二学期
天使と出会う話 2/7
まず大前提として私は学校というものが大嫌いだ。小学校一年生から六年生の春まで友達を作らなかった。一時的に友達らしき関係を築けて喜びかけた時期もあったものの、それも結局は悪い思い出として私とサチの記憶に深い傷を残す結果となった。
多分、最初から周りと馴染んでいればこの気持ちも真逆の物になっていたと思う。結局は周りと馴染もうとしなかった私の自業自得なんだ。今となっては魔女の事情を言い訳にするつもりはない。だって私は友達が出来て楽しいと思ってしまったのだ。だから私は受け入れるよ。私が学校に対して嫌悪感を抱いているのは、魔女の事情に縛られて孤独に生きようとした自分の自業自得だって。
さて、そんな学校嫌いな私には好きな言葉がある。終業式だ。という事は当然、それと相対するレベルで嫌いな言葉だってある。それが始業式だ。つまり何が言いたいのかと言うと。
「おいメリム」
【なんだ?】
「ハゲろ」
【ここまで理不尽な八つ当たりされると怒りも湧かねえな……】
私は今、とても虫の居所が悪い。目の前に聳え立つ校舎という名の魔王城を見ながらトボトボと自分の教室へと足を向けた。
教室のドアを潜って自分の席に腰を下ろす。当然その間に会話なんて物はない。夏休みぶりの再会を喜ぶ声はクラスメイト間で行き交っているものの、それが決して私に向けられる事がないのは他でもない私自身がよく知っている。
クラスメイトの登校率は八割と言った所か。後五分もしないうちに席は生徒で埋め尽くされ、十分もした頃には担任が来て体育館へ移動させられる事だろう。その間、私の暇つぶしに相手になってくれそうな某ゴーレムくんはまだ来ていない。ってか珍しいな。一学期の頃はあいつ毎回朝一で学校来てたっつうのに。
話し相手がいない以上、私に出来る事は一つしかない。私は机に突っ伏せて寝たふりを……しようと思ったのだけれど。
教室がざわつく。その空気の変化に感じ取れない程鈍感でもない私は、何事かと思いひとまず頭を上げた。ざわめきの理由はとても単純だった。
「ダイチ! お前体完全に治ってんじゃん!」
クラスカースト上位のお出ましだ。いつだったかサチが言ってたっけ。小学校では単純に喧嘩が強い男子がカースト上位に君臨するものだと。小六の分際でいよいよ身長180に届きそうなダイチは、それこそ学校内じゃ喧嘩で負けなしのスーパーマンだ。おまけに今のあいつには妹を救った英雄だの、不良からいじめっ子を守った英雄だのと言った肩書きまで添えられている。守る為にボロボロになったあいつを悪者呼ばわりする人間がどこにいるって言うんだ。仮にいたとしても、それはアキとの一件が起こる前の私くらいなもの。教室に入って来たダイチの元に沢山の生徒が群がっていくのも、当たり前の光景でしかなかった。
私はあいつらから距離を置いたこの席で無関心を装う。しかし聴覚というのは不便なものだ。見たくないものがあれば目を瞑ればいい。嗅ぎたくないものがあれば鼻を摘めばいい。味わいたくないものがあれば食べなければいいし、触れたくないものがあればそもそも近づかなければいい。なのに振動を察知する聴覚においては、そのような拒絶が不可能だ。指で耳を塞ごうと、耳栓を穴に詰めようと、どうしても振動ばかりは微かに鼓膜を震わせる。聞く行為を拒む方法なんて、イヤホンやヘッドフォンなんかで大音量の音楽を聞く以外に思いつかない。
だからダイチ達の会話が聞こえてしまうのだって、どうしようもない現象であるという事だけは先に触れておく。私は彼らの会話に、仕方なく聞き耳を立てた。
「よぉ、みんな久しぶりじゃん。えぐいだろ? 治り過ぎてて正直俺も怖えよ」
「ダイチまた背ぇ伸びたんじゃない? え、やばい。手を伸ばしたうちよりデカいんだけど」
「お、わかる? 退院前に測ったら178だった」
「ってか治ったんなら早くサッカー来いよ! 監督も退院したらすぐにダイチ連れて来いって言ってるし」
「あー……マジか? でも悪ぃ、激しい運動は十一月まで出来ねえんだよ。しばらくは少年団の方にも顔出せねえわ。他にも色々やる事があるし、十一月までは学校終わったら真っ直ぐ家に帰る事になるっぽい」
「ってかお前普通に外歩いていいの? ヤンキーに待ち伏せされて復讐とかされるんじゃね?」
「大丈夫大丈夫。そのヤンキー今頃少年院の中だから。一緒に面会とか行ってみっか?」
「いやいや、いいからそういうの……」
そんな彼らの談笑を聞きながら、私は一つの違和感に気がついた。教室の入り口でペチャクチャ喋ってたはずの奴らの談笑が、なんか少しずつこっちに近づいて来ている。しかしそれも当然の事で、なんせダイチの席は私の斜め前なのだ。自分の席に座ろうとするダイチの後ろを、クラスメイト達がピクミンのようにぞろぞろとついて来ているのだろう。ま、もう一度寝たふりを再開した私にはその光景が見えないけれど。見たいとも思わないし興味だってねえけど。
しかしまぁ、やっぱこうだよな。当然こうなるはずだよな。わかっていた事だ。私とダイチはクラス内での立ち位置がまるで違う。ダイチは私と違って友達が多い。夏休みの頃は私が毎日押しかけていたから会話が続いていただけ。私以外にも話せる友人が星のように存在するこの学校で、ダイチがわざわざ私に声をかける意味はない。
私の斜め前の席から椅子を引く音と、そこに腰を下ろす音がした。ダイチが着席した音と考えて間違いないだろう。ったく、大勢のピクミン引き連れて来やがって。ってか今私の腕に何かが当たった。ピクミンの内の一匹がダイチと話をする為に私の机に腰を下ろしたのだろう。って事はなんだ? この感触はケツか? ケツ肉が私の腕に当たっているのか? 殺すぞこのクソガキ。
……と、その時。
「うぇ⁉︎」
私は思わずそんな情けない悲鳴を漏らしてしまった。だってしょうがないじゃないか。私は寝たふりをして視覚を遮断していたんだ。そんな時、いきなり耳を掴まれて無理矢理顔を上げさせられた。そりゃあ悲鳴だって漏れる。
急な出来事に焦りを隠せなかった。私は今、間違いなく動揺している。それでも僅かに残った理性で耳を掴む相手に視線を向けると。
「よ」
「……」
その正体がダイチだったもんだから、僅かな私の理性まで吹き飛んでしまい、純度100%の動揺だけが私の頭に残った。
「寝不足か? そろそろ先生来るし起きとけよ」
「……」
私の周りにはダイチの金魚の糞であるクラスメイトが十人程たむろしていた。ダイチのせいでそいつらの視線も一斉に私に降りかかるものだから、やはり私の動揺は消えそうにない。
「そうだ。夏休みの宿題だけど、サンキューな。マジで助かったわ。おかげで先生に叱られずに済みそうだよ」
「……あー。うん。別にいいけど」
「そういえばお前、自由研究だけ手付かずだったじゃん。あれ結局どうなった?」
「いや……。どうなったって言うか放置したまま来ちゃったけど」
「マジか?」
するとダイチは面白おかしそうにケラケラと笑いだす。一通り笑い終えた所で。
「俺もだわ。自由研究もお前の写し待ちだったからさ」
私にそう微笑んだ。
「まぁ共犯者がいる分には心強えよ。一緒に怒られようぜ?」
「……」
鳩が豆鉄砲を食ったようなという表現は、きっと今の私の為にある言葉なのだと思った。思いもよらない出来事の連続に思考回路が追いつかない。しかしそんな私の理性を一瞬で現実へ引き戻す魔法の呪文を、この場にいたダイチのピクミンの一人が徐に呟く。
「ダイチ、フランケンとなんかあったの?」
名前は……なんて言っただろう。興味もないクラスメイトAくんでしかない彼の名前を私は思い出せない。思い出せないけれど、そいつが悪意の込められた呼び名で私を呼んだ事だけは理解出来た。
フランケン。このクラスの一部で囁かれている私のあだ名。あだ名の由来は言うまでもなく頬に刻まれたこの大きな傷跡だ。夏休みの間、ずっと学校から離れていたから一ヶ月以上も記憶から抜け落ちていたよ。私は学校でこんな呼ばれ方をしていたんだって。
妙な胸騒ぎが私の中に芽生えた。私はこの胸騒ぎの正体を知っている。過去にも経験がある胸騒ぎだ。転校前の学校で迫害を受け、体中についた生傷や痣の数々をサチに隠していた時に感じたあの後ろめたさ。それがこの胸騒ぎの正体だ。親しい相手に自分の惨めな姿を知られたくないあの感覚だ。
……まぁ、今回に限っては親しい相手だと思い込んでいるのは私だけかもしれないけれど。私はゆっくりと顔を上げ、ダイチの表情に視線を向けた。しかしダイチは私ではなく、私の事をフランケンだと呼び放った男子の方を見ている。男子の顔を見つめながら不思議そうに訊ねるのだ。
「フランケンって何?」
ダイチに問い返された男子は笑顔を浮かべながら私を指差した。
「有生だよ有生! 顔の傷やばいだろ? キモくね?」
ちょっとした世間話でもするように、無邪気という邪気に塗れた笑顔でそう答えた。
ダイチの視線が私を向く。巨乳の女はよく男の視線がバレバレだとか言うけれど、あれって本当なんだと思った。ダイチの視線が私の頬の傷をなぞっているのがわかる。この傷が出来てもう三ヶ月は経とうと言うのに、今更私はこの傷に気まずさを覚えてダイチから視線を逸らしてしまった。しかし視線を逸らした所で認識しないで済むのはダイチの顔だけだ。
「どこが?」
ダイチが呟いたその言葉を、私の鼓膜は確実に認識した。
「キモいか? どっちかって言ったらカッコよくね? バトル漫画のキャラみたいで」
続けてダイチが発した言葉を皮切りに場の空気が凍つく。私は同調圧力なんてものが大嫌いだけど、これは紛れもなくその同調圧力がもたらした冷気だろう。男子の意見にダイチが反発した事で生まれた冷気。……いや、どちらかと言えばこの男子がカースト上位であるダイチの意見と真逆の意見を言ってしまったせいで生まれた冷気と言った方が正しいのかも知れない。
学校行事の中で最も嫌いな行事はと言われれば、私は声を大にして始業式と答える。じゃあ学校生活の中で最も嫌いな物は言われれば、少し悩みはするだろうけれどきっと私はチャイムと答えるだろう。登校中にチャイムが聞こえれば遅刻を恐れて焦り出す。休み時間中にチャイムが鳴れば面白くもない授業の始まりを察して鬱になる。だからと言って授業中にチャイムが鳴れば、それは休み時間の始まりを意味する。友達の少ない私にとって、休み時間を知らせるチャイムというのは寝たふりを強制させられる合図も同然なのだ。
でも、この時ばかりは違った。校舎中に鳴り響くチャイムの音と同時に先生が入って来て、教室の私達に体育館へ移動するよう促した。促してくれた。それのおかげでほんの僅かだけど、場の空気が解れるのを感じた。
先生に促されたピクミン共が続々と教室を出ていく。まるでみんながダイチから逃げるようでもあった。そして最後まで教室に残ったのは私とダイチの二人だけ。
「行こうぜ?」
「……」
「お前なんか目潤んでね?」
「……ねえよ。バーカ!」
机の下からダイチの足を蹴り飛ばす。ダイチは「痛えよバーカ」などと軽口を叩きながらも、どこか楽しそうに笑みを浮かべながら教室の外へと足を向けた。私はそんなダイチの後をついて行くように体育館へと向かった。
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