幽霊再び
天使と出会う話 4/7
まさかまたこの病院に来る事になるとは思ってもいなかった。夏休みの間、毎日足繁く通い続けた総合病院を見ながら懐かしむ。ダイチが退院して二週間とちょっとしか経っていないのに懐かしいか。本当に毎日のように通い続けていたんだな。今でも自分の家のように院内の中を自由に歩けるよ。
病院の受付で面会用紙に私の個人情報及び面会相手の病室番号を記入しながら、少し前の出来事を思い出す。
『タロウの妹って……、もしかして心臓の病気か?』
それはダイチ私に惚れてる説が立証しなかった直後の会話だ。
タロウの妹の存在をダイチから教えられた私は、数日前に見た24時間テレビの事を思い出していた。タロウとおっさんに囲まれた女の子の写真。やっぱりあれは気のせいなんかじゃなかったんだ。心臓移植待機中の児童で現在の募金額は二億六千万円。前に回転寿司でタロウが言っていた一億円が欲しいという言葉の意味が、今になってようやくわかった。が。
『心臓? 違えよ。胃の病気だ』
そんな私の予想はダイチの言葉に呆気なく否定されてしまった。
『胃?』
『あぁ。前に一回会った事があるけど、あれは間違いなく胃炎だな。俺にも経験があるからわかる。あれは辛い……』
ダイチの表情が歪んだ。過去の痛みが脳内でリアルにフラッシュバックされているようだった。
『タクちゃん達に初めて酒を飲まされた日だった。俺、馬鹿みたいに悪酔いしてさ。そんな俺を面白がってみんなどんどん酒を突っ込んでくんだよ。そしたら次の日、胃が荒れに荒れまくって……。キャベジンがなかったら俺、確実にあの日死んでいたと思う』
つらつらと語られるダイチの過去。私は胃炎になった事がないけれど、でも胃袋が痛くなる病気って事は満足に食事も出来ないんだろうな……。想像するだけで辛いや。
『って事はなんだ? 先生言ってたろ、容態が悪化したって。胃炎が悪化したって事はつまり……』
ダイチは真剣な眼差しで私の疑問に答えてくれた。
『間違いない。胃潰瘍だ』
『胃潰瘍……!』
その悍ましい言葉に私は固唾を飲み込む。
『そうか……胃潰瘍か……。胃潰瘍がどんな病気かはわかんねえけど絶対辛いやつじゃん……』
『俺はキャベジンを一瓶は飲んだぜ? 胃炎でこれなら胃潰瘍は十瓶くらい飲む必要があるのかもな』
『十瓶も⁉︎ それを飲み切るまで飯も食えねえのかよ……。可哀想じゃねえかそんなの……っ!』
私は瞳に涙を浮かべる。自分が同じ目に遭ったらと思うと辛くて辛くてたまらない。タロウの妹って事は小五以下の年齢で、なんなら私の実年齢幼い可能性だってあるじゃねえか。それでご飯の代わりにキャベジンしか食えなくなる生活なんて……、私ならそんなの耐えられない……っ。
『タロウのやつ、何でそんな大事な事をずっと黙ってたんだよ。私あいつに妹がいるとか今知ったぞ』
『……まぁ、気持ちはわかるかもな。お前に知られたらなんかうざい事に』
『え?』
『……じゃなくて。お前に気を遣わせたくなかったんだろ』
『そうか……。水くせえじゃねえかあの野郎』
とまぁ、そんなやり取りがあって。
『妹の病室? たしか内科病棟の507号室だったぞ。ドア横のネームプレートには佐藤トヨリって書いてあった』
私はダイチに教えてもらった通りの情報を面会用紙に書き記して受付の人に渡した。
「はい、面会用紙。じゃあな」
受付嬢に挨拶を告げ、内科病棟へと足を向ける。
「え? 待って待って!」
しかし受付嬢は慌てながら私の事を呼び止めた。
「えっと、君はこの子とどんな関係なのかな?」
「関係? 私の友達の妹だけど」
「そう……。あの、せっかく来て貰って悪いんだけどね。佐藤さん、今容態が悪化しちゃって面談は親族の方しか受け付けてないの。集中治療室に入るのも視野に入ってるくらいで」
「集中治療室?」
「うん。ICUって聞いたことない?」
「いやそんないきなり告られても心の準備とか……」
「アイラブユーじゃなくて」
受付嬢は苦笑いを浮かべながら集中治療室について説明してくれた。
「普通の治療じゃ間に合いそうにない患者さんを治すところだよ。今日の様子を見て症状が改善しなさそうなら、明日にでも入る事になると思うの」
「マジか。あ、でも今タロウと親父さんは来てるんだろ? じゃあ二人に軽く挨拶だけでも」
「あー……ごめんね? 集中治療室行きになるかも知れないから、色々と入り用な物もあるし二人とも一時的に帰宅しているの。いつ戻って来るのかはちょっと私にもわからないかな……」
「そっか……」
受付嬢の話を聞いて肩を落とした。交通費に関してはダイチの見舞いに行く為に、ある程度金額がチャージされたSuicaをサチから渡されている。目当ての人物に会えなかったがっかりと、行きと帰りの交通費を無駄にしてしまったがっかり。二重のがっかりが私にのしかかった。とは言え会えないものは会えないんだし、これ以上ここにいても仕方がねえか。
「わかったよ。ありがとな」
私は受付嬢に礼を言い、渋々と我が家へ足を向けた。
「えーっと、507号室507号室はーっと」
もちろん嘘だ。私は内科病棟をうろちょろと探索していた。ダイチの見舞いで病院内部もすっかり慣れたもんだと思っていたけれど、あいつが入院していた病棟は外科病棟。建物の外観も内観も結構違っていて、ぶっちゃけ軽く迷子気味だったりする。
【大人の話くらい聞けよ】
「大丈夫だよ、用事さえ済ませたらすぐ帰るから。見舞い品を渡すだけだ」
私の鞄の中には、タロウの妹の為に道中で買ってきたお見舞い品が入っている。ダイチの経験談からこれしかないと思ったよりすぐりの一品だ。その名も液キャベ。ダイチは瓶入りの錠剤タイプのキャベジンを飲んでいたらしいが、あいつの思考はどうもあと一歩足りなくて惜しいんだよな。錠剤タイプより液体タイプの方が断然飲みやすいに決まってるだろ? それにこれは仕事で飲み過ぎたサチがよく飲んでる物でもある。香料のおかげでグレープフルーツの味がしてスッキリするのだそうだ。言ってしまえばサチのお墨付きも同然だ。
正直、財布的な意味では結構痛い。まさかこんなちっこい瓶が一本810円もするだなんて思ってもなかった。私のお小遣い支給日がつい最近あったからよかったものの、小学生がそう何度も気軽に買えるもんじゃねえよこれ。
「お、ここじゃね?」
内科病棟の五階を彷徨う事数分。私はついに507号室の数字と佐藤豊莉と記載されたネームプレートのある部屋へと辿り着いた。扉の一部はガラス張りとなっている為、私は一旦そこから病室内を覗き込んで見たが。
「……見えねえな」
病室の中は昼間とは思えないくらいに真っ暗だった。カーテンの隙間から差し込む僅かな光を頼りに目を凝らしてみるも、圧倒的な暗闇が私の視界を妨げる。あまりに暗過ぎて部屋の中が全くもって確認出来ない。まぁそもそもの話、コソコソ覗き見っていうのも趣味が悪いか。私は病室の扉をノックし、正々堂々真正面から乗り込む事にした。
「……」
ノックしてから十数秒。中から返事が返ってくる気配はない。私はもう一度ドアをノックするが。
「……」
それでもやっぱり返事が返ってくる様子はなかった。
【容態が悪化したんだろ? 辛くて寝てるんじゃね?】
「あー、そっか。確かに」
メリムに言われて気がつく。だとしたら起こすのも可哀想だ。これが初対面になるし、兄貴のクラスメイトって事で自己紹介とかしておきたかったんだけど、今日の所はテーブルの上に見舞い品だけ置いて帰るとするか。目が覚めて見知らぬ品が置いてあるのも怖いだろうから、後でタロウに事情を説明するなり置き手紙を残すなりしておこう。
私はドアを開けて病室内へ足を踏み入れた。
「……」
踏み入れた直後、私の背中と足が僅かに震える。病室の中が思いの外冷房が効いていたというのもあるのだろう。でも、それだけか? 寒さだけが私の足をここまで震わせるのか?
まるで形を持った悪寒に全身を弄られている気分だ。ダイチの病室では一度も感じる事のなかった奇妙なこの感覚が、不快で不快でたまらない。
この部屋の主はよくこんな部屋でスヤスヤ寝息を立てられるもんだと感心してしまう。……もしくはこの部屋の主こそが、ここを奇妙な悪寒で満たしている張本人なのかも知れない。私は震える足を奮い立たせ、彼女が眠るベッドの側まで歩み寄った。
病室のドアを開けた事で、廊下の蛍光灯の光が僅かながらも病室の中身を照らしてくれた。おかげでその子の姿がよく見える。しかしその子を間近で見て、真っ先に思い浮かんだ感想は決して良いものではなかった。囚人だ。私はこの子を見て真っ先に囚人のようだと思ってしまった。
ボブカット……というよりおかっぱ頭に近い、痩せこけた女の子。医療機器に繋がれたいくつものチューブが、まるで彼女を捕らえる為の拘束具のように見えてしまった。痩せこけた体も相まって、彼女から漂う悲壮感は生半可な物ではない。
24時間テレビで見た光景がフラッシュバックされる。写真で紹介されていたあの女の子の顔そのまんまだ。長い間日光に当たっていないせいか、肌は黄色人種のものとは思えない程に白い。病人に対してこんな表現を使うのもどうかと思うけど、それこそ病的な白さを放っている。私の指先が少し触れるだけで黒く濁ってしまいそうな程だ。
まぁ、要するに。一言で言えば人形のようだった。実際に作られた存在であるタロウ程ではないものの、完成品に届かないが故の生々しい自然体な美しさがある。タロウが男装したフランス人形のようなら、この子の容姿はいわくつきの日本人形を彷彿とさせる代物。不気味さと美しさを兼ね備えた女の子だ。
……。
でも、何故だろう。私は会ったばかりのこの女の子に、不気味さ以上の親近感を覚えてしまっている。遠く離れた友人と再会でもしたかのような懐かしさ。会話はおろか、この子の姿を直接目で見るのだってこれが初めての筈なのに。
彼女の体を頭からつま先まで流れるように視線を向けた。しかし何度見てもどれだけ見ても、やっぱりこいつとの接点なんて何一つ思い浮かばない。私は彼女に抱くこの感情を気のせいの一言に収める事にして、ベッドの隣にあるテーブル棚に見舞い品を置く事にした。……のだが。
「あ」
鞄がテーブル棚とぶつかる。その衝撃でテーブル棚の上に置いてあった写真立ても倒れてしまった。それがまずかった。慌てて写真立てを立て直すと、そこには見覚えのある三匹の犬が写っている。かつておっさんが連れていたあの三匹だ。私が写真の三匹に懐かしさを感じ始めたその時。
「……誰?」
私の背中に、今すぐにでも消え入りそうな霞んだ声が飛んできた。
「あ、いや、ちが!」
私は慌てて振り返る。そこには既に寝息を立てていた女の子の姿はなかった。はっきりと起床した女の子が半開きの目でじーっと私の事を見ていた。
彼女は目を覚ましてもなお人形のようだった。瞼が開いている。唇が動いている。定期的に瞬きはするし、胸だって呼吸に合わせて上下している。しかし彼女には生気がなかった。生きている証拠はいくつも兼ね備えているはずなのに、生気がないだけで人はここまで虚な存在になれるもんなのか。
彼女は私を見ながら笑顔を浮かべている。酷く不自然で不恰好な笑顔。笑顔の仮面をつけているようにさえ見える無機質な物。その表情が彼女の心境とリンクしていないのは火を見るより明らかだ。
でも、一つだけわかった事がある。私がこいつに懐かしさを感じた理由。会話どころか面識さえなかった筈の彼女に親近感を覚えてしまった理由。
彼女は振り絞るように腕を伸ばし、私の腹部を指差しながら言葉を紡いだ。
「……幽霊?」
彼女はフクに似ていたんだ。
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