表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しは推せるときに推せ。  作者: つこさん。
【ヒーローランキング】
6/10

6位:ぼく(ニック・キャラウェイ)、グレート・ギャツビー(F・スコット・フィッツジェラルド)、小説



※この文章は、情弱さん(わたしの知人)が読めるかもしれない、情弱さんフレンドリーでお届けいたしますので、過度な説明が随所に見られるかもしれません。

ご了承ください。

※基本的に句点(。)をつけません。

※途中で書くのに疲れるかもしれないので、その際は察してください。



【この文章には他の著作物からの引用があります。】

・引用に関して以下の情報を参照、準拠しています。


----------

文化庁

著作物が自由に使える場合

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html


(注5)引用における注意事項

 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。

(1)他人の著作物を引用する必然性があること。

(2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。

(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。

(4)出所の明示がなされていること。(第48条)

(参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)

----------



 

----------



ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。


「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである。「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」


父はこれ以上多くを語らなかった。しかし、父とぼくとは、多くを語らずして人なみ以上に意を通じ合うのが常だったから、この父のことばにもいろいろ言外の意味がこめられていることがぼくにはわかっていた。


このためぼくは、物事を断定的に割り切ってしまわぬ傾向を持つようになったけれど、この習慣のおかげで、いろいろと珍しい性格にお目にかかりもし、同時にまた、厄介至極なくだらぬ連中のお相手をさせられる破目ににもたちいたった。


異常な精神の持ち主というものは、ぼくのような性格が尋常な人間に現れると、すぐそれと見抜いて、これに対し強い愛着を示すものである。それで、大学のころ、得体のしれぬ無法者も、そのひそかな嘆きをぼくには打ち明けたものなのだが、それを理由にぼくは、なかなかの策士だと不当な非難を浴びることにもなった。



(引用元:新潮文庫「グレート・ギャツビー」野崎孝 訳)


----------




主人公でありながら主人公ではない、でもわたし的には主人公の語り部ニックがすきです


冒頭部分でこうして彼がどんな性質をもった人間であるかが述べられることによって、ニックがお話全体で傍観者という立場をとったことの説明がなされていて、全体に納得感があるお話になっていると感じます

またわたし自身ニックのような性質であったことからその視線で読むことができ、初めて読んだときの気持ちを長く記憶に留めておけました


今回こうしてこの冒頭部分を書き起こしてみておもったこと



わたし……めっちゃ野崎訳の影響受けてんな……ひらがなの使い方……



そして、わたし年食ったなあ、と……(諦観)



カムバック、ニックのように柔らかな心



積極的な傍観というのか、それとも消極的なデバガメというのか、ニックはニックの父の言葉を守りながらギャツビーたちとの交友を続けるわけだけれど、最後の方の



----------



「いや……ぼくはただ今日がぼくの誕生日なことを思いだしていただけさ」

ぼくは三十歳だった。前途には、新しい十年の無意味な歳月がおびやかすようにのびていた。



(引用元:新潮文庫「グレート・ギャツビー」野崎孝 訳)


----------



これに号泣したよね


それぞれの人物に流れていて、また流れてしまった時間は取り返しのつかないもので、それがそれぞれの思いのズレや心の距離になってしまったことをこのひとことが引っ張り上げて気づかせてくれるかんじ

そしてずっと傍観者であったニックが述べたからこそ、意味があったことば

フィッツジェラルドすごい(語彙力)

このひとことのために、すべてが書かれたんだと今も感じています

今自分で書く側の立場を知ったからこそ、冒頭のニックの父のセリフから20代を失う(という言い方が合っているかはわからないが)ニックのこのひとことにつなげるのすごいとおもう(語彙力)


ぜったい30歳の誕生日に読んでやろうとおもって買ってあった原書、わりと綺麗に飾ってあります

これを期によみましょうかね

わたしにはまだ早いかしら


目の前で繰り広げられたギャツビーの人生模様に対して、なにひとつ深い関わりを持たないながらもそれなりに傷ついて、いくらか大人になったニックに対して、デイジィたちの薄情さがムカついたものだけど、今となってはそんな人間ザラにいるよなあ、などとおもった今回のこの記事でした


……おばちゃんになったなあ……

もっかいよもう



↓ニックが「事なかれ主義」とされてる研究報告のpdf ダウンロードされちゃうから気をつけて


https://core.ac.uk/download/pdf/154966419.pdf


事なかれ主義のニック・キャラウェイ

―『グレート・ギャツビー』の主人公兼語り手に関する一考察―

金子史彦

信州大学学術研究院教育学系


うん、言いたいことはわかる、概ね同意



↓なんでギャツビーとデイジィの間であんなに温度差があったのか、の一考察


http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi006/rpt06/shimizu.htm


Seminar Paper 2006

The Great Gatsby におけるTimeの意義

「過去と未来」

Keiko Shimizu<


>Nickは時の流れを悲観的にとらえているように思う。彼は20代という青春時代の終わりを迎えて30歳になった。そしてこれからおとずれる10年間を「孤独の時間」と考えている。NickはGatsbyと違い、将来に強い希望を持って生きる人間ではないのである。Jordanに言った「僕は自分を正直者であると言うには5歳ほど年を取りすぎてしまった」というせりふも含め、Nickの現実的すぎとも言える考え方がよくわかる。しかし、そんな人間だからこそ、実は心のどこかでGatsbyの理想を追い続ける生き方に憧れていたのかもしれないとも考えられる。


わかる(わかる)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ