授業
本山田君が引っ越してから1週間が経った。今日から大学が始まる。といっても、最初は履修登録期間だからまあ授業には出なくてもなんとかなる。友達作りのためとか友達と一緒にとりたいとかで授業に出るやつはいるそうだが、あいにく僕は友達を作る予定もないので予定がない限り出席することにしている。
ところで、僕が所属する学部は文学部だ。文学部に行って文学部を勉強しても大してお金にならないじゃないかと言う人はいるが、他人のことなどおかまいなしに文学という人が書いた産物を見るのはけっこう楽しいものだ。というのは入ってから気づいた利点だ。本当は人ではなく数値と向き合いがちな理工学部とかのいわゆる理系といわれる学部に進みたい気持ちもあった。しかし、僕の頭がどうしようもなく文系脳だったのだ。ただそれだけの理由で文学部に進んだ。
文学部の講義する先生というのはさして面白くないようにたんたんと授業する先生か「この本を読んだ方がいいですよ!」という学生に対して熱血型の先生か或いは自分の研究分野について嬉しそうに語る先生の3択であると思う。どれも共通しているのは語り口調であることだ。たまにグループワークとして議論をさせる先生もいるが、基本講義形式だ。だから、居眠りする学生も多い。僕も時々するが、たいてい僕が取る授業はマニアックで他の学生に人気がないせいか、10人もいないときがある。つまり、顔を覚えられるのだ。
今日出る講義も人気がなかったようで、100人くらい入る大教室に4人くらいしかいない。
窓側の端の席に行くと、そこには見覚えのある眼鏡姿の青年が座っていた。本山田君だった。
履修をやめたくなった。でも、あいにく一番取りたい授業がこれだった。一年生の時に取ったその教授による言語の歴史に関する授業が衝撃的に面白かったのだ。しかし、レポート評価とテスト評価が厳しく、それから出席が重視されるような授業だったこともあり、後期になると教室に来る人は減っていた。その評価方法を一年生の時に経験したせいか、ほとんどの人がその教授の授業を避けるようになった。また金曜の一限だったこともあり、基本的に取りたくないという人が多かったらしい。授業を受け持つ教授も欠伸をしながら話していることが多い。
僕も成績評価は良い方ではなかったが、教授のゆったりとした心地よい響きの話し方が好きだったので、彼の授業を取り続けている。
今取ろうとしている授業は確か2年生以上対象だったはずだ。1年生である本山田君はなぜいるのかわからない。席に近づくと、彼は僕に気づいたように右手を挙げた。
「米沢さんも取る予定なんですね。」
満面の笑みで話しかけてくる。口角は挙げているが、よく見ると目が笑っていないためなんとなく怖い。あんまり大学構内では必要がなければ人と関わりたくないのだが、こういうタイプとは必要があっても話しかけられたくないかなと思ってしまう。
「あぁ。この教授の授業、面白いから。」
「そうなんですね。先生のことはよく知りませんけど、内容が面白そうだから出席してみたんです。教授が好きだからとかいう理由で授業を取る人って本当にいるんですね。祖母からは聞いていましたが、見るのは初めてです。」
彼のうしろの席に座る。横を勧められたが、あいにく後ろの席が定位置だったもんで、そこに座らせてもらった。
教授が入ってきた。相変わらず干していないんだろうなっていうスーツを着、下を向くとすぐに下がってしまう眼鏡を身に付け、無理だろってくらいの大量の資料を手に持ちながら入室してきた。いつも思うが、TAに頼めば資料なんかは配ってくれるのになぜこの人は自分で持ってくるのだろう。いや多分、履修人数が少ないからだろうな。
ハンドアウトが前から回ってきた。どうぞ、と言って本山田君が資料を手渡してくる。受取次いでに気になっていることを聞いてみた。
「ところで、この授業は2年生以上しか取れないんだけど、それは知ってる?」
彼はにやりとしながらこう答えた。
「決まってるじゃないですか。」
え?そしてこう続けた。
「これから教授に頼むんですよ。今がなんの時期か知ってますか?履修登録期間ですよ。ようは交渉期間ですよ。」
わかってないな、という風に言ってのけ、僕に資料を渡すとさっさと前を向いた。そりゃ頼めば聴講くらいは許してくれるだろうけど。まるで単位まで望むような口ぶりだ。でも、確か僕が1年生の時ってこの時限に必修があったと思う。その授業はどうしたんだろうか。
まあ僕にはどうでもいい。必修が取れなくなっても希望の授業が取れなくても、関係がない。ただ彼が落ち込むだけだ。だが、彼の自信満々な後ろ姿を見ていると、多分なんとかなるんじゃないかと思ってしまったんだ。
履修登録のときにいつも思っていたんですけど、なんで取りたい授業と必修が被るんでしょうね。
勝手に教務課の策略だと思ってます。。。