ゼロトレ
目の前にはでかくて赤くて悪そうな顔のドラゴン。
円形のフィールドは緑色のラインに縁取られていて、触れれば即死。
要するに、このドラゴンをぶっ殺さなければ生きて帰ることはできない。
この上なく分かりやすい状況だ。
ゲームってのはこうじゃないといけない。
『散開』
拡張機能の機械音声が、敵の攻撃について淡々と告げる。
ドラゴンの後ろに貼り付いていたパーティメンバーが、フィールドの四方八方にさっと散っていく。
「散開処理したら頭割り来るよ」
『あいあーい』
『やっべ忘れてた』
『オレ西だよね! 西ってどっち!』
「左でしょ」
VCで声をかけると、次々にパーティメンバーが反応する。
俺は次々にスキルを放っていく。
スキルには共有の待機時間が設定されており、間隔は1.5秒。
つまりこのMMORPG――『ヴァース:ゼロトレランス』は、1.5秒に一度の意思決定を俺に要求する。
今どこに立っているべきか? 次にどんなスキルを使うべきなのか? パーティメンバーの立ち位置はどうなっている?
戦闘の難易度が非常に高く、敵の繰り出すギミックを処理できなければ即死。
一人でも死ねばそこからパーティが一気に崩れて、攻略失敗。
ワイプを繰り返していく内、だんだんパーティの雰囲気がとげとげしくなっていく。
ゼロトレが『ギスギスゲー』と呼ばれる所以だ。
だが俺はその緊張感に取り憑かれ、ゼロトレを三年間もプレイしている。
立派なアドレナリンジャンキーだ。
こないだおそるおそるプレイタイムを確認したところ『270日21時間』と表示された。
貴重とか二度と取り戻せないとか言われる十代の青春を、6500時間もつぎ込んだわけだ。
それだけの魅力が、このゲームにはある。
『あーーーーー!』
VCから、耳をつんざくような悲鳴。
楽姫の声だ。
律儀にチャット欄にまで『あーーーー!』と入力している。
余裕あんなオマエ。
楽姫のPC、“Lucky Princess”が、死体となって転がっていた。
ギミック処理をミスしたのだ。
ゼロトレの戦闘は、各プレイヤーの役割が厳密に決まっている。
敵の攻撃を引きつけるタンク、回復を一手に担うヒーラー、とにかく敵のHPを削り落とすDPS。
パーティはタンク二人、ヒーラー二人、DPS三人の七人で、誰か一人欠けてもクリアはできない。
俺のクラスは暗黒騎士、ロールはタンク。
たった今床に転がった楽姫の職業は舞踏士、ロールはヒーラー。
ヒーラーが死ねば、そこからはもう総崩れだ。
敵の猛攻に俺のHPは見る見る溶けていく。
こうなれば、強化スキルも焼け石に水。
俺が死に、もう一人のタンクが死に、もう一人のヒーラーが死に……そんなこんなで、ワイプまでは二十秒とかからなかった。
全くもって、これこそゼロトレだ。
「楽姫、また頭割り入った?」
俺はマウスから手を離して椅子にもたれた。
『ごめーん! なんかみんな困ってる! って思ったらつい……』
「DPSで処理するから。その気の毒な気持ち、一旦ぐっとこらえて」
『ううー、ふーちゃんの正論はいつも怖いなあ』
他のパーティメンバーが笑った。
まあ、仕方ない。
楽姫とはもうリアルで十年以上の付き合いだし、ゼロトレ内では三年の付き合いになるけど、こいつは昔から変わらない。
困っている人がいると、助けずにはいられないのだ。
ヒーラーにぴったりの性分だとは思う。
「ま、しゃーなしだ。さすが最新のレイドコンテンツ、すぱっとクリアすんのは無理だな」
『ううう……みなさま、すまんこってす』
楽姫は震え声で謝った。
ふざけてんのか本気なのか分からない。
「いいよ。今日はもう寝るか。おやすみ、また明日」
『ほーい! 明日こそクリアだ! おやすみ!』
ショートホームルーム前の2年F組はざわめいている。
しゃべり声とか、椅子を引く音とか、ばかでかい音量でソシャゲをやってる奴とか。
俺は教室の隅でつつましく読書なんかしながら、はやくも家に帰ってゼロトレの世界に飛び込みたい。
人生は不平等だが、ゲームは平等だ。
然るべきレベルと装備。
然るべきタイミングと然るべき立ち位置。
然るべきスキル。
入力と出力は完璧にかみ合っている。
それは、人生とは全く違う。
正しさや努力以上に、運や声の大きさが重視される人生とは。
人生に対して、大きな努力を払わない。
葉限普林路が――俺が決めたルールだ。
中学も高校も、地頭だけで行ける偏差値を目指した。
真面目にはがんばらず、かといってドロップアウトもせず。
部活にも入らず。
誰とも深く関わらず。
「ふーちゃん、おっはよー!」
無論、どんなルールにも例外はある。
今、俺の両肩に手を置いて耳元で大きな声を出した女子生徒がそれだ。
「うっさ。朝からうっさ」
うんざりとへらへらを絶妙にブレンドした表情を向けると、楽姫はうれしそうにした。
「元気!」
「報告ありがとう、楽姫。なによりだ」
楽姫は俺の前の席の椅子に、後ろ向きに座った。
他愛のないおしゃべり、俺はだいたい相づちを打つか皮肉を言うか。
六歳のころ、地元の夏祭りで迷子になっていた楽姫を助けてから、もう十年。
なぜか小学校から高校まで、ずっとクラスが同じだった。
人生は不平等ゆえに、そういう偶然が生まれる。
「昨日はごめんね、でも今日はいけるよ! 頭割りぜったい飛び込まないから!」
楽姫がゼロトレの話をフってきた。
「今日クリアできればワールド1stいけるかもな。まとめサイトで騒がれるぞ」
「いいねえ、騒がれたいねえ。ついっちで動画配信してhimechanって言われたいねえ」
ゼロトレのレイドコンテンツは、とにかくあまりにも難易度が高い。
最初のクリアパーティが出るまで一ヶ月、なんてのはざらにあることだ。
だから、世界で最初にクリアするパーティがどこなのかは、プレイヤーの間で大きく注目される。
攻略に挑むプレイヤーの熱気も凄まじい。
数十人からなるレイドチームを結成し、その中から七人のメンバーを選抜してクリアに挑む。
名門野球部みたいな話だ。
俺と楽姫の所属するレイドチーム『Disrupter』も、レイドレースではときどき言及される。
三年の活動実績があり、前回のレイドではワールド3rdだった。
他のメンバーも、俺や楽姫に劣らぬ立派な廃人だ。
予鈴が鳴った。
ざわめきのトーンが一段階下がって、楽姫は俺に手を振ると体を前に向けた。
教室の引き戸が開く。
そして担任教師の代わりに、そいつが教室に入ってきたのだ。
そいつは、なんというか……女神だった。
水色の長髪、ゆったりしたトーガ。
右手には天秤、左手には剣。
背中には鷲みたいな立派な羽根。
この世ならざる美しさ。
そいつが教壇に立った。
俺たちは、相当長い間、ぽかんとしていた。
女神は底意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
俺たちの戸惑いや沈黙をたっぷり楽しむみたいに。
「どちら様ですか?」
沈黙を破ったのは、クラス委員の小金井鐘火だ。
セミロングのストレートヘアからちょこんと耳が飛び出した、すらっとした長身の女子生徒。
こんな意味不明な状況だと言うのに、きちんと挙手し、立ち上がってから発言している。
筋金入りにきちんとした女子だ。
「阿部先生はどうされたんですか?」
ベルカの、はきはきした口調で語られる疑問に、女神は底意地の悪そうな笑顔で応えた。
「参ったね。解答する気はないってことか」
ベルカは、とくに参っていなさそうな顔で呟き、隣の席の女子に顔を向けた。
「ライカ。クラス委員として、ボクたちはどうするべきだと思う?」
国立雷歌、2年F組の副クラス委員長。
小柄でショートカットでメガネの女子。
ベルカとは幼なじみらしい。
ライカは、目を落としていた本から顔を上げて、女神を見た。
「なにか、いるね」
今気づいたらしい。
ライカは基本的に無口なヤツだし、周囲にあまり興味を示さない。
「……ねえ、ふーちゃん、あれ」
楽姫が体をこっちにねじって、小声で言った。
「ばかみたいなこと言うなよ、楽姫」
俺は、楽姫の言いたいことに先回りした。
楽姫と俺は、間違いなく、まったく同じことを考えていた。
「あなたは、何者だい?」
ベルカが再度、問う。
女神は挑発的なまでにゆっくりと頷いた。
「おはようございます。天秤の女神アストライアです」
あんまり日本人っぽくはない名前を、女神は名乗った。
「やっぱり……」
楽姫が息を呑む。
天秤の女神アストライアは、ゼロトレの世界における、ある意味での創造神だ。
そして問題は、ゼロトレのキャラのコスプレをした女が、なんで教壇に立っているかという点にある。
プロモーションだとすれば、意味不明すぎる。
「あれ……なんか、止まってね?」
窓の外を見て呟いたのは、菊名斬。
つられて窓の外を見る。
一羽の鳩が、空中で羽根を広げたまま、静止していた。
「私は選びました。あなたたちは選ばれました。以上です」
アストライアが口を開いて、天秤を高く持ち上げた。
高く持ち上げた天秤から、手を放した。
天秤が斜めにかしぎながら落ちていき、床に触れて、粉々に砕け――
まばたきをすると、世界は何もかも変わっていた。




