第二十一話、愛に手向ける花
冬が来る一日前。
忘れる事の無い大切なこの日、フェリチータは帝国へ帰って来ていた。
大きな花束を一つの墓石の前に置いて、膝をつき手を組んで目を瞑る。
その後ろではサラとアントニーが膝をついて頭を垂れ、更にその後ろでイリアが膝をついていた。
前の三人とは違い、イリアには何も祈る事が無い。感情も湧かないので何も言う事も無い。だからじっと三人を見ていた。
そんな四人を更に離れた木陰から見守る大人が二人。
「彼女の愛は深いな」
目を細めながらラノスは思う。フェリチータはこの為だけに好きでもない年寄りに体を捧げようとしていた。真っ直ぐで純真過ぎる愛だと、眩しく思った。
「無駄に頭の良い娘で迷惑したがな」
「···ウィリアーノ、お主は本当にフェリチータを避難させたかっただけなのじゃな」
ウィリアーノが設けた期間『子を産むまで』。それはアバウトでありながらとても長い期間を示している。
まず子を孕む事が運だ。多少は努力の問題もあろうが、できる時はできるし、できない時はできない。ラノスに至っては年齢の枷もある。その時点で今すぐにというのは不可能に近い。
次に、上手く孕んだ所で産むまでに少なくとも十月はかかる。産んだ所ですぐさま動ける訳もなく、赤子もいるのだから当然行動は制限される。
更に付け加えるならば、王族の婚姻は大変時間がかかる。ドレスはもちろん、会場の設営、段取りの協議、各国要人の選別と招待、その他諸々、とても、とても人も時間もお金もかかるのだ。
最後に、どの国でもトラブルを避ける為に基本的に初夜は婚姻後。
さて、これだけでどんなに早くとも三年はかかるものなのだ。
「何が側妃だ。さっさと終わらせたかっただけだろ」
フェリチータは事ある毎に側妃を強調していた。
側妃だから簡素なドレスで。
側妃だから簡易の会場で。
側妃だからお披露目も簡略に。
側妃だから招待客は少な目で。
正妃ではない事を盾にあらゆる面を削らせ、ものの短期間で婚姻パーティーの場を設けてしまった。
一番焦ったのは急かされた王国の人々ではなく、ウィリアーノだ。折角作った約三年を当の本人の手で縮められたのだから、たまったものではない。
「フェリチータが居ない間に全てを終わらせるつもりだったのだがな」
皇妃が殺されてからずっと追っていた。明らかな犯人が分かっていても、手にかけられなかった。確たる証拠がなければ皇帝は動かない。それが皇帝だからだ。
この数年の間で多くを手に出来た。だがどうしても最後の一手が詰まらない。だから、多少無理をしてでも証拠を掴む為に弱点を逃がしたのだ。
そしたらどうだ。その終わらせるための一手にフェリチータが手をかけているではないか。
そんな事を望んだつもりは無い。暇なら王国で働けくらいにしか思っていなかった。そんな働き方は望んでいない。淑女らしくお茶会でも開いてろ。
そんな訳で、婚姻パーティーに合わせるためにかなり前倒しで証拠を集めさせ、包囲網を敷いた。
最後に助けに行かなかったのはほんの意趣返しだ。無論、影はつけていたので本当の意味での命の危機は無かったのだが。
「フェリチータは紛う事なくお主らの娘だよ。賢しさも。度胸も」
亡き皇妃を思わせるのは見た目だけでは無い。時に不敵な度胸こそ、何よりも受け継いで欲しくなかった部分であった。勇猛なのでは無い。蛮勇だったのだ。遠い目をするくらいには。
「ふん。俺の娘だ、これくらい出来て当たり前だろう」
素直ではないと思う。その顔を見れば、誰でも分かるほどに誇らしいと書いてあるのだから。本当に、ウィリアーノの愛情はねじ曲がっている。
「それはそうと、随分と俺の娘を甚振ってくれたじゃないか」
「儂がいつそんな事をしたかのう!?」
とんだ不意打ちが飛んで来てラノスが素っ頓狂な声を上げる。
ささやかな男親からの意趣返しだ。まさかこの童貞モドキがあんなクサイ演出をするとは思わずーーいや、無自覚紳士だったか。ならば仕方がない。
婚姻パーティーの二日後、ラノスとフェリチータは婚姻の儀を執り行った。
立ち会ったのはウィリアーノとハイノス、クレイトン。その他わずかな重鎮だけ。外見だけを見ればとても簡素で慎ましやかな儀式であっただろう。
だが、ラノスがわざわざ儀式の日取りを変えただけの事はあった。
フェリチータにはパーティーの時とよく似ているが、それよりも繊細で美しいレースのフリルが増え、ラノスの髪色で桔梗を模した刺繍が宝石の代わりに施されたドレスが用意されていた。
言葉を失うフェリチータの前に膝まづき、ラノスは言ったのだ。
『あの様な害悪に塗れた中で式など挙げさせたくはなかった。お主にとっても、儂にとっても大切な式だからの。女心には疎く、心許ない年寄りだが、儂と共に歩んでくれるフェリチータに敬意と、愛情を最期まで注ぐと誓おう』
不意打ちの、ラノスの誠実な告白にフェリチータは涙を零した。
今まで見た中で、一番綺麗で美しく輝く雫だとイリアは思った。
ラノスの衣装にもフェリチータの髪の月色で刺繍が施されており、誰が見ても分かる愛情に、皆が最大の祝福を捧げた。
それは短くとも永遠を感じさせる静謐な時間だった。
「お前も来い」
ぞんざいに言って、ウィリアーノは歩き出す。その手にあるのは見覚えのある酒瓶。
口調や態度とはちぐはぐなウィリアーノの愛情にラノスは苦笑して足を踏み出した。
「お父様?今は昼間ですわよ?」
既に立ち上がっていたフェリチータがウィリアーノに気がつき首を傾げる。
「終わったからいいんだ」
四人にはそれで通じたらしい。納得した様な顔をして場所を譲った。
そのまま留まるでもなく歩き出し、ラノスに笑みを向ける。
「ありがとうございます、ラノス様」
「儂は連れて来ただけだ」
「こんな所まで付き合って下さっていますわ」
クスクスと笑う影のないその笑みを、とても愛おしく思う。優しく頭を撫でれば、フェリチータは嬉しそうに目を細めた。
「儂はもう少しここにおるよ」
「では中でお茶を入れてお待ちしていますね」
小さく腰を折り、淑女の礼をしてからフェリチータが歩き出す。その後ろに続くサラとアントニー。その後ろに、ふと、声をかけた。
「なあ、お主よ」
イリアは足を止めて振り返る。顔の傷はまだうっすらと残っていた。
「お主は幸せか?」
ずっとフェリチータと一緒にいる従者。表情一つ動かさず、性を偽る見た目で付き従う従者に、ずっと気になっていた事を尋ねた。
イリアは、一つ瞬きをしてから答える。
「フェリチータ様がそう思うなら」
抑揚のない声。感情のこもらない目。でも、ラノスは満足した。
「イリア、早く来なさい」
気がついたフェリチータが足を止めてイリアを呼ぶ。
「失礼致します」
きっちり頭を下げてからイリアが踵を返した。
それを見送って、ラノスは思う。
「儂は二人分の幸せを背負っておるのだなぁ」
まだまだ死ねないと、笑みを零した。
歴史上類を見ない歳の差で婚姻を結んだ若き側妃は、たった五年の蜜月を、大切に、深く、国王と愛を育んだという。その中で、後に国王を継ぐ長子と、帝国へ渡り皇帝を継ぐ双子を産み落とした事は言わずと知れた事実である。
側妃が成し遂げた様々な偉業はもちろんの事、夫である国王と子供達に注がれた愛情の深さは有名で、様々な書に名を残し、時に歌となって吟遊詩人の手で方々へ名を馳せたが、その傍に常に在った無表情の従者に触れるものは一つも存在しなかった。
こっそり設定ですが、この世界では冬が来る日が明確に決まっています。その日になると雪が降り始めて冬が始まります。終わる日も決まっており、始まってから三ヶ月で降る雪が止み、半月かけてゆっくり溶けます。溶け終えたその日が冬の終わりであり、春の始まりとなります。
短く簡潔なお話(!?)だからこういう設定は公開はしませんでした。実は作ってあったりなかったりな設定達です。
ちなみに桔梗はラノスの花紋で、花言葉は誠実、永遠の愛。




