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後日談「ハイノスとお義母上」

結婚してから二年前後位のお話です。

この頃ハイノスは少し健康になり、寝込むのが二ヶ月に一回になりました。寝込む理由は熱かぜや疲労です。病弱だけど持病はありません。

 

 これは、フェリチータとラノスの間に長男が産まれた年の話。

 


 「よしよし、いい子ね」

 お腹が満たされ、すやすやと腕の中で眠る赤子にフェリチータは微笑みかける。

 「すっかり赤子の扱いが身につきましたね」

 「私はこの子のお母さんだもの」

 何をするでもなく、向かいのソファで眺めていたハイノスが言う。今までであれば胸を張って得意げにしていたであろうフェリチータは、穏やかで慈愛に満ちた笑顔で()んでいた。

 「乳母は雇わないのですか?」

 「この子がもう少し大きくなってからね。帝国では乳飲み子は自分で育てるものなのよ」

 現在住んでいるのは王国だが、問題がない限りフェリチータは帝国の風習でも躊躇(ためら)わず通した。それがより堂々として威厳を感じさせるもので、批難よりも感心と羨望を寄せられていた。

 「大変ではないですか?」

 「子育てなのだから当然でしょう?それが母の責務というものよ」

 「そういうものですか」

 ハイノスはこうしてよく赤子を見に来る。フェリチータが常に赤子を連れ歩くのでついでのように見ていく時もあれば、逆にフェリチータから訪ねる事もあるが。

 そうしている時は決まって一歩以上離れた位置から眺めているのだ。物珍しそうな、観察している様な瞳の奥に、塗り潰した感情を押し込めて。

 フェリチータはその事に気がついていながら変わらず赤子を見せる。抱いても良いと言っても、ハイノスが赤子に触れた事は一度たりとも無い。

 「女は子を抱く時に母になると言いますが、その通りだったのですねぇ」

 「あら、それは違うわ」

 にやりと、場違いな顔をしてフェリチータは言う。

 「女は恋をして乙女になり、交わって女になり、お腹に子を抱えて母になり、腕に抱いて母親になるのよ」

 じっと耳を傾けてから、ハイノスは首を傾げる。

 「同じでは?」

 「全く違うわ。次第に大きくなるお腹を見て母なんだと自覚して、産まれた我が子をその手に抱いてようやく母親になるの。この子が私の子で、私が育てる子で、こんなに小さくても輝く命を産んだのが私なんだって。母親というのはね、無条件で子を愛し、子を育む生き物なのよ」

 フェリチータは愛おしく子を撫でる。

 ハイノスはどこか途方に暮れた顔をして、すぐに意地の悪い笑顔を浮かべた。

 「では貴女はもう立派な母親なのですね、お義母上(ははうえ)?」

 フェリチータは不味い虫を噛んだ様な顔をした。

 「···一回りも歳上の男性に言われるのはおかしな気分だわ」

 「お嫌ですか?お義母上」

 明らかに楽しむハイノスを睨みつけ、溜息を一つついた後、フェリチータはお手本の様ににっこりと笑顔を浮かべた。

 「そうですわね、私は貴方の父と結婚したのだから貴方のお義母様(かあさま)ですわね」

 赤子を背後に立つイリアに預け、立ち上がった後、フェリチータはテーブルを回り、ハイノスの隣へ腰を下ろした。


 「私は貴方のお義母様ですもの。さぁ、好きなだけ甘えなさってよろしくってよ」


 「は?」

 ハイノスの笑顔が固まる。


 「子は母親に甘えるものでしょう?さぁどうしましょうか。頭を撫でましょうか、ご飯を手ずからあげましょうか、それとも抱っこをしましょうか?」


 「は?」

 にこにこと、笑うフェリチータに悪意が見当たらず、そんなはずがない意趣返しに決まっている、と思っていても、疑惑と混乱でハイノスが固まる。

 「でも私では背が足りませんわねぇ。では、こうしましょうかしら」

 「え、ちょっ」

 ぐいっと容赦ない力で頭を頭を押さえつけられ、頭が膝の上にあると気がついたのは、抗議をするために上を向いた時だった。

 「何をなさっているんですか!?」

 「ただの膝枕ですわ、殿下」

 にこやかに言うくせに額を押えて絶対に起き上がれないようにしている。絶対に面白がっている。

 「父上に見られたらどうするのですか」

 残念ながら病弱故に非力なハイノスでは不利な体勢からはどうする事も出来ず、力で抜け出す事はあきらめた。代わりにフェリチータを溺愛と言っても過言ではないくらいに慈しんでいるラノスを出す。

 「問題はありませんわ。ただの微笑ましい義母(はは)義息子(むすこ)のふれあいですもの」

 が、あっさりいなされてしまった。

 「年齢を考えて···」

 「親とは無条件で子を愛するものなのですわ」

 ハイノスを遮ってフェリチータが言う。

 「子を嫌う親などいません。憎くとも腹立たしくとも子は子です。そこに理由も理屈もいらない」

 優しく頭を撫でながらフェリチータは言う。

 「同じく子は無条件で親に甘えられるのです。甘えることが子の仕事です。甘えられて嬉しくない親などいないのですから」

 「···甘える、とは?」

 自覚しているよりも困惑した声が出てハイノスは狼狽(うろた)えた。けれども、フェリチータは気にした様子もなく頭を撫で続けた。

 「して欲しい事をそのまま言えばよいのです。頭を撫でて欲しい。抱きしめて欲しい。好きと言って欲しい。愛して欲しい。それはいけない事ではありません。子が親の愛を求める事は自然な事です」

 フェリチータの穏やかな声が、優しい手つきが、ハイノスの瞳の奥から浮かぶ感情の、塗り潰した色を優しく拭う。

 迷子の様に途方に暮れた顔をするハイノスの額に柔らかく口づけてフェリチータは笑う。

 「ラノス様から聞きましたわ。王妃様はハイノス様を愛していたと。悪阻(つわり)で顔色を悪くしていても、優しくお腹を撫でる手は止まらなかったと。花を愛でながらお腹に声をかけ、歌を口ずさみながら赤子の服を編んだと」

 母親の顔でフェリチータは笑う。


 「『愛している、愛しているわ、何よりも。この子は私の宝だから。お願いよ愛しいあなた。この子を私から取り上げないで。私を愛しく想うなら、どうかこの子を愛してちょうだい』···床から起き上がれなくなった王妃様がラノス様にそう言ったそうですわ」


 子守歌を歌う様に口にする。

 「私は王妃様ではないけれど、ハイノス様のお義母様ですもの。私もあなたを愛します。だから好きなだけ甘えていいのよ?」

 ふっと、ハイノスから力が抜けた。目を閉じて瞳の色を隠しながら、小さく呟く。


 「歌が、聴きたいです。母がよく歌っていたという、歌を」


 「ええ、いいわよ」

 フェリチータは歌い出した。この地で有名な子守歌を。愛を唄う穏やかな旋律を。

 



 「懐かしい歌がするのう」

 「ラノス様」

 扉を開けたラノスにフェリチータは唇の前で指を立ててみせる。それを受けて口を閉じたラノスは足音を控えて近づき、目を丸くした。

 「おやこれは」

 そこにはフェリチータの膝の上で安らかに眠るハイノスの姿があった。

 「甘やかしている所なんですの」

 「ハイノスをか?」

 ラノスは驚いてフェリチータを見る。確かに二人は仲が良いが、どうしてこうなったのか。

 そんなラノスにくすりと笑って、フェリチータはハイノスの髪を梳く。

 「私はハイノス様のお義母様ですもの」

 その横顔が我が子を抱く時と同じで、また、かつて見たお腹を撫でていた横顔とも重なって、ラノスは目尻を下げた。

 「そうか、そうか」

 節くれた手でラノスも頭を撫でる。

 「いつの間にか、大きくなったのぅ」

 「あら、知りませんでしたの?」

 ラノスを見上げてフェリチータは笑う。

 「子はいつの間にか成長しているものですわ」

 二人に温かく見つめられ、ハイノスが目覚めるまで後少しーー。

 

 

お読みいただきありがとうございます。

フェリチータの作戦は見事成功し、長男を授かりました。久しい赤子に城中がデレデレです。

ハイノスは産まれてすぐに母親を亡くしましたが、ラノスは深くハイノスを愛しておりハイノスもそれを分かっています。そして母親というものに興味と後ろめたさの様な少しの暗い感情を抱いていました。

母親の愛を知らないハイノスは、フェリチータと赤子を見て間接的に愛を知ろうとしたのかもしれません。もし生きていたら母親は同じように自分を抱いて慈しんでくれたのだろうか、という風に。


ラノスが亡くなったらこの子が次の国王となり、ハイノスは生きていられる限りその補佐をするつもりです。

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