昔のプロローグ ⑨ 二度と考えられない世界
佐藤トヨリの今と過去 9/10
カテーテル検査と心筋生検から一ヶ月が経った。私は病室の窓から外の景色を眺める。そこでは今日が退院だと思われる男の子が沢山のお医者さんと看護師さんに見送られながら、笑顔でバイバイと手を振っていた。私では得られなかった希望を彼は得る事が出来たようだ。どうかあの子の未来に、私の分まで幸あらん事を。
検査の結果は良好だった。麻酔から覚めた私を泣きながら抱きしめてくれたパパの姿を良く覚えている。この調子なら一週間以内には退院出来ると、パパは自分の事のように私の健康を祝福してくれた。
しかし五日後、状況が一変する。
『……あれ』
咳が出たのだ。ご飯が喉を通る度にむず痒くなり、小さな咳を漏らしてしまった。小さな咳は止まりどころを忘れ、何度も何度も口から溢れていく。そして遂には胃の内容物をも伴って、ご飯を盛大に吐き出してしまった。それはここ一ヶ月間、いつのまにか私とは無縁のものになっていた入院初期の症状だった。
次の日。先生から私の血圧が低下している事を告げられる。お母さんのような生死の境を彷徨う程急激な低下ではないし、お医者さんもその時は『カテーテル検査の副作用で一時的に下がる人もいるんだ。大丈夫。心配いらないよ』と言ってくれていた。その言葉にモヤがかかる事はなかったし、お医者さんもその時は先生の言葉を鵜呑みにしていたけれど。
それから更に三日後。
『BNPの数値が上がっています……』
神妙な顔つきでそう告げるお医者さんを見て、私はカテーテル検査も心筋生検も全てが無駄になった事を悟った。
BNPというのはおしっこが出やすくなる物質の事だとお医者さんは言う。私が普段飲んでいる利尿剤と同じだ。おしっこを出す事で体内の水分を減らし、血圧を下げて心臓の負担を減らしてくれる。じゃあどう言った時にそのBNPが分泌されるのかと言うと、それはやはり心臓に不穏な動きが発生した時らしい。このままでは心臓が危ないと察知した体がBNPを分泌させ、そしておしっこを出させるのだ。
BNPの数値が上がっていると言う事は、それだけ私の心臓が危機的な状況にある事を意味していた。
『つまりこう言う事ですか。カテーテル検査も心筋生検も全部無意味で、副作用だけがトヨリの体に残る結果になったと』
パパはあまり怒らない人だ。だから私はパパの事が好きなのだ。私自身、パパに怒られた事は小さい頃に間違いを犯した私を叱ってくれた時だけで、それ以外でパパの怒りを目の当たりにした事は一度としてなかった。……なかったけど、その記念すべき一度目が今私の目の前で起きていた。
『……』
それから何日が経っただろう。何週間が経っただろう。空調のおかげで室温が一定に保たれている病室の中だと、季節の変化なんてものはあってないようなもの。もはやどれだけの時間をこの病室で過ごしたのかもわからないけれど、少なくとも月日を数えるのも面倒になっただけの時間が経っていたのは間違いなかった。
私の体調はと言うと、相変わらず安定と不安定の繰り返しだった。当然割合で言えば不安定な日の方が圧倒的に多い。それでも集中治療室に連れて行かれる程までに至らないのは、こんな状況になっても笑顔だけは絶やさずにいたからだろうか。
……ううん。きっと違う。だってその時の私の笑顔は、退院を目標にしていた頃の笑顔とは別物だ。前までの私は、看護師さんに言われた通り、楽しくもない時でも無理して笑顔を作っていた。無理は良くない事だけれど、無理をしてでも何かを頑張ろうとする気持ちはとても大切なものだ。だからふと鏡を見た時に口角が下がっていようものなら、指で無理矢理押し上げてでも笑顔を作っていた。退院への希望が私をそうさせた。
でも、退院の話がなくなってからの私の笑顔はなんなんだろう。その頃の私は鏡を見る度に必ずと言っていい程笑顔を浮かべているのだ。無理なんて一切していない。いつも笑顔を絶やさずに浮かべていられる。意識しなくても顔が笑顔になっている。まるで石膏で固められたように、顔から笑顔の仮面が剥がれ落ちてくれない。
その頃には私はもう自分がどんな病気なのか、十二分に理解するようになっていた。入院は暇との戦いだ。暇を潰す為にネットを駆使して自分の病気を調べる事も多くなった。ネットはわからない漢字やわからない言葉で埋め尽くされていたけれど、私には時間があった。寿命は少なかろうとも、わからない言葉や漢字を一字一句調べる程度の時間ならいくらでもあったのだ。
そして私は理解した。私が患うこの病気は、パパやお医者さんから聞かされている以上に怖い病気である事。この病気が発症した人間の三人に一人は五年以内に命を落としている事。お医者さんや看護師さん、そしてパパの言動からして私がその一人である確率が極めて高い事。
きっと私は退院出来ない。ううん、確実に退院出来ない。私は死ぬまでこの病院で過ごす事になるんだ。それを理解してもなお私の顔は笑顔を絶やす事はなかった。退院を目標につけた笑顔の癖が、一向に抜け落ちてくれない。
そういえば自分の命が長くないと悟ったある日を境に、私は死について調べる事が多くなった。保育園の頃、生まれて初めて知った死という概念が恐ろしくてパパに泣きついた記憶がある。あれだけの恐怖が再現されれば、私の笑顔も簡単に取り除いてくれるような、そんな淡い期待もあった。……まぁ。
『……』
それも全部無駄に終わったけれど。ネットに散らばる死後の世界に関する考察をいくら読み漁っても無意味だった。死はそう遠くない未来に私の身に訪れる存在のはずなのに、感情が微動だにしない。自分の死のはずなのに、これじゃあまるで他人事だ。
……でも、一度だけ。たったの一度だけ私の顔から笑顔が剥がれ落ちた時がある。
その日も私は暇つぶしとして、パソコン越しに我が家ではしゃぐポンタ達の姿を眺めていた。時刻は夜の八時を回った頃だろうか。パパが不意に居間のテレビをつけると、そこでは動物番組が放送されていた。するとその番組に最も食いついたのが他でもないポンタだったのである。
テレビの前でお座りをしながら食い入るようにテレビに映る子犬を凝視するポンタの姿を見て、私はふと他の愛護団体に保護されたポンタの兄弟やあの家で大量繁殖してしまった猫達の事が気になりだした。
私は早速あの日の事を密告した愛護団体のブログを検索して開いてみる。ブログを遡ってみると、あの拠点にいた猫達の処遇に関して書き綴られたページを発見した。その内容を見てみると、やはりあれだけ大量の猫達をこの愛護団体だけで保護し切る事は不可能だったようで、他の愛護団体にも呼びかけて猫達を引き取って貰ったそうだ。そこには協力してくれた各団体の名前やブログへのリンクも貼られていた為、私はリンク先を順番に押しながら引き取られた彼らの様子を確認した。
一つ一つ確認して、そして安心する。他の愛護団体を批判し、自分達だけが絶対的に正しいと盲信していたあの愛護団体とは大違いだ。彼らは他の愛護団体とも頻繁に交流し、協力もし合い、動物達の幸せの為に尽力する人達だった。私の見知った猫達の何匹かも既に里親が見つかり、今は里親の元で幸せそうに暮らしているらしい。そんな彼らの姿を見る度に、私の心臓も僅かながら落ち着きを取り戻しているような気がした。
『……』
気がしていた。五つ目の愛護団体のブログを見るまでは。
それは練馬区にある愛護団体のブログだった。トップページには団体員と保護犬及び保護猫達による集合写真がデカデカと貼られている。しかしその中に一人、私の見知った顔がいた。
他人の空似なんかじゃない。数ヶ月も一緒に過ごしていて見間違えるはずもない。葛藤しながら飼い猫の最後を看取った先生に暴言を吐き捨て、泣きながら懇願するホームレスを汚いと罵り、そんな自分達の行動が真っ当であると信じて疑わない彼女がポンタの兄弟を抱っこしていた。
過去のページを読み漁る。どうやら彼女は三ヶ月前からこの団体に加入した新人であり、新人とは思えない知識量と積極的な行動力で団体の皆んなを引っ張っているのだとか。彼女が加入して以降、彼女が写る全ての写真において彼女は眩しい笑顔を見せつける。どの写真の彼女も、大好きな動物に囲まれていてとても幸せそうだ。
『……なんだそれ』
そんな彼女の笑顔が、私の心から汚い感情を引きずり出す。久しぶりに笑顔の仮面を剥がせた感想はと言うと、この世で体感出来得る限りの最上の地獄そのものだった。
『……ふざけるな』
鼓動の高鳴りを感じる。数ヶ月にも及ぶ入院生活の中で一度も味わった事のない高鳴りだ。まるで彼女に直接心臓を握り潰されているような不快感。不快。……あぁ、不快。私は今、この女が心から憎い。
『ふざけるなふざけるなふざけるな……っ』
私はこの怒りをぶつけるように彼女に向かって呪いの言葉を吐き捨てた。にも関わらず、実際に呪われているのは私の心臓だと言うのだから良い笑い話だ。呪われた心を持っているからこんなドス黒い気持ちがとめどなく溢れて来るのだろう。心臓というのはなんて厄介な臓器なんだ。心臓の故障は心の故障と体の故障の併発にも等しい。心が壊れて、体も壊れて、一体何なんだこのガラクタは。
『何で私だけ……っ、何で……? 何で……ぇっ』
未来が見えた。私の未来ではなく、私の目の前で無数の笑顔を見せつける彼女の未来が。きっと彼女はこれから先も動物達に囲まれた、笑顔の絶えない人生を歩み続けるのだろう。来年も、十年後も、その先も。当然私が死んだ後だって。それを理解した瞬間、それまで他人事のように思えていた死が唐突に私の目の前まで迫ってきた。
彼女が浮がべるその笑顔は二度と私には訪れないものだ。私は死ぬ。死んで何もかもが無くなる。天国なんて嘘だ。地獄だって嘘だ。あの世も幽霊も生まれ変わりも輪廻転生も、そんなの死ぬ事を恐れた人間が作り出したまやかしだ。
死んだら何もない。何一つとして残らない。時に激しく、時に鎮まり返るこの胸の痛みも感じなくなるのだろう。利尿剤の影響で干からびるこの喉の渇きからも解放されるのだろう。注射や点滴の度に皮膚を刺される事も、点滴の針に血管の内側を押し付けられる事も、ご飯を食べる度に吐き出す事も、呼吸が出来なくなるまで咳き込む事も。そして何よりこんな薄汚れたドブのような下劣でうす汚い感情に心を支配される事だってなくなる。私は一切の苦しみから解き放たれる。
……でも、いい。解き放たれなくていい。痛くていい、苦しくていい。不愉快でいい、気持ち悪くていい、切なくていい、忌々しくていい。癪に障っていい、不快でいい、胸くそ悪くていい、反吐が出てもいい、血反吐を吐いてもい、不満でいい、憎たらしくていい、虫唾が走っていい、苛立たしくていい。一生この病気が治らなくたっていい。
考えていたい。ずっと考えていたい。何も考えられなくなる未来が想像出来ない。動物と触れ合った時の温かさも、美味しい物を食べた時の嬉しさも、パパと遊びに出かけた時の楽しさも。何もかもがなくなる。
真夏のお風呂上がりにエアコンの効いた部屋で飲んだジュースの味。朝寝坊して慌てて起きたものの今日が振替休日だった事を思い出し、安心して二度寝した時のぬくもり。好きなアニメがいい場面で終了し、次回が楽しみで楽しみで夜も眠れなくなったあのハラハラ感。凍えるような冬にこっそり寄り道し、コンビニで買った中華マンで手を温めた帰り道。そんな何気ない日常の幸せにさえ私は二度と触れる事が出来ない。
何も感じられない。何も思い出せない。何も考えられない。どこまでも続く永遠の黒の世界の一部に私はなってしまうのだ。
先にその異常に気がついたのは、カメラ越しにパソコンから私の方を覗き込んだパパだった。私の名前を何度も呼びながら、ひっきりなしにカメラを叩いて私の安否を確認する。でも、私はパパの呼びかけには応じなかった。たったの一度も応じてあげられなかった。一方的に私の気持ちを浴びせ、吐き捨て、押し付けた。
『やだぁ……っ! やだぁ、死にたくない……ぃ! 何で私だけ死ぬの……? 何で……? 何で何で何でぇ⁉︎ ねぇどうして私だけ……っ! 何でぇ……! どうしてぇ……!』
……そして。
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