリの腕が折れてしまいそうだった。
「……」
そしてトヨリに抱き寄せられた私は今、言葉を発せずにいる。トヨリの胸に顔を埋めながら、静かにじっと聞き耳を立てている。言葉を発せない理由を私の鼓膜は理解した。トヨリの心臓からは鼓動の音が殆ど聞こえてこないんだ。私が少しでも声を出そうものなら、僅かに聞こえるこの小さな音ごと飲み込んでしまいそうな気がしてしまった。そしたら最後、この小さな鼓動は二度と動かなくなるような気もしてしまった。トヨリの命の選択が私の手のひらに握られているような、悪魔にも近い全能感が私の全身を循環する。
「……ないは言い過ぎだったね。ちょっと盛っちゃった。……でも、みほりちゃんのよりはずっと小さいでしょ?」
「おっぱいの話か?」
「心臓の話だよ」
心臓の話らしかった。しかしトヨリの言う事に間違いはない。誰かの胸に耳を当てれば、そいつの心音がはっきりと聞こえる。静かな部屋で両耳を塞げば、辛うじてではあるけれど自分の心音を聞く事も出来る。トヨリの心音は、トヨリの胸に耳を当ててもなお辛うじて聞こえる程度の物でしかなかった。それに鼓動のリズムもどこか不規則で、いつ何をきっかけに止まってしまったとしても不思議に思えない。
私の脳裏に一つの不安が思い浮かんだ。今日の私の全てが否定されかねない、そんな不安。けれど不安を不安のまま飲み込んでいたら解決するものだって解決しない。この不安は私一人の力で解決出来ないのは明白だから、なおのことトヨリに相談するべきだと思った。
「……なぁ、トヨリ」
「……ん? なーに?」
私はいてもたってもいられず、この不安をトヨリに打ち明ける事にした。
「もしかしてお前の病気ってキャベジンじゃ治らないのか……?」
「治らないよ」
治らないらしかった。
「……私の病気、何だと思ってたの?」
「え? 胃腸炎」
「……」
「からの胃潰瘍」
「……」
とりあえず明日学校に着いたら、朝一でダイチの後頭部をぶん殴ろうと思った。
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