東ハイアルド峡谷
「話は終わったかい?」
戻ってきた俺たちに、ベルカが声をかける。
「ええ。委員長、アタシもパーティに入るわ。よろしく」
「そうか! ありがたいよ、貴音くん! 実にありがたい!」
ベルカは宇多の手を強引に取り、ぶんぶん振り回した。
宇多はイヤそうな顔をしながら、抵抗はしなかった。
どれだけクソ生意気なヤツでも、なぜかベルカには逆らえない。
そういう資質がベルカにはある。
淵野辺みたいな、なにか勘違いしている例外もあるが。
「こちらも話し合いが済んだところだ。2年F組は、普林路くんの提案に乗る。いいね、級友諸君」
生徒たちがうなずいた。
気づけば、彼らの目には光が宿っている。
どうやったのかは知らんが、ベルカは生徒たちをうまく説得できたようだ。
「では、立ち上がろう! そして生き延びるために歩きだそう! 目指すはハイアルドだ!」
そして俺たちは、死と隣り合わせの進軍を開始した。
-東ハイアルド峡谷-
到達ボーナスを獲得した!
チャットウインドウにシステムメッセージが流れ、いくばくかの経験値が入った。
森を降りれば、そこにあるのが東ハイアルド峡谷だ。
高い崖に挟まれた細長い道には、流れの急な川。
MOBの平均レベルは5。
レベル1の連中がふらりと訪れれば、まず殺される。
「いけるか、ライカ」
隣に立つ小柄なメガネの女子に声をかける。
「ベルカがいいなら」
ライカはまっすぐ前を見ながら、静かにうなずいた。
落ち着いたものだ。
俺は、全身が冷たい。
また目の前で誰かが死ぬんじゃないか。
俺のせいで。
俺がまともに意思決定できなかったせいで。
「あ、あのー……」
腰のあたりを誰かに指でつつかれた。
振り返ると、元気そうな外跳ねセミロングに、くりっとした人なつっこそうな瞳。
桜木さくらだ。
気まずそうな、かつ、切羽詰まった感じの表情を浮かべている。
「どうした」
「いや、そのー、おしっこしたいんだけど……えと、なんていうか、もう既にまりもようかんみたいになっちゃってて」
「は?」
一瞬、こいつが何を言ってるのか考えてしまった。
それからちょっと笑った。
「ああ、なるほど。膀胱が」
「お、あたしの面白いやつ分かってくれたね? やっぱり普林路君はいいねえ」
桜木はしみじみと頷いた。
こいつと俺には、楽姫を挟んでちょっとした因縁がある。
色々あって俺はこいつの秘密を知っているのだが、誰にも言ったことはない。
そんなわけで、桜木は俺をちょいちょいかまうのだ。
「今あたしの膀胱を針でついたらパーンてなるよ」
「まりもようかんみたいにな」
「そそ!」
桜木はへらへらっと笑った。
余裕あんなこいつ。
「それなら、何人か連れて――」
「チッ」
鋭い舌打ちが、俺の言葉を遮った。
発信源は、イヤミな垂れ目と下まつげ。
淵野辺が、苛立ったような足踏みをしていた。
「これだから女はイヤなんだ。先に済ませておけよ。ノロマだな」
桜木の笑顔が凍った。
「あはは……やっぱり、間が悪かった、かな?」
泣きそうなのに笑顔を無理矢理浮かべたまま、桜木が言う。
「――我もだ」
低い声で力強く宣言したのは、サイハテ。
陰気な三白眼が淵野辺に向けられる。
「は? な、なんだよ……」
淵野辺はぎょっとしたようだった。
「我もまた、滞留した魔素を排出する必要性を感じている」
「サイハテもおしっこしたいんだって。ちなみにぼくも」
サイハテの言葉を通訳するのは、もちろんフェイトだ。
これで二対一、淵野辺はだいぶ劣勢だ。
「は、はあ? 庇っているつもりか? 女にいいところを見せたいのか?」
淵野辺はあっさり逆上した。
「滞留魔素を排出せねば、我の暗黒魔力は暴走し、皆を傷つけるかもしれぬ」
「黙ってろ! なんなんだよ、その気持ち悪い話し方は!」
「では、見せよう。我が滞留魔素を、貴様に直接流し込む。その刻、貴様は――」
「うわー! なにやってんのサイハテ!」
ズボンに手をかけたサイハテに、フェイトが飛びかかった。
「よせ、輩! 腹部を膝で圧迫するな! 滞留魔素が……!」
「最悪そっちの方がましだよ! 露出するよりここで魔素を出しちゃった方がぜんぜんましだよ!」
なんだこの茶番は。
「……中二兄弟って、もしかして、いいひと?」
ぽかんとしていた桜木が言った。
「そうみたいだな」
俺は笑って頷いた。
「他にしたいヤツはいるか? 安全な場所に案内はできる。どうするかは勝手に工夫してくれ」
何人かが手を挙げたので、俺はそいつらを茂みに案内してから戻った。
すると、ベルカが俺のところに駆け寄ってきた。
「普林路くん、奇妙だと思わないかい?」
「何がだ?」
「これはゲームだろう?」
「は? …………あ」
恐怖で、全身に鳥肌が立った。
「委員長。今、腹減ってるか?」
ベルカは首を縦に振った。
「え? なに? 腹減ってるとなんか困るの? あ、いや、そりゃ困るけどさ」
相原はきょとんとしている。
「当たり前じゃん腹減るの。おしっこもしたいしね。川見てるとなんかしたくならない?」
「相原、これはゲームなんだ。言ってる意味、分かるか? オマエ、いちいち定期的にトイレ行ったり、メシ食った後に眠くなるゲームなんてやったことあるか?」
「シレンやったことあるし……いやでも、トイレ行くゲームは知らないなー」
こいつは気づいていない。
当たり前だ、俺もベルカに言われるまで、考えてもいなかった。
「シレンなら道ばたにおにぎりが落ちてるだろ? このゲームにはそんなことがない。食料は、買うか作るかしなきゃならない」
「うんうん。それで?」
「食料を作るためには、製作クラスの解禁が必要だ。分かるか?」
「えーと……なんか、メイジとかダークナイトみたいなバトル枠とは別に、コックとかある感じ?」
「そうだ。そして、食料を作るための材料はどうすると思う?」
「え? なんかこう、敵を倒すとアイテムが手に入ったりするんじゃないの?」
「一部はな。だが、大半のアイテムは、採集クラスを解禁しないと手に入れられない」
「ギャザリング……集めるってこと?」
ここまで話して、ようやく、相原はことの重大さに気づいたようだ。
「や、やばくね? だってオレら、金持ってねーし、クラスもバトル枠だけだし」
ハイアルドで解禁できるクラフティングクラスは、細工人。
食料生産には寄与しない。
ハイアルドにたどり着ければいいと思っていたが、甘かった。
食料を安定的に得られなければ、レイドどころか飢え死にの可能性がある。
ここまで織り込み済みで、あのクソ女神はハイアルドを選んだのだろう。
俺たちがのたうち回るのを見て、嗤っているに違いない。
俺は奥歯を強く噛みしめた。
「ゆぅーせんじゅんいっ」
相原が奇声を上げた。
「……は?」
「バイト先のオーナーの真似。これけっこうウケんだよね、深夜帯の中国人に」
「いや。元ネタが分からん」
「ごもっともじゃん!」
俺がまともなことを言うと、相原はけらけら笑った。
「いま何の仕事をするのがいーのか、考えろってこと。客がめっちゃ並んでるのにフライヤーいじってたらヤバいっしょ?」
「レジに入る必要があるだろうな」
「それといっしょ! 今はとにかく生き延びよーぜ。オレもばんばん魔法使っちゃうからさ!」
相原は軽く肩パンしてきた。
「ってーな」
大げさにのけぞってみせると、相原は嬉しそうにした。
「葉限くん意外に話しやすいんじゃん、不良と思ってたわ。お、みんな戻ってきたね。しゃー、敵焼くぞー!」
優先順位か。
確かに、そうだ。
まずは、今すべきことをきっちりとこなす。
そして、一手先、二手先までも考える。
「よし、行こうか」
「おー!」
俺は背負っていた大剣を抜いた。
コモン・ツーハンドレッドソードは、ダークナイトの初期装備だ。
この心許ない鉄塊に命を預け、今度こそ、俺たちは東ハイアルド峡谷を進んだ。




