第十四話、開幕と共に襲来
「いよいよね」
勝負服は完成された先日のドレスだ。小さな宝石が散りばめられ、上品にドレスに色をつけている。今日の為に誂えたティアラはフェリチータの月色の髪に負けじと光を弾いて輝いている。しかしどれもがフェリチータそのものの美しさには敵わない。月色の髪は降りそそぐ光の様に背を流れ、黄金の瞳は闘志を映して燦然と輝き、弧を描く薔薇色の唇だけがフェリチータを人たらしめているかの如く、それはそれは人離れした美しさを魅せていた。
実は身につけているこれらにも贋物が混ざっている事が知れている。責め立てるための道具に過ぎないとフェリチータは嬉々として受け入れたが。
「緊張しておいでですか?」
「私が?まさか。高揚しているわ」
流石はあの皇帝の娘。獲物を狙う時が一番輝いて見える。
「イリア、私の傍を離れては駄目よ」
「はい。お守りします」
「頼りにしているわよ。私のナイフなのだから」
イリアの袖口には、今もあのナイフが仕込まれている。
「この度は誠におめでとうございますーー」
そんなありきたりな挨拶を、フェリチータとラノスが笑顔で受け続ける後ろでイリアは相変わらずの無表情で立っている。だけではなかった。
「どう?イリア」
「今の所はいません」
感情の欠落したイリアは感情に疎い。だがそれは理解が出来ないだけであって、揺らぎには人一倍敏い。欠落しているからこそ意識が向くのだ。
「先程の方はフェリチータ様に怯えていらっしゃいましたが」
「きっとお父様のせいね」
感情の制御に長けた者の感情すら的確に読み取ってみせる。フェリチータはそれを利用して祖国でもよく大人を相手取っていた。
「ラノス様、どうやら怪しい方は見受けられない様ですわ」
「ああ、分かった。···それにしても、何やら若い者が多くないかのぅ?」
このパーティーの参加者は、各国の代表者一人とその護衛や従者が一人、とそのパートナー。そして付き添い扱いの宝石商の人間が一人。それが一グループとなっている。パートナーを連れて来ている者もいるがいない者の方が多く、しかも何故か王族に連なる者ばかりであった。
「帝国の噂の第一皇女様の婚姻パーティーですから当然でしょう」
さらりと告げるは、ラノスの斜め後ろに立つクレイトン。クレイトンは仕事中なので、奥方は別の場所にいるらしい。
「誰も彼もが望まぬ婚姻だと思っておられますからね。かの皇帝がおられぬ折角のチャンスです。ここぞとばかりに口説き落とすつもりなのでしょう」
気分は悲劇のお姫様を救う王子様といった所だろうか。イリアからすれば、フェリチータがそんなにチョロいはずがないのだが。
「婚姻パーティーだと言っておるというに···」
顔をしかめるラノスにフェリチータが腕を絡める。
「あら、見せつければ良いではないですか。私達が愛し合っている所を。当て馬など付け入る隙もないと」
熱の篭った瞳で見上げる様は正しく恋する乙女。ラノスもが愛おしげにフェリチータの髪を撫ぜれば、ほら、会場がざわめいている。
「皇女様ーーいえ、側妃様は演技ですよね?」
「フェリチータ様ですから」
こちらに問いかけられれば応えない訳にはいかない。
丁度二人のそれが終わった時だった。
「ーーフェリチータ様」
警戒を込めた声音で名を呼び視線を向ける。生憎、その必要もなくなったが。
「お姉様!」
行儀悪く大声を出したのはマリアーノだ。当然招待などしていない。
「最悪ね」
ボソリとした呟きは三人には聞こえていた。フェリチータはその後スっと背筋を引き締め、瞳から感情を消す。
「お姉様、会いたかったです。突然嫁がれてしまわれるのですもの」
「貴女を招待した覚えはないわ、マリアーノ」
「ひどいわ、大切なお姉様の結婚式に呼んでくれないだなんて···。妹なのに···」
「陛下の御前でまともに挨拶も出来ない貴女を招待など出来ないと言っているのです。一体どういう教育をしてますの?伯爵」
今日ばかりはいつもの取り巻きはいなかった。代わりにマリアーノを追いかけて来た人物が一人。丸々とした体で短い足を必死に動かし、青い顔でやって来た彼はマリアーノの母親の父親。つまりマリアーノの祖父に当たる伯爵だ。
「これは、大変失礼を、致しました。国王陛下に置かれましては、おめでたく···」
伯爵は息も絶え絶えに頭を下げる。根は気の弱い男なのだ。
「マリアーノ殿下は別れの挨拶も出来なかった姉に会いたくて仕方がなかったのでございます。今回は慶事なので特別に皇帝陛下から許可が降りまして、同行させていただいたのです」
クソ親父と、イリアには幻聴が聴こえた。
「その皇帝陛下はどちらに?」
「廊下で知人にご挨拶をしておりました。マリアーノ殿下は待ち切れず先に来てしまったのです」
「おじい様、私、悪いことをしてしまったの?」
空気を読めないのか、マリアーノが不安そうな顔で伯爵を見上げる。
「いいえ、そんな事はありません。姉妹なのですから、会いたくて仕方がないのは当然の事ですよ」
フェリチータ様、もう暫しの辛抱です。やだ?そこをなんとか。
「会いたいからといえ、礼儀は疎かにして良いものではない」
ラノスのようやく開かれた口から出た言葉は重く、視線は厳しくマリアーノを見る。今だに挨拶すらしない無礼に口を開くつもりもなかったのだろうが、流石に見かねたのだろう。
普通の神経をしていれば、恐縮し謝罪する所なのだが、生憎マリアーノは普通ではなかった。
「あなたですね、お姉様と無理矢理結婚しようとしているのは!こんなお年寄りと結婚だなんて、お姉様がかわいそうです!」
どこの世界に各国の貴人が集う祝いの場で、堂々とその主役を罵倒し、龍の尻尾に噛みつく奴がいるというのか。
イリアですら呆れを覚えた。生憎、感情を持ち合わせていないのでその他大多数の様に恐怖はしていない。
「貴女は何をしにここへ来たの?」
地獄の底を這う声にビクリとマリアーノが怯える。所詮その程度なのだ。
「パーティーを台無しにしに来たの?それとも恥をかきに来たの?まさか帝国を貶めに来た訳ではありませんよね?」
「わ、私は···」
「最低限の礼儀も身につけていない貴女がわざわざここへ来てするのは私の旦那様を罵倒する事なの?衆目の前で?」
「だって!こんなお年寄りと結婚だなんて、そんなの、幸せになれないわ!」
フェリチータはあえて少し耐えて、後悔した。口を開かせるべきではなかった。
この怒りだけは耐えられない。否。耐えてはいけない。
振り上げ、下ろされようとしたフェリチータのその手を、骨ばった優しい温もりが、包んだ。
「ーー確かに儂は年寄りだ。フェリチータとの歳の差は孫ほども開いておる」
もう片方の手が優しくフェリチータを抱き寄せ、鼻腔をくすぐる上品な香りに包まれて、フェリチータの思考も動きも止まる。
「だが、お主よりもフェリチータを大切に想っている事は保証しよう。儂は誰よりもフェリチータを幸せにすると誓った」
上がったまま優しく取られた手に、柔らかな熱が触れ、見せつける様に、そのまま艷を纏った目がマリアーノを射抜く。
「そして、フェリチータを貶める事は儂が許さぬ」
「私は貶めてなんてーー」
「しておるよ。フェリチータの矜恃を、名誉を、想いを、努力をーー何より、お主の行動そのものがフェリチータの誇る血を貶めておる。フェリチータは誠に帝国の皇女である。それを穢すお主には分かるまい」
マリアーノは言葉は理解出来ても意味は理解出来ていない様だった。涙を浮かべて辺りを見るも、助けてくれる取り巻きは誰もいない。その目が影の様に立つイリアを見て、口が開かれようとしたその時だった。
「何をしている」
凍りつく様な声。
「お、お父様···」
マリアーノが振り返るとそこには、恐ろしい無表情の皇帝、ウィリアーノがいた。
「随分と見せつけるじゃないか、ラノス」
興味が無いのか、ウィリアーノは既にマリアーノを見ていない。その自分勝手さにラノスは溜め息をつきそうになる。
「もう一人の娘の躾も厳しくすべきではないかの、ウィリアーノ」
フェリチータを庇うように前に出て嫌味を言えば、ウィリアーノは鼻で笑い、悪魔の嘲笑を浮かべた。
「生憎、こっちの教育には口を挟んでくれるなと言われていてな。俺は無関係だ」
大衆の面前であっさりと娘を突き放す。悪魔だと、隣のクレイトンが呟いていた。
「俺の娘は気に入ったか?」
「お前よりはずっと大切にするわ。この悪たれめが」
ニヤリと口許を歪めウィリアーノはフェリチータを見る。
「大切にされて良かったな」
「···お久しぶりです、お父様。ラノス様には大変良くして頂いております」
先程の事が尾を引いているのか、珍しく張りのない声でラノスの後ろのまま礼をする。
ウィリアーノがその様子にわずかに片眉を上げたのをイリアは見た。
「これが俺からの祝いの品だ。喜べ」
従者から受け取った包みをそのままフェリチータに差し出す。形からして恐らく酒瓶だろう。一国の、しかも自国の第一皇女の結婚祝いがそれでは礼儀的に駄目だろうとはイリアは思った。
この辺りでは、お酒は『酔う』『溺れる』『我を失う』といった事から結婚祝いの贈り物としてはよろしくないとされている。特に女性に贈るのはご法度レベルの失礼に当たる。
ちなみに結婚した側が出す分には『幸せを分ける』として歓迎されていたりする。
「ありがとうございます」
頬がひきつりそうな笑顔でフェリチータは前に出て受け取る。
と、結びが甘かったのか、はらりと包みが解け中身が覗いた。案の定それは酒瓶で、しかも開封済みだった。
フェリチータは一瞬固まり、そして、何故か壊れそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、お父様」
その笑みをイリアは知っている。そして、その酒瓶のラベルも、実は知っていた。
「俺のもあそこに飾ってくれるんだろうな?」
「ええ、もちろんですわ」
ニヤリとにっこり。似て非なるのにとてもそっくりに見えるのはやはり親子だからか。
渡されて戸惑うはクレイトン。本当に良いのか?と目で問われたので、イリアは黙って頷いておいた。
「是非最後まで楽しんでいって下さいませ」
「ああ、余興を楽しみにしている」
確か二人は文通すらしていなかったはずなのだが。勿論ラノスも何も言っていない。にも関わらず、ウィリアーノは完全に何かがあると確信している様だった。
「そうだ伯爵、息子が来ていたぞ」
「えっ、ど、どちらにですか?」
唐突に声をかけられ、伯爵が慌てる。伯爵の息子はマリアーノの母親の兄だ。つまりマリアーノの伯父にも当たる。
「西の国のと居た」
「ご、御前失礼します!」
この婚姻パーティーにおいて、本来帝国の貴族でしかも皇族の系譜に連なる伯爵家の次期当主が、他国の者と来るなど褒められるはずがない。叱るのか問い詰めるのかは知らぬが、伯爵は慌てて場を辞した。
「おい、 行くぞ」
ウィリアーノはマリアーノを連れて立ち去った。
ラノスが相変わらず嵐の様だと思っていると、フェリチータがすり寄って来た。
「どうかしたのか?」
「···ラノス様はずるいです」
フェリチータは小さく頬を膨らませる。
「あんな事をするなんて」
「あんな事?」
心当たりのない天然タラシにハイノスが吹き出し、フェリチータは顔を赤らめた。イリアは無表情で会場を見ていた。
お読みいただきありがとうございます。
ラノスは本当に無意識です。天然タラシです。意識すればヘタレになります。
マリアーノの無礼ぶりはぶっ飛びすぎて周囲の一般(の感覚を持つ)人が介入できないくらいでした。だから当事者と保護者しか口を出せなかったと言うことで。




