メンヘラの方はちょっと
天使と出会う話 5/7
佐藤トヨリ。私はその名前を知っていた。ダイチに教えられるよりも前から知っていた。まず数日前に見た24時間テレビで既にその名前を認知していたし、それよりもずっと前。あれは……そう、夏休みに入る前の事。あの時も私はトヨリと言う名前を聞いていたんだ。
犬の散歩をしていたタロウのおっさんと道端で出くわした時だ。あの日、私は大型犬を撫でようとして、そして襲われかける。あの時、タロウのおっさんが言った。三匹の犬のうち、中くらいの方と大きい方。特に大きい方はトヨリにしか懐かないんだって。私がその名について尋ねると、おっさんは親戚の子だと誤魔化していたけれど。
佐藤トヨリは動物に懐かれる。
「あ……悪い。起こしちまったな? あの、別に怪しいやつじゃねえからな? ちゃんと看護師の許可も取って入ったし」
「……何で嘘をつくの?」
「……」
佐藤トヨリは嘘に敏感だ。
「……ねぇ。あなたは誰? その幽霊は何……?」
「……」
佐藤トヨリには精霊が見えている。そりゃあフクに似ている筈だよ。
幽霊か。フクと初めて会った時も同じ事を言われたっけ。私の中には、私と一体になった幽霊がいるって。あれはきっとメリムの事を指した言葉だ。そして私のお腹を指差すこの子も、フクと同じように私の中のメリムを認識している。
懐かしい。一ヶ月前に感じたフクの視線と一緒だ。見透かしたような視線。私の正体を探るような視線。この視線を掻い潜りながら、どのように彼女の問いに答えるべきなのかがわからない。
参ったな。下手な事を答えたらまずい事になる。「幽霊ってなんだ?」って惚けたところで意味はない。そんな嘘、こいつからしたら幼児の嘘を見抜くような物だ。ならどうする? あからさまに話題を切り替えるか? でもそんな事して不信感を持たれてみろ。こいつに質問責めにされる光景が目に浮かぶ。何か……、何か良い言い訳を考えないと……。
と、その時。
「……もしかして、天使さん?」
私が答えるよりも先に彼女の口が動いた。
「え? 天使?」
私の表情は半ば引き攣りかけていた。予想だにしなかった彼女の推理に、思わず顔がこわばってしまう。
「……お迎えに来てくれたんだ。……そっか。人って死んだら幽霊になって、……天使さんと一つになるんだね」
「……」
そんな私をよそにつらつらと自らの推理を披露する彼女の姿は酷く不気味だった。そして次に放たれた彼女の言葉を聞いて、私は確信した。
「……お願い、天使さん。私……もう疲れたよ。動けないのも、イライラするのも、痛いのも、怠いのも。全部疲れた。……私を殺す時は優しくして……?」
「……」
こいつ、メンヘラだ。
メンヘラだ! メンヘラだ! メンヘラだ! メンヘラだ! スマホとか持たせちゃいけないやつだ! リスカ痕とか酒で薬を流し込む姿とかをSNSに平気であげちゃうやつだ! 何年も死にたい死にたい言うくせに結局死なずに今日も元気にメンヘラ文章投稿しちゃうやつだ! 死にたい自分に酔ってるやつだ!
「いや、待て待て。違うから。私そんなんじゃねえから」
その昔、サチのお得意様にメンヘラ男子がいたからメンヘラの面倒臭さはよく知っているつもりだ。ひっきりなしにメッセージを送り付け、返信が遅れると不機嫌になり、自分の意見が通らないと死を仄めかせて気を引こうとするマジで面倒臭い奴だった。私はあの時のサチのようにはなりたくない……っ! メンヘラに付き纏われるとか冗談じゃねえよ。
私は相手を刺激しないよう、満面の笑みを浮かべながら一歩一歩こいつから距離を取る。けれどこの表情が苦笑いになっているであろう事は、不自然にヒクつく頬の動きでなんとなく察する事が出来た。
「……どこ行くの? 天使さん」
「だから違うって! 私は天使じゃなくて普通の人間……あ」
言い終えた所で口が硬直する。渾身のミスに気づいてしまった。私は今、普通の人間って言ってしまった。このメンヘラが抱く変な妄想を突っぱねる為に反射的に言ってしまった。嘘に敏感な人間の前で、自分は普通の人間だと言っちまったんだ。
「……」
その瞬間、トヨリの瞳が大きく見開いた。嘘臭い笑顔を絶え間なく浮かべていたこいつが初めて無表情を浮かべた。
「……嘘」
「あ、いや」
「……もう一回言って」
「今のはその……」
「……ねぇ。もう一回言って。私は普通の人間だって。もう一回だけでいいから」
「……っ」
トヨリは無数の管に拘束されてベッドから降りれないはずなのに、まるで壁際まで追い詰められているような錯覚にとらわれる。最悪、私には何もかも放り捨ててこの場から走り去る選択だってあるのだ。私はまだこいつに身分を打ち明けていない。今逃れば全てを有耶無耶に出来る。……はずなのに。
トヨリの視線が手足に纏わりつく。トヨリから数歩下がった所で私の足は完全に床に張り付いてしまった。トヨリの視線が私の体と床を縫い付けているようだ。逃げられない。……と、半ば諦めかけたその時。
静かな室内に一つの電子音が反響した。音源は私のポケットに入った一台のスマホ。誰かが私に通話をかけて来ている。
「あ……悪い、ちょっとタンマ」
私はここぞとばかりにトヨリに背中を向け電話に出た。
『もしもし? みほりちゃん?』
通話の相手はタロウだった。あいつの方からかけて来るなんて珍しいな。
「どうしたタロウ? あ、私今」
『ダイチくんから教えて貰ったんだけど、病院にいるって本当?』
「え……あー」
言おうとしていた事を先に言われてしまう。しかもなんだ。なんか私、ちょっと責められてるっぽい言い方をされているような……。まぁ本来は家族以外面会謝絶らしいし悪いのは圧倒的に私なんだろうけど。
『トヨリと会ったの?』
「えっと……、会ったっていうか今まさに会ってる最中というか」
『親族以外は面会出来ないはずだけど受付の人に止められなかった?』
「頑張って説得した」
『止められなかった?』
「止められました……」
白状した。しかしそこに関しては私にも言い分がある。
「でもしょうがねえだろ! お前何で妹がいる事ずっと黙ってたんだよ? 前もおっさんの親族が入院してるとか言いやがって。そりゃあ嘘はついてないけど、あんなの隠してるも同然じゃねえか。そんな事されたら気になるだろ……」
『だってみほりちゃん、この事を知ったら色々うざ』
「え?」
ゴホン、と。スピーカーの向こうから咳払いをする声が聞こえる。
『色々うざ絡みして来そうだから』
「咳払いしてまで何を言い直したんだよてめえ⁉︎ ゴラァ!」
しかしまぁ受付の人を無視して勝手に来てしまった事もまた事実。ここは素直に謝っておこう。
「まぁ、悪かったよ。来る時に見舞い品買って来てさ。せめてそれだけでも渡しておこうと思ったんだ。長居するつもりはなかった。勝手な事してごめん」
『別にいいよ。変に隠したりした僕も悪かった。でも出来るだけすぐに病室からは出て行って欲しい。白血球の数値が上がってるって言われたんだ。食事制限の影響で免疫力が落ちて何らかの感染症にかかっている可能性があるから、外部の人との接触は出来るだけ避けないと』
「あー、そっか。わかった。すぐ出るよ。でもタロウ、お前明日からは学校に来るんだよな?」
『行くよ。授業も始まるし』
「おう。じゃあ明日になったら詳しい話聞かせろよな? もう水くさい隠し事は抜きだぞ? ダチに嘘つかれる方の気持ちも考えろ」
『みほりちゃん。勝手にトヨリと会ったのに受付の人を説得したって言ったさっきの嘘は』
私は電話を切った。お互い思い残す事のない有意義な会話だったな。私はスマホをポケットにしまって振り返る。なんか適当な理由をつけて早い所退散するとしよう。
「悪い悪い、待たせたな。私はお前の兄貴の……」
そう思った矢先。私の口が縫い付けられたようにピクリとも動かなくなった。
「……へー。あれの友達なんだ」
トヨリの表情が無機質な笑顔に戻る。私を天使だと思い込んだその瞬間は、間違いなく年相応の好奇心を宿した瞳だったのに。
気持ち悪い。フクもよく笑う奴だけど、それでもあいつの笑顔には愛嬌があった。見ていて思わず安心してしまうとても優しい笑顔。けれどトヨリの笑顔には愛嬌も、愛らしさも、暖かさも、何もない。表情だけが笑顔を取り繕っている無そのものだ。言ってしまえば無関心。こいつの目はまるで私を見てなんかいない。そこら辺の空気でも見るような目で私の事を見ている。
「……そ、そうだ、自己紹介がまだだったな。私は有生みほり。お前の兄貴のクラスメイトだ」
「……何? よく聞こえなかった」
「え……。あー、悪い。だからお前の兄貴のクラスメイトだよ」
「違う。その一個前」
「一個前? えっと……、だから私の名前は有生みほりで」
「……」
その時、トヨリの笑顔がより一層邪悪に歪んだ。
「……有生みほり? それがあなたのお名前なの?」
どうやら私は自分で思っている以上に間抜けな頭の持ち主らしい。十年も生きていながら今になって思い知った。
「今まで色んな嘘つきを見てきたけど……、偽名を使う人は初めてだよ。……それで? 嘘つきさんは何をしに来たの?」
そんなトヨリを見ながら私は、ほんの数十分前にダイチに言われた最後の一言を思い出していた。
『行くなら気をつけろよ? あいつの妹、お前の数十倍はめんどくせえぞ』
誰がめんどくせえだ殴るぞ、と言いながら私はダイチを殴った。殴ったものの、どうやら私は明日、この事についてダイチに謝らないといけないらしい。ダイチの忠告の意味が今になってひしひしと伝わって来た。
「……言えないんだ」
トヨリの腕がナースコールに伸びる。
「ま、待て待て!」
私は慌ててその手首を掴みその行動を妨げた。
「……何これ?」
「いや……だからこれはだな」
「……痛いんだけど」
「ご、ごめん! でも頼む! 少しだけ話を聞いてくれよ!」
「……ねぇ、だから痛い。何でこんな事するの? ……離してよ」
「だって離したらお前……。なぁ、頼むよ! こっちにも事情があるんだよ!」
「……嘘つきの事情なんか知らない。私、昔からわかるんだ。その人が嘘つきなのかどうか」
「あーもう、わかった! わかったよ! じゃあこれならどうだ?」
私は観念してトヨリの手首から手を離す。そして実行した二つ目の手はただの土下座だった。トヨリのベッドから数歩離れ、冷房で冷え切った床に手とデコをつける。
「お願いします! 看護師さんを呼ばないでください! 私は別に変な事をしようだなんてこれっぽっちも思っていません!」
「……」
「どうだ? お前嘘がわかるんだろ? 私は今嘘をついているか?」
「……」
ポサ、と。重い物が布団の上に落とされたような乾いた音がした。顔を上げると、そこには両手に何も持たない無防備なトヨリの姿があった。
「……言って」
「え?」
「……私は普通の人間だって。もう一度言って。言ってくれたら……看護師さんは呼ばない」
「……」
少し考えた。その言葉を呟く危険性について。私は既にトヨリの前でその言葉を呟いてしまった。それでトヨリは私の嘘を感じ取った。……でも、思考がそこから先に発展する事ってあるのか? 私がもう一度同じ言葉を呟き、トヨリが私の嘘を確信したとしよう。じゃあ私が普通の人間じゃないと確信したところで、トヨリは私が魔女でありこの世に魔法が存在すると言った真実にまで辿り着く事が出来るのだろうか。その可能性は……きっと恐ろしく低い。
「わかった。その代わり一つだけ約束してくれないか?」
「……何?」
「私がそれを言ったら、そっから先の質問責めはやめて欲しい。確かに私には後ろめたい事がいくつもあるけど、でもそれは私だけの問題なんだ。どうしても人に言いたくない個人的な事なんだよ。この嘘でお前が損する事は絶対にない。それだけは誓うから」
「……ふーん。ま、いいよ」
トヨリは私の条件を受け入れた。私の誓いに嘘はないと判断してくれたのだろう。もしくはこの条件を飲んだ上でも私の正体を見破れるという自信の現れなのかもしれないが、ともかくトヨリは私の条件を飲んでくれた。だから次は私の番だ。
「私は普通の人間だ」
再度紡がれる私の嘘を見て、トヨリの笑顔に禍々しさが宿る。被った者を呪い殺す笑顔の仮面に見つめられている気分だ。
「……みほりちゃんだっけ」
トヨリは笑顔を浮かべながら自分の真横、ベッドの空いた隙間を指差した。
「……こっちに来て。一緒に寝よ?」
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