夜明け
何度かの悪夢と金縛り。
不意にまぶたの裏に明るさを感じて、俺は覚醒した。
時刻は午前五時。
テッラ・フェルマに夜明けが来る。
澱みにも、朝日は差し込む。
ただし、空は胞子と汚染大気に霞み、太陽の輪郭はぼやけている。
「お、おはよ」
大口は、先に起きていた。
シルフィードを抱きしめ、ちょこんと座っている。
視線を小刻みに動かしているのは、UIをいじっているのだろう。
俺は気まずくなって、そっぽを向いた。
大口の肌の感触と体温は、まだ背中に残っていた。
「おはよう。チャット送ったら朝飯にするから」
Squad 葉限普林路:起床。ここから難しい局面に挑む。しばらくチャットは無しで。
Squad 桜木さくら:おはよー! がんばってね! F組ソウル見せてこ!
無しでって言ったろ。
Squad 小金井鐘火:おはよう。生きてまた会えることを祈っているよ。
Squad 狩衣最果:昏き勇者に、我が暗黒の祝福を――
Squad 吹原運命:サイハテはこれでも本気で言ってるから怒らないでね。がんばって、フリンジ
続々と、チャットウインドウにメッセージが舞い込んでくる。
赤信号をみんなで渡ってきたな、こいつら。
Squad 小金井鐘火:普林路くん、少しだけ待ってくれないかい? 貴音くんにも何か言ってもらえないか、説得しているところだから。
いいよ別に。
だが、しばらくすると、本当に宇多の言葉がチャットウインドウに現れたのだ。
Squad 宇多貴音:バカギリ、死んだら殺すから。
実に宇多らしい。
金髪ツインテールで生意気そうなツリ目なのだ。
普通に『がんばれ』みたいなことを言うはずがない。
Squad 葉限普林路:無事に切り抜けたら一報入れる。それじゃあ。
「さ、メシだな」
“ハードブレッド”と“蒸留水”を二セット実行して、味気のない朝飯にする。
もそもそしたパンを食べ終えてしまえば、やや気まずい、沈黙の時間がやってくる。
昨日の大口のあれは、なんだったのか。
考えただけで、背中がゾワゾワしてくる。
また、大口も照れているのが気まずい。
「あー……」
「んひぃっはい!」
大口が背筋を伸ばした。
背中に棒でも突っ込まれたみたいに、まっすぐ。
ここで適切な言葉を用意できれば、大口は翻意するだろうか。
2年F組の一員として、復帰するだろうか。
だけど俺には、そんな言葉の持ち合わせがない。
他人の生き死にに口出しする権利もない。
「行くぞ」
だから俺は立ち上がった。
大口が何を選ぶにせよ、好きにさせる。
少し歩くと、昨日マップにフラグを立てた地点――“澱み”の本陣だった。
周囲よりもやや広い、楕円形の空間になっている。
足下に満ちる発光胞子は、ナイフを入れたら切れそうなほど濃密だ。
本陣といっても、なにかまともな建物があるわけではない。
岩を菌糸でつないだ、奇妙な形のモニュメントが点在しているだけだ。
モニュメントの一つ一つには信仰上の重要な意味があるのだが、今はどうでもいい。
もっと大事な役割が、あのモニュメントにはある。
「いるな。あれが“モールドゴーレム”。本陣を守るMOBだ」
モニュメントにそっくりな、全身をカビに覆われた石人形。
レベルは50。
1.x段階ではレベルカンストだ。
「大口にとってはおさらいだが、説明するぞ。あいつは視覚感知と聴覚感知、そして間接攻撃を持っている。まっすぐ突っ込めば終わりだ」
「うっ、うん」
「“モールドゴーレム”の間接攻撃“胞子射出”は詠唱時間が三秒。射程は十五メートル。こっちを感知した瞬間に詠唱が開始される。詠唱終了までに範囲外に出ることは不可能だ」
「でっでもっ、ハカギリ君は、二回目で成功した」
だから、痛いところを何度も突くんじゃないよ。
「あらかじめ決め打ちした移動ルートをなぞることで、敵のギミックを処理する――いわゆる“マラソン”をやったからな。じゃあ、なんで失敗したかも覚えてるか?」
「つっ、しっ、あの、“ラッシュ”を、使わなかった、から?」
“ラッシュ”は十五秒間、自身に移動速度70%アップのバフを付与するスキルだ。
これは汎用スキルの一つで、レベルやクラスを問わず誰でも使用できる。
「その通りだ。俺は通常速度でのこのこ歩いた結果、“胞子射出”を喰らって死んだ」
「でゅ、でゅふふっ」
「思い出し笑いするな。そう、まずは“ラッシュ”を使う。だが、それでも普通は間に合わない。だったら、どうやって“胞子射出”を避ける?」
「あ、あの、もっ、もぬめんっ……モニュメントに、隠れる」
コイツは本当に熱心に、俺のつくった動画を観ていたようだ。
「正解だ。ゼロトレの間接攻撃が成功する条件の一つに、『対象の姿を目視していること』がある。モニュメントで敵の視界から身を隠せば、“胞子射出”は不発に終わる。ここまでは大丈夫か?」
俺は言葉を切って、大口の理解度を確かめるための間を置いた。
「ど、動画、寝るときいつも観てたから」
そんなに何度も観るようなものじゃないだろ、RTAって。
まあとにかく、理解しているのはありがたい。
「“モールドゴーレム”は、“胞子射出”が不発に終わった時点では二種類の行動パターンを持っている。接近してのオートアタックか、再度の“胞子射出”だ。オートアタックを選ばれた場合、逃げ切ることはできない。だからこちらの行動で“胞子射出”を誘発する必要がある」
「い、一回、前に出る」
「完璧な解答だな。スキルが実行可能であり、かつ対象との距離が離れている場合、MOBのAIは間接攻撃を選ぶ。モニュメントから飛び出して、一秒分、相手に接近する。ここで再び“胞子射出”の詠唱が開始される。
この時点で、“ラッシュ”の残時間は六秒だ。取って返して、次のモニュメントまで走る。ルートを完璧に取れていれば、四秒残しでモニュメント裏に行ける。“胞子射出”の不発を確認したら、本陣を一気に突っ切ってMOBの感知範囲外まで抜ける。以上だ。理解できたか?」
「あっうっ、うん」
「なら、復唱」
「えぁっあっえっ、ええとっ――
①しっ、らっ、“ラッシュ”でもっモニュメントの裏にかっ隠れて視線切り
②もっ、“モールドゴーレム”にこちらを視認っ、さ、させて、“胞子射出”を、ゆっ、誘発
③“胞子射出”の詠唱を、あ、え、か、確認したら、次のモニュメントで視線切り
④ほっ、“胞子射出”が不発になったら、走る」
「よし、完璧に理解できているな。“ラッシュ”によって付与されたバフの効果時間、十五秒が勝負だ。行くぞ」
俺たちは並んでスタートラインに立った。
全身が冷たい。
指先が痺れている。
息をうまく吸い込めない。
大口は、猫背の背中を更に丸めて、歯をかちかちと鳴らしている。
だが、コイツの恐怖に寄り添っていられるほど、俺も冷静ではない。
これは、一手ミスれば確実に即死する、死の脱出ゲームだ。
「カウントダウンする。0が表示された瞬間に“ラッシュ”を実行して、走れ」
大口は震えるように頷いた。
UIを開いて、パーティメニュー>カウントダウン>10カウントと階層を潜り、実行する。
俺たちの目の前に、数字の『10』が出現する。
カウントがひとつ減るごとに、命が削れるような気分だった。
9、8、7――吐き気がする――、6、5――逃げ出したい――、4、3、2――死にたくない――、1――ダメだ、殺される! 無理だ!――
――0




