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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
【第3話 魔女と天使の心臓】
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昔のプロローグ ⑥ 人間差別団体

佐藤トヨリの今と過去 6/10

 逆鱗に触れるという言葉がある。今のやり取りは、果たしてどちらがどちらの逆鱗に触れたのだろう。それを確かめる術は私にはないけれど、少なくとも最初に怒りを露にしたのはおばさんの方だった。


『あなた何て事をしたの……? 五年も育てておいて信じられない。頭おかしいわよ。動物を物か何かだと勘違いしてるんじゃない? あなたみたいな飼い主でも猫にとってはたった一人の飼い主なのよ? 最後まであなたと一緒に生きたいって思っていたはずなのに……』


『……私だって不本意でした。ですがこれ以上あの子の苦しむ姿を見ていられなくて』


『ほらそれ! やっぱり出た! ペットを簡単に安楽死させるような人って皆そう言うのよ。はっきり言ったらどうなの? 高額な治療費がもったいなくて殺したって! 大体三歳の若さで心臓病とか、あなたそんな不便な目をしてるから間違えて変な物食べさせたんじゃないの? そんな体でよくペットを飼おうだなんて思ったわよね』


 おばさんは吐き捨てるようにそう言い放つ。人の目が無ければ実際に唾や痰を吐きかけたんじゃないかと思える程だ。おばさんは先生の手から同意書やボールペンを奪い取り、追撃とばかりに先生の逆鱗をいじくりまわす。そして。


『お引き取りください。あなたに生き物を飼う資格はありません。自分一人満足に生きられない障害を持っておきながら猫を飼いたい? 冗談も休み休み言って。そんな無責任な飼い方をしておいて最後は安楽死だなんて……。あなたなんかに育てられた猫が可哀』


『お前に何がわかるんだよ』


 先生の逆鱗がついに剥がれ落ちた。


『若いうちから治らない病気に罹った動物を飼った事があるのか?』


 それは夏休み直前から彼と接し続けた中で、彼が初めて口にする口調だった。その口調が先生の本性なのか、それともおばさんが先生の口調を作り替えてしまったのか、私にはわからない。


『あるに決まってるでしょ⁉︎ 何年猫を飼って来たと思ってるの!』


 おばさんの声にモヤがかかる。また嘘だ。このおばさんはまた嘘をついた。先生に勝つ為だけの嘘をついた。その嘘は、愛猫の最後を最後まで看取った先生にとっての劇薬と化す。


『じゃあ何だ。お前はその子を見て何も思わなかったのか? 自分の考えを押し付けて何年間も苦しませたのか? うちの子は血栓があちこちの血管を詰まらせて足が腐っていったぞ。胸の中も水でパンパンだった。横になったら肺が圧迫されて呼吸が出来ない、それで三日以上も寝ずに立ち続けてた。お前はそういうのを見ても生きろって言うのか⁉︎ 治らない病気の為に何年も延命させてずっと苦しめって言うのかよ⁉︎ どうして何も知らないお前なんかにそこまで言われなきゃいけないんだぁっ!』


 劇薬は彼を暴徒へと変えてしまった。先生の手がおばさんの胸ぐらに伸びる。常日頃から暴力の愚かさを私達に説いた来た先生が暴力の使徒と化す。


 そんな二人の元へ人が集まり出した。彼の暴力を制止するボランティア関係者、彼の行動を面白半分に眺める野次馬、彼の暴挙をネットに晒そうと目論む目立ちたがり屋。ありとあらゆる悪意がこの場に集い出し、最後には警察まで呼ばれる事態にまで発展した。


『ふざけるな……っ、ふざけるなよこの野郎……!』


 恨み、辛み、そして呪い。数多の悪意をおばさんに投げかける先生の姿が目に映る。それが私が最後に見た先生の姿となった。


 少しずつ。また少しずつ、私の胸がざわめき出す。





 それからしばらくして先生は学校に来なくなった。ネットに拡散された彼の暴走が波紋を呼び、謹慎処分となったらしい。私はと言うと、彼を謹慎へと追い込んだ元凶と一緒に、いつものように拠点で動物達のお世話をしていた。


 ……いや、いつものようにと言うのは少し違う。動物で溢れたこの場所は、もはや私の知っているいつもの拠点とは口が裂けても言えない。


『どうするんですか? もう無理ですよ! 他の保護団体に相談して何匹か引き取って貰いましょ? 近場ならほら、このワンニャンハウスとか譲渡実績もしっかりしてますし』


『ダメよ! 見てよこの団体の里親条件! こんな緩い条件で引き渡すだなんて信じられない。ロクな審査もしないで明け渡してるって言っているようなものじゃない! こんな無責任な団体を頼ろうじゃなくて、どうすればこんな人達を頼らずに済むのか考えべきでしょ? 違う⁉︎』


 ボランティアの拠点は崩壊していた。室内に反響する動物達の泣き声、床一面に散らばる餌や糞尿、家中を歩き回る猫達はもはやどの子が中性化済みなのかもわからない状態だった。


 この世に地獄があるとするならば、この場所もそんな地獄の一つとして数えられるに違いない。子猫の数は以前の数倍にも膨れ上がり、足の踏み場は全て猫達に占領されている。中性化手術を受けていない猫が我が物顔で部屋中を歩き回っているのだ。多頭崩壊が起きているのは誰の目にも明白だった。


 ……いや、誰の目にもと言うのは言い過ぎだった。だって、この人達の目にはそうは見えていないのだ。未だに自分達が動物を救える立場にいると錯覚しているのだ。


『あの! この近所に捨て犬がうろついているという情報がSNSに上がっています! このままじゃ保健所に連れて行かれるかも』


『大変! 早く保護してあげないと。トヨリちゃんも準備して? あなたが一番懐かれるんだから』


 恋は盲目とは言うけれど、動物に対する愛情も人を盲目にしてしまうのだろうか。こんな目の前の状況も理解出来ない人が先生の目に対して障害者と言い放ったのだろうか。


 もちろん彼女達の中にもこの拠点の異様さを自覚している人は存在する。けれど異様さを自覚出来ない強者の前では、その判断力ももはやただの無力でしかない。


『……飼う資格がないのはどっちだ』


 私は彼女達の耳に届かない声で小さく呟き、犬の保護へ向かう準備を終え、そして。


『待っててね。すぐ終わらせるから』


 出かける準備を終えた私を見送りに来てくれた猫が二匹いた。糞尿で汚れた毛並み、歯石が溜まり悪臭を放つ口臭。そして過密飼育によるストレスで、仲間同士で争い生じた生々しい傷跡。私は彼らの顎を撫でながら、この気持ちを彼らに伝えた。





 ここの異常さにはとっくに気付いていた。気付いていたのだから、もっと早くに行動に移すべきだった。けれど私はそうしなかった。かつては私も彼女らと共に動物達を救う日々にやり甲斐を見出していたし、やっぱり同じ志を持つ仲間だと言う認識を捨て切れなかったんだ。


 この気持ちは当然その日も抱えていた。拠点を出る際、私を見送ってくれた猫にすぐ終わらせると豪語してなお、それでも団体の皆を信じたい気持ちが心のどこかに潜んでいた。


『……』


 でも、消えた。今消えた。彼らへの信頼も、彼らと築き上げた友情も、呆気なく粉々に崩れていった。


 捨て犬の目撃情報があった地点へ足を運ぶ。そこは住宅街のど真ん中に位置する静かな公園だった。私がとても良く知る公園だった。今、私の目の前では捨て犬の救助活動が行われている。悲哀と怒声と狂気に満ちた救助だ。私は彼らから一歩離れた所で事の顛末を見守っていた。


 悲哀の正体はホームレスのおじいさんだった。静かな住宅街におじいさんの絶叫が木霊する。おじいさんは泣いていた。泣きながら縋りついていた。やめてください、お願いします、勘弁してください、連れて行かないでください。地面に額を擦り付けながら団員の足にしがみついていた。あんなに歳を重ねたおじいさんでも泣く事はあるんだと、生まれて初めて見るそんな光景に私の心臓がざわめく。


 怒声の正体は団員のものだった。おじいさんから子犬を取り上げているおばさんは叫んでいた。おじいさんの泣き声をも凌駕する絶叫だ。汚い、触らないで、汚い、汚い、離せ、痴漢、誰か。自分の足にしがみつくおじいさんの顔や体を蹴飛ばしながら彼女は叫んでいた。


 そして最後に残った狂気の正体が暴力だ。おばさんを含めた残り二名の団員も、おばさんを救おうとしておじいさんに襲いかかる。無数の足がおじいさんの体に襲いかかる。


 彼女達は決しておじいさんを殴ろうとはしなかった。直接彼女達から理由を聞いたわけではないけれど、それでも理由はなんとなくわかる。汚いホームレスに触れたくないのだ。靴越しの蹴りでさえ彼女達からすれば想像も絶する苦痛なのだろう。そんなおじいさんが一年近く育てて来た子犬はあんなにも愛おしそうに抱っこしているのに。


 あぁ。これも先生の言っていたあれか。ゴキブリと猫の話。彼女達にとっては可愛い犬こそ守るべき存在で、可愛くないホームレスなんて本当にゴキブリと変わらない存在なんだ。だからあそこまで非情になりきれるんだ。


『きゃーっ! 鼻血! 鼻血がついた! 汚い! 汚ーーーーいっ! 誰か助けて! 誰かーっ!』


 彼らの攻防戦はそれからすぐに決着がつく事になる。大の大人三人組と痩せこけた老人の肉弾戦だ。勝敗の行方なんて最初から分かりきっていた。


 おじいさんが動かなくなるタイミングを見計らっておばさん抜け出す。それを合図に残る二人もその場から離れた。公園のど真ん中で丸くなりながら啜り泣く、痣と生傷に覆われたおじいさんに背を向け、私達はこの場を後にした。


『どうしたの? トヨリちゃん』


 子犬を救助した帰り道。おばさんに声をかけられる。俯きながら服の胸部を握り締める私の様子が気になったらしい。それはとても意外な反応だった。この人、動物じゃなくて人間を気遣う事って出来たんだ。それとも案外、ホームレスから子犬を救えた勝利の余韻が彼女にそんな余裕を持たせているのかもしれない。


『……ううん。なんでもない』


 私は彼女の気遣いを払い除け、団員と一緒に再びを帰路を進んだ。すると曲がり角から見知った人物が姿を現す。


『あれ、トヨリ?』


『パパ!』


 パパだった。いつもはもっと帰りが遅いのに、その日はたまたま仕事が早く終わったのだろう。私がパパの元へ駆け寄ると、パパは笑顔で私の事を受け止めてくれた。


『動物愛護団体の方ですか? いやー、いつもトヨリの面倒を見て頂いてなんとお礼を言ったらいいやら』


 パパは私を抱きしめながら私の背後に並ぶ彼女達へ会釈する。あの中の一人はパパも一度会った事があるはずだけど、ここでボランティア活動をしているのは私だけ。お仕事があって殆ど顔を出す事のないパパはその事を忘れているようだった。


『いえいえ、お父様もお仕事ご苦労様です。それに面倒だなんてとんでもない。私達もトヨリちゃんには随分助けられてるんですよ?』


『あー、そうなんですか? トヨリもボランティア活動お疲れ様』


 パパの大きな手が私の頭を撫で回す。とても暖かい。犬が人に撫でられるのを好む理由を実感出来る幸せな一時。でも、幸せなその時間はそう長くは続かない。


『動物愛護団体とボランティア?』


 私がパパの間違いを訂正したからだ。パパは彼女達の事を動物愛護団体の方と言った。それはとんでもない間違いだ。私はパパが好き。ここまで好きになれる人間なんて他にはいない。そんなパパが間違った認識をしようとしているのなら、それは私が正さなければいけない事だと思った。


 私はパパから持たされていたスマホを取り出す。クラスの中でもスマホを持っている子はそこまで多くはないけれど、私はお母さんがいない都合上一年生になった時から持たされていたのだ。


『違うよパパ』


 私はカメラロールを開き、その映像をパパに見せる。ほんの数十分前に撮影した撮れたてピチピチの映像を。


 私からスマホを受け取ったパパは食い入るようにその映像を見つめていた。


『人間差別団体のみんなとホームレスをボコボコにしてたの』


 私はそんなパパの耳元で、小さくそう囁いた。

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