モールド・ゴーレム
俺は“ラッシュ”を実行し、地面を蹴った。
信じがたいスピードで景色が流れていく。
“モールドゴーレム”が、軋む音を立てながらゆっくりと立ち上がり、俺の方を向く。
赤い放物線が俺に刺さる。
大口の姿が横にない。
出遅れたのか、“ラッシュ”を使いそこねたのか。
どちらにせよ、守る術はない。
俺が死ねば、大口にヘイトが飛ぶだけだ。
モールド・ゴーレムの“胞子射出”
残酷なシステムメッセージ。
詠唱が開始される。
俺の命はあと三秒しか残っていない。
息を止めて走る。
モニュメントの裏に滑り込む。
“胞子射出”が不発に終わる。
勝手にしゃがみこもうとする膝を殴りつけて、モニュメントから飛び出す。
一秒分、“モールドゴーレム”に向かって走る。
”モールドゴーレム”は、関節からカビを噴き出しながら身じろぎした。
体長十メートルの岩の巨人が、俺に殺意を向けている。
モールド・ゴーレムの“胞子射出”
再びシステムメッセージ。
俺は切り返して走る。
”ラッシュ”の猶予は、ここまで完璧であれば6秒。
俺はステータス欄のバフアイコンに視線を合わせる。
その瞬間、心臓が、潰れるような音を立てて鼓動した。
バフの効果時間は、残り1秒だった。
(……アップデートか)
“ラッシュ”の効果時間は、もともと10秒だったらしい。
ベータテストの時点で既に、短すぎるというユーザーフィードバックが山ほどあった。
結局、サービス開始までには修正が間に合わず、パッチ1.05で15秒になったという。
俺はパッチ2.0――大型拡張と同時にゼロトレを始めた。
だから、“ラッシュ”の効果時間が10秒だったことなど、今の今まで思い出しもしなかった。
なんでどこかで“ラッシュ”を試しておかなかった?
なんで忘れていた?
無理もない、プレイする前の仕様なんて覚えていられるか。
後悔も自己憐憫も無駄だ、どうでもいい。
死ぬ。
どの道、俺はここで死ぬ。
“ラッシュ”の効果が終了した。
体が重たくなったような感覚。
俺はつんのめりながらも、まだ走っていた。
次のモニュメントまでは、あと数メートル。
間に合わないのは分かりきっていて、なのに、足を止められなかった。
惨めで無様に走っていた。
「ハカギリ君っ!」
声がして、後ろから抱きしめられた。
大口の腕だった。
大口は俺を抱きしめたまま跳んだ。
頭からモニュメントの裏に突っ込んだ。
「お、大口……?」
「走って!」
大口は、立ち上がると駆け出した。
俺も、モニュメントに手を突いてなんとか立ち上がる。
“ラッシュ”のタイミングが遅れたせいで、ここまで効果時間が保ったのか。
凄まじい地響きが俺の体を痺れさせる。
モールドゴーレムが、こちらに近づいてきているのだ。
MOBのAIは、実行不可能な“胞子射出”ではなくオートアタックを選んだ。
間に合わない。
モールドゴーレムの移動速度は、“ラッシュ”使用時のプレイヤーキャラクターを上回る。
「シルフィード!」
走りながら、大口が叫んだ。
絶叫に応じるように、大口の頭の上で休んでいたシルフィードが宙を舞った。
シルフィードは両手をMOBにかざし、背中の羽根を発光させた。
シルフィードの“ストーム”
衝撃波が、大地を削りながら一直線に“モールドゴーレム”を目指す。
一撃を食らったMOBは、タゲをシルフィードに切り替えた。
大地を揺らしながら敵が迫る。
まとわりついたカビをぱらぱらとこぼしながら、石の右腕を振り上げる。
敵のオートアタックが突き刺さり、シルフィードは呆気なくかき消えた。
再びヘイトが俺を向き、“モールドゴーレム”は地面を踏み砕きながら突進した。
“モールドゴーレム”のAIは、オートアタックを選んだ。
だが、オートアタックだろうと“胞子射出”だろうと、同じだ。
何度となくこの道を走った俺には分かる。
これでも、間に合わない。
大口が稼いでくれた一秒では、感知範囲外に脱出できない。
シルフィードを呼び出す“コンペレーションi”のクールダウンは60秒。
何度も呼び出してタゲを受け持ってもらうことはできない。
俺が死ぬまで、あと二秒。
大口になにか作戦を伝える時間はない。
“モールドゴーレム”の踏みしめた地面が砕け、飛散した岩の欠片が俺の耳をかすめた。
甘ったるい腐敗臭が鼻に刺さる。
体長十メートルの巨人が作る影が、俺たちに落ちる。
それは冷たく、慈悲のない暗闇。
死の影。
ふと、闇の中に光が点った。
小さな光点が俺たちの周りを浮遊していた。
光が一カ所に凝集し、精霊の姿になった。
身長は前腕の長さぐらい。
蝶のような羽根をせわしく動かし、宙に浮いている。
シルフィードの“風の護り”
チャットウインドウに文字列が流れ、シルフィードが八の字に舞った。
春のような柔らかい風が吹き、足下に溜まっていた胞子が吹き飛ばされた。
次いでシルフィードは、闇を吹き払うように、背中の羽根を発光させた。
シルフィードの“ストーム”
衝撃波を受けた“モールドゴーレム”が、立ち止まる。
敵とシルフィードの間に、赤い放物線が架けられる。
「“無詠唱術式”か!」
次に放つスキルのリキャストとクールダウンを踏み倒す、魔法遠隔DPS共通スキル。
相原が使ったのを、見ていたのか。
目前に、落差数メートルほどの崖がある。
あれが、感知範囲の切れ目だ。
「あっもっ無理っ息っ足……!」
大口があえぎ、がくっと膝を折った。
俺は大口の手を取って強引に引っ張り上げ、
「跳ぶぞっ!」
叫んで、地面を蹴った。
浮遊の感覚は一瞬だった。
俺たちは地面に投げ出され、ぶざまに転がり、立ち枯れた木に衝突した。
脇腹が刺すように痛いし、あちこちぶつけた箇所が熱を持っている。
落下ダメージを現実化すると、こんな感じなのか。
俺は横たわったまま崖に目をやった。
“モールドゴーレム”が、崖っぷちに立って俺たちを見下ろしていた。
「……消えてくれ。頼むから」
半分は祈りで、半分は泣き言だった。
つまり百パーセントみじめな声音だった。
“モールドゴーレム”は、ゆっくりと振り返り、歩き出した。
地響きが遠ざかり、やがて消える。
俺は大きく長く息を吐いた。
なにはともあれ、生き延びた。
しばらくはここで、何も考えずにじっとしていたい。




