タロウの夏休み
最後の日常編 5/15
『おう、タロウ。スマブラで私のサンドバッグになってくれる奴募集してんだけど、お前今日の昼間時間あっ』
「ごめん。予定あるから」
『っておい! お前最近付き合い悪いぞ! 夏休みなのに毎日何して』
夏休みなのに毎日何をしているのか。みほりちゃんに教える事は出来ないけれど、答えは書類上の妹に会いに来ている、だ。僕は通話を切り、スマホの電源も切った上で病室へ足を踏み入れた。
「……今日も来たね」
部屋の主はいつものように僕を出迎えた。けれど寝たきりのいつもとは違い、今日はベッドの上で上体を起こしている。調子が良い日なのかもしれない。
「……そろそろ来る頃だと……思ってた」
「毎日でも来るよ。紛いなりにもお兄ちゃんなんだから」
僕はベッドの隣の椅子に腰を下ろす。とても黄色人種のものとは思えない病的なまでに白い肌が、カーテンの隙間から差し込む僅かな日差しを反射してどことなく眩しい。神々しいとまで言い切れる程だ。彼女が本当にこの世に存在する物なのかもわからなくなりそうだ。
「……暇人なんだね。他にやる事……ないの?」
「あるよ。色々ある。今日はまだ勉強をしていない。洗濯も結構溜まって来たし、今日中には回したいと思っている。クリーニングに出していたお父さんのスーツも、 そろそろ受け取りに行かないといけない頃だ。それに本当ならこの後、友達の家でゲームをする事になったかもしれない。やらないといけない事も、やりたい事も、いっぱい残ってるよ」
「……じゃあどうしてこっちに来るの?」
「トヨリが気になるからだよ」
トヨリの虚な視線が突き刺すように僕の瞳を捉えた。
「トヨリの事が心配で堪らないからだよ」
「……」
嘘を見透かすような視線で、僕の姿を捉えた。どれだけ看破の才に長けていようが、彼女が僕の言葉を見破る事は不可能だけれど。
「お兄ちゃん。隣……座って」
僕の言葉の真偽を見破れないと悟ったトヨリは僕にそう促す。トヨリの指示に従いベッドに腰を下ろすと、トヨリは僕に密着するように抱きつき、僕の胸にそのおかっぱ頭を埋めて来た。正確に言えば、埋めているのは頭ではなく左耳だけど。それが親愛の証ではなく、単純に僕の鼓動を聞いているだけである事は簡単に見てとれた。
僕の鼓動を一通り聴き終えると、今度は僕の手を握った来た。指や手首の関節を色んな方向に曲げてみたり、僕の指と自分の指を絡めたり、そして僕の手首に自分の指を置いて脈を測ったり。
そして最後は僕を押し倒し、食い入るように僕の瞳を覗き込んだ。
黒い。どこまでも黒く、光を見失った虹彩だ。トヨリの瞳に映る僕の姿が、まるで牢獄に囚われた罪人のようにさえ思える。トヨリは顔同士が触れ合う寸前まで僕に接近し、僕の呼吸を直に肌で感じながら口を開いた。
「……息してる」
僕の吐息が直接トヨリに当たるように、トヨリの吐息も僕の鼻先を優しく包む。次にトヨリは徐に僕のまつ毛を指でなぞりながら言葉を続けた。
「……瞬きもする」
そして両腕から力を抜き、僕の体と自分の体を完全に密着させた。トヨリは僕に覆い被さりながら僕の体を抱きしめる。頭同士を交差させ、互いの頬も密着させる。なんて冷たい頬なんだろう。到底生きた人間の体温とは思えない。雪を抱きしめているような錯覚に襲われそうだ。
「……温かい。汗の匂いもする」
対してトヨリは僕とは真逆の感想を抱いているようだったけれど。
「心臓も動いているし、脈も打っている。それなのにどうしてお兄ちゃんって人間に見えないの?」
「……」
「人間にしか見えないのに……、人間に見えない」
トヨリは僕から顔を離すと、その頬よりも冷たい手のひらで僕の顔を撫で回した。
「……お人形さんみたいな綺麗な顔。まるで作り物みたい」
鼻先、耳、瞼、唇。僕の顔に存在するありとあらゆるパーツを指で撫で回した後、僕から手を離してトヨリはこう言った。
「……気持ち悪い」
と。それだけ言って、僕の上から体をどかすのだった。
トヨリが気になる。トヨリが心配だ。その言葉に嘘はない。僕は間違いなくトヨリを心配しているし、気にかけてもいる。それこそ午後にみほりちゃんの家に行ける機会を放棄してでもここに居たいと思っている程だ。ただ、それが世間一般で言う所の、兄が妹へ向ける感情としての心配なのかと言うと話は変わってくるだろうけれど。
僕が気にかけているのは、トヨリが僕の正体を暴きかねない危険性についてだ。僕が心配しているのは、僕の正体を知ってしまったトヨリの処遇についてだ。
ウィザードの魔法はウィッチのような小回りが利かない。魔法が未熟な魔女の子ならともかく、成熟した魔女なら仮に正体がバレても記憶を奪うだけで全て解決する事が出来る。しかし一つの魔法しか使えないウィザードにはそう言った芸当が出来ず、記憶操作に関与する魔法を使えない限り直接相手を殺害して証拠を抹消するのが定石だ。そしてそれは僕達ゴーレムも同じ事。
僕達ゴーレムは自分自身にしか魔法をかける事が出来ない。他人に魔法をかける事が出来ないのだ。自分の記憶を都合よく操作する事は出来ても、他人の記憶にまで影響を及ぼす事は出来ない。だから、もしもトヨリが僕の正体を知ったら、その時は……。
「……今日は何時までいるの?」
「……」
「……今日ね、久しぶりに調子が良いんだ。それなのに人間のふりをした何かが近くにいるから、キモくてキモくてしょうがない。……もう一回聞くけど、今日は何時までいるの?」
「……」
トヨリの言いたい事を察した僕は、ベッドから腰を上げて出入り口の方へと足を向けた。
「また来るよ」
「来ないでいいよ」
「来るよ。何度でも」
最後にそれだけ言い残して扉に手を伸ばす。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
しかし部屋を出る寸前、トヨリに引き止められた。
「……私がお兄ちゃんを気持ち悪く思うのはね、人間に見えない何かが人間のふりをしているからなの。……だから次来る時は、女の子の服でも着て来てよ。お家に沢山あるよね? 私のお洋服」
「……」
「……人間のお兄ちゃんとしてならお断りだけど、私の玩具としてお人形さんになってくれるなら……ここに置いてあげる」
「……」
僕はトヨリの指示に頷くでも拒否するでもなく、最初から誰もいない無人の空室を後にするように、ただただ無言で部屋の扉を閉めた。
ふと思う。何故僕はここまでトヨリを気にかけているのだろう。正体がバレるのを恐れているから? いいや違う。それなら僕は尚更彼女から距離を置くべきだ。霊感の強い彼女の側にいながら正体を隠し通したいだなんて、矛盾しているにも程がある。
ならお父さんはどうだろう。お父さんに育てられた恩義に報いたくて、彼が最も愛した愛娘であるトヨリを無下に出来ずにいる、とか。
僕は魔法を使った。僕の記憶から三秒間だけお父さんの記憶を消し去る魔法を。
「……」
魔法が解けて、お父さんの記憶が蘇る。結果としては、僕はお父さんの記憶を失ってもなおトヨリとの関係性を断ちたいとは思えなかった。
じゃあ、なんだろう。一体僕は何に囚われているんだろう。理解の追いつかない感情に脳が溶けてしまいそうだ。
そんな僕の首と頬に、真夏の屋外に相応しくない極端な冷感が宿った。
「よ」
「……」
みほりちゃんがいた。病院の中庭のベンチに座る僕を、背後から抱きしめながら頬に缶ジュースを当てていた。
「なんだよつまんねえの。ここは飛び跳ねて驚くとこだぞ?」
そう言ってみほりちゃんは僕を抱擁から解放すると、正面に回って僕の隣に腰を下ろした。
「あー、あっちーなー……。お前よくこんな炎天下で外居られんな?」
プルタブを開け、缶ジュースに口をつける。暑いと言うならみほりちゃんの方こそこんな所に座らず、院内へ入ればいいのに。
「家でゲームするんじゃなかったの?」
「あ? どっかの誰かさんに断られたから泣く泣く次のサンドバッグ求めてここまで来たんだよ」
次のサンドバッグというのは多分ダイチ君の事だろう。みほりちゃんの肩からはちょうどSwitch一台が収納出来そうなショルダーバッグがぶら下がっていた。
「お前こそ何でここいんの? お前もダイチの見舞い?」
僕は少しだけのその問いの答えを考えて。
「ううん。お父さんの親族の方がここに入院してるんだ。その人のお見舞い」
そのような嘘とも真実とも取れる曖昧な返事をした。僕に付き合わせて、みほりちゃんの正体まで露見の危機に晒すわけにはいかないから。
「マジか? はー、大変なんだなお前んとこも」
みほりちゃんからは僕の求めている通りの答えが帰ってきた。他人事の域を出ない答えだ。それでいい。それがいい。僕はこの件に関して、彼女に首を突っ込んで欲しいとは思わない。
みほりちゃんにとってのトヨリは友人の親族の一人でいい。それ以上の関係を持たれるのは色々と不都合だ。僕にとっても、彼女にとっても。だから僕は彼女の他人事な回答にとても安堵したものの。
「それでお前、そんな疲れた顔してんのか?」
「……疲れた顔?」
確かに彼女はトヨリに対してはどこまでも他人事だった。どう言った関係の親族なのか、どんな病気なのか、年上なのか年下なのか。トヨリに関わる質問何一つとして口にしない。でも、僕の事まで他人事で済ませようとはしてくれなかった。
「なんだろうな。なんか、そう見えた。お前三ヶ月前に比べて結構わかりやすくなってるよ。言葉もハキハキ喋るし、表情も……」
みほりちゃんは一旦口を閉ざし、僕の顔をマジマジと見つめると、両手で僕の両頬を無理矢理吊り上げ笑顔を作った。
「表情はまだまだ要練習だな」
そして僕には到底真似出来そうにない満面の笑みで僕の顔を覗き込む。真夏の太陽にも負けない、向日葵のような笑顔。
「ま、相談したくなったらいつでも言えよな」
みほりちゃんの指が僕の両頬から離れる。いい加減暑さに耐えかねて院内へ入ろうとしているのだろう。腰を上げ、ベンチに置いた缶ジュースを手に取り。
「友達少なき同志じゃねえか。話くらいいくらでも聞いて」
「あ、ごめん」
そして屋内へ足を向けようとしたその時。僕のスマホにメッセージが届く。クラスメイトの門村さんからだった。みほりちゃんには悪いけれど、一旦彼女との会話は中断してメッセージを返信する。
「……知り合い?」
「門村さん。クラスメイトだよ」
「あー、そう……。いやほら、私半分も名前覚えてねえから」
みほりちゃんはバツが悪そうに眉をしかめた。
「ちなみに何の話?」
「週末に学校で夏祭りがあるでしょ。保護者会の人達の手伝いをする事になったから皆でその打ち合わせ」
「……え、何? お前クラスメイトとLINEやってんの?」
「うん」
「へー……。何人くらい?」
「十一人」
「十一……? え、え。 お前いつから絡んでるわけ?」
「七月のラジオ体操とか先週のプール開きとか。みほりちゃん、一回も来てないよね。週末のお祭りも来ないの?」
「……」
みほりちゃんは逃げるように屋内へと駆け出した。「お前なんか友達でもなんでもないやいバーカバーカバーカ」みたいな、そんなありきたりな捨て台詞を吐きながら。
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