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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第2.5話 魔女と日常の話]
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退院

最後の日常編 10/15

『最後の検査も良好でした。予定通り明後日退院です』


 口では冷静さを取り繕っていたけれど、化け物を見るように俺と接していたあの医者の目付きだけは忘れられない。


『正直、今でも信じられないです。二十年整形外科に従事して来た中で、これだけの回復を見た事は未だ嘗てありません。それこそ魔法でも見ているような気分でした』


 その口調もとても丁寧な物だったけど、俺の耳にはお前は化け物だと言い放っているようにしか聞こえなかった。……だから。


『退院、おめでとうございます』


 最後のその一言でさえ、俺には嘘っぱちにしか聞こえなかった。


 真夏の日差しが降り注ぐ平日の昼。平日とは言っても夏休み真っ只中という事もあって、少し視線を逸らせば未成年らしき人物達が堂々と外を出歩いている。彼らを尻目に目的地へ向かうと、すぐにその人物の姿を確認する事が出来た。


「おかえり」


「……おう。ただいま」


 病院の駐車場の入り口で待ち構えていたお袋と、そんな当たり障りのない挨拶を交わした。お袋が眩しい。病人のような白い肌が真夏の太陽を反射する。太陽に焼き尽くされているようにも見える。


「日傘くらい持っとけよ」


「大丈夫。すぐ車に乗るから」


「なら車ん中で待ってればいいのに。つうか医者から聞いてんだろ? 俺の体調があり得ねえくらい良好だって。わざわざ来なくても自分で帰れたよ」


「いいの。迎えに行きたかっただけだから」


「……あ、そ」


 するとお袋は俺の側まで歩み寄り、親父とは正反対の小さな身長から俺の顔を見上げて来た。


「背、伸びた?」


「あぁ。健康診断の時から三センチくらい」


「まだまだ伸びるね」


「そうだな。多分中学に上がる頃には百八十はいってるよ。……そんで、いつかは親父と同じになるんだろうな」


「ならないよ」


 唇に冷たい感触が宿る。お袋の小さな指が、俺の言葉を堰き止めるように俺の唇を押さえつけた。


「ダイちゃんはならないよ。絶対」


 そう言ってお袋は俺の唇から手を離した後、手のひらをパーにして向けて来た。


「荷物ちょうだい。持つよ」


「いい。自分で持てる」


「……うん。わかった」


 俺達は車の場所へと足を運んだ。


 真夏の車内はサウナのように蒸し返しているものだけど、ドアを開けた瞬間に感じたのは心地よい冷気の塊だった。駐車中も冷房はつけっぱなしだったらしい。それもそうか。こんな炎天下で冷房を消したらアキが可哀想だ。


「お兄ちゃん」


「よ。元気だったか?」


「うん。元気だった」


「そりゃよかった」


 後部座席に乗り込んでアキと一緒に肩を並べる。六月の最初に会った頃に比べて随分と肉付きが良くなった。肌の色も健康的になっているし、何よりぱっちりと開いた瞳には、前までにはなかった活気が宿っていた。心なしか口調もどこかハキハキしているように感じる。この二ヶ月半の間、しっかりしたもんを食わされて、肉体的にも精神的にも落ち着ける環境に身を置く事が出来たのは容易に理解出来た。


「じゃあ行くね?」


 そんな俺達を見ながらお袋は車を発車させた。二ヶ月半の入院生活で我が家のような居心地さえ感じていた病院が、みるみるうちに小さくなっていった。


 冷房の風に吹かれながら国道を淡々と進んで行く。冷房で冷えて来た体とは打って変わって、俺の手のひらだけは暖かい。隣のアキが手を握っているのだから当然っちゃ当然だけど。


 でもこうして隣にいられるとその存在を現実的に実感してしまう。本当に俺、今日からこいつと暮らす事になるんだなーと。……まぁ、腑に落ちない事はいくつもあるけどな。


「……お兄ちゃん?」


 俺はアキの体を引き寄せて抱きしめた。


「ちょっとだけこうさせてくんね?」


「……うん」


 アキは目を瞑り、俺からのお願いを素直に受け止めてくれた。アキの了承を得た所で俺はアキの頭を抱きしめた。アキを抱きしめるフリをして、その両耳を塞いだ。


「実際どうなの? キョウイチさん、本当にアキを引き取る事に賛成してるわけ?」


 こんな話をアキに聞かせるわけにはいかないから。お袋はミラー越しに俺達の姿を確認する。俺がアキを抱きしめるふりをして両耳を塞いでいる事に気付いてくれたのだろう。お袋はバツが悪そうな表情で、静かに答えてくれた。


「……賛成、してくれるかな」


 とても自信を失くした声色でそう答えた。


「話し合ったって言うより、あの人がいないのをいい事に無理矢理話を押し通しただけなんだ。次に帰って来るのは十月か十一月頃だから、ちゃんとした話はその時になると思う」


「その時アキを引き取る事に反対されたら?」


「離婚する」


「……」


 答えを返すまでに一秒も掛からなかった。この質問をされたら絶対にこう答えるって、既にお袋は決めていたんだろう。


 前にお袋に謝られた。自分が不幸になるのは自業自得だけど、俺とアキまで自分の不幸に巻き込んでごめんなさいと。でも、こういうケジメの付け方はどうしても腑に落ちない。お袋はもう十分不幸に苦しんだはずだ。親父に利用され、それと同じような事を俺にもされた。


 今の父親は、そんなお袋がやっと掴みかけた幸せの可能性だ。商社勤めで年中色んな所に出張しているけど、それに見合っただけの十分な金を持っている。自分の家まで持っているんだ。


 俺と話す時はどこか気まずくて中々口が進まなかった。でも、自分の部屋で聞き耳を立てているとどこからともなく聞こえてくるんだ。キョウイチさんとお袋が仲睦まじく、笑い声を交えながら会話をする声が。あの人は間違いなくお袋を幸せにしてくれると思う。二十八年の人生の半分近くを暴力に支配されたお袋がやっと触れる事の出来た幸せの片鱗だ。それなのにお袋は俺とアキを選ぼうとしている。幸せの片鱗を自分から投げ捨てようとしている。


「……」


 だからと言ってどうする。また前みたいに俺を捨てろって言えばいいのか。言えばお袋は本当に俺を捨ててくれるのか。


 くれねえよ。くれねえから参ってるんだよ。


 入院生活は退屈に囲まれた日々だった。担任がローテを組んでクラスメイトを連れて来たりしてくれたし、有生も毎日のように来てくれた。でも、あいつらが帰った後にはスマホと有料のテレビと様子を見に来る看護師しか寂しさを紛らわす物がなかった。


 でもさ。それでも俺、あっちの方が居心地が良かったわ。こんな気持ちを抱えたまま、どうやってお袋と同じ家で過ごせばいいんだよ。


「ごめん」


 それしか言える言葉が思いつかない。


「……だから謝らないでよ。もう十回は同じ事言ってるよ」


 お見舞いに来る度に聞かされ続けたその言葉に、お袋は今日もまた落ち込んでいた。


「サンキュー、アキ。少し落ち着けた」


 これ以上この話題が進展する事はないと思い、俺はアキを解放する。アキは満足そうに俺から顔を離してくれた。


「ねぇ二人とも。これからご飯行かない? お兄ちゃんの退院祝いに」


 ふと、お袋からそんな提案を持ちかけられた。


「行きたい!」


 お袋の提案にアキが食いつく。初めて聞いたアキの大声に、俺は少しだけ動揺した。こいつ、こんな大きな声も出せるようになったのか。安心したような、俺の知らない所で前に進まれて寂しいような、複雑な気持ちがポツリと音を立てた。


「いいじゃん」


 俺もそんなアキに同意する。こいつがここまで自己主張しているんだ。乗ってあげない訳にはいかないだろう。


「アキ、どこ行きたい?」


「ガスト!」


 アキに訊ねると、アキは何の迷いもなくそう答える。お袋は呆れたように。


「もう、お兄ちゃんの退院祝いなんだからお兄ちゃんに合わせないと」


 そう言葉を続けた。


「別にいいよ。好みの店とか特にないし。アキの行きたい店でいい」


 俺の言葉でアキの笑顔が更に眩しく輝く。


「行って来なよ。二人で」


 でも次の言葉を放った瞬間、ひまわりのように咲き誇っていたアキの笑顔がみるみる内に曇って行った。それに伴い車内の空気も重く冷たく俺達の上にのしかかる。この空気の冷たさは、きっと効きすぎた冷房の仕業なんだと、そう思う事にした。


「みんなで行くんだよ」


 お袋はミラー越しに俺の表情を覗き込みながら、とても沈んだ目付きで俺の希望を拒絶した。俺はそんなお袋に言葉を返すでもなく、ただただ流れる窓の景色に目を向けた。俺が返事をしないものだから、俺達の会話はこれで終了したらしい。アキに握られた手のひらが酷く生暖かかった事だけが、やけに印象に残っていた。


 それから暫く車は進んで行き、俺達はアキの希望通り国道沿いに店を佇むガストへ到着した。


「俺はいいよ。病み上がりであんま食欲ないんだ」


 俺はそう言い残して車に残ろうとしたけれど、アキは俺の手を離してはくれなかった。


「やだ」


「……」


「行こ?」


「……」


 俺はアキに引っ張らるように店の中へ入店した。


 夏休み真っ只中と言えど結局は平日の午後。店内には空席が目立ち、俺達は特に待たされる事もなくドリンクバーの側のテーブル席へと案内される。


 アキはすぐにメニュー表に手を伸ばし、何を食べようかとメニューの端から端まで目を通していて、お袋も一緒にメニューを覗き込みながらお袋なりのオススメを教えたりもしている。七年ぶりに再会したとは思えないその自然なやり取りにどこか安心感を覚えたのも束の間。


「ダイちゃんは何にする?」


「……」


 お袋に話を振られ、俺もやむなくメニューに目を通す事となった。


「…….あのさ」


「何? 食べたいもの決まった?」


 暫くメニューを眺めた後に俺が声をあげると、お袋は食い気味に聞き返してきた。お袋から放たれる期待のこもった視線が居心地の悪さに拍車をかける。今から俺が言おうとしている言葉は、お袋の望んでいる言葉でないのは確かだから。


「いや、そうじゃなくて。あの話ってどうなってんかなーって思って」


「……あぁ」


 お袋は気を落としつつも俺の質問にはしっかりと答えてくれた。


「大丈夫だよ。キョウイチさんの叔母さん、凄く喜んでた。来週からよろしくって」


「別に今週からでもいいんだけど」


「ダメだよ。お医者さんが何て言っても今週はちゃんと休む約束でしょ?」


「……」


 俺は再びメニュー表に視線を移す。そして数あるメニューの中から出来るだけ安くて、それでいてあからさま過ぎないメニュー。


「じゃあ、日替わりスープで」


 百七十五円の日替わりスープを選んだ。


「……ダイちゃん」


「いや、本当に食欲ないんだって。それにほら、これおかわり自由じゃん? もし物足りなかったらおかわり出来るし、マジでこれがいいんだよ」


「……」


「……あ、俺ちょっとトイレ行って来るわ」


 お袋の視線に耐えきれず、俺は逃げるようにトイレへと赴いた。……いや、逃げたんだ。お袋から逃げたんだよ、俺は。


 個室のトイレに入り便座に座る。座りながら天井を見る。大便も小便も出たりはしない。居心地の悪さに耐えかねて逃げて来ただけなんだから当然だ。


 ……でも、そうか。俺、逃げちまったんだな。店に入ってたったの数分でこのザマか。数分でこれなら家に帰ったらどうなっちまうんだろう。数時間も、数日間も、数ヶ月間も。どうやって過ごせばいいんだよ。俺。


 ……と、その時。


「……」


 ポケットから伝わる微かな振動に気がついた。スマホだ。誰かが俺に通話をかけている。スマホを取り出し画面を覗くと、そこには毎日のように顔を合わせ続けた女の名前が表示されている。画面をタップし通話に出るた。


『よぉダイチ! お前今日退院なんだろ? 今家か?』


 とても聴き慣れた。十二年聴き続けたお袋の声や、五年聴き続けたアキの声よりよっぽど聴き慣れてしまった明るい声色が、俺の鼓膜に纏わりつく。


「なぁ」


 俺は通話先の相手の質問には答えず、一方的に俺の話を押し付けた。


「もしまた入院したいっつったらどうする?」


 通話の相手はそいつらしい、芯のぶれない声色で堂々と答えた。


『あ? 不謹慎な事言ってんじゃねえよぶち殺すぞって言いながら半殺しにする。それより家にいんなら相談があんだけどさ、どうせお前宿題放置しっぱなしだろ? それで自由研究なんだけど、どうせだし二人で』


「……」


 そこで有生の声は途切れた。というよりスマホを耳から遠ざけた。なんか、疲れた。色々と。


 半殺しか。それならまた入院出来るのにな。……ほんと、誰かまた俺の事を半殺しにしてくんねえかな。

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