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レイジオブアストライア


 -澱み-


到達ボーナスを獲得した!


 ハイアルドとパインガーデンの間に横たわる、背骨山脈。

 そのうち一つの山塊には、ナイフでも入れたような切れ目がある。

 それがレイジオブアストライアであり、今は澱みの前線基地だ。


 澱みに踏み込んだ瞬間、景色が一変した。


 壁一面に、カビのようなふわふわしたものが張り付いている。

 足下を霧のように漂うのは胞子だ。

 足を踏み出す度に、胞子は薄紫色に発光しながらふわふわと揺れる。


 なにかが発酵しているのか、淀んだ空気はぬるく、甘ったるくて不快な臭いがする。

 

 周囲をうろついているのは、黒く粗い粒子が集まって、人の形となったMOB。

 澱みの主なMOBは、このバイユー系だ。


「これっ怖っ怖っ……」


 大口が俺の服の裾をつまんだ。


「いいか、俺から絶対に離れるな。五歩ずれたらアクティブ三体に絡まれる」

「死ぬ……?」


 バイユー系のMOBは、だいたい三体がリンクしている。

 一体にタゲられたら、もれなくもう二体ついてくるということだ。


「バイユー・グレーターアーチャー、バイユー・ガーディアン、バイユー・エクスキューショナー。どれもレベル40を越えてる。痛みを感じる間もなく粉々にされるだろうな」


 ミニマップを凝視しながら、壁に沿うようにして、ゆっくりと進む。

 バイユー系は索敵範囲が狭く、十数メートルしか幅のない道でも、上手くすれば避けて通れる。


 不意に、MOBが動き出した。

 体から、死に神の鎌のようなものが突き出している。

 レベル45のMOB、バイユー・エクスキューショナーだ。


 MOBは俺たちのすぐ前で立ち止まり、顔らしき部分をこちらに向けた。


「んひっ……!」


 大口は悲鳴を上げようとして息を呑んだ。


「きっ気付かれて……?」

「静かにしろ」


 バイユー・エクスキューショナーが小刻みに震える。

 と、その全身に、数十個もの、異様に生々しい口が発生した。

 顔らしき部分にも、胸にも、腹にも、腕にも、びっしりと。


「うううぐうう! んんんん!」


 今度こそ悲鳴を上げた大口の口を、俺はとっさに手で覆った。


「こういう敵なんだよ。とにかくこっちを不快な気分にさせようとするんだ」

 

 体中に浮かび上がった口は、各々、笑ったり歯を鳴らしたり舌打ちをしたりしてから引っ込んだ。

 CGでも十分に気色悪かったのに、目の前でやられるとますますおぞましい。

 ルーチンを終えたMOBは、胞子の発光を航跡のように曳きながら、のろのろと動き出した。

 MOBの姿が闇の中に消えるまで、俺は息を止めていた。


「なっなんなの? 澱みって、なに?」

「上天ともテッラ・フェルマとも違う、祝福されなかった地。澱みの支配者は、テッラ・フェルマに侵攻してきてる。ここは澱みの支配領域で、あいつらはテッラ・フェルマ侵略のための尖兵。そういう設定だ」

「アッアッ、悪の帝国みたいな!」

「JRPGだったらな。そんな設定はどうでもいい。覚えるべきは、敵の索敵範囲と感知能力だ。今のMOBは音感知。俺たちの足音に反応する。声まで判定されるかは分からんが、走って逃げだそうとした瞬間に見つかって殺されるぞ」


 大口は、ハトみたいに繰り返し首を縦に振った。


「あらかじめ言っておくが、もしMOBに見つかったら、俺は大口を見捨てる。どの道このレベルでは助けられないからだ」


 壁際をのろのろと進みながら、俺は、後ろを歩く大口に改めて警告した。


「うっ、うん」

「パニックを起こすな。確実に俺についてこい。奇跡は絶対に起きないし、運良く何かの力に覚醒することもない」

「げ、ゲームなのに」

「ゲームだからだ。覚醒するのは俺じゃなくてゲーム内のキャラクターだろ? 適切な入力には、適切な出力が返ってくる。それがゲームだ」

「R1ボタンは弱攻撃、みたいな?」


 俺は頷いた。


「そして、隙の小さい弱攻撃を使わなければ殺される局面があるように、不適切な入力には不適切な出力が返ってくる」

「きょ、強攻撃の、出はじめを狩られる、みたいな?」

「分かってきたみたいだな。進むぞ」


 ゲームの話を掘り下げたそうな大口を黙らせ、歩を進める。


 異臭に熱気に湿度、MOBたちのうめき声。

 先を見通せないほど長い一本道。

 ティアマット戦からここまでの疲労。

 俺は、神経をやすりがけされるような感覚を覚えはじめた。


 バイユー・ガーディアンが、のろのろと俺たちの前を横切る。

 体のあちこちに眼球が浮かび上がり、ぎょろついては引っ込む。

 俺と大口は、岩陰に隠れ、MOBをやり過ごす。


「行くぞ」


 MOBが消えるのを待って、俺は立ち上がった。

 

「ふううっ……うううううっ……」


 大口は、よろよろと立ち上がるも、口元を抑えてうめいた。

 顔色は真っ白だ。

 死ぬかも知れないという実感が、ようやく沸いてきたのだろう。

 それでも、立ち止まろうとはせず、声を殺して泣きながら俺の後ろをついてくる。


「ほら」


 俺は後ろに手を差し伸べた。


「え、ぁえっ? 手?」

「泣いてたら見えづらいだろ、前。引っ張ってやる」

「アッアッ」


 だからそれはどういう反応なんだよ。


「で、でも、てぇ手汗が、ワタシ……」


 振り返り、大口の手を強引に掴む。

 大口はぎょっとして俺の顔を見た。

 

「は、ハカギリ君も」

「俺の手汗もひどいもんだよ。大口と一緒でな」


 こんな状況で、落ち着いていられる方がおかしい。

 俺は恐怖を押さえ込み、冷静であれと自分に言い聞かせているだけだ。 


「い、いっしょ……ふひひっ」


 大口はにちゃっとした笑みを浮かべた。


「悪くないだろ。人肌」

「うんっうんっ!」

 

 ハトみたいに首を縦に振る大口の顔に、赤みが差す。

 少しはリラックスしてくれたようだ。

 そうでなくては、この先を乗り切れない。

 ここはまだ、澱みの入り口に過ぎない。

 ハイアルドとパインガーデンの中心には、大量のMOBや障害物だらけの本陣が存在する。



 本陣に近づくにつれ、発光性の胞子が濃くなってきた。

 もはや自分の腰から下は見えない。

 身じろぎの度に胞子は不気味な色に発光し、俺たちを照らしあげる。

 異臭も熱気もますます強くなる。


 手をつないだまま、俺たちは歩く。

 代わり映えのしない景色に、時間感覚が失われていく。


「……そろそろか」


 ミニマップを開いて、自分の位置を確認する。

 あと数百メートルで本陣だ。

 そこさえ乗り切ってしまえば、楽な道のりになる。


「ここで朝まで休む」


 俺は座り込み、


「げほっうえっ、げほっ! これっ、ああ、くそっ!」


 胞子を吸い込んで、めちゃくちゃむせながら立ち上がった。


「こんなところはリアルなのか。最悪だな」


 ダメージを受けたりはしないから、油断していた。

 粉っぽいものを吸い込んだらむせる。

 ティラミスの上のココアとか、得体の知れない胞子とか。

 当たり前のことだ。


 俺は抜刀し、壁のカビを削り落としてもたれかかった。


「でゅ、でゅふっ」


 大口が変な声をあげた。


「なんだよ」

「な、なんか、ハカギリ君も、せきっ、あ、む、むせたりするんだって」

「むせもするだろ、そりゃ。人間だし」


 なるほど、今の奇声は笑い声か。

 好きなだけ笑ってくれ。


 俺はインベントリを開いて、“ハードブレッド”のアイコンをタップした。

 手の中に、マズそうなパンが出現する。

 人を殴ったら殺せるんじゃないかってぐらいカチカチだ。


「ムリに呑み込むしかなさそうだな」


 “蒸留水”をタップすると、水の入ったビンが現れた。

 二つまとめて、大口に渡す。


「アッアッ」


 戸惑っているらしい。


「食っておけ。そんな気も起きないだろうけどな」

「う、うん……あっ、まずっ」

「どうせならもっとマシなもん買っておけばよかったな」


 パンにかじりつく。

 味は全くしないし、口の中の水分が急速になくなっていく。

 食いちぎった欠片を、水で流し込む。

 “蒸留水”も、信じられないほどまずい。


 結局、パンを食べきるまでに“蒸留水”を二本ずつ消費した。

 最悪の食事を終えたら、スクワッドチャットを送る。


 Squad 葉限普林路:生存。進捗30%。問題なし。

 Squad 小金井鐘火:チュートリアルクエスト進行中。


 向こうは向こうで、進んでいるようだ。

 ベルカに預けておけば、間違いはないだろう。

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