表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

昔話

 あ、何?

 俺行かなきゃならない所があるんだけど……

 うん、お前らよりも大事な用事。……けどまあいいか、少しだけ付き合ってあげる。

 雰囲気変わったって? ……なんかもうどうでもいいかって思って、猫かぶるのやめた。

 どうせ死ぬし。

 ……どうどう、落ち着けお前ら、そんなに荒ぶるなよ。

 別に、そういう約束してくれた奴がいるから死ぬってだけだけど。

 つーかだからこそ死に物狂いで生き残ったわけだし、邪魔しないでよ。

 ……あ、そいつらではない、それは違うから。

 ……説明、必要?

 …………まあいいか、大した話じゃないし。

 俺がこの国を出る前、実は洗いざらい全部話した奴がいてさ。

 それでその時、そいつが「なら、私が殺してやる」って一方的に約束取り付けてきたんだ。

 だからその約束を果たしに行くってだけ、それだけだから、じゃあね。

 ……え? 説明が全く足りてない? そもそも誰か、って。

 それ、お前らが知る必要ある?

 ああもう、うるさいな……どこぞの研究者だよ、お前らも知ってる奴、覚えてるかどうかはしらないけど。

 ほら、四年前に俺を殺そうと無謀に立ち向かってきた奴がいただろう? そいつだよ。

 そう、そいつ、実家が菓子屋のあのちんちくりんのちっちゃい女。

 わかった? ならもういいよね、じゃあね。

 おいやめろ服を引っ張るな喚くな騒ぐな喧しい。

 説明がまだ全然足りてない? ……えー、でも本当にこれだけなんだけど。

 ……わかったわかったよ……最初から話す。

 いや待って最初ってどこからだ?

 ……あいつと出逢ったところからでいいか。

 あれは今から十四年前……俺がまだ十歳の子供だった頃だ。

 俺は今思うと、随分と性格の悪い子供だった。

 実際あいつにも「お前ただのクソガキじゃん」って言われたし。

 ……腹の中が真っ黒だったんだよ、少し頑張ればある程度のことはできたから、それを鼻にかけて内心ほとんどの人間を見下してた。

 天才勇者候補とか持て囃されてたし、そう呼ばれなくなるのが嫌でしかたなくて、その為だけにいろんなものを詰め込んでいた。

 ……ちょうどそんな時期だ、あいつに会ったのは。

 当時の俺は自尊心がとても高かったので、努力しているところを人に見られるのが嫌だった。

 だからその日は変装して、別の市の図書館で勉強してた。

 ……勉強する時はその日までそうやっていろんなところを転々としてた、馬鹿みたいだろう?

 ……けどまあ、そのおかげであいつに会えたんだからいいか。

 その日行った図書館は結構混んでいた。

 学生が多かったから多分どっかの学校で試験でも行われる予定だったんだろう。

 俺はひとつだけ空いていた席に座って、黙々と勉強していた。

 その時勉強してたのは昏夏語だった、薄っぺらい問題集は見た目に反して難解で、意味不明だった。

 それでもなんとか解いている途中で、横から声をかけられた。

 二つ三つくらい年下っぽい小さな女の子だった。

 そいつは問題集をチラッと見てこう言ったんだ。

「そこ、ことわざだから直訳のままだとペケくらうぞ」って。

 咄嗟に反応ができなかったし、なんでこんな子供にそんな指摘されなきゃならないんだって。

 ちょうどうまく解けずに苛ついていた時だったから、猫をかぶることも忘れてそいつのことを睨んでしまった。

 けどそいつは全く頓着せずに……というかすぐに俺から興味を失ったようでそれ以降は何も言わずに読んでいた本に視線を戻した。

 ……どうせ出鱈目か何かだろうと思ったけど、気になって答えを見てみたらそいつの指摘通りだった。

 見るからに年下の少女が、脳が沸騰するくらい考えていた自分よりも正しい答えを出した。

 しかもあんなにあっさりと。

 俺は人の視線には敏感な方だったから、そいつが本当に一瞬でそれを理解してのけたというのもわかっていた、わかってしまった。

 俺は自尊心がかなり強かったから、それだけで心に重いダメージを負った。

 それでそいつに対して憎悪じみた逆恨みの念を向けたんだ。

 それ以上にこんなチビに劣っている自分自身が許せなかった。

 ……本当に馬鹿なガキ、自分を許せなかったのは別にいいけど、あいつを恨むのは見当違いにも程がある。

 ……俺は多分、ある程度優秀だったから人間としてやっていけていたけれど、この性格で凡人と同じだけのことしかできなかったらきっと誰が見ても醜悪だと答えるような醜い人間になっていたんだろう。

 それこそ世の中の全てを恨むような。

 ……どっちがマシなのかはわからない、多分どっちもどっち。


 俺はあいつに負けたと思った。

 年上……見るからに知識と知恵を蓄えているような老人相手だったらまだ自分を許せたかもしれないけど、年下らしき少女に負けたのは絶対に許せなかった。

 屈辱的だったし、脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回されたような最悪な気分だった。

 ……当時の俺は不幸なことに同世代の中ではどの分野でも一番でいられたから、この時はじめて敗北感というものを知った。

 ……もっと早くにそれを知っていれば少しはマシな性格に育ったのかな、それとももっと歪んでたのかな。

 わからない……けど今の俺がこうなのはあいつに負けたからで……

 やっぱり変わらなかったんだろうな、結局相変わらずだから。

 ……それで、俺はあいつを負かそうとした。

 ただ負かすだけじゃ気が済まなかった、あの女の悔やむ顔が見たかった、一方的に完膚なきまでに叩き潰してやろうと思った。

 そこから先はなりふり構わなかった、誰に自分の醜態を知られてもいいから、なんとしてでもあいつを負かしたかった。

 それで確か……二週間くらい? 寝る間も食う間も惜しんで昏夏についてみっちり勉強したんだ。

 お前らにも確か心配された気がする、覚えてる? まだ小さかったから覚えてないだろうけど。

 ……けどまあ結果は惨敗、馬鹿だよねえ、たった二週間であいつに勝てるわけないのに。

 今の俺だって、昏夏関連に関してはあの時のあいつにさえ勝てる気がしない。

 それなのに俺は諦めなかった。

 あいつを百人殺してもまだ気が済まないような憎悪を隠しながら……いや多分全然隠せてなかったなあれ。

 それでも逃げられなかったんだからある程度は隠せてた……いやでもあいつだからなあ。

 敵意があるのはあっちもわかっちゃいたんだろうし……流石にわかってたよね?

 …………あれ? いやでも、うーん。

 ……あいつ、すっごい鈍いの、その上でクッソ弱い、鈍臭いし、察しが悪いし空気も読まないし一番嫌なのはあれだけ弱弱のくせに危機感と警戒心が一切無いところ!!

 あんなあからさまなロリコンの変態に話しかけられて触られても無反応ってなんなの、馬鹿じゃないのあいつ……!!

 昏夏関連と菓子作り以外はカスだってのは随分前から知ってたけど、あそこまでだとは思ってなかった……!!

 あの時は偶然居合わせられたから引き剥がしたし後々警察突き出しといたけど……

 あ、悪いめっちゃ話逸れた、ごめん話してるうちに色々思い出して腹が立っちゃって。

 ……で、とにかく俺はあいつを負かすためにちょいちょいあいつに突っかかっていたってわけ。

 あいつ、基本的に昏夏以外はどうでもいいし他人に対して無関心だから、俺が突っかかってきても特になんとも思っていなかったらしい。

 しょっちゅう話しかけてきて不気味だとか、怖いだとか鬱陶しいとかそういうのは思っていなかったっぽい。

 少し面倒、とは思ってたかもだけど、多分それだけ。

 何度かあいつに負けるまで、俺はあいつの素性をよく知らなかった。

 どうせすぐに負かしてやるつもりだったし、負かしたらそれで用済みだと思ってたから、知る必要もないって。

 けど何度も負け続けていると、あいつの素性が気になってきた。

 ひょっとしたらとんでもない家の出身なのかもしれない、昏夏関連でこれだけ自分が負け続けているのなら、他の分野でも負けるんじゃ、って。

 そう思うと得体の知れない恐怖を感じたので、俺はすぐにあいつのことを調べたんだ。

 それよりも前にあいつの鞄から勝手に貸出カードを抜き取って名前だけは確認してたのでわりとすぐに調べはついた。

 あいつはただの一般人だった。

 俺達みたいな特別な家の子供じゃない、両親も研究者とか考古学者とかじゃなくてただの洋菓子屋。

 年齢は驚くべきことに俺と同じで、学校での成績は下から数えた方が早いくらいの劣等生。

 ……そう、劣等生だった。

 さっきも言ったけど、あいつは昏夏関連と菓子作り以外はてんで駄目な奴だった。

 ……というか興味があることとか自分がやりたいこと以外のことに一切やる気が向けられないタイプ、だから総合的にはただの駄目人間。

 周囲からの評価も概ね出来損ないとか、馬鹿とか阿呆とか。

 俺はそれを知った時、少し安堵したというか失望したというか。

 俺はこんな、誰からも出来損ないだと思われるような奴に負け続けているのかって。

 ……それと、ほんの少しの怒りを。

 俺をここまで負かし続けるような底の知れない天才を、何故誰も評価しないんだ、って。

 俺は当時、天才だなんだと持て囃されていたけど、とんでもない。

 天才っていうのはあいつみたいな奴のことを言うんだ、普通の人間が努力して必死に身につけるようなことを、大した苦労も苦痛も感じずただの遊びや娯楽で身につけてしまう、タチの悪い化物みたいな奴のことを。

 俺なんてせいぜい秀才レベル、天才には程遠い……というかそもそも、基盤というか基礎が全く違うんだろうな。

 あいつは天才だった、俺が出会った人間の中で天才と呼べる人間はあいつだけだった。

 それなのに俺以外の誰もあいつを正しく評価していなかった、タチの悪いことに本人すら自分のことを変わり者の出来損ないと思い込んでいる。

 本当に、喜劇的だよなあ、滑稽でしかない。

 あんまりにひどい話だから腹が立って無関係の雑魚に八つ当たりをすることさえあったよ。

 いやまあ結局どっかの研究室のお偉いさんの目に止まったらしいし、今では正しく評価されているらしいんだけどね。

 だから、多少は報われたような気がする。


 同い年だということを知った時は本当に驚いた、どう見ても年下にしか見えなかったから。

 あいつ、俺が国を出た時も小さかったし、あの時……四年前に至っては縮んでた。

 ……いや、そう見えただけか? 俺が伸びただけ……だといいんだけど。

 あいつ本当にちっさいんだよ、特に手……

 あれは駄目だ、なんかもう本当に駄目だ。

 子供みたいに小さくて、柔らかくて……冬には氷みたいに冷たくなるんだ。

 あれは本当にゾッとした……いつの間にか死んでたのかと思って……本当にあいつって奴は……

 ……ああ、ごめん、また話がズレちゃったね。

 とにかく、あいつは驚くべきことに俺と同い年だった、というか誕生日はあいつの方が早かった。

 でも、だからと言って俺の自尊心はそのままだった。

 年下ではないと知って多少はマシだと思えるようにはなったけど、それでも。

 いっそあの見た目でうんと年上だったら……いや、どうせ変わらないか。


 それで……確か出逢ってから一年くらい経った頃だったかな。

 当時の俺はなりふり構ってなかった。

 とにかくあいつを負かすために必死だった。

 けど知識量ではどう頑張っても追いつけなさそうだってことは薄々わかっていたので、それなら量よりも質だ、と。

 ……別宅の地下倉庫に忍び込んで、昏夏に関する第一禁忌指定の書物を一冊ちょろまかした。

 中身をある程度覚えてから元通りに戻したけど。

 本当は暗記しきってしまいたかったけどそれは無理だったので要点だけ。

 確か三日くらい自分の部屋で隠れて読んでいたんだっけな。

 バレてたら俺でも流石に物理的に首が飛んでただろうね。

 あそこは確かに俺達の家のものだったけど、管理は国がしてたし、当主であった親父でさえ許可がないと立ち入れない場所だったわけで。

 ……本当に必死だったんだよ、当時の俺は。

 第一禁忌指定の情報っていったら、一般人が絶対に知り得ない情報だ。

 というかただの菓子屋の娘が知ってたら多分あいつだけじゃなくてあいつの両親も物理的に首が飛んでる。

 ……俺はそういう危険なものを、ただあいつを負かすためだけに手に入れた。

 今思うとどうかと思う、下手したら俺だけでなくあいつの首が飛んでもおかしくなかったのに。

 ……あの頃はそんな簡単なことにも気付かないほど迷走してた……気付いたところで止めなかっただろうけど。

 だって一度でもいいから負かしさえすれば用済みだって思ってたから、負かした後に死んでようが生きてようがどうでもよかった。

 ……自分の生死は……どうだろう?

 ……いや、死ぬことになってもいいって思ってたのか、俺は。

 そうじゃなければあんな馬鹿なことしない。

 悪いことをしている自覚はあった、それでもあいつを負かしさえすれば後は野となれ山となれ。

 多分、先のことなんてどうでもよかったんだ。

 ……そうやって、危険な橋を渡って手に入れたもので、今度こそと舞い上がりつつ俺はあいつに挑みに行ったわけだ。

 ……結果は、勝ったともいえるし、酷い惨敗だったといってもいい。

 俺は意気揚々とあいつに話をした、下手したら二人まとめて殺されてもおかしくないような禁忌を。

 あ、ちなみにだけど俺とあいつはずっと昏夏語で話してたから、誰にも話している内容は理解できていなかった……はず。

 その道の研究者とかがいたらひょっとしたら、って程度。

 だから俺は気兼ねなく第一禁忌指定の危ない話をできたってわけ。

 ……お前らに言われなくても今は十分わかってる、そうだよもし俺らの会話を理解できる奴が一人でもいれば二人まとめて首をはねられてた。

 …………うっさいな、お前らに言われる筋合いはない。まだ十一歳だったんだ若気の至りだよ。

 はあ? 何?

 本人だよ。残念だったなお前らの兄は元からこういうろくでなしだから。

 というか俺がろくでなしの外道だってことは八年前から知ってんでしょ?

 ……話戻していい?

 ……あいつは当然、俺がその時話したことをほとんど知らなかった。

 だからそういう意味では俺の勝ち。

 でも、あいつは俺みたいに悔しがったりしなかった。

 ただ、自分が知らない情報に目を輝かせて、本当に楽しそうな顔で俺の話を聞いて……最後にはありがとう、って。

 ……俺は、あいつの悔しがる顔が見たかった、一方的に打ち負かしたかった。

 けどそうはならなかった。

 それどころか、俺が例え昏夏においてあいつの全てを超えたところで……俺が望んだ敗北をあいつに味わわらせることなんてできない、っていう証明ができてしまっただけだった。

 ……笑ってよ、結局最初から最後まで俺の独り相撲だったんだから。

 

 いっそ死にたくなるくらいの敗北感は確かに感じてはいたけど、それよりも……なんていうか清々しい気分にもなった。

 最悪な気分ではあったけど……あれは多分気分のいい負け方だった。

 帰り道で一人、周りに誰もいなくなった途端に馬鹿みたいに大笑いして、止まらなくなった。

 何もかもがおかしくて仕方なかった、ここ一年間の自分の行動があまりにも愚かすぎて、あんまりにも報われなくて……それでも憎悪や敗北感に勝る何かを感じている自分がおかしくておかしくて。

 ……それで、その一年だけでなく生まれてから今までも自分が、死にたくなるほど馬鹿らしく思えた。

 一番であることに固執して、誰よりも優秀であるという思い込みにしがみついて、ただそれだけのために生きてきた。

 満たされるのは自尊心だけで、他人は見下すだけの存在で、見下している癖に猫をかぶって愛想の良い良い子ちゃんを演じて……

 なんて、くだらない。

 それで、それまであまり好きではなかった自分のことが大嫌いになってしまったけど……

 それでも、それすらどうでもいいくらいの……爽快感に似たよくわからない晴れやかな気になった。


 ……今思うと、多分あの生き方は俺には全く合っていなかったのだと思う。

 優秀であり続けるためだけに努力するのは息苦しかったし、全然楽しくなかった。

 だから多分、俺とは全く正反対の生き方をするあいつに負けることで、俺はようやくそんな風に生きても仕方がない、って心の底から思えたんだ。

 努力したって届かないものはいくらでもある、何でもかんでも一番にこなす人間になんて、どれだけ努力しようとなれっこない。

 なら、そこまで頑張らなくてもいい。

 なら、好きなように生きてもいい。

 ……そうは思えたけど、生まれた頃からの習慣と自尊心は中々強烈なものだったから、結局大したことは変わらなかった。

 見栄を張るのも相変わらず、落ちぶれたと思われるのがどうしようもなく嫌だったのも変わらない。

 それでも俺はようやく休むことと、自分がやりたいように過ごすことを覚えた。

 それからあの日までは随分と生きやすくなった。


 あいつを負かすことなんてできない、と思い知った後も俺はあの図書館に通い詰めた。

 あからさまに突っかかることをやめて、それでもあの図書館に通い続けた俺のことをあいつがどう思っていたのは知らない、わざわざ聞くこともなかったし。

 多分、というか絶対になんとも思っていなかったんだろうね、あいつはそういう薄情な奴だから。

 だからきっとあいつの人生において、俺はいてもいなくてもどうでもいい道端の石ころと何一つ変わらなかったんだろう。

 だけど俺にとってはそれが随分と心地よかった。

 余計なことを何も聞いてこないし、だからといって邪険にしてくることもなかった。

 ……それに、その時点で俺はあいつにだいぶ自分の素を見せてしまっていたから、今更取り繕う必要もないだろうと、そう思って。

 ……あいつの隣でだけは俺はどこにでもいる普通の人間でいられた、完璧な超人を演じる必要はないと……そうあることを俺は自分に許すことができた。

 図書館の常連やら司書の中には俺があの天才勇者候補の親族なんじゃないかと思っている奴が何人かはいたようだけど……変装していたのもあって本人なのではないかと疑われることはなかった。

 あいつは本当に俺に無関心だったから、俺の方から話しかけない限り、本当に何も言ってこなかった。

 俺の方から話しかけることはあったけど、結局会話が長く続いた試しはほとんどない。

 互いに名すら名乗っていなかったから、俺達はそれから一年以上名前も素性も知らない赤の他人同士だった。

 俺はさっき言った通り勝手にあいつのことを調べていたからあいつの名前も素性も全部知っていたけれど……ストーカーみたいで気持ち悪いから知らないフリをしてた。

 ……ストーカーみたい、じゃなくて普通にストーカーだったけどな、今思うと。

 あいつもなんでこんなのを放置してたのやら……

 ……本当にどうしようもない奴。

 どうしようもない奴だったから、このまま何十年経ったとしても、死ぬまで俺はあいつにとって名前も知らない赤の他人のままなんだろうな、って思ったこともあった。

 ……けどまあ、結局名乗った……というかバレた。

 俺さあ、何度かテレビに出たことあるじゃん?

 あいつ、それを見たらしくて……こっちから世間話を振った時に『そういやお前、この前テレビで見た天才勇者候補君に顔が似てるな、親戚か?』って言ってきやがって。

 バレたら色々面倒なことになるかもなと思ったし、このままこいつと付き合い続けるのなら勇者候補であることは伏せたほうが無難だとは思ったんだ。

 ……けど、それ以上に『なんでこいつこの後に及んで親戚かとか聞いてくるんだ、気付けよ馬鹿』っていう怒りの方が強くて……

 ……だってさあ、変装してるとはいえ週に何度も顔合わせてるわけじゃん? なんで気付かないの? 阿呆なの?

 気付いたら『本人だ』って返してた。

 そしたらあいつ、間抜け面で『テレビって脚色ばっかりなんだなあ』って。

 ぶん殴ってやろうかとも思ったけどテレビというか勇者候補としての俺が脚色の塊であるのはどうしようもない事実だったから抑えた。

 それで、その時になってようやく俺はあいつから直接あいつの名を聞いた。

 ……名前を知って、知られたからといって、びっくりするほどなんの変化もなかったんだけどね。

 せいぜい俺がたまにあいつの名前を呼ぶようになったくらい。

 ……俺達の関係がなんであったのかというと、実はうまく答えられない。

 友人ではなかった、だからといって全くの他人、とも言い切れなかった……と思う。

 ……それでも六年くらいは一緒にいたから、腐れ縁、っていうのが一番近いのかもしれない。

 でもきっとそう思っているのは俺だけ。

 あいつはきっとこう断言するんだ、『赤の他人だ』って。

 ……本当に、薄情な女。

 けど、その薄情さに随分と救われた。

 それにあいつが薄情じゃなかったらきっと六年も共に過ごすことはなかったんだろう。

 

 ……随分と話しすぎちゃったね、最期だと思うと色々と思い出しちゃってさ。

 ……はあ? ナニソレ? ばっかじゃないの?

 ないないない、それはない。

 嫌いではなかったよ、確かに一番嫌いではない人間は間違いなくあいつだけどさ。

 けど、だからといって別にそういう意味で好きではなかったよ。

 そういうんじゃないの、お分かり?

 女の子ってのはそういう恋愛話が大好きだけど……俺とあいつにそういう感情はなかった。

 ない、ないの。絶対にない。

 ……え? あいつ? それこそないね。

 昏夏にしか興味がない奴だから、そんなのが恋愛とかに興味を持つわけがない。

 ……おい、今なんつった?

 ………………この話、もうやめていい?

 ってか今何時?

 うわっ……縋り付くなよ、わかったわかった好き嫌い云々はもう話さないけど一応大体のことは話してやるから。


 ……結局、俺とあいつは出会ったその日から六年くらい交流……交流? があったわけだ。

 とはいってもただ隣に座ってるだけだったし、会話なんかほとんどしてなかった。

 あと、あいつよく間食に菓子類持ってきてたからそれを一緒に食べてた。

 ………………お前、なんでそれ覚えてるの?

 くれなかったから覚えてた? 確かにお前らにとってはお優しいお兄ちゃんだった『僕』の行動とは程遠かっただろうけど、そんなに記憶に残る?

 ……誕生日だからってわざわざ頭下げて焼かせたんだよね、あれ。

 だからくれてやるわけにはいかなかった、あいつ菓子作りに関してはプロ級だからね、一つでも食わせれば全部食い尽くされるだろうって目に見えてたし。

 ……ああ、そうだな食ってたな四年前に『護衛の人達もよろしければ』とか言われて。

 …………ああ、あれ? あれはあの時言った通りのままだよ。

 お前らだってあのみっともないデブに俺が化けるだなんて思いもしなかっただろう? あれは初めからああいう作戦だった。あいつのクッキーを食ったのはそのついで。

 刺客が呑気に人様のクッキー食ってるだなんて、普通は思わないでしょ? だからそれだけ。

 ……なんだよその目。

 …………とにかく、それだけだったんだよ。

 会話を全くしない日の方が多かった、何か話すことの方が珍しかった。

 あいつの方から話しかけてきたことはほぼなかったし、なにかを話すとしても俺がほとんど一方的に話しているだけ。

 あいつは基本的に無関心で薄情な奴なのに、俺が話しかけると一応ちゃんと聞いてはいたみたいだった。

 ……あらゆる物事に無関心な割に妙に人がいいところがあるというか、変なところで真面目というか……よくわからない奴だったんだよな、今思うと。

 ……だから、あいつと一緒にいるのは結構心地よかった、というか多分それ以外の場所の居心地があまりにも悪すぎた。

 だって誰も彼もが俺に優秀な勇者候補としての振る舞いを求めた、特に最悪だったのが家、お前らもだけどクソ親父とクソ婆はこの世に存在する誰よりも俺に勇者候補としての立派な長男を求めていたからな。

 馬鹿だよねえ、そうだよずっと内心馬鹿にしてた、俺が腹の中で何を考えているかなんて一切察せない頭の悪い無能共だ、ってね。

 随分と今更だね? 普通に大嫌いだったよ?

 けど気にしないで? 俺は基本的に人間ってやつが大嫌いだから、あいつみたいな例外以外は全部嫌いなの、お前ら二人に関しては家族だったから特別に嫌いだったわけではないんだ、人間だったから嫌いなだけ。

 ああ、クソ親父とクソ婆? あいつらは人間の中でも特別に嫌いだったけど、それが何?

 ……とにかく、俺にとってあの図書館以外の場所はあまりにも息苦しかった、だけど俺はそこそこ優秀だったから、そんなのはおくびにも出さなかった。

 けど腹の中はいつだって真っ黒だった。

 真っ黒のまま何も変わらなかった。

 それでだんだん、勇者候補としての自分とその役割を強制する無能共のことが本当に嫌で嫌で仕方なくなってきて……それで、最終的にこう思うようになった。

 勇者になんかならなくていい。

 家族や自分以外の誰かが望む通りに生きなくてもいい。

 落ちぶれたと思われてもいい、どれだけ馬鹿にされようが笑われようが、もうどうでもいい。

 というかなんであんな無能共の理想を演じてやらなきゃならないんだ、楽しくもないしただ息苦しいだけなのに、自尊心だけでやりたくないことを笑顔でやり続けるのも馬鹿馬鹿しい。

 だから、もうこんなくだらない事はやめよう、と思った。

 それでも、自分の身を守るために子供でいるうちは無能共に幻想を見せてやろうと思った。

 いつやめたってよかったけど……あんなでも親は親だったから、大人になるまでまともに相手にするのは面倒だなって思って。

 けど勇者候補でいるのは大人になるまで、大人になったら誰に何を言われようと好き勝手に生きようとそう思った。

 当時は厄災の気配もなく、とても平和な時期だった、だから自分が大人になるまでに勇者が必要になることもないだろう。

 必要になっても適当な理由をつけて勇者にならなければいいと思ってた、最悪死を偽装して別人として生きるのもありかなって。

 運のいいことに自分はそこそこ優秀だったから、何があってもそんなに苦労することなく生きていけるだろうと楽観視していた。

 だから、自由気ままに生きていこう、って。

 大嫌いな人間達の理想通りに生きる退屈で息苦しいだけの生き方は終わりにしよう、と。

 ……この程度の望みだったら、叶うと思っていたんだ。

 結局、ご覧の有り様だけど。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ