挨拶2
本山田秀作の部屋は僕の隣になった。彼はこれから挨拶まわりに行くと言って、無邪気な笑顔をこちらに向け去っていった。
よく、部活などに1学年下が入ると心持が変わるというが、この場合どうなのだろう。正直、大学生だから年齢もよくわからないし、あの笑顔の下に隠されている本音が黒すぎる。いつか腹を割って話す機会があれば、その本性というものも開示してくれるのだろうか。
大家さんはというと、何やら怪物のようなものを見る目で本山田君を見ていた。きっと、「おばさん」といわれたからであろう。僕だって大家さんというのに、なかなか根性のあるやつだ。本当に。
「あの子、おばあちゃん譲りの整った顔してるのに、そんなこと言ったのね。」
本山田君が帰った後に来た先代、滝さんがこういう。ちょうど大家さんが怒りに任せて箪笥の扉をバンッとたたきつけたときに来た。滝さんは物を大事扱う主義で(それで修繕に出すのもためらっているそうだが)物を投げつけたりなんかしたら般若のような顔になるらしい。大家さんいわく。家賃取り立ての時に聞いた話だ。大家さんは彼女の姿を目にすると、何事もなかったかのように笑顔で扉をそっと閉めた。
「でも、咲子さんもなかなかの裏表っぶりだったから遺伝したのかもねぇ。」
ほほほっ、と笑いながらお茶をすする。
今日は新たな入居者が来るということで、彼女も病院から帰ることにしたそうだ。もとより、検査入院なのだから、あまり大したことはなかったようだが。
彼女はいつもの黄色のスカーフを首に巻いている。今日は真っ赤なフリルのついた洋服だ。普段から派手な格好をしてるから見つけやすい。暖色を着ているのには理由があって、気分を上げるためだそうだ。そして最近になって気づいたのだが、イヤリングも特殊で、だいたいがキャラものである。つまり、某ネズミの国のキャラクターや大阪にいるキャラクター、金曜の夜に忖度なしにゲストを叱り飛ばしている5歳の女の子などである。本人いわく、それも一種の気分を上げる材料だとか。何にせよ、僕にとっては見つけやすいのにこしたことはない。今日はあのネズミのカチューシャ型のイヤリングだ。
ネズミの耳を揺らしながら滝さんは、こう言う。
「吉君は大学も一緒なんだってね。たしか学部も一緒だったかしらね。いいお友達ができて良かったじゃないの。」
まじか。学部が一緒ということはつまり被る授業が多い。積極的に絡まれるのは好きじゃないが、その雰囲気を果たして奴は察してくれるのだろうか。あいにく、僕にはお友達がいない。いつも棒のついた飴玉をタバコのように口にくわえながら話しかけてくる奴はいるが。あれを友達と言っていいかわからない。いつも同じ授業にいるし、なぜか気づくと隣にいる。正直面倒だ。だが、僕の境界線には入ってこないからまあよしとしよう。
問題は本山田君だ。彼は面倒な性格をしている。正確な情報がない今、関わるのは悪い未来しか見えない。平凡で平和な学生生活を送りきるためには、顔をできるだけ合わせない方が良いだろう。学部が同じうえに、同じ月面荘に住んでるし。
はあ。ため息が出る。
一抹の不安感をぬぐえないまま、滝さんに挨拶をしてから部屋に戻った。