後日談「一輪の感情」
大変お待たせしました。外伝集です。
とても短いですがよろしくお願いします。
『大丈夫。あなたはいい子よ』
優しい声だった。
『子供が可愛くない親なんていないわ』
優しい温もりだった。
『沢山頑張ったらきっと褒めてもらえるわ』
抱きしめてくれたのはあの人だけだった。
あの人が最期に抱きしめていたのも私。
温もりを感じたのもあの時が最後。
景色がぐるりと一転する。
知っていた。
毎朝の習慣。
山裾から顔を出した日に照らされた月色の輝きを。
星屑の如く光り流れる雫を。
花束に込められた哀しみを。
だけどそれは許されない。
私はこの感情を抱いてはいけない。
だから毎年置いていく。
一輪の小さな花にその感情を込めて。
花束の下に隠して
だって私はーー
忍び込む冷気にマリアーノは目を覚ます。
昔の夢を見ていた気がする。届かない、月の夢。
思い出す事をせずに身を起こして支度を始めた。修道院の朝は早い。対してマリアーノの動きはとろい。分からないはずも出来ないはずもないのにどうにも手間取って時間がかかる。
「おはようございます、シスター」
「おはようございます。シスターマリアーノ」
今日のお務めを聞きに行くのが朝一番の日課だ。
「今日のお務めですが、貴女は休日です」
「きゅうじつ?」
言われた事が理解出来ずマリアーノはオウム返す。マリアーノは罪を負いここへ来たのだ。休日などあるはずがない。
ちなみに、毎日のお務めは楽ではないが過酷でも非人道的でもない。神へのお祈りに始まり至極真っ当な掃除洗濯料理から内職などである。初めの内は慣れず叱咤されることも多く、毎日くたびれ果てていたが、慣れればそこまでではない。
「ええ。陛下からの恩赦です。毎年この日に休日を与えるとのことです。神と陛下の寛大なお心に感謝なさい」
「はい、感謝いたします」
シスターが行ってしまい、一人置き去りにされたマリアーノは茫然と立ち尽くす。
休日と言われても、何をすれば良いのか分からず困る。言われた事を実行するだけの日々であるのに、唐突に訪れた自由にマリアーノは困惑していた。
のろのろと与えられている部屋に戻ると、机の上に一つの手紙が置かれていた。
宛名も差出しも無い、白い封筒。
ここは人は勿論物資も厳しく監視されている。名が無かろうと不審な物であるはずはない。それに、こうしてこの机に置かれているということはマリアーノ宛であるに違いない。
中から出て来た、広い便箋にあるのは一言だけ。
『一輪の感謝を』
「あ、ああ」
それはマリアーノが好きな手で、そして今日がなんの日であるか天啓のように思い至る。
見つけてくれた。見つけてくれた。見つけてくれた!
他の誰でもないあの人が私を見つけてくれた!
「あああぁあぁあああ!!」
私も悼みたかった。私も泣きたかった。私も好きだった。
謝りたかった。ごめんなさいって。私のせいでって。
もう会えない。もう話せない。もう抱いてもらえない。あの温かさを私が奪ってしまった。
その感情の全ては許されなかった。
『やったわ!これで邪魔者は居なくなった!』
初めて見たお母様の笑顔だった。
ねぇお母様、私の無事は聞かないの?
『よくやったわね』
初めてお母様に褒められた。
ねぇお母様、私が悲しいのは間違っているの?
『あんたも意外と役に立つじゃない』
初めてお母様の役に立った。
ねぇお母様、私は悪い事をしたんじゃないの?
分からない。分からない。
何が正しいのか間違っているのか。
いや、本当は分かっていたかもしれない。温もりと共に教えて貰ったから。
けれど、私は、蓋をした。
だって、私はーー
お母様に愛されたかった。
「ああぁぁぁああぁ!!」
お母様に愛されたかった。
お母様に愛されたかった。
他の誰でもない、お母様に愛されたかった。
愛されているあの人が羨ましかった。
私もあんな風にお母様に愛されたかった。
だから、お母様が喜ぶ事をした。沢山褒めて欲しかったから。
お母様が望むいい子でいた。私を見て欲しかったから。
それが悪い事だと知っていた。悲しんでいた事を知っていた。
それでもお母様に愛されたかった。
でもやっぱり、痛かった。
でも、身勝手だと知っていた。
だから隠した。誰にも見つからない様に。
何もしない事は出来なかった。だから一輪だけ。
誰も知らない、知られていないと思っていた。
そう願っていた。
だけど、見つけてくれていた。
私を見つけてくれた。
いいの?
私は私で?
私が私である事は許されるの?
「ご、めんなさい、ごめん、なさぃ」
やっと言えた言葉。
やっと許された言葉。
熱い涙も、閉ざされていた言葉も、尽きる事はついぞ無かった。
マリアーノは毎年与えられる一日だけの休日に、両手で持てるだけの花を摘み、祭壇に捧げて神に祈る。
静かに雫を流しながら。
お読みいただきありがとうございます。
第一話目はマリアーノのその後でした。
実はマリアーノはお姉ちゃんが真っ直ぐに大好きなのです。
でもそれが行動に移せなかったのは、親の存在が重すぎたから。どんな親でも間違っていると分かっていても、母親は母親で、割り切る事も見捨てる事もできず縋ってしまったからマリアーノは道を違えてしまった。そんな可哀想な子なんです。
結構ぼかして書いてあるのは、次のお話とかを読んで色々察して欲しかったからなので、少々お待ち下さい。




