生肉はどこ ④
最後の日常編 9/15
二十四時間前のけたたましさが信じられない程、帰りの飛行機はとても静かだった。そもそも二十二時半出発の深夜便だ。飛行機の客席には空席が目立ち、格安便に乗っている事も相まって、この程度でフライトして果たして採算が取れているのか心配にさえなってくる。
まぁ、これだけ静かだと乗っている分には都合がいいけれど。静かなおかげで、隣の座席では今日一日歩き疲れたりいちゃんが小さな寝息を立てている。……ちょっと膨らみすぎたお腹がシートベルトに乗っかっているのが気になるけどね。明日からまたダイエットに励まないと……。
「メリムちゃんはどうだった? 半分くらいりいちゃんの食べ歩きに付き合ってたし、メリムちゃんはあまり楽しめなかったかな」
周囲が空席だらけな事もあって、私は堂々とメリムちゃんに語りかけてみた。
【食事の事を言ってんなら心配すんな。韓国の精霊はしっかりキムチ味だったぞ】
「国ごとに味付けが違うの……?」
【そうだな。日本の精霊は天津飯味だった】
「いや確かに天津飯って中華料理に見えて実は日本発祥の食べ物だけどもっと他にもあるでしょ……?」
昔りいちゃんから教えて貰ったことがある。メリムちゃんは外の世界に出ているだけで、空中を漂う無数の小さな精霊を勝手に食べていると。まぁ遠足の時に食べるお弁当が美味しいように、食事って食べる場所の雰囲気も味に関わって来たりするもんね。メリムちゃんも新鮮な雰囲気で食事が楽しめたならよかったよ。
「ていうかそもそもメリムちゃん、天津飯もキムチも食べた事ないんだから味とかわかんないよね」
【そうでもねえぞ? こいつが魔法を使う時、俺とこいつは限りなく同じ存在になる。その瞬間、こいつがそれまでに溜め込んで来た経験が俺の中に雪崩れ込んで来んのよ。普段俺が感じ取れねえ五感の情報は大体そん時知る事が出来んだ。だから次にこいつが魔法を使った時、俺は今日こいつが食い散らかした分の記憶を味わえるっつうわけだな。お前が今まで作ってきた料理の味だってしっかり覚えてんだぜ?】
「あ、そうなんだ。うわー……、そう言われるとちょっと恥ずかしいかも。ちなみに私の手料理のお味は?」
【世界一美味い】
ページ一面にデカデカと表示されたその文字に、思わず笑みがこぼれた。
「もーう、大人をからかわないの。……でも魔法かぁ。今更だけどそれって私にも使えるのかな?」
【使えなくはない】
それは何気なく聞いた質問だったけれど、メリムちゃんの答えはどこか含みのあるものだった。
【魔法ってのは外国語と同じよ。俺が魔力を放出している間に、精霊の言語でどんな魔法にして欲しいかを伝えるだけだ。言葉を扱う種族なら誰だって使える】
「精霊の言語ねぇ。じゃあ『私にハツとぼんじりと手羽先を出して! あとビールも!』は精霊の言語で何て言うの?」
【用途が限定的過ぎんぞ。えーっと、『私』は『エリン』だろ。そんで……ハツって何だったっけか? 心臓? なら『イーズー』だ。それとぼんじりは……あれか。鶏のケツの肉。……ケツの肉? 『ケツ』は『ウィリ』で『肉』は『ルル』だから……】
「いや、ただノリで聞いてみただけだからそこまで無理して考えなくていいよ……。ごめんごめん」
文字からイライラしているのが伝わったものだから、私はメリムちゃんを抱きかかえて優しく撫でてあげた。それはメリムちゃんへのご機嫌取りを兼ねた行動でもあるのだ。なんせ折角の魔女との交流だもん。りいちゃんがこの世界を去る前に、ちょっとしたおねだりくらいしてみたくなるのが人の性だと思う。一生に一度体験出来るかどうかの、そんなおねだり。
「それじゃあメリムちゃん。もし私が魔法を使いたいって言ったら使わせてくれる?」
【絶対に使わせねえ】
「どうして?」
【お前が死ぬからだ】
「……」
なるほど。そりゃあ含みのある言い方をするわけだ。
【魔女と魔書は目に見えねえ管で繋がってる。管を直接互いの体に突き刺してると言っても過言じゃねえ。これをノーリスクで実行出来るのが魔女元帥だけでよ。こいつみたいな魔女の子は魔女元帥の元に一年間じっくり通い詰めながら、少しずつ俺と連結して貰ったんだ。魔女元帥の助けなしにそんな事してみろ? ガッツリ寿命を削られるぞ。人によっちゃあ即死だってあり得るし、そうでなくても長生き出来ねえ体になるのは間違いない。だからお前には絶対に使わせない。悪いな】
「……そっか」
私の一生に一度のわがままが却下された瞬間からだった。私だって昔は子供だったのだから魔法に憧れた事はある。でも、やっぱり私は魔法の存在しない世界の住人だ。その願いは永遠に願いのまま私は残りの人生を歩み続けるのだ。
【ま、仮に大病患って明日死んでもおかしくない身にでもなったんなら、そん時は遠慮なく繋がってやるよ。好きなだけ魔法を使って余生をエンジョイしな】
「あはは……、そういう機会はもう二度と来ないで欲しいかな。癌なんて一生に一度かかれば十分。……いや、一生に一度でも経験したくないや。健康が一番だよ」
【あぁ。それがいい】
と、その時。
ふわりと体が天井に引っ張られるような感覚を覚えた。飛行機の下降によるものだろう。窓の外を見てみると、遥か下の地面には無数の都市灯りが点滅している。あれが群馬や茨城、埼玉の街明かりなのかそれとも東京の街明かりなのかはわからないけれど、しかし日本の上空を飛んでいるのは間違いない。スマホを見てみると、到着時刻まで残り十分ちょっとか。
「りいちゃん起きて? そろそろ着くよ?」
着陸の衝撃で起こすのも可哀想だと思い、私はりいちゃんの肩を軽く揺すった。リクライニングを限界まで倒していたとは言え、それでもやっぱり座席の上だ。あまり寝心地はよくなかったのか、りいちゃんはすぐに目を開けて大きな欠伸をこぼした。
「……サチ? あれ、今どこですか?」
「もう日本。あと十分くらいで到ちゃ」
あと十分くらいで到着するよ。
そう言いかけた私の言葉は、下降しかけていた飛行機の急上昇と、機内放送から鳴り響く不穏なアラーム音によって阻害された。
「……何?」
私の口から漏れたそんな言葉を、この飛行機に搭乗している何人のお客さんが思い浮かべた事だろう。機内に不快なざわめきが充満する。
「サチ? ……え? なんですかこれ? 日本に着いたんですよね? どうして上昇してるんですか?」
「わかんない。私も知りたい……」
機内放送が切り替わった。不穏なアラーム音から、事態の説明をする人間の肉声が流れ出す。でも最初に流れたのは韓国語による説明だ。私にはその意味が理解出来ない。次に流れたのは英語の説明で、それもやはり私には理解出来なかった。
日本語の説明が流れたのは、英語の説明が終わった後だった。
『ご搭乗の皆様にご案内申し上げます。当機はまもなく着陸予定でしたが、一度着陸を見合わせました。詳しい内容につきましては、後ほど機長よりご案内致します。皆様におかれましては座席にてシートベルトをお締めおきの上、お待ちください』
「……」
これってもしかして……。
「り゛い゛ぢゃん゛……っ!」
私はすかさずりいちゃんの両肩を掴み上げた。
「私言ったからね……? 帰りに何かあったらりいちゃんのせいだと思って怒るって。覚悟してって。確かに言ったからね……⁉︎」
「いやいやいやいやそんなのあんまりじゃないですか! どう考えても私のせいじゃないってわかるじゃないですか!」
「思い込みって本当にあるのっ! りいちゃんが行きの飛行機であんな映画なんか見せるから……っ!」
「でも面白かったですよね⁉︎」
「うんっ!!!!!」
映画には罪はないのだから、その事に関して嘘はつけなかった。
すると、またしても機内放送で人間の声が流れ始める。さっきの女性の声ではなく男性の声だ。それもやはり最初は韓国語による説明が始まり、次に英語による説明、そして三番目に日本語による説明が淡々と紡がれていった。その男性は若干片言ながらも、しっかりと私達に通じる日本語で事の経緯を説明してくれた。
『ご搭乗の皆様、こちら操縦機長のキムと申します。ただ今羽田空港滑走路にて、着陸態勢に入った旅客機が機体トラブルにより制御不能となり、胴体着陸を行ったとの情報が入りました。それに伴い、管制の指示により当機はゴーアラウンド、着陸復行致しました。当機はこれより、成田空港へダイバード致します。ご搭乗の皆様におかれましては大変ご迷惑をおかけしますが、何卒安全運行へのご理解とご協力をお願い申し上げます。繰り返します。当機は……』
日本語での放送を聞いて、とりあえずこの機体には異常がないのを理解し、思わず胸を撫で下ろしてしまった自分がいた。この感情はあまり良い感情だとは言いがたい。羽田空港に胴体着陸をした飛行機の安否を差し置いて、私は自分達の無事を第一に喜んでしまったのだ。
心臓の鼓動が早い。冷房の効いた機内であるにも関わらず、額からは汗が止まらない。私の緊張は変わらず続いていた。でも、この緊張は生きている証拠でもある。私は生きている。生きているから緊張している。
よかった。どうしてもそう思ってしまう自分の醜さに、僅かな嫌悪を抱いた。
「怖かった……。まぁ……一応は大丈夫そうだね?」
りいちゃんの方に視線を向けると、りいちゃんは目を見開きながら明後日の方向を見つめている。肝の据わったこの子でも、やっぱり飛行機事故は怖いのだろう。
「りいちゃん……。大丈夫だよ? 大丈夫だから」
私は少しでもこの子を安心させようと抱きしめながら頭も撫でてあげた。
「行き先は成田空港になるみたい。あそこはあそこで珍しいお店とかいっぱいあるんだよ? 帰りにちょっと見てみる? あー、でもこの時間じゃどのお店も閉まってるか……」
少しでも気を紛らわせようと到着先の成田空港の話を振ってみたりもした。それでもりいちゃんの強張った体は解れてはくれなかったけど。
「……サチ」
りいちゃんは向かいの座席を指差していた。
「人がいた」
正確には向かいの座席の窓を指差していた。
「一瞬だけ、窓の外をフッと何かが横切って……。鳥かと思ったんですけど、でも鳥にしてはなんかデカくて」
窓を指差しながら淡々と言葉を漏らしていた。
「よく考えたらあれ、人の形をしていた気がして。……いや、人と言うよりなんか、黒いロボットみたいな……。とにかく変なの。変なのが一瞬飛行機の外を」
だから私はりいちゃんをより強く抱きしめたんだ。
「うんうん、わかる。わかるよ。怖い思いすると変なの見えたりするもんね?」
「いや、そういうのじゃなくて!」
「そうだよね? そういうのではないんだよね? りいちゃんさっきまで寝てたし、夢に出てきた何かが恐怖体験でフッと見えちゃったんだよね?」
「だから違うんですよ! 本当に間違いなく」
私はより一層腕の力を強める。恐怖でわけがわからなくなっているりいちゃんの顔を胸に埋め、冷静さを取り戻すまで喋れないようにしてあげた。
「辛かったねぇーっ……! 怖かったねぇーっ……! 私も同じだよ。でももう大丈夫だから、お家帰ったら一緒にゆっくり休もうねぇーっ……!」
「んーっ⁉︎ ん、ん! んーっ‼︎」
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