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第七話、くゆる芳香は甘く


 さて、ラノスは恐らくこれで終わったと思っているだろう。しかし残念ながら、どれだけ口酸っぱく言おうとそれを聞くフェリチータではないのだ。

 「次は負けないわよ」

 そのフェリチータが前にするのは一つの小瓶。

 「絶対に子供を作らせてやるわ」

 透明な液体は言わずもがな、媚薬(びやく)である。

 「そこまでせずとも良いのでは?」

 それがとある筋から手に入れる時に、最終手段として手渡された事を知っているイリアは問う。使うのが早すぎるとは思っていても言わない。

 「甘いわ。獅子(しし)(うさぎ)を狩るのにも全力を尽くすものよ」

 (フェリチータ)が獅子で(ラノス)が兎なのか。

 「チャンスは明日の昼。陛下がお茶をしに来るそうよ」

 昨晩話し(そこ)ねた用事の事だろう。昨日の明日で気の毒だとは思う。

 「イリア、お茶に混ぜなさい」

 「昼間ですが?」

 情事に関心がないイリアでも夜に行うのが一般的である事は知っている。その薬が遅刻性ではない事も含めて。

 「いいのよ、時間なんて些細(ささい)な事だわ。この部屋にいる内が好都合なの。なんなら昼間(こら)えて、堪えきれなくなった陛下が夜襲いに来てくれても構わないわ」

 フェリチータは本当に淑女なのだろうか?

 「全部入れなさい」

 フェリチータは本当に人間なのだろうか?

 「適量は二、三滴のはずですが?」

 「陛下は王よ。薬馴(くすりな)らしくらいして当たり前だわ」

 その王に対しての適量のはずだが。

 「いい?私は何としてでも子供を作らなきゃいけないのよ!」

 フェリチータの所有物たるイリアに拒否権など無いのである。

 



 「お待ちしておりましたわ陛下」

 ふわりと笑うフェリチータは非の打ち所のない完璧な淑女である。

 「お待たせしてしまいましたかな」

 それを受けて内心ほっとするのはラノスだ。あの日の事は気の迷いか悪い夢に違いないと片付けて微笑む。

 「いいえ、私が待ち遠しくなっていただけですわ。陛下はとても忙しくされていますもの。さぁ、こちらへいらして。自慢のお茶をご馳走させてくださいませ」

 案内されたのは薔薇が咲き誇る庭園がよく見えるバルコニー。既に色とりどりの菓子がクロスの上を彩り、薔薇にも負けない鮮やかさを魅せていた。

 「これは美しい」

 「お褒めいただきありがとうございます。陛下のお口に合うと良いのですが」

 少し(うれ)いを映す瞳がラノスを見上げる。(さいわ)い、甘い物が苦手ではないラノスは笑みを深めてフェリチータの手を取った。

 「姫が儂のために用意してくれたのだ。合わぬはずがないだろう?」

 慣れた手つきでフェリチータを席までエスコートしてからラノスも向かいの席に着く。

 「イリア、お茶を」

 フェリチータが言うと今までどこに居たのか、イリアがするりと現れて一礼した後、お茶を(そそ)ぎ始めた。

 「このお茶は我が国の特産品なんですの。甘い香りと後を引かないスッキリとした味わいが自慢ですわ」

 熟練の侍女顔負けの手際で注がれるそばから香りが立ち上り、ラノスは目を細めた。

 「ここまで香ってくるとは、良いお茶だのう」

 「ふふふ、飲んでみるとそこまで香りはきつくないのですよ」

 音も立てずに紅茶が置かれ、ラノスはカップを持つと軽く掲げた。

 「今日の良き日に」

 「陛下の治世に」

 フェリチータも同じ様にして微笑む。これがこの国でのマナーだからだ。

 「ほう、確かに思っていたよりも香りがくどくない。後味も良く飲みやすいお茶だな」

 「お口に合ってようございましたわ」

 フェリチータの嬉しそうな笑顔を見てラノスの顔も(ほころ)ぶ。

 しばらくはお茶と菓子を口にしながら薔薇の事などを話す。特に何も無く(なご)やかに会話は成っていた。

 「ーーさて、以前話していた事についてなのだが」

 程々の所でラノスが切り出す。当然予想していたのだろうフェリチータはカップを置いてわずかに表情を引き締めた。

 「ウィリアーノに問い合わせた所、そのー、まぁ、事実であると言われた」

 「はい」

 「姫は本当にそれで良いのだろうか?儂は見ての通りの年寄りだ」

 「政略結婚は皇族の務め。私はこの婚姻に否やはございません」

 間もなく返されるのは模範解答。ラノスは眉を下げて吐息を漏らした。

 「姫よ、そうでは無い。お主の心の問題だ。お主はまだ若く美しい。儂でなくとも良いであろう?」

 「ならば陛下でも良いではありませんか?」

 「他にも良いと思う者はおらぬのか?お主の国や、貴賎を問わずに」

 ラノスはチラリとイリアを見るが、フェリチータは陛下から視線を動かさないまま言う。

 「少なくとも私の目に(かな)う者はおりませんでしたわ」

 彼女にとってかの従者はそういう対象ではないという事か、はたまたポーカーフェイスが上手いのか。

 まだフェリチータを深く知らないラノスには分からない。

 「ーーいずれにせよ、儂はお主よりも間違いなく早く死ぬ。そもそも一緒にいられる時間すらもさほど長くはないだろう。そうして儂が死んだ後もお主には長い時間がある。儂の妻となってしまえばその後に連れ添う者を見つける事も難しく、一人で生きて行かねばならぬかもしれぬ。それはとても寂しくて、辛い時であろう」

 本当に悲しそうにラノスは告げる。だから、フェリチータは浮かべていた微笑みを消して、そろりと言った。

 「それは、陛下の体験談でしょうか···?」

 わずかに見開かれる目。そしてゆるりと首を振った。

 「···いや。だが、もしもを考える事はある。何より近頃は自分が死んだ後を考えて動くようにしていたので、つい、な」

 今の時分、七十を数える事は大変珍しく、矍鑠(かくしゃく)としたまま六十を超える事はまずない。

 その事を思えば当然ではあった。

 残る紅茶を飲み干し、息を吐き出す。その少しばかり草臥(くたび)れた様子に、フェリチータはイリアを見上げた。

 「イリア、陛下に新しいお茶をお()ぎして。とびっきりの物を」

 優しげな声とは裏腹に念を押すかのような視線で、イリアは粛々(しゅくしゅく)と頭を下げた。

 「かしこまりました」

 そうして、新しく注がれたお茶が置かれるまでラノスは口を開かなかった。じっと目を(つむ)り、何かを思案している様にも、懐古している様にも見えた。

  柔らかな香りが鼻腔(びこう)をくすぐった事でラノスは目を開ける。

 「儂と姫の婚姻についてはまた話し合うとして、もう一つの事なのだがな」

 もう一つ、と言われてフェリチータは瞬く。他に何かあっただろうか?

 「百歩譲って嫁入りの話は良いとしても、国に戻る事を禁じるのは余りにもやり過ぎだと儂は思う。だから、せめてそれだけでもウィリアーノに撤回させようと思うのだが」

 「本当ですか!?」

 思ってもみなかった言葉に、礼儀にない音を立ててフェリチータは身を乗り出す。その必死さに困惑しながらもラノスは頷いた。

 「ああ。ウィリアーノは頑固だから少々時間はかかるやもしれんが···冬までには頷かせてみせよう」

 「でも、あのお父様が素直に了承するとは···」

 不安げにうかがうフェリチータにラノスはにっこりと笑いかけた。

 「なに、これでも儂はウィリアーノよりも長く生きておるのだ。手段も両手よりは持ち合わせておるよ」

 じわじわと喜びが広がる顔に、潤いを増す瞳。

 「っ···ありがとうございます!」

 そう頭を下げる様子を見てラノスは思う。

 フェリチータは無理矢理この国に出されたのか、と。

 いくら何でも酷い仕打ちである。とある事情はかの国の宰相から聞いているが、せめて遊学だとか他の理由で避難させれば良いのに、何故わざわざ輿入れにして国に戻れなくした上、釘を刺す様に帰って来るなと言ったのか。正確には「子を産むまで」だが、現実的に考えて無理があるし、ラノスにその気も無いため実質同じ事である。

 この国に来てからのフェリチータの様子から、少なくとも彼女は(婚姻は除いて)望んでこの国へ来たのだと思っていた。

 しかし、そうではないのだろう。目の前の様子を見れば一目瞭然である。今であれば理解出来る。フェリチータが何故あそこまで「子を作る」事に必死になっていたのか。帰りたかったのだ。祖国に。

 その為だけに彼女の一生をふいにしてしまうなど、とても(しの)び無い。多少無理をしてでも彼女を国へ返そう。ラノスはそう決意した。

 「それまでは今(しば)しここでゆっくりしてもらう事になるが、何か不便があれば言いなさい。ちょっとした休暇だとでも思ってくつろぐと良いだろう」

 「はい、お心遣いありがとうございます」

 花がほころぶ様な笑顔にラノスも笑みが深くなる。解決の糸口が見えた事に安心して、カップに手をつける。

 「あっ!」

 急に上がった慌てた声。それに驚くもカップを持つ手は止まらない。

 口をつけるその直前、カップが手で塞がれた。

 「ーーお待ち下さい」

 驚いて見上げれば、いつの間にかイリアが淡い笑みを浮かべてすぐそこにおり、初めて目にする表情に唖然としていると、そのままするりとカップを取り上げられた。

 「先程、虫が入ってしまわれた様なので、お取り換え致します」

 「虫?」

 カップに手をつけた時は居なかった様に思ったが、その後に入ったのだろうか?訝しげなラノスにフェリチータが少々早口で声をかける。

 「ええ、私も見ましたわ。陛下がお口にする前でようございました。イリア、早く入れ直しなさい」

 「かしこまりました」

 すぐさま別のカップに注がれる。フェリチータの様子には気になる所があるが、特に何事もなかったかの様にイリアが振る舞うので、ラノスはひとまず納得する事にした。

 「これは気づかなんだ。礼を言う」

 「いえ、自分は当然の事をしたまでです」

 いつもの無表情に戻ったイリアは礼を返して、再び空気になった。

 「姫は良い従者をお持ちですな」

 少し迷ったが、そう言えば、姫は今までのどれとも違う笑みを魅せた。

 「ええ。私の唯一ですわ」

 妖艶な薔薇の様な笑みでありながら、誇らしげに咲く向日葵の様に全てで喜びを表し、睡蓮の様に慈愛に満ちた眼差しの中で、深い水底の様な色を映す瞳が、暗く仄めいていた。

 

 

長さが微妙だったので、切りました。

短いですがもう一話どうぞ。


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