第六話、それぞれの事後
「······参った」
執務室で珍しく頭を抱えるラノスは目の下にうっすら隈を刻んでいた。
子供だと侮っていた事と、年老いた故に忘れていた女の恐さ。あの一晩で忘れていた思い出と共にどっぷりと思い知った。
女は怖い。目的のためならば手段は選ばない。その身も法も人権も平気で侵す。恐ろしい生き物だ。
思い出したくもなかった若い頃のあれやこれやまでが襲いかかり、危うく女性恐怖症になりそうだった。
「どうされましたか?」
そう言いながら紅茶を置いてくれるのは長年連れ添った右腕たる宰相のクレイトンだ。ラノスよりも身体ががっちりとしており、武官にも見える彼は実は運動音痴だったりする。パワーのある運動音痴は危険だ。ついでにそんな思い出も思い出した。
「いや、何でもない」
有難く紅茶をいただく。これを飲んだら忘れよう。そして仕事をしよう。
「姫君と一夜を過ごしたらしいですね、陛下」
「ぶごはぁ!」
そんな決意をぶち壊してパンチを入れてくる一言で、紅茶に溺れかけるラノス。
「ごほっ、げほげほっ、ぐぼぉ!」
「落ち着いて飲んで下さいよ。年寄りなんですから」
「な、ななな、なぜそんなっ、どこから!」
それを知るまではまだ死ぬ訳にはいかないと、うっすら見えかけた川から全力ダッシュで逃げ切ってラノスは尋ねる。
「どこも何も、昨晩部屋に伺ったら姫君の部屋から戻られないと聞きまして。寝れていないご様子ですし」
「違うっ違うからな!何もしていない!むしろ儂は被害者だ!」
「孫ほど年の離れた少女を捕まえておいて被害者は無理がありますよ」
呆れた顔をされたがこちらは必死なのだ。色々な物がかかっている。
「別に否定されずとも、元より嫁入りに来た訳ですし、婚前交渉でも問題は無いでしょう?大した問題ではありませんよ」
「違うと言っておろうが!」
机を叩いて抗議する。その様が余りに必死だったのだろう。クレイトンは自分の紅茶を置いてようやく真面目に話す態度をとった。
「まぁ、そんな事は起こりえないと分かっていたので別にいいんですけどね」
「分かっていた、とは?」
「従者ですよ。姫君の」
三枚ほどの紙を机に置いてクレイトンは言う。
「自国にいらした時から有名な話らしいですよ。第一皇女は従者と浅からぬ仲だと。侍女よりも四六時中一緒に行動し、真っ先に頼るのはその従者。数ある縁談を蹴り続けたのは従者がいるからだとか。皇女の愛人、寵愛の奴隷、皇女の最愛、近頃はもう一つあだ名が増えまして、女神の逆鱗だそうですよ」
ラノスには初耳だった。しかし、疑問に思う。
あの時、外鍵をかけられるのはあの従者しかいなかった。本当にフェリチータとそういう関係にあるのなら、はたしてそんな事をするのだろうか。
「わざわざここに輿入れされたのは、その従者との関係の隠れ蓑にする為だとか」
これだけ年老いた者が相手では寵を貰えるとは限らない。逆にそれを利用しようとした、という事か。
しかし残念ながら、昨日の様子ではそれは大外れである。
「後は我が王は奥手ですからね」
「五月蝿いわ馬鹿たれ」
慣れた応酬をしてラノスは紙を捲る。詳細を見てもラノスには分からない。
「何故、姫はあんなにも焦っているのだろうか」
例の従者なら知っているのだろうか。一切の感情を見せず、完璧な振る舞いしかしない従者の顔を思い浮かべた。
フェリチータは不機嫌だった。
柔らかな頬を最大限活用して膨らまし、額には渓谷を刻み、足が忙しないリズムを刻んでいる。
「いかがされましたか、フェリチータ様」
「納得がいかないわ」
話すために頬はしぼんでも口は尖ったままフェリチータは足を踏み鳴らす。
「どーしてあそこからお説教になるのよぉ!どー考えても押し倒す流れでしょーがぁー!!」
昨夜のお説教は別の意味で余程堪えたらしく、ずっとこの様子なのだ。
「年取って毛も意気地も抜けたのかしらね!男なら据え膳くらいおかわりしなさいよ!」
いや、別に王は禿げてはいないのだがーーまあ、フェリチータにもよろしくない所はあるだろう。うん。
「ムカつくムカつくむーかーつーくー!!」
ひとしきり叫んで落ち着いたのか、行儀悪くソファに倒れ込んで動かなくなる。
それを見計らって、フェリチータの好きな紅茶と菓子を出した。
「せっかく私が勇気を出したっていうのに、何でよ」
クッションが折れ曲がるほどキツく抱きしめ、フェリチータは言う。
「鼻の下も伸ばさないし、いやらしく見て来ないし、触ろうとして来ないし、上着までかけてくれるし···」
説教中、薄衣一枚では当然風邪を引くと言われラノスの上着をキッチリと前を止めて着させられたのだ。
残る温かさと上品な香とラノスの香りに包まれ、正直説教の半分も頭に入っていなかった。目の前で説教されているにも関わらず、まるでラノスに抱きしめられているかの様な錯覚を抱き、思わず赤らむと、体調を心配されてベッドまで運ばれる始末。
思い出すと再び顔が赤くなり、誤魔化すようにクッションをイリアに投げた。それを難なく受け止めてイリアは瞬く。
「それに問題が?」
「大ありよ!ベッドまで来た時に連れ込むべきだったわ!」
淑女らしくない勢いで菓子を食べながら言う。内容も淑女らしくはない。
扉の外で待機していたイリアはある程度の会話は聞いていた。しかし、フェリチータがここまで荒れる内容があったようには思えない。
「フェリチータ様、よろしいですか?」
「何よ」
クッションを返してからイリアは思ったままを口にする。
「フェリチータ様の方が悪かったのでは?」
クッションがもう一度飛来した。
お読みいただきありがとうございました。
ラノス様はロン毛です。ふっさあです。禿げてません。