昔のプロローグ ② 動物の楽園
佐藤トヨリの今と過去 2/10
季節が巡り、小学校生活二度目の春が訪れる。春は転機の季節であり、出会いの季節でもある。それは相変わらず友達の輪に入れない生活を送り続けていた私でさえ例には漏れず、この年、私はいくつもの出会いを果たす事になった。
『ボランティア?』
『あぁ。飼い主のいない犬や猫を保護して、里親が見つかるまでお世話をしている団体が近くにあるらしいぞ』
それがパパなりの気遣いである事はすぐに理解出来た。個人面談の時や通知表の一言のせいで、私がクラスにあまり馴染めていない事をパパは知っていた。そんな私でも馴染める場所をパパなりに探してくれたのだろう。
『ほら、見てごらん。特に夕方なんかは人手が足りなくていっぱいいっぱいみたいでね。何年か前には小学生の子もボランティアに参加していたみたいだし、トヨリにも合うんじゃないかって思ったんだけど』
パパが見せてくれたスマホの画面には、その団体が運営するブログが表示されている。動物達にご飯をあげている写真、動物達と遊んでいる写真、譲渡会で見つかった新しい里親さんと記念撮影をしている写真。そこに映る人達はみんな笑顔を浮かべていて、表情豊かな動物である犬達も口角を上げながらとても楽しそう。
『……行ってみたいかも』
だから私はそう望んだ。心の底からそう思った。輪の中に入れなかった私でも、輪の外でなら受け入れて貰えるような、そんな淡い期待があった。
私はあの元友達の事が嫌いだ。本当に本当に大嫌いだ。……でも、一年にも及ぶ孤独は思いの外しんどくて。
『そうか!』
輪の外に足を踏み出そうとする私の意思表示を聞いて、パパも嬉しそうに笑ってくれた。
その週の土曜日。パパと一緒に団体の活動拠点へと訪れる。拠点の外観は一見普通のお家だった。東京のお家にしては比較的大きめなのかもしれないけれど、他は周りの住宅に馴染んで溶け込んでいる何の変哲もないデザインのお家。けれどドアを開けて中に足を踏み入れると、そんな私のイメージは一蹴される。そこは正真正銘動物達の楽園だった。
清潔なお部屋。質のいい飼料。そして笑顔で動物達のお世話をしているボランティアの人達。お父さんがその施設で一番偉そうな人と話をしている間、部屋の中を彷徨きながら動物達を見ていると、一人の女の人に声をかけられる。
『こんにちは』
若いお姉さんだった。私も『こんにちは』と、オウム返しで挨拶を返すものの、家族以外の人とお話をするのは久しぶりで、少しテンパってしまったのをよく覚えている。ここに来る前に色々聞いてみたい質問は沢山浮かんでいたはずなのに、お姉さんの声が引き金となって全てが泡となって消えてしまった。そんな私の様子を見て、私があまりコミュニケーションを得意としない子であるとお姉さんは察してくれたのだろう。言葉に詰まる私に変わり、お姉さんの方から色々と話を振ってくれた。
『可愛いワンチャンだね。トヨリちゃんのワンチャン?』
お姉さんは私が抱き抱えていたポンタを会話の初動に選んだ。
『……うん』
『お名前は?』
『……ポンタ』
『わー! 可愛い!』
ポンタは警戒心をあまり見せない人懐っこい性格をしていて、散歩中にもしょっちゅう他の通行人に尻尾を振って駆けていくような子だった。そんなポンタだからお姉さんの事もすぐに気に入ったようで、差し出されたお姉さんの指を楽しそうに何度も舐め回す。お姉さんも嬉しそうにポンタの行動を受け入れていた。
そんな二人の光景を見て、私の警戒心も徐々に解けていく。だから私は思い切ってお姉さんに聞いてみたのだ。
『あの……。ポンタと似てる犬、見た事ない?』
『え?』
首を傾げるお姉さんに、私はポンタを飼うようになった経緯を話す事にした。ポンタは元々は友人の捨てた仔犬である事、友人は二匹の仔犬を捨てたと確かに言っていた事、けれど公園に行ってみるとそこにはポンタしか残されていなかった事、動物の保護をしているここの人に聞けば何か手掛かりがわかるかもしれないと期待していた事。
『うーん……。うちでは保護した覚えはないかな』
お姉さんの口から語られた答えに私は肩を落とす。でも。
『心配しないで? 他の団体にも聞いてみるから。大丈夫だよ、ワンチャンなんて一人で外を歩いていたら凄く目立つもん。絶対に誰かが保護してくれているよ』
七歳だった私にとって大人というのは、私に出来ない事も全部出来ると信じれる程に絶対的な存在だった。小学二年生の私は、そんな二十代半ばの大人の人が自信を持って口にしてくれた言葉に心底安心し、ポンタを飼い始めた日から今日の今日まで抱え続けていた不安からようやく解放される事が出来た。
それから少しして、パパとお話を終えたここの責任者の人がやって来る。
『初めまして。どう? ここは』
とても人の良さそうなおばさんだった。人見知りをする私でも警戒心が芽生えない、そんな不思議な笑顔で語りかけてくれるおばさん。
『凄くいい。犬も、猫も、みんな楽しそう』
『そう。トヨリちゃんは動物が好き?』
『うん。大好き』
おばさんはとても嬉しそうに笑い返した。それと同時に、動物が好きだと言う私の言葉に心配までしてくれたのだ。
『でもね、大好きなだけだときっと辛い思いをするからこれだけはわかって欲しいの。うちはあくまで一時的に動物を保護しているだけ。いい里親さんが見つかったら譲渡してあげるから、どれだけ一生懸命お世話をしてもいつかは必ず別れる事になるわ。そうなった時、トヨリちゃんは笑顔でお別れする事が出来る? そんな思いを何度もする事になるけど、それでもトヨリちゃんはうちでお手伝いをしたい?』
答えは決まっていた。でも、それを答える前に一つだけ確認しておきたい事もあった。
『里親に出された動物さん達は幸せになるの?』
『絶対に幸せにしてくれる人に里親に出すの』
だったら私の答えは変わらない。
『……じゃあ、頑張る。泣かないように我慢してみる』
その日から私は愛護団体の一員として、動物達のお世話をする活動を始める事になった。
ボランティアの活動内容はこうだ。朝学校に行く前と夕方学校が終わった後に、団員の人と一緒に犬の散歩をする。拠点に帰ったら動物達の餌やりと部屋の掃除。また、トイレを覚えているかいないかで里親に引き取られる可能性が大分変わる為、トイレを覚えていない子にはトイレの躾をしたりもした。それ以外の時間は結構自由で、その間は団員の人と一緒に動物達と遊んであげた。それが毎日のスケジュール。……ただ。
『わー! みんなトヨリちゃんに懐いてるねー?』
『……』
団員さんがよく言ってくれるその言葉には、以前と変わらず違和感しか感じ取れなかった。
犬はとてもわかりやすいのだ。遊んであげると目一杯喜んでくれる。この子は本当に私の事が好きなんだと、心の底から感じ取る事が出来た。問題は猫の方だ。
私が振るうネコジャラシに飛びつく猫。私に体を擦り付ける猫。私に顎を撫でられゴロゴロと音を鳴らす猫。猫の中にも犬のように好きの気持ちが伝わってくる子もいるけれど、大多数の猫からはどうしてもそんな気持ちが伝わって来ない。少し前まで私と戯れていた子が、ある瞬間を境に急にそっぽを向いたり怒って来たりもする。けれど団員のみんなは猫が私に懐いていると、私の事が大好きなんだと言ってくる。
こう言うのも懐くって言うのかな。いつしか私は違和感の正体を探るのを諦め、そうやって無理矢理自分を納得させるようになった。
毎日のスケジュールとは別に、年に数度行われる譲渡会のお手伝いにも参加した。特に子供と一緒に来てくれた里親さんは子供と相性のいい動物を探しに来る場合が多い。そう言う時は年齢の近い私が話し相手になってあげた方がスムーズに話が進む事も多く、里親が決まった際には誰かの役に立てた実感を持つ事が出来てとても胸が暖かくなった。
初めて参加した譲渡会が終わった時の事だ。私の目に一匹の中型犬が映り込む。その子は唯一私がリードを持って散歩する事も、餌をあげたり遊んであげる事も許してもらえなかった犬だった。
『今日もダメだったねぇ……』
団員の一人がその子に歩み寄り、慰めるように肩を抱いた。私はそんな中型犬から拒絶の意思が放たれるのを感じ取った。
あの子は怖がっている。自分に寄り添う団員さんを恐れ、自分を抱きしめてくれる団員さん腕には嫌悪感さえ抱いていた。団員さんはそんな彼の意思に気付く事もなく、ただただ静かにその子の事を抱きしめた。
私がその中型犬の世話を任せて貰えないのには理由があった。
『トヨリちゃん。その子のお世話はやめてあげて?』
『どうして?』
『その子はね、虐待を受けていたの。そのせいですっごい臆病になっちゃったのよ。誰にも懐こうとしないから三年も里親が見つからなくて……。怖がりな子って、何がきっかけで噛み付いたりするのかもわからないし』
『誰か噛まれたの?』
『ううん、一度も。でもこれまで噛んだ事がないからって、これからも噛まないとは限らないから。だからトヨリちゃんがもうちょっと大きくなるまで、その子の事はそっとしておいてあげてね?』
『……』
譲渡会を終えて拠点に戻る。里親が見つかった子は全体の一割で、残りの九割はこれからに期待。大人達が譲渡会で使用した様々な用具を外の倉庫にしまっている間、私は室内で里親が見つからなかった彼らの事をじっと見ていた。特に部屋の隅で縮こまる、三年も里親が見つからないままの彼が気になって気になって仕方がなかった。
あの時の私は何を思ったのだろう。あれだけ大人達からその子には近づかないように言われていたのに、大人の目がないのを良い事に、私はその子に近寄ってしまったのだ。
『おいで』
彼の前まで近づいてそっと手を差し伸べる。すると彼は壁にめり込む勢いで後退りながら、既に縮こまっている体を更に縮こませてしまった。彼から伝わる恐怖の感情。彼は心の底から私の事を怖がっている。
そのまま数分彼の目の前に手を差し出す。決して私から触りに行かず、この手が無害である事を認識してもらい彼の方から触ってくれるのを待つ。経験上、警戒心の強い動物でもない限り、こうすれば向こうの方から近寄って来てくれるからだ。
しかし虐待を受けた彼が警戒心を緩めてくれる事はなく、私は諦めて差し出した手を引っ込めた……その時。
彼の恐怖が一瞬だけ薄まるのを感じた。私はその感覚に違和感を覚えたのだ。彼は私が離れた事で安心したと言うより……。
私は再び彼に手を伸ばす。体の位置は動かさず、手のひらだけを彼目掛けて伸ばしてみた。すると彼は再び恐怖に震えながらまたしても縮こまってしまう。そんな彼の様子を見て、私の中で一つの仮説が生まれた。
『手が怖いの?』
あり得る事だと思った。だって彼は虐待を受けていたのだ。じゃあ人間が虐待を行う上で最も行使する暴力と言ったら……。
私は両手を背中に隠しながら彼に近づく。すると近づくのさえ難しかった彼との距離が確実に縮んでいった。そして私は到達する。それまで決して到達する事の出来なかった、彼の眼前という超至近距離まで。
私は彼の前で正座した。それ以上は決して近寄らず、後は彼の行動に全てを委ねた。これでもダメだと言うのなら、恐怖に耐えかねた彼に噛みつかれても別によかった。そして。
『お待たせトヨリちゃん! もう遅いからお家まで車で送るわよ?』
倉庫整理を終えた団員の人達が次々と室内に入って来る。玄関から聞こえるみんなの談笑する声。しかしその声はある瞬間を持って唐突に鳴り止む事になった。リビングまで訪れた彼らの視界に、中型犬と触れ合う私の姿が映り込む。
彼は正座する私の膝に自分の顎を乗せながらくつろいでいた。それは今まで彼が一度も見せた事のなかった行動である。私は彼の体を撫でたりはしなかった。今も変わらず背中で両手を組みながら、私の膝で眠る彼の事をじっと見守っていた。私は彼を起こさないよう、出来るだけ小さな声で。
『ねぇ。この子の里親、私がなってもいい?』
団員のみんなに尋ねた。
余談。
『パパ。この子も今日からうちの家族ね』
『え……。いや、二匹? 二匹かぁ……。でも二匹は……』
『パパ。大好き』
『……まぁ、一匹引き取れば二匹も変わらないか』
パパは苦笑いを浮かべながらティッチを飼う事を快諾してくれた。
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