チート猫が異世界の救い主となる 〜Let @ be.に暮らす武双伝説〜(巫女とエルフと魔女っ娘と)
まさかこんなところに来るとは思わなかったけども。
辺り一面の石畳と石柱、長年、人の手が入れられていないことを示すように、その組み合わさった石の間からは青々とした草が伸び放題だ。
うん、ここは一体どこなんだろうか。
自分が生まれ育った家、お散歩して回ったお外の縄張り、記憶の底まで探っても何一つ、この景色と符合するものがなかった。強いて言うなら、テレビジョンという謎の板から映し出された映像に、こんな風景があったかもしれない。
いや、さすがにキメ過ぎたのかもしれないが。あれは我ながらやり過ぎだったと思う。
そう。飼い主美咲が気まぐれに与えてくれるマタタビ玉、それの隠し場所を突き止めたことが始まりだった。キャットフードの袋が置かれたキッチンのフードストッカー、対曲線に位置するシンクの脇に、そびえるキッチン洗剤の列に差し込まれるように、それは潜んでいた。きっと美咲は彼が洗剤の匂いなら嫌うかもしれないと思っていたのだろう。浅はかにもほどがある。彼のマタタビに対する探求心を甘く見過ぎていていた。まあ、そんなことはいい。
とにかく彼はマタタビ玉の入った未開封の袋を三パックも見つけ、狂喜乱舞。ひたすらに耽溺。キメにキメまくって、トビにトビまくった。溺れまくりラリリまくり。りりりりりり。
その結果がこのザマである。
妖麗なるマタタビラクトンの成分が吸収されきった頃、即ち我に返ったときには、よくわからないこの場所にいた。ひょっとすると美咲のお仕置きで、捨てられて、今や野良猫に落ちぶれてしまったのかもしれない。だからこのような見知らぬ場所に置き去りにされたのだ。
無論、未練も後悔も一切ない。
そもそも美咲には彼を手放すような冷酷さは持ち合わせていないし、何なら彼の忠実なる僕とさえ言える。たまにぶたれるが。
何はともよりここは何なんだろうか。
四丁目の旋風こと、河村おうどんは、ちょっぴり途方に暮れていた。
これはひょっとすると大変な事態なのかもしれないが。
深刻な胸騒ぎが起こった気もするが、そういうものはすぐに捨て去る。それよりも今はお日様がぽかぽか心地良い。
うん、寝よう。
そよ風にヒゲを任せ、石柱の隅に丸くなる。なぜとか、なんでとか、そんなのどうでもいいじゃん。だって猫だし。
おうどんがすやすやと寝息を立てている最中、ふと耳がぴくぴくと動いた。何か聞こえてくる。会話のようだ。それも剣呑な。
「……だからバッカじゃないの! 何なのよ、知らないわよ、聞いてないわよ、こんなとこにドラゴンがいるなんて! ホント、バッカじゃないの! 信じられない! 何、死ぬの? 死にたいの? バカなの!?」
「落ち着きましょう。まずは深呼吸ですわ。ゆっくり息を吸って、吐いて。ね? そうすれば気分もすっきりするでしょう」
「ああ、もう、最悪だわ! 気分がすっきりしたらドラゴンがいなくなるとでも言いたいのかしら!? これだから司祭はノーテンキって言われんのよ! ホント、バッカね! さっさと片づけるわよ! 私はまだ死にたくないんだから!」
「あらまあ、私だって貴方の臨終に立ち会いたくありませんわ。今際の際の祈りの言葉って存外疲れるですのよ。それに貴方は信仰心が弱いですし、というか、ありませんですし。地獄じゃあまりにも無残、せめて煉獄に誘うとしても、それはもう、途轍もない量の信言を重ねなくては。……せっかくの機会です、悔い改めてみてはいかがでしょう?」
「やだやだやだ、そんな暇あるわけないじゃない! ちょっとは何とかしてよ! 頭、遣ってよ!」
おうどんはむくりと顔を上げた。見るとこちらに二人の少女が駆けこんできている。一人は必死の形相で、もう一人は気怠げに。
問題はそこではない。
彼女達の背後に迫る巨大な生き物だ。鳥でもないのに翼がある。鹿でもないのに角がある。トカゲに似た風ではあるが、逆立つ鱗一枚一枚が刃のように鋭い。赤黒い皮膚に、金色の瞳、何よりも大きい。おうどんの住んでいた家、三軒分はあるだろうか。そして、口から時折、灼熱の炎が吹き出ていた。
これは前に美咲とテレビジョンで観た、恐竜というものだと思うんだけども。
二人はおうどんを前に、化け物へと振り返った。彼には気付いていないようだ。だが、ここから先は石壁に遮られ、行き止まりとなっていることは理解しているらしい。
化け物は足を止めると、二人をじっくりと睨め回した。もちろん、おうどんには気付いていない。猫は小さいからね。
「もうやるしかないじゃない! ホント、バッカみたい! ヒタチ、覚悟は決めた?」
「ええ、もちろん。フィアット、貴方を悔い改めさせるのは次の機会にするとしましょう。あるとすればいいのですが」
小柄で耳が尖っている女は杖らしきものを構えた。となりの胸のふくよかな女性は両の手を握りあわせた。
化け物は大きく息を吸い込む。おうどんは美咲に悪戯で掃除機にしっぽを吸い込まれたことがあるが、そのときと同じようだ。ただし掃除機の吸い込み口は小さかったが、化け物の口ははるかに大きく、その吸引力は凄まじい。
「来るわよ!」
「ええ、準備はできてますわ」
次の刹那、化け物の口からキラキラと光り輝く、激しい火炎が吐き出される。おうどんも横になっている場合じゃない。慌てて飛び上がる。台所のガスレンジとは桁が違う。火達磨になる。否、消し炭になる。そんなことは猫でもわかる。
すでに手遅れだった。どうにもできず、耳をぺたんと伏せる。
ところが。
「……幸いなるかな。神の御言葉を聞きし者は。幸いなるものかな。神のご加護を得たる者は。されば、祝福したまえ、卑しき人の子達を。奇跡光輪。絶対神完全守護防壁!」
黄金色のカーテンのようなものが天から舞い降りると、おうどんらを包み込んだ。窓ガラスにバケツの水をぶちまけたときのように、爆炎は黄金色のカーテンに四散する。
「フィアット、今です! 悲しいことですが、今の私の力では、神からの祝福は一度だけです!」
「わかってるわよ、バッカじゃないの! 私だって最大魔力でいくんだから! ……集え、笑え、踊れ、盛大に。今こそ許さん、汝ら主たる私の名のもとに。狂騒は終え、幻想を紡ぐ、秘呪解禁。令切裂雷那威使明!」
おうどんは静電気で毛がパチパチとなる音を聞いた。化け物の頭上、空間が歪むのを見た。そして、そこから破裂するように、雷光がほとばしる。家の軒先で見た、落雷など比ではなかった。無数のも雷が化け物に降り注がれた。地響きとともに。
とんでもないところにでくあわしてしまった。俺の方が先客なのにも関わらず。
おうどんは人間達が不思議なテクノロジーを使っていることを知っている。いきなり火をつけたり、お魚を凍らせたり、はたまた空を飛んだりなど。だから、目の前の物事もすべて人間のなせるテクノロジーだと理解した。
「……ヒタチ、私、悔い改めようと思うんだけど」
「殊勝なことですわ。神もお喜びになるでしょう。けれど、突然どうしましたの?」
「あれはただのドラゴンじゃない。旧支配竜族よ!」
「貴方の戯言はいつ聞いても、聞くに耐えません。そういう冗談は好きじゃないですわ。そのような神話級の怪物などおいそれと存在しません」
「バッカじゃない! 完璧結界なんか使うドラゴンなんて、普通いる? 私の魔法がかすりもしなかったのよ! この私の秘呪が!」
話の中身はよくわからないが、二人は口論しているようだ。先ほど貧相な娘のテクノロジーのおかげで化け物を倒したのではないか。手柄の取り合いか、それなら猫の世界でもよくあることだ。仕方ない。
おうどんはすっかり安心してクカーと欠伸をした。
もうもうとしていた黒煙が徐々に薄れていく。あれほどの巨大な化け物だ。さぞや食べごたえがあるだろう。たぶん、味はトカゲや蛇と変わりない。あの青臭さは嫌いではない。
辺りには黒煙がもうもうと立ち篭めている。焼けた青草の生臭い匂いがした。
「だからあれほど神代遺跡は迂回するべきだと言ったのです」
「いいから、ヒタチ! さっさと防御魔法よ!」
「フィアット、貴方こそ、次の攻撃魔法を!」
「「そんな力、もう残ってない!」ませんわ!」
二人のやりとりをぼんやりと眺めていたおうどんは、堪らず跳ね上がった。
突如、黒煙の中から巨大な口が眼前に突き出されたからだ。大きく開かれたその中には、びっしりと鋭利な歯が並んでいる。
「ああ、もうサヨナラね! あんたはバッカな女だったけど嫌いじゃなかったわよ!」
「私は天国、貴方は地獄行き、二度と会うことはないでしょう。……それは残念です」
化け物の口に空気が流れ込んでいく。その咽喉の奥に、火炎が渦巻いているのを見た。
先のように火を吹くのか、それとも一思いに丸齧るのか。
これはいよいよ大変なことになってしまった訳なのだけれども。
おうどんは、こんなところでこの世とお別れすることを哀しく思った。それでも覚悟はできた。ネズミだろうと蛇だろうと雀だろうと、おうどんとて彼らの命を奪ってきたのだ。強い者だけが生き残るのだ。世界は残酷で、それだから楽しいのだ。
そのとき、初めて化け物と目が合った。金色の眼に縦に伸びた黒い瞳孔。ふすっとその巨大な鼻から息が漏れるのを聞いた。
それは嘲笑だった。小さき者に対する侮蔑だった。
瞬間、おうどんの頭の中が真っ赤に染まった。
てめ、なめテンじゃねえぞ!! ぶっ殺してヤラあ!!
おうどんは柔軟な脚をしならせると、弾丸のように宙を駆けた。そして化け物の鼻先に喰い突く。両の手の爪を全開にして、その顔を切り刻む。咬み千切り、ずたずたに切り裂く。目茶苦茶に。滅多矢鱈に。怒りのままに。
おうどんの爪と牙は、化け物の頑強な皮膚をも容易に貫いた。まるで障子紙に穴を開けるように。
教訓・猫はキレると手に負えない。
うん、どうやら素っ頓狂なことになってしまったな。
おうどんの前で、二人の女がかしましく騒いでいる。
「旧支配竜族を追い払うなんて信じられませんわ! しかもその身一つで私達を助けてくれるとは、なんて小さな勇者様なのでしょう! このご恩は一生忘れません。私、神に仕える身ではありますが、僧籍を捨てて、貴方様に一生身を尽くしても構いません」
「ちょっと、ヒタチ、バッカじゃないの! たまたま彼がいただけで、私は助けてなんて一言も言ってないんだから! こんなことぐらいで、還俗するとか言ってる暇があるなら、まず貴方を助けてくれた神様に祈りを捧げたらどうよ」
「あらあら、神はこう言ってますよ、『神は自ら助くる者を助く』。私の操なら、彼に捧げる価値はありますわ」
「だ・か・ら! それがおかしいつーの! あんたは神の平和のために誓いを立てたんでしょ! ……まあ、私はそんなの関係ないし、まあ、彼が望むなら吝かではないというか」
うん、意味がわからない。何を言っているのだ。
「……それにしても白、茶、黒の御模様といい、その御身体といい、その御顔といい、とても愛らしい姿をなさっているのですね。おヒゲもとってもチャーミングですわ」
「そりゃねえ、本当の強者は普段はその力を隠すとも言うし。敵を油断させるというか? ……私も可愛いとは思うけど」
「いやん、ダメです。もう我慢できません。……触らせていただいてもいいですか?」
「ちょ、ズルイ! 私も!」
もはや面倒くさくなったおうどんは、適当に頷いて見せた。
女達は嬌声をあげながら、彼の身体を撫で回す。
「きゃー、もふもふ」
「正直、堪りません。鼻血が出そうです」
おうどんも近所の公園でお昼寝中、ことあるごとに物好きな人間に撫でられてきたが、ここまで執拗なのも珍しい。いや、人間の子供ならよくあることか。
為されるがままに身を任す。こういうときならではの対処法だ。下手に逃げるとどこまでも追いかけてくる。
とはいえ、乱暴にされるのも困るので、時折ニャーと声を上げる。
「あ、そこは痛いです」
「それは少し的外れですね」
「できれば、咽喉辺りが嬉しいのですが」
「そそそ、そこです。そこがポイントです」
気がつけば、尖った耳の娘が咽喉を、豊かな胸の娘が脇腹をくすぐっていた。自ずとごろごろと咽喉が鳴る。猫科特有の哀しい習性だ。
「きゃ!」
「ああ!」
二人は悲鳴に近い声を上げると、おうどんから手を放し、勢いままに尻餅を突く。
「詠唱!?」
「なんで!?」
おうどんはきょとんとする。いまいち、彼女達の反応が掴めない。
「何か、気に障ることいたしましたか!?」
「ごめん、謝る、だから許して!?」
「いや、これは気持ちが良いと勝手に鳴るもので……。とくに深い意味がないのだけれども」
「そ、そうなの? 怒ってない?」
「きっとフィアットの手つきは卑猥だったのでしょう。この娘、処女なのに淫乱の相が出てるから」
「バ、バッカじゃないの! 処女で欲求不満はあんたでしょ、ヒタチ!」
「いや、咽喉のはとても気持ちよかったですよ」
「ほ、ほんと!?」
「ええ……それじゃ、私はダメダメでしたか」
「そんなことはない。結構なお点前だと思う」
「……善かったです」
「それじゃ」
「また触ってもいいですか?」
「一向に構わないけども」
「やったー!」
「……うん?」
「え?」
「何です?」
「おや?」
「は?」
「何でしょう?」
「ひょっとして俺の言葉、通じてる?」
「何言ってんの?」
「当たり前じゃないですか」
おうどんは思った。今まで言葉が通じないことを理由に、人間相手に好き勝手やってきた。となれば、これはこれで厄介なことになりそうだと。
いやはや、人間のテクノロジーには隙がない。知らぬ存ぜぬは最早許してくれないらしい。猫の我が侭もこれまでなのだ。
尽きることなく女達から質問が繰り出される。
「お名前は?」
「どこから来たの?」
「神命職業は何よ?」
「独身ですか?」
「その姿は何の種族?」
うん、これは面倒なことになったかもしれない。
フィアットという尖り耳の貧相な娘と、ヒタチという豊満な娘、真面目そうに覗き込む二人を前におうどんは後ろ足で耳をかいた。
まあ、正直に答えない理由もない。
名前? 美咲がインターネッツというもので彼の写真とともに打ち込んでいたモノを思い出す。
「えーと、ですね、『おうどん @ 河村……』」
「ちょ、ちょっと待って!」
名乗りかけたおうどんに、突如フィアットが割り込んできた。
「私達を信頼してくれるのは嬉しいけど、神諱まで明かすのはいけないわ……。私には到底そこまで覚悟できない」
「そう?」
「その通りですわ。神諱を託すということはその身すべてを委ねるということになりますの。……まさかご存知ありません?」
「うん」
「ひょっとすると貴方様は遥か遠くの国から旅されてきたのですか? この世界のルールを存じないとは」
おうどんは頭をかしげる。
「……うん、そうとも言えるのだけれども」
「わかった!」
またもやフィアットがおうどんの言葉を途切れさせる。
「最後までよく聞き取れなかったけど……私は貴方のことを@と呼ぶわ! なんか不思議な言霊を感じる」
いや、そんなことはないと思う。
「フィアットにしては善い考えですわ。いかがです、@様? あまりにも僭越でしょうか? 馴れ馴れしいでしょうか?」
確かにそこまでの拘りもないのだが。
@は面倒になって頷くことにした。@はこのときまだ知らなかった。この世界において名前を付けられるということの重要さを。
どっちにしても、どうでもいいんだけども。
こうして@は、二人との微妙に咬みあわない会話によって、新しい神身格式が更新されることになる。
名前:@
種族:猫
神命職業:遥か遠方より来たる王族
いろいろ誤解されているようだが、@は捨て置くことにした。嘘は何一つ言っていないし、そもそもよくわかっていない。今まで美咲を始めとする人間達を顎と鳴き声一つで使ってきたし、自分がどこに住んでいたなどと気にも留めていなかったからだ。
ただ気になることが一つ、二人が彼を見る目が、これまで自分が向けられてきたものとは全く異なることだ。悪意など一切感じなかったが、微妙にくすぐったかった。
納得したのか、ヒタチが@の喉元をくすぐってきた。
「それで@様、貴方はどこに行かれるのですか? ずいぶんと遠い旅路を歩いてきたのでしょう? もし私だけでよろしければご一緒させていただけませんか?」
「ちょっとバッカじゃないの! あんた、何一人で抜け駆けしてるわけ!? 旧きの魔神どもを倒すって使命はどうすんのよ!? あんた、それでも御子の巫女!?」
「それは貴方に任せましたわ、フィアット。私には@様と添い遂げるという新しい使命が授けられたのです」
「『使命が授けられたのです』じゃないわよ! だったら私だって、聖霊の囁きに従って@と一緒に行くわよ!」
「あらまあ、貴方までそんなことをなさったら、この国の住民はどうするのです? 見捨てるというのですか? 旧きの魔神どもを見過ごすというのですか?」
「もち! 当然でしょ!」
うん、何だかわからないけど、これは穏やかではない。
「あの、いいかな」
「「はい」なんでしょう、@様」
「俺はどこにも行こうとも思っていないわけで。何だったらここで日向ぼっこしながら暮らしていければいいわけで」
「そ、そんな勿体ない!」
「フィアットの言う通りですわ。貴方様のような高貴なる王族がこのような廃虚に燻っていいはずありません。貴方様ならそれ相応の城にて……あ、わかりましたわ」
「何でしょう?」
「貴方様はご自分に相応しい国を探してらっしゃるのですね。きっと貴方の国では末子にて国は与えられない、ならば自分で探せ、と言うことなのでしょう。……うう、なんてお労しや。このヒタチ、涙が堪えられません」
「え、そうなの?」
「そうね! @ならきっとそうよ! だったら私達がそのお手伝いをしてあげるべきよ! @、感謝してよね。この国で最高の聖霊師と司祭が仲間になるんだから! 国王どころか世界の主だって夢じゃないわ!」
「いや、うん、そういうことはどうでもよくてだね」
「わかりましたわ。そういうことなら是非お供いたしましょう。不肖ヒタチ、そしてその愚鈍な小童フィアットとともに。参りましょう、貴方様の国のために」
「俺のことなんてどうでもいいわけで、君達にも目的があるだろう? それはいいのかい?」
「ああ、そんなの寄り道ついでになんとかするわよ。たかが魔神でしょ? しょうもない」
「ええ、新しい旅の目的に較べれば、路端の石に過ぎません。さあ、@様、腰を上げて。いざ、出発いたしましょう!」
こうして、おうどんこと@に仲間が加わった。聞く耳も持たれず、何もかもわからないままに。すべてがすべて説明不足のままに。猫だもんね、仕方ないよ。
@の苦難というか、はた迷惑な旅は始まったのだが、すべてがすべて七面倒というわけではなかった。もちろん、仮にそうだとしたら、@はとうに二人、ヒタチと名乗る鈍重そうな人間とフィアットと名乗る尖り耳のエルフという多少身軽な人種を放っておいて、とっくに逃げ出している。
そうしないのは@に格別な理由があった。
それはフィアットが携帯している崇喜花の木の実である。なんとうか、これが異常にキマるのである。およそマタタビの三倍くらい。とってもハイに酩酊できるのである。
「@、崇喜花は聖唱力を回復するためのあんのよ? そんな目茶苦茶に食べたら魔力暴走を起こすわよ。せめて一日一個にしなさい」
というわけで、@は一日一個、フィアットから与えられる強力マタタビ玉を糧に生きている。大げさに言えば。そうでもないか。
と言っても、昼間はヒタチに抱きかかえられ移動し、夜はフィアットの胸の上で眠るので、さして問題はない。ヒタチの胸は頗るふくよかなので、抱っこされる分にはとても都合が良いのだ。そしてフィアットの胸は頗る平らなので、その上で眠る分にはとても都合が良いのだ。あれだ、地面は汚れるしね。朝になると、フィアットから「寝苦しい!」と怒られるけどね。
美咲と暮らしていたときと較べると落ち着かないが、これはこれで、それなりに快適だ。フィアットはエルフという人種? の問題で、魚肉は食べないが、かわりにヒタチがいろいろと@にあわせた食べ物を用意してくれる。当然、ヒタチの分も含めて。夕食後には、焚き火を囲んで、フィアットから強力マタタビ玉をぶんどる。キメる。善い感じ。
二人はこうした生活に慣れているようで、一日一日がほとんど支障なく過ぎていく。山を越え、河を越え、草原を越えて。
@は思う。
随分とまあ、遠くに来たものだ。そもそも、どこから来たのか、わからないんだけども。
でも、そんなに悪くない。
たまに、なんか、猛獣?とか狂人?に襲われたりするが。
そう、この地域? というか国? あるいは世界は、@がかつて暮らしていたモノとは段違いに治安が悪い。
美咲と観たテレビジョンのスラム街とかジャングルとかよりも物騒だ。ましてや、@の縄張りでは、せいぜい野良猫の小一朗、アホ柴犬のマイケル、それとカラス、後はネコ嫌いの山田のババアと闘うくらいだった。
それがここではまるで違う。猛獣、猛人、猛植物、いろんな生物から果ては非生物まで襲いかかってくる。しかも、山田のババアと同じく、ガチで。
これは大変なとこに来てしまったなあ。
と、@が木の隅っこで丸くなっていたのも始めだけ。今では、あくびをしながら、フィアットとヒタチの戦闘を眺めるまでになった。
「よくてよ、よくてよ、キまくってよ! 喰らえ、放出電刃!」
普段はきいきいうるさい、けれども寝床としては抜群の低反発の胸部を持つフィアットは、電気のテクノロジーを使う。ちょうど今、パリパリと光を発しながら目の前の巨大豚人の焼き痺れさせたように。@は仔猫なりしとき、テレビジョンのケーブルをかじかじして、びりびりした経験がある。それと同じテクノロジーを彼女は駆使する。コンセントもなしに。いやはや、人間の技術も日進月歩である。たいしたものだ。こういうところは、猫も見習わねばならないと思う。はるか先の世代でいいから。
「あらあら、それでは……昇天しまっせい!」
そして、留めとばかりに巨大豚人間の脳天に、飛び上がったヒタチが思いきりこぶしを打ち付ける。メコォオ、と@には聞きなれない音とともに、豚の頭は半分以下までに押しつぶされる。ヒタチのことを鈍くさくて、ただ移動時に@のために快適な胸部を提供する、頭がお花畑の人間と思っていたことは隠しておこう。といつも思う。彼女は見かけ以上に俊敏で剛腕を持っている。テレビジョンでふくよかな人間の雄たちが押し合いへし合いしているのを観たことがあるが、その数倍の膂力をヒタチは持っている。以前、岩の塊のような生命体? と遭遇したときに、彼女はその拳でかち割っている。フィアットのようなテクノロジーではなく、純粋にその力でだ。こればかりは感嘆に値する。@もヒタチだけには舐めた口をきかないようにしている。でも、フィアットは崇喜花を持ってるからな。
それはさておき、ヒタチにはその馬鹿力とは別に重要なテクノロジーを持っている。それは@のいた世界で言う、医者というテクノロジーだ。@も変な草を食べてお腹を下したときや、山田のババアの傘攻撃で負傷したときに、世話になった。身体を元に戻してくれたのである。もちろん、感謝はしていない。連中は乱暴だからね。
ヒタチのそれは、医者よりもよほど優れている。何も変な塊を無理やり飲ませたり、変な針を刺してきたりしない。何やらぶつぶつと呟くだけなのだ。
「いけませんわ、@様。フィアットの無茶苦茶な精霊術のせいで、凛々しいお髭が焦げてらっしゃいます……」
「うん、そう?」
「すぐに治しますね、このヒタチめが。……神霊息吹」
ふっとヒタチが@に甘い吐息を吹きかけると、その髭が艶を取り戻す。すごいテクノロジーだと思う。今回はただの髭だったが、以前、額を割られ血を流すフィアットを瞬く間に全快させたことがあった。もしヒタチが@の家に来ることがあるとしたら、医者になるように勧めよう。フィアットは知らない。なんか、落ちてるモノでも食べてればいい。
うん。
二人があまりにも@の知る人間とはケタ違いなので、ちょっと聞いたことがある。あまり覚えてないけど。
それによると、
名前:フィアット
種族:最高位エルフ
神命職業:雷光導師
と、
名前:ヒタチ
種族:人間
神命職業:永久たる神に使いし巫女
らしい。
正直、どうかと思う。よくわからない。まあ、猫にわかるように説明しろとは言わなかったからね。
おっと、いけない。マタタビの時間だ。今日もありがとうございます! フィアットさん、善い胸してますね! 素敵っす。
「@の行き先が私達の生き先だわ!」
と、フィアットが頭の湧いたことを言ったのも前の話、ヒタチも「全ては@様の御心のままに」と抱っこしてくるので、適当に「あっちだよ」「こっちですね」とその日の気分で指示してきたのだが、本来ならば適当なところで縄張りを造りたかった。おしっこをひっかけてね。
だが、ただこの世界? で縄張りを造ったところで、意味をなさないことに数日して気がついた。何しろ、同族がいない。護るべき雌も、挑むべき雄もいないのだ。これではおしっこのしがいがない。いくら縄張りを広げてもここには@しかいないのだ。仲間がいない、とは大変寂しいことになったかもしれない、とこの世の孤独が脳裏をかすめたが、そこは@。おしっこし放題とポジティブシンキングで乗り切った。すなわち、世界は全部猫のモノ。
そんなわけで、日々、気ままにヒタチに抱えられて山を越え、谷を越えてきたのだが、食料はとくに心配なかった。ヒタチから朝と夜に干し肉や干し魚をいただいている。フィアットの胸なしは、毎度、変な葉っぱを食べさせようとしてくるが、無視。していると、くるんとうずくまって落ち込んでいるが、@は甘やかさない。マタタビに感づくまで無視。学習しない悪い胸だと思う。
当然、毎日、干し肉などを食べていれば減っていく。キャットフードや猫缶と同じだ。そういうときは、美咲だったらノグチヒデヨを持って、スゥパァで調達してくるのだが、残念ながらここにはスゥパァはないらしい。しかし、時折、道中で通りすがる正常な人間(←襲ってこない)から、ヒタチとフィアットは食べ物をもらっている。その行商人という人種に、ゴルドンという、五百円玉よりも大きく、五円玉よりも黄色な謎の物体と交換している。美咲も五百円玉やフクザワユチキなど大事にしていたから、それと同じなのだろう。人間というものは食べられないモノに価値を見いだす、まこと奇っ怪な生き物だ。どこでも。
しかし、ちょうど食料が尽きかけそうなときに行商人とやらがあまりにタイミングよくいるので、ヒタチに訊いたら「んふ、彼らもお互いの商売の邪魔しないように、適度に距離をとりあっているのです」と言う。
「あいつら組合で縄張りが決まってるの」
フィアットにしては上出来なことを付け加えたので、後で撫でさせてやろうと思う。なるほど、行商人とやらはゴルドンを得るために、お互い牽制しあって、それでいてそれぞれがもっとも利益を得る場所にいるわけだ。猫並の合理性に@も納得する。
そして、最後の行商人と会って、数日。もうそろそろ、食料もなくなる頃だ。
撫でさせてやったら、最近調子に乗り始めたフィアットがほざいた。
「今夜は街だかんね! @にあったかい野菜スープを食べさせてあげる! 干し肉や干し魚だけじゃ、精霊力も回復しないんだから!」
これだから、そんな貧弱な胸になるのだ。猫舌をバカにするのも大概になさい。と、思ったが言わなかった。
「今日は崇喜花も二つあげるね!」
やはりフィアットは汚い。そんなことを言われてしまったら、逆らえないではないか。
「うん、まあ、それはありがとう」
と冷静に辛うじて応えたつもりだったが、しっぽをピコピコ揺らしてしまった。
ヒタチはいつものようにニコニコと微笑んでいる。ならば結果オーライ。彼女のふっくらした胸に鼻先をうずめると寝ることにした。やることないし。
リストランとはこんなにも騒がしいものであったか。
大勢かつ多種の生物が入り乱れる酒場、こんなに密集した場所は初めてだった。人間、亜人種、獣人、それっぽい何か、それぞれがアルコールを飲み干し、食い物を噛みちぎる。
大勢といえば猫の集会くらいしか経験のない@は、所在なさ気にテーブルの隅で香箱座り。
とはいっても、崇喜花をキメているので不快ではない。むしろご機嫌だ。
目の前では、ヒタチが豪快に麦酒をあおる。
「ぷはあー、これもかれも神と@様のお導きです! あ、お代わりお願いします」
口についた白い泡を拭う気もないらしい。もう片方の手で骨付き肉を頬張る。←これ、非常に美味。フィアット曰く、結構なゴルドン巻き上げられたわよ、私は食べれないのに。
そのフィアットはというと、葡萄酒を薄〜く氷水で割ったものを、ちろちろと嘗めている。顔を真っ赤にして。その辺に落ちてそうな木の実をかじりながら。
「な、なんだって、こんなに人がいるのよ、ただの宿場町なのに。どうして、この聖霊師のフィアットちゃんがいるってのに、誰も気付かないのよ。何よ、この扱い。ひどくない? お間抜け司祭のヒタチだっているのに。もう天誅をくれてやろうかしら、イヤ、天罰ね。焼き尽くしてやるわ」
「うう〜ん、最高ですわ! もう一杯!」
「御救い人が来てやってるのに、これだから田舎者はイヤなんだから。これじゃ@にもダセエってバカにされちゃう。ううん、私は何も悪くない。お母様とお父様、大いなる意思に従って生きている。間違っちゃいない」
「いやぁあん、生き返ります! 追加お願いします!」
「ああぁあん、何なのよ、一体全体。そうよ、悪いのはどうせ私よ。だってこんなに可愛いんだから。えぐ。うぐ。ひっく。びゃああん」
「んぷ、あら、いけない、@様の前で、はしたないところを。楽しんでますか?」
うん。まあ、程よくマタタビは効いております。けれども、笑顔で呑み食い続けるヒタチとテーブルに突っ伏して泣いているフィアットよりは醒めているかもね。
@は何となく美咲のことを思い出していた。給料日とやらの夜は、大量のビールを買い込んで、ヒタチのように飲み、そして最後はフィアットのように泣き眠る。そんな我が召使いを重ねて見てしまったが、美咲のことだ。たぶん、大丈夫だろう。
「それはそうとして、このリストラン? というところは随分と人がいるね。俺が前に住んでた場所よりはよっぽど小さいところなのに、どうしてこんなにいっぱいいるのかい?」
「うふふ、それは私も案じていたところですわ。街道沿いとて、さして名も無き宿場町。にしては、この酒場、あまりにも賑わっております。少し不釣り合いですわ」
「だ、だ、誰の胸が不釣り合いなのよ!」
俯いたまま、右こぶしをテーブルに打ち付けるフィアット。
「あ、大丈夫ですよ。きっとそれでも生きていけると思います」
@は流す。
「ご覧ください、@様。ここのお客様方のお姿を。……おわかりですか?」
「わかりません」
「もう@様ったら、おとぼけになられて、可愛い。にゅふふふ、@様もお飲みになります? あら、それじゃ私だけお代わりいただけますか? ええ、そこのエルフが全部支払いますので。……あ、何の話でしたっけ? そうそう。そうでしたわ。ここにいる皆様方の雰囲気、身のこなし、装備、どれをとっても冒険者のものですわ。それも錚々たる相手を想定した、入念なパーティ編成。二流三流なし崩しの、ただのモンスター討伐とは訳が違いますわ。ええ、近くに潜んでいるはずですわ。とんでもない化け物が。じゃなきゃ、皆様方、まるで現し世との別れのように、この場を楽しみませんわ」
「うん、全然わからない。なんか、いるの?」
「……そうですね、きっと」
そのときだ。カウンター席? というところで、竪琴? という楽器を持った軽薄そうでいて、尚且つ子供のような体格の人間っぽい男が歌い出した。
「すべてはすべては、歌のすべては、この場におられる英雄達に捧げよう。呪われし黒き魔女、目覚めしときに命を懸けるはその魂。歌い継がれる栄光に、死して尚生きよ、誇りのために、民のため、神のため。今宵、一会こそが伝説になる……」
酒場にいる全員が男の歌に聞き入った。@も何だか心地よかった。フィアットだけが聞き逃した。真、残念な娘である。
「あたたたたた、頭痛ぁあああい! ねえ、何なのよ、これ、何とかしてよ、これ」
眼下ではフィアットが額を押さえながらわあわあ泣き喚いていた。@は、うるさいねえと前足を組み直す。久しぶりの屋根の下での睡眠、しかもベッドなのにも関わらず、フィアットはこの案配である。もちろん、専用のベッドを用意されたにも関わらず、@は彼女の胸の上で一夜を過ごし、正午過ぎの今に至る。彼は義理堅い。フィアットは胸堅い。心地いいの。
ヒタチから聞いたのだが、宿場町とはいうものは、このように酒場と宿屋が併設しているところが多いそうだ。食ったら二階で寝る。なるほど、合理的だ。これも人間のテクノロジーであろう。
「ああん、もう、最悪だわ、何でエルフの総領娘の私がこんな目に遭ってんのよ。痛い痛い痛い」
「それは貴方の自業自得ですわよ。久方ぶりの宿とはいえ、酩酊するほど暴飲するとは情けないです。神も@様も厭れています」
いや、俺はそうでもないんですけど。と、@は思う。美咲もそうだしね。むしろ、あれだけのビールを飲んで、ケロリとしているヒタチの方がおかしい。
そんな彼女はフィアットの枕元に椅子を置いて、ニコニコしながら座っている。
「何よう、ヒタチ! だったら、さっさと神の祝福でも何でもいいから、治してよ! 二日酔いなんて回復魔法で一発でしょ! あ、薬草でも構わない!」
「それはお断りします。これは罰ですから、戒めですから。神もこうおっしゃっていますわ。『苦しみ、そして学ぶ』」
「ええい、この神の手先の悪め! あんた、性格、最悪だわよ! @も言ってやってよ!」
「うん、俺はもう少しここでのんびりしたいです」
「ぎゃあ」
「ほぉら、@様も私の味方ですわ。……でも、まあ、水くらいなら飲ませてあげますわよ。私は神と@様に身を捧げし者、寛大ですから」
「うう、うう、ありがとう、ヒタチ。嬉しくないけど、優しくないけど、お水、美味しい」
フィアットの瞳から涙が流れる。この二人の関係は本当に奇妙だと思う。なんだかんだいって、善い具合に釣り合いが取れている。@は知っている。こういうのを腐れ縁と呼ぶことを。
@は、くかぁと欠伸をした。本当なら背伸びをして、爪をバリバリと立てたいところだが、フィアットの胸をこれ以上台無しにするわけにもいかないので、そこは我慢するいい男。
「でも、これはこれで、吉としましょう。善い風を感じますわ」
「……う、何よ、これ以上、なんか企んでるの?」
「フィアットの失態のおかげで、他の冒険者達はとっくに宿を出ましたわ。残っているのは私達だけです」
「ふぇえ?」
間抜けな声を上げたフィアットのデコ、ヒタチはぱちりと軽く叩く。
「軽めの回復魔法をかけてあげましたわ。私に感謝しなさい。一時間もあれば、貴方は全快します。……ちょうど冒険者達が道中の露払いをしてくれているはずでしょう。厄介な雑魚モンスターは彼らに任せて、私達は黒き魔女に専念しましょう」
「黒き魔女!?」
フィアットはがばりと身を起こす。@は咄嗟に爪を出した。彼女の寝巻きの肩先にぶら下がることで、ベッドからの落下は辛うじて免れた。おかげで惨めな胸は丸出しとなる。哀れであった。
「ちょっと、この体勢は困るんだけれども」
「ご、ごめん! 痛っ!」
「ほら、もうしばらく横になりなさい。@様にも失礼でしょう」
おずおずとベッドに横たわる。@も当然のごとく胸の上に乗る。
「で、ヒタチ、黒き魔女、ヤツが姿を現したの?」
「ええ、そうですわ。私達生ける者の恩讐の因縁、旧きの魔神どもの一柱とようやく遭いまみえることになるでしょう。ようやくその時が来たのです。……だからフィアット、今は身体を休めなさい。貴方はどうしようもなく短絡的な愚か者ですが、私の大事な友人で、心強い仲間です。闘うときこそ万全に」
もちろん、@は二人の会話の邪魔はしない。詮索は無粋だし、そもそも興味がない。眠たいしね。
道中、ヒタチがいろいろ忙しそうだったので、@は自分で歩くことにした。フィアットが「私が抱っこしてあげる」と言ってきたが、
「いや、今のところが充分ですから」
と丁重にお断りした。彼女の抱かれ心地はヒタチのそれと較べると、ふかふかのお布団と土砂降りのアスファルトくらいの差がある。そんな辺境で抱え歩きされてしまったら、間違いなく酔う。
フィアットは頬を膨らませていたが、彼女には@専用寝台という重大な役目があるのだし、@も「夜、またご一緒してくれれば」とさりげなくフォローした。まさか人間に気を使うことになるとは思っても見なかったことだ。
今日は@の気まぐれ道歩きではない。街を出てしばらく、ヒタチを先頭にした一行は往来の多い街道を外れ、寂れた道を進んでいく。だんだんと木が生い茂っていく。時折、道端には異形の怪生物の骸が転がっている。息のあるモノはヒタチが拳で息の根を絶つ。中には、以前、フィアットとヒタチが屠ったモノと似たモノもいた。しかし、カラスの死骸なら@もたまに見かけたことがあるが、こんなに死骸とかってあるものかしらん? と@は首をかしげていたが、なるほど、事態は掴めてきた。
昨夜、酒場で見かけた人間達もまた倒れ、或いは命を落としていたからだ。怪物のそれは、連中とのあれだ。なんか大きな包丁みたいなのや弓? や槍? やフィアットのに似た杖を持っているし。
ヒタチは怪我を負った者には血が止まる草を与え、息絶えた者には屈んで、その耳に何かを囁く。
@は不思議に思って、フィアットを見上げる。
「そうよ、ヒタチならその力で、あいつらを癒すことも生き返らせることもできるわ。だけど、私達はこれから黒き魔女をやっつけなきゃいけない。ヤツは預言書にも刻まれているような魔神よ。できるだけ魔力や聖唱力は残しておきたい。だから、今は負傷者にはああやって薬草を渡し、死者が彷徨亡者にならないよう神の導きを示してあげてるの」
「あ、そう」無論、よくわかってない。
ヒタチも振り返る。
「奇跡をもって傷つき苦しむ皆様を救うことこそが、神の使いたる本来の私の務めなのでしょうが、@様も軽蔑なされたでしょう。どうか神よ、お赦しください。それでも、大善を前に、不善をなす。この世界に蒔かれた悪の種、その元なる魔神を封さねばならないのです。……すべては弱輩なる私の責です」
「うん、それでいいと思う」
わからないが、ヒタチの哀しそうな顔ぐらいはわかる。@とてそういうのは好きじゃない。美咲がそうだったときはよく寄り添ってやった。でも、この世界なら言葉で支えられる。
「ありがとうございます」
それでも辛そうだった。フィアットまでも。
進むにつれ、化け物の死骸、そして昨晩、同じ一時を過ごした者達のそれも増えていく。
「皆様には感謝せねばなりませんわ。……本当に心から」
「ええ、こんな数を相手してたら、こんな高位存在がいるんだったら、私達じゃ黒き魔女まで辿り着けなかったかも。……それにしても黒き魔女はどれだけ魔瘴気を放ってるていうの!? あそこに見えるのはゴーレムじゃない。何それ、バッカじゃない!」
山を越えた先にその渓谷はあった。そしてその呪われた神殿が。
遠目が利くエルフのフィアットはすでに捉えていた。猫である@はもちろん、見えてもいないし、理解もしていない。
でも、なんとなくはわかる。二人がここまで歩いてきた目的が。二人が旅を続けてきた理由が。
まあ、@には全然関係のないことなんだけどね。
錆びついた鉄扉で閉ざされた神殿の前には、石人形の残骸とそれに重なるように人間達の骸が転がっていた。
「……お見事ですわ。きっと名のある冒険者だったのでしょう」
そういうとヒタチは骸の元に屈みこむ。
「ふん、バッカだわ。……本当の冒険者なら生きて帰りなさいよ。相打ちするくらいなら逃げればいいのに。逃げることは恥じゃない。冒険者の基本よ。……いくら黒き魔女が間近だからって」
@は石人形の破片をポムポム叩いてみた。石なんてとんでもない。見かけ以上に頑強な代物だ。
「えーと、うん、この奥に君らの目的がいるのかい?」
「そうですわ。忌忌しき闇の眷族、現世悪がすぐそばに。魔瘴気の渦の中心は間違いなくあそこです」
「それは戦わないとダメなものなの?」
「何を言ってんの、@、バッカじゃない。この世界を侵食する魔力は日に日に増大しているわ。このままだと、世界は暗黒に包まれる。多くの善なる者が苦しむことになる」
「でも、そんなのほっとけばいいわけで」
ここに来て、なんというか、イヤな予感しかしなかった。髭の先がヒリヒリした。山田のババアが庭先に潜んでいるときのような、危険のサインだ。
「……もちろん、私には@様と添い遂げるという使命がありますわ。この黒き魔女退治はほんの余興です。余興のために命を懸ける愚者はいないでしょう?」
「そうそう、ヒタチの間抜けの言う通りだわ。私達二人で、さくっと倒してくるから。ね、そしたら私の旦那様にしてあげる」
「いや、うん、正直わからないことだらけなんだけど、俺も行こうか? 行ったほうがいい気がするんだ。何かができる気もしないんだけども」
フィアットがくすりを微笑むと、@の頭を撫でた。
「ああん、本当に可愛い勇者様だわ。旧支配竜族を切裂いただけのことはある。ううん、あんたを浚っちゃいたい。グリグリしたい」
おや、何か物騒なことを言ったが、聞き逃すとしようか。
「@様、貴方様はこの世界の者ではありません。はるか遠く、想像を超えるような彼方からいらしたお方。たかがこの世界のためにその命を懸けてはなりません」
「それは私達の役割、たかがこの世界のためにね」
「だから、私達が戻ってくるまでここでお待ちください。ええ、すぐに戻ってきます」
優しく@を見下ろす二人、今度はお互いに見つめあって頷きあう。
「それじゃ、@には守護封陣の魔法をかけるわよ。私とヒタチの合わせ技よ。喩え、魔神どもが束になってきたって壊れない、完璧なヤツよ」
「神と、風の聖霊による完全防御。安心してここでお待ちください」
そして二人は双方の手を取りあって、唱え出す。
「風よ、吹け、吹け、安寧の。風と呼ばれし者はここに集え……」
「全なる神、その慈愛を彼に、その絶対なる御力、その片鱗を小さき我に与えたまえ」
「「聖霊の衣を纏いし神の愛を一身に受けたる者への聖都の城壁!!」」
二人の言葉が終えるとともに、@は温かい青色の空気に包まれた。それはとても心地よく、そして勇気づけるものだった。先の不安はどこへやら、さっさとお昼寝したい気分だ。
それとは対照的に、二人の顔は真っ青、似つかわしくないような大量の汗を額に浮かべている。
「おお、大丈夫かい、二人とも?」
フィアットはぎこちなく笑ってみせた。
「バッカじゃないの! 私を誰だと思ってるの? エルフ族の秘蔵っ子フィアット様よ。聖唱力が尽きたくらいどうってことないんだから」
「フィアットに珍しく同感です。冒険者達には覚悟があった。でも、この世界の理を存じない@様を巻き添えにはできませんわ。聖唱力など惜しくもない……とはいえ」
「黒き魔女がいるのよねえ……ほら、ヒタチ」
フィアットがヒタチに向かって放った物体を@は見逃すはずがない。……マタタビ様だ! それも二つも!
ヒタチは眉をしかめながらマタタビ様を噛み砕く。ああ、もったいない。もっと味わって嘗めるようにして!
フィアットも眉間にしわを寄せながら、かりりと身を砕く。@は見た。三つのマタタビ様が口に入っていくのを。なんていうことだ!
驚愕する@を他所に、ヒタチは汗を拭い、大きな吐息をついた。一方のフィアットは水筒の水を一気に飲み干す。呼吸は荒く、その手は微かに震えている。
「日頃の精進が足りませんわね。あれしきのことで力を使いきるとは」
「うるさい、私の方が負担が強かったんだから、しょうがないじゃない!」
ようやく落ち着いたらしく、その気の強そうな瞳でヒタチを睨む。その整った鼻から一筋の赤い血が垂れている。
そんなことはもうでもいい。
「あのー、お二人さん?」
「あんたこそ、力は戻った?」
「ええ、気付けにはちょうどよかったですわ。崇喜花二つは初めてでしたが、力がみなぎってます」
「奇遇ね、私もよ。秘呪だって禁呪だって、今ならなんだってできるわ」
「うん、俺の話を聞いて欲しいんだ」
「それじゃ参りましょうか」
「ええ、世界を救いに行くわよ!」
@はたまらずニャーと鳴く。切なそうに。
もちろん、彼は無視されていたわけではない。強大な敵を前に高揚しているのだ。
二人は@の目線まで腰をかがめると、同時ににっこりと微笑んだ。フィアットは鼻血を垂らしたまま。
「安心してください。必ず戻って参ります。ここから決して動かないでくださいね。離れれば離れるほど神のご加護は薄れます。だからしばしの間、お待ちください。私だけでいいので」
「ちょ、バッカじゃない! 私だって帰ってくるわよ! ……心配はいらないわ、@。私達の力よ、どんな魔力もどんな刃もあんたには届かない」
「……うん、そういうことじゃなくてね」
「あら、寂しいのですか? ふふ、意外ですね。だったら今抱きしめてあげます。ええい!」
「いや、違うんだな」
「あはは〜ん、それじゃお腹を突いてやる! ほら、ぷにぷに!」
おお、そこ、そこは気持ちのよいところ。という場合じゃない。
「あの、俺にね、マタタビをね」
「いけませんわ。そろそろ参りませんと」
「よし、いっちょやるか!」
とフィアットは腰を上げる。
「誰か俺の話を聞いてくださ〜い!!」
@は叫んだ。この世界のよくわからないところで。
フィアットは悪戯っぽく振り返った。
「冗談よ。帰ってきたらあげるからね。それまで待ってて」
「いや、うん、一個だけで善いんです。今、この瞬間に」
「平気平気、今夜も二個あげちゃう。奮発だからね」
この鼻血女、何を抜かしてやがる。
「良かったですわね、@様。喜びは後に取っておいた方が大きくなるものですよ」
ああ、あああ。ああああ。あああああああああああ。
この非道な仕打ち、生まれた理由とか生きる意味とかいろんなものが挫けそうだ。
「なんてね、はい。ゆっくり味わってね。じゃ、行ってくるね」
ぎゃああああああああああ。二つ! 二つも! 二つもですって!
「@様、私達は必ず戻ってみせますので。貴方に身を捧げた者として、貴方の国を探す旅は終わっていません」
貪るようにマタタビに食らいつく@。二人のどちらかがくすりと声を漏らした気がする。やはりマタタビは偉大である。その甘美な魅力に蕩けていく。朧げになっていく視界の先で、二人が互いの拳を打ち合うのを見た。そして、その重い鉄扉の向こうへと消えていく。
薄れていく意識の中で@は思った。
もっと置いてけ、鼻血女。
「だからさー、そこに座るとさー、あたしが動けなくなるってのー」
「いえ、ここは俺の場所ですので」
「痛たたた、爪を出すなってのー! もー、腰ってデリケートなんだからねー」
「しょうがないじゃん、気持ちいいんだし」
「ってかさ、あんた、また山田のババアんとこ、行ったでしょー? もう止めてくんない? 謝んの、あたしなんだからさー」
「あれは不可抗力でして、いや、うん、ごめん」
「う〜ん、あたしはいいんだよ? でも、あのババア、頭いっちゃってんじゃん? だからね? 万が一があったらさー」
「ごめん。それは申し訳ない」
「あ、マタタビ玉食べるー? 今日はまだあげてないよねー?」
「マジで!?」
「あだだ、だから爪出すなってのー! 言うこと聞かなきゃあげないよー?」
「聞きます。すごく聞きます」
「ん? あんた、今日はホントよく鳴くねぇ? どしたー? ひょっとしてお前、あたしの言葉がわかってるのかー?」
美咲がそういうと眺めていたスマホを置き、身体を起こす。飼い主の腰をぶん捕っていたおうどんは彼女の身体どころかベッドからも転がり落ちる。
それより、むしろ。
「マタタビ! マタタビ! マタタビ!」
気がついたときは独匹、神殿の前に香箱座りをしていた。
日はすでに落ちていた。ただ@の周りを爽やかな蒼い風が包み、うっすらと輝いていた。
自分がどこにいるのか、どこにいたのか、何をしているのか、わからない。
だが、彼の身体をたった一つの欲求が突き抜ける。
それはマタタビ欲。夢か現の先でもらい損ねたマタタビ様。それが稲妻のごとく強烈に彼の脳天を打ち付け、駆け巡る。
「マタタビ! マタタビ! マタタビィイイィ!」
@は弾丸のように鉄扉の隙間に飛び込む。執拗なる己が身体の求めに応じて。
まあ、正直、今の彼は全然考えていないのだ。マタタビ以外のことはね。だって好きなんだもん。
「@!! なんでここに!?」
「@様ぁ!! いけませんわ!!」
そんなことより、マタタビだ。いいからマタタビ。とにかくマタタビ。脱兎のごとくマタタビなのだ。
@はフィアットの身体を駆け登る。
「@!! 黒き魔女は私達の力を圧倒してる!! だから早く逃げて!!」
「マタタビ! くれ! マタタビ! 今!」
ヒタチが悲痛な声を上げた。
「貴方様でも敵いません!! 私達のことは見捨て、早くこの場から……」
違う。違うんだ!
「俺はマタタビを食いたいだけなんだ!!」
まったく噛み合わない話。二人は、逃げろ逃げろと叫び、@は、マタタビマタタビと連呼する。冷静さの欠片もない。
そこに横やりが入る。
「くは、かはははは、はははははは。新手が来たと思いや、なんと小さき者かや? いとおかしゅうなあ。汝も妾を楽しませてくれるんや? さあて、いかんせん?」
酷薄にも関わらず甘ったるい声色だった。その声は興奮する@の耳にも届く。ひどく耳障りに。
「ああん?」
苛立ちとともに振り返ったときだ。@の腹部を鋭い衝撃が襲った。
「「@」様!!」
そのインパクトは凄まじく、フィアットの胸元にしがみついていたはずの@は、ヒタチの眼下まで吹き飛ばされた。その距離、およそ十メートル、高さにして五メートル。特技である受け身すらとれずに、その身は冷たい鉄の床に叩きつけられた。
「おや、もう終わりかえ? なんといぶせしことよ」
こほっと咳が漏れでる。頭がくらくらして、眼の焦点が合わない。腹がじんじんする。痛ぇ。すげえ痛ぇ。脚がふらついてやがる。
一体何が起こった?
本能はマタタビ欲すらを上回る。己の危機が@に冷静さを呼び戻した。それは危に臨むとき、必ず状況を確認するということ。極めてシンプルな野生の思考。
「……これは一体、何ですか?」
神殿内を覆い、埋め尽くすおどろおどろしい一切の黒い影。それは波打つのように鼓動していた。そして幾十にも織り込まれた影に身を固められ、高く十字に磔られたフィアットとヒタチ。
「あれ、あさましや。まだ生きてるとはのう」
改めて、その声の主を見やる。ふらつく足に気合いを込めて。揺れる視界に力を入れて。雄々しくそのしっぽを大きくさせて。
「あんた、誰?」
答えはない。
神殿はさほど大きくない。@が縄張りにしていた八幡神社の境内よりも狭い。
一方、天井は高く、まるで駅前のビルヂングのようだ。
神殿の奥には篝火が二基、紅い炎を揺らめかせている。そのさらに向こう、件の声の主が潜んでいるようだ。
「@様、お怪我はありませんか!? 残念なことに私は今、貴方様に神の祝福をお与えできません!! すぐさまここから」
「バッカじゃない!? 無茶しないで逃げて!!」
眼前にはフィアットとヒタチ。篝火の前に並ぶようにして、無数の黒い蛇のようなモノ達に全身が縛り上げられていた。上半身だけ露出したその姿は、なぜか@にお寺の灯籠を思わせた。黒い蛇は忌忌しく蠢いており、彼女らを締め上げているらしく、時折かすれた声が漏れていた。
混乱していた頭も冷めてきたようだ。だんだんと事態は掴めてきた。とっても深刻な状況。
「二人とも大丈夫かな?」
フィアットが泣くように叫ぶ。
「私達のことなんかいいから!! それよりあんたは!? あんたは大丈夫なの!?」
「そうです、@様!! 黒き魔女の魔影に射貫かれたのです!! あの恐ろしき魔影に!!」
「うん、俺? は頭がくらくらしていんだけども」
そう言いかけたとき、
「小さき者、やかましいぞよ」
また先と同じ衝撃が身体をぶち抜かれ、壁へとすっ飛ばされる。が、今度は失態を犯さない。くるりと上手に着地する。
「@!?」
「ええ、これは一体!?」
うん。一回目はびっくりしちゃったけど、そんなに痛くないねえ。山田のババアの必殺の傘の方がよほどヤバい。
「……汝、小さき者、そは何者かえ! 妾が死者なる投げ槍を受けてことなしとは?」
お。
ようやく声の主の姿が浮かび上がった。テレビジョンで見たスゥパァモデルとかのように細身の長身、闇の溶け込むような黒い長髪、深夜の人間男向けな淫らな格好、何よりも不自然なのはその腹部を貫く一振りの刀、柄まで見て取れる。その切っ先は神殿の壁まで届いており、それによって自由を奪われているらしい。
「あんた、誰だい?」
また影が走る。こんどはひょいと飛んで躱す。猫なら造作もないことだ。
「!? 答えい! 汝、何者かや!?」
スゥパァモデルの能面みたいな顔が初めて崩れた。
「@様、なぜ貴方様はご無事なんです!?」
「……あ、ヒタチ! @には私達の防御魔法が効いてるんだわ! だから魔神の呪いも届かない!」
「それは合点がいきませんわ! あの魔法は地に刻む術です。その地から離れたら……」
「崇喜花よ!」
「何ですって!」
「あのバカ、これまで、どんだけ崇喜花を食べてきたと思って! 私達ですら毎日一個なんて無理があるってのに!」
「……崇喜花は言うなれば聖唱力の根源。それを@様は日々、身体にお溜めになっていたと!」
「そうよ! 勘が鈍いわね、バッカじゃないの? 貯め込んだ聖唱力で、@には私達の魔法が極限まで増幅されている! 決して魔女の攻撃に屈さない!」
「何という僥倖ですの!!」
「だから@!!」
「今です!! お逃げください!!」
え、何? 何て言ったの? と振り返った途端、後頭部にしこたま鈍い一撃が。不意に、またもや地面を転がる。
「!?」
「かは、やはり小さき者、惨めよのう!」
「い、痛たたた」
@は頭をふりふり起き上がる。美咲から特大のゲンコツを食らったみたいだ。ぼんやりと、何か悪いことしたっけと考える。おお、そうだ、マタタビを盗み食いしたことがバレたのか……。
うん? マタタビ?
そうだ、マタタビだ!!
「あのー、フィアットさん……」
@は拘束されたフィアットの傍にとことこと走った。
「何してんの、@! いくら魔女の攻撃が効かないからって!」
「そうです! 黒き魔女を甘く見てはなりません! 私達のことなど気にせず早く!」
「私達を助けるなんてバッカみたいな真似をしないで!」
うん、そういうことじゃなくてね。
「童ぁあ、虚無なる魔鎚を受けて尚、操なるとは! 名乗れい!」
「「危な」ませんわ!」
二人の声を聴くまでもない。@を横凪に払おうをする、漆黒の丸太を屈んでやり過ごす。
「えーと、俺はマタタビをもらいに……」
「そうおっしゃる、お気持ちはありがたいですわ。また三人で旅を続け、いつものように平穏なる夜を過ごしたい。でも……それは」
「ごめん、@。……もうあんたに崇喜花はあげられない。私とヒタチの旅はここで終わるの」
「な、なんですと!?」
「ええ、魔女は最初から聖唱力の消耗を狙っていたのです。私達に魔法の無駄打ちをさせるとともに、魔影の力によって、残った聖唱力をもは奪われました」
「聖唱力を回復するにも、あいつに崇喜花を奪われちゃったしね……」
泣きそうな顔をするフィアット。それよりもその言葉に@はショックを受けた。
「ぬわさ!!」
「答えや、無礼ぞよ!! 妾を見くびるかや!!」
床から無数の黒い槍が出現し、@の身体を狙う。も、槍の穂先から身体をずらし、そのままころんと転がる。
そして、神殿の奥をしっかと睨む。
あそこか、あそこにあるのか。
その足取りはその強固なる意思のごとく。肉球をぽむりぽむりと鳴らす。
「くははは、ようやく妾の前に立つ覚悟ができたかえ? いと高知な。汝、名はなんぞ?」
「……@と呼ばれております。あんた、誰?」
「かははははは、かは、くはははははははは、くははははははははははは!!」
その面妖なる女は、嘲るように笑う。腹を刀に貫通されているにもかかわらず、平然と腹を抱え、膝を打つ。不気味な光景だった。痛そう、と@はちょっと思った。
「言いよる! かように笑ったのは幾百年ぶりかのう。……小さき者、@と言ったか。答えてやろか。とは、言っても妾の魔諱を生ける者で知る者はおらん。ただ黒き魔女と恐れらてるぞや」
「あ、そう」
「そは何者なるかや?」
「猫です」
「知らん、知らんぞな、くははははは。妾を前にしてところせしなあ。ほんに偉丈夫よのう。主が、あの小娘どもと共に妾に挑めば、もしや……ないのう。ないわな。とはいえ、中々振りを魅せたかもしれん。主を残すとは、あやなしのう。妾にはわからんわ。確かに、あのエルフの聖霊術も、あの巫女の信仰力と体術も善しや。選ばれし者だけはある。じゃが、希代の力を持ってしても、否、故に力を過信しすぎたや。主と、もう一人おれば完全なる連携を生み出せたものを……。妾をここに封ぜし者たちのように」
「あー、えーとですね」
「されど、@と言ったか、妾を侮るなよ。主が纏いし忌忌しき法衣魔法も、魔力が尽きれば露と消える。……さあ、主ぁ、いかがせん!? 妾に挑むか、それとも踵を返すか? どちらにせよ、生きては返さんぞえ」
見開かれたその瞳は鮮血のように紅い。真青な唇から覗く牙が不気味に輝いている。刀により壁に囚われし魔女は、両の手を天に突き上げ、びくびくと痙攣する。なんか、いろいろとすごいテクノロジーだ。
そんなことはどうでもいい。
「うん、俺はマタタビ、うー、え、モォニングゥグロウリさえ、いただければ結構ですので。そしたら帰ります。あっちの二人を連れて」
魔女は耳元まで割けんばかりに口元を歪ませる。
「さよか! ほんなら妾の思った通りやわ。主ぁ、魔力が尽きるのが怖かろ? 妾の力が恐ろしかろ!」
「あ、はい。うん、たぶん」
面倒くさい人間だなあ。と@は眺めていた。
「ならば、絶望に堕としたる」
そういって魔女が手にした物、それは薄青く光る金糸で編まれた小さな袋、@にはお馴染で、絶対忘れるはずがない。フィアットが常に平らな胸元に忍ばせているマタタビ袋だった。
「主あに、魔力の供給はさせんよ。代わりに妾の魔力とせんや。いつの日か、この憎き刀を抜く日のために、その力とするぞえ」
「おお、おおおお、おおおおお!!」
そのおぞましい光景に@は目を背けることすら、いや、見つめざるをえなかった。@ですら一日多くても二個しか食べさせてもらえなかったマタタビを、この女はまるで水を飲むかのように喉に流し込んでいるのだ。なんていうことだ。@の人生における喜ぶの大半を占める、あのマタタビを、だ。しかも味わうことなく、酔いしれることなく、ただただ無造作に。
そのあまりに恐れ多く、容易く行われたえげつない行動に@の身体はすくんでしまった。この女の残虐な行為を見届けねばならなかった。
「ぷはあ、いくら魔力のためとはせんなしなあ。エルフのもんは、趣味にあわんぞえ」
狙ったかのように@の眼前に吐き捨てられた、マタタビの木の実の皮。無惨にも香ばしい香りすら残っていない。あんまりだ。冷酷どころじゃない。冷酷の極み、かくも至れりだ。
「とはいえ、五十人か百人分か知らんけど、魔力は貯まったぞえ。……先までの妾と思うなや、@!! 最早、主ぁ、いふかいなし!! 死して妾の力をなれい!!」
魔女は魔瘴気を両手から発する。その身体、その周りを蠢く黒い影がより太く、より強靭に、より無数に増えたことに@は気付かない。
だってブチ切れてたから。
「あんたぁ、俺の魂、命、人生を踏みにじりやがった。赦さねえ。絶対にだ。一個くらいくれてもいいじゃない、このケチ!!」
@は閃光よりも速く魔女の顔へと跳んだ。迷いも躊躇もない、ただただ真っすぐに。
「させぬぞえ!!」
何か黒いモノが掠った気がする。掠っている気がする。ぽむぽむと当たっている気がする。だが、大したことない。
「な、なんと、主ぁ、魔力が増大して……」
その両手で魔女の頭を抱えると、後ろ足の爪を全開。
「ケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケチケイチ!!」
猫キックの連打をお見舞いする。じゃれつくときのような甘いものではない。一蹴り一蹴りに全力を込めるのみならず、その鋭い爪で切りつける。終わりなく、限りなく、ひらすらに。一摘みの慈悲をも捨てて。
「甘いぞや! 妾の肌に傷するには勇者の刃、侍いの一閃、巫女の聖拳を持ってしか……」
「意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪意地悪!!」
@の猛攻は止まらない。むしろ、どんどん苛烈さは増していく。蹴りのリズムに合わせ、前足の爪で頭をも引き裂き、その脳天をもがぶりと齧り付く。
「や、やめや! やめたもれ!!」
聞く耳などない。猫の闘いにおいて重要なのは位置取りにある。この極めて優位なる体勢を捨てるはずない。そうやって四丁目に君臨してきたのだ。修羅猫たちが凌ぎを削るお子様公園で王者となったのだ。
「たとえ! あんたが! 泣いても許しません! たぶんな!」
必死に魔女は両手で@を引き離そうとする。だが、@の膂力に敵わない。その魔影をこの愛らしい小動物に向けて連射する。
無意味だった。むしろその勢いは激しく。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿お間抜けさん!!」
「な、なんと、恐ろしや! ……ええい、離れやぁ! 剛腕による漆黒の大剣ブン回し!!」
「……おうふ!」
と、さすがの@ものけ反り、宙に舞う。真っ黒い市営バスみたいなものが目の前に現れたと思うや否や、それと激突したのだ。全身を砕くような痛みに意識を失いかける。
「「@」様!!」
辛うじて@の意識をこの世に繋ぎ止めたのは、腐れ縁の二人の声だった。なんとか身体を翻し、床との衝突を免れる。
すぐさま身体を確認する。両手両足、しっぽも無事だ。骨まではわからないが、動けないことない。振り向くと、フィアットとヒタチが地面に倒れ込み、残った力を振り絞り@の元へと這いよろうとしている。二人の美しい瞳からはとめどなく涙が流れている。
神殿内を覆っていた妖しい影はなくなっていた。無論、フィアットとヒタチを捕縛していた黒蛇も。
一切は魔女の元に集っていた。よりどす黒い、より強大な影が。
「……認めるぞや。主あ、@、小さき者、お前はいつしか勇者や達人をも越える者ぞえ。妾の全てをもってしかお前に対することはできんわあ」
息を荒くする魔女の姿は無惨だった。整った顔はべっとりと血に塗れ、絹のような黒髪もぐちゃぐちゃに乱されていた。
「されど、まだ若しのう!! お前の爪では妾の内腑までは届かんぞや!! 死ねやあ!!」
魔女が叫ぶ。それまでの余裕もかなぐり捨てて。
影がしゅるりと蜷局を巻いたと思った瞬間、見る見る巨大になっていく。それは巨大なバールのようで、その図太さは千年を越える大木に似ていた。その強引な使い道は容易に想像できる。
刹那、@のかわいい頭が交錯する。そして即座に答えが導き出される。
これは、ヤバい。
余力の全てを使って、魔女の身体目がけて突進する。@は素早い。振るい落とされる巨大バールよりも先に魔女の頭へと登る。猫キックには絶好の位置取り。
「……二度の同じ手はあかんなあ」
顔に張り付く@に、魔女は不気味な笑みを浮かべた。血越しでもわかるほど、不敵な微笑み。
影なるバールは@を待ち受けていた。鉤詰めの先端がその顔面に向けて迫る。咄嗟にその柔軟な身体を反らし、最悪の結末だけは避けようとする。
だが、バールははるかに太い。辛うじて串刺しは免れるも、r字のフック部分で身体ごと引っかけられ、ずり落とされる。その衝撃は途轍もなく、@を魔女から引き離すには充分過ぎる破壊力だった。その未来はとてつもなくシンプル。影ごと@を床に叩きつけすりつぶす。この重量ならお釣りがくる。どころじゃない。釣り銭詐欺で国家予算を賄える。
ああ、マジヤベえ。
凡庸な勇者なら、粉微塵となってその命を落としただろう。
@は三つの点で、天に愛されていた。
一つは、魔女を貫き、その自由を奪う刀の刃が上を向いていたこと。
一つは、その刀の柄がこちら側にあったこと。
一つは、猫は往生際が悪いこと。
@は必死の思い、かつなんとなく刀の柄にしがみつく。と、同時に魔影バールの猛烈な力で地面へと引きずり下ろされる。
すなわち@↓刀↑。
魔女の身体は封印されし刀によって、神殿の壁ごと切り上げられていく。魔影の力が強大さに比例して。@はただ添えるだけ。もうその勢いは魔女自身とて止められない。
「き、きさ、貴様、この妖刀をも使いこなすとわえ!! い、いや、あ、貴方様は、貴方様こそ大総統ではあるまいか!! なぜに貴方ほどの方が、堕天し者が天界に与するのですか。なぜ妾の敵として前に立つのですか……」
刀はしゅるんといい音を立てて、魔女の腹から頭まで一直線にいい感じにぶった切る。
喉から、かふりと空気が漏れた。夥しい血の雨が降った。魔影は薄れていく。魔女の身体とともに。
@は勝ったのだ。黒き魔女に。
なんとなく。よくわからないけど。
美咲が喉をくすぐっている。
巧い。よく俺のポイントをわかっている。
おや、今度は脇腹か。
それもいい。わかってるじゃないか。
随分と温かい場所だ。こたつにはまだ早いのに。
美咲が何か喋っている。よく聞こえない。まあ、聞かなくてもいいや。別に。
もう少し眠ろう、と鼻を鳴らしたところ、美咲ではないことに気付く。
その二人はとても芳しい香りの持ち主だ。
お日様のような、野に咲く花のような、華奢ではあるけど、それでいてしっかりと芯を持った素晴らしい人間達。
決してそんなことは言ってやる気はないが。
薄目を開ける。
やっぱりだ。
二人はにこにこと微笑んでいる。
美咲と一緒だ。いや、違うんだけど、でも一緒だ。
愛すべき人間達。
もう、いいや。
ちょっと眠る。
「いひひひひ、見て、耳をピコピコ動かしてる」
「あらあら、喉まで鳴らしてらっしゃいますわ」
「あー、「もう可愛い」ですわ!」
「それでいて」
「私達の恩人」
「最高の勇者ね」
「ええ、こんなに小さいお姿にもかかわらず、あの黒き魔女に立ち向かう雄姿、私の心はすでに鷲掴みです。それこそ、ぎゅううっとです」
「ていうか、私は前から、出逢ったときからお見通しだったんだから。旧支配竜族を追っ払ってくれたときから。……待ちに待った真の勇者の到来だって」
「うふふふ、貴方にとってはそうなんでしょう。でも、私にとっては、私だけの、私だけのために現れた勇者様です。私のためだけに命を投げ打ってくれる私だけの英雄。それだけでも一生を捧げる価値があります」
「ちょ、ちょ、バッカじゃない! 何よ、その屁理屈、詭弁よ! 彼は私のためだけに命をはってくれたんだから」
「あら、貴方はただのおまけでしたわよ」
「それは私の台詞だ!」
「それはどうかしら?」
「そうなのよ!」
「……しぃー、あまり騒ぐと目を覚まされてしまいます。ここは私達が紡いだ彼専用の守護結界です。今はゆっくりと回復していただくとしましょう」
「ふん、それは、私達にも言えることだけどね。体力も聖唱力も治さなくちゃ。まさか私達まで世話になるとは思わなかった」
「……フィアット、私はもっと強くなります。@様にお近づきになるために、そして願わくば、お守りするために」
「当然よ! 私だって、こんなザマじゃなかったら、辛気臭い神殿の袂なんかからさっさとおさらばして、より強力な聖霊術を身に付けてるとこよ。……助けられるばっかりなんて、私の性に合わない!」
「うふふ、そうですか」
「そうよ、文句ある、ヒタチ?」
「……いえ、今は」
「……そうね、お互いに身体を休めることが先決ね。それまでは」
「@様をお撫でして待つとしましょう」
「名案だわ、いひひ」
「「ゆっくりおやすみ」ください、「@」様」
それにしてもよく眠ったものだ。いつぐらいぶりか。と、思いつつも、そうでもないことに気付く。@はくかり、と欠伸。
居心地が善いので、もう一眠りしようか考える。
しかし耳元では、ぬーぬーとうめき声が。目を開ければ、真正面。フィアットがうなされている。どうやら、お決まりのごとくフィアットの胸の上で寝ていたらしい。
「あら、もうお目覚めになられますか?」
傍にはヒタチが姿勢正しく座っている。
「おや、えーと……」
どうでもいい逡巡の後、フィアットから下りることにする。ぬーぬー煩いし。
「おはようございます。君は休んだのかい?」
「もちろん、睡眠は神から授けられた安寧です。おかげさまでぐっすりと」
そういや、彼女の朝はいつも早い。ヒタチが眠っているところを見たことないと今さらながら思った。
「ここどこ?」
「黒き魔女の神殿前ですわ。ちょうど私達が守護封陣の結界をはった場所です。野営には持って来いでしたので、再利用させていただきました」
「ああ、そうなの」
魔女という言葉にそれとなく反応する@。己の身体を、二人の様子を窺うも何ともない。傷一つ、残っていない。あらま、不思議。
首をかしげる@に、ヒタチはうふふと笑みを漏らす。
「……ま、いっか」
思いきり背伸びをする、しっぽをぴんと立てて。今日も調子が良さそうだ。
「そろそろ参りましょうか?」
「うん? ああ、でも」
答える間もなく、ヒタチがフィアットの額をすべたーんとはたく。
「ひゃあ!」
跳ね起きるフィアット。これも毎度のことか。
「惰眠こそは神の愛からの逸脱です、この愚か者。さっさと用意なさい」
「はえ? むう? もわん?」
寝ぼけた顔をしているので、しょうがない。義理でフィアットの足に頭をこすりつけてやる。
「ああ、@!! 昨日はありがと!! ホント、ホントのホント、カッコよかった!! さすが未来の旦那様ね!! 愛してる!!」
無視。タイミング同じくして、ヒタチがその拳を脳天に見舞う。ぱこーんと。
「魔に魅入られましたか、世迷い言を。この若輩者、いい加減に目覚めなさい。@様に笑われますよ」
「……痛ぁ。何なのなのよ、一体」
頭を抱え込むフィアット、自然と目線の高さが同じになる。微かに目が滲んでいる。相変わらずヒタチは彼女には容赦ない。@も気をつけようと改めて肝に銘じる。
「@、私、なんか変なこと言った?」
「いつも通りだった」
「そう!! なら善かった!!」
とくに気の利いたことを言った覚えはないのだが、もぎゅうと@を抱きしめてきた。何か知らないが上機嫌だ。
「こら、フィアット、@様のご迷惑になるでしょう。参りますよ。今からなら昼過ぎには宿場町に戻れるでしょう」
「ちぇ、わかったわよ、ヒタチのアホウ」
口を尖らせながら居住まいを正し始めた。せっかくなので@も毛繕いをしてみる。
と、胸の辺りをパンパン払っていたフィアット。いきなり頓狂な声を上げた。
おお、この惨めな小娘は自分の胸の惨めさに気付きとうとう逝ってしまったか。と哀れみの目を向ける。が、それよりも早く小娘の方から@を覗き込んできた。目をキラキラ輝かせて。
「へへ、これ、なぁ〜んだ?」
そんなものは知らん。当然、嘘だ。すぐバレた。
「おぅ! おぅ! わぅ!」
華奢な人差し指と親指の間に摘まれた物体。@が忘れようがない。見紛うこともはずもない。
「こら、フィアット、それは私が@様のために固めた……」
「崇喜花だよ〜。どうぞ〜ゆっくり食べなー。ふふ、昨日、黒き魔女の置き土産よ。袋の中は空っぽだったけど、粉だけ残っていて、それを集めてさ」
「粉を固めたのは私ですよ! 貧弱で貧相なフィアットにできる芸当じゃありません!」
「思いついたのは私! だから私の手柄、バッカじゃない!」
うん、どうでもいいことだ。
酔いしれる@はたまらず、そのお腹を二人に向ける。
「ありがとう、二人とも。心の底からそう思う」
おおう、やっぱりマタタビは最高ですな。トキメキが止まらない。どこまでも寛大になれる。あまりの歓喜に、喜び打ち震える。つまりは欣幸の至り。
「むう、@が喜んでくれるなら」
「ええ、それが一番ですわ。……では出発いたしますか」
慣れたように抱きかかえられ、@はぽわんとしたヒタチの胸の中に蹲る。まるで雲に乗っかっているようだ。フィアットが即興の歌を歌っている。合唱するように小鳥たちも一斉に囀り出す。
まあ、これはこれでいいのだろう。二人は悪いヤツじゃないし、マタタビもキメれる。先のことは、後で考えればいいだろう。
難しいことを猫に求めるんじゃない。
気持ちよく@は夢の底に落ちていこうとする。と、見計らっていたのか、誰かが@の名を叫んだ。
甲高い幼女の声に、ヒタチも振り返る。
「@殿、お待ちたもれ。どうぞ妾も@殿の一行に加えてたもれ」
長い黒髪に青白い肌、紅い瞳の持ち主は、息をぜえぜえさせる、汗びっしょりの幼女だった。
「誰、あんた?」
寝ぼけ眼の@。とは対照的に即座に身構えるヒタチ、両手の平をばりばりと放電させるフィアット。臨戦態勢、全力の。
「未だ滅せませんか、黒き魔女よ! いくら姿を変えようとも、その魔瘴気は忘れません!」
「二度と同じ手は食わないし、容赦する気もない。とことんビリビリさせてやる!」
「……小娘どもに用はないぞや。妾は@殿に話しとるえ」
にやりと笑う幼女、でも息はぜえぜえ。
「ただでとは申しませんえ。妾を封じたるこの刀を献上いたしまする。古えの侍う者達の将が持ちし、極究業物『石田屋・仁左衛門・黒龍』。この刀も@殿を求めておりますえ。どうぞ存分にお奮いくりゃれ?」
「バッカじゃない?」
「神の使徒たる@様と巫女たる私が甘言に乗ると思いますか!」
「ちょっとヒタチ、私、忘れてる!」
「心配無用、わざとですわ」
「あんた、ホント、性格悪!」
「黙れや、小娘ども! きゃいきゃい気に障よのう! ……確かに今の妾は矮小、とて汝らごとき捻り潰すは、容易いぞな。ふつつかな挑発はやめや」
幼女の瞳が紅く輝いた。その身体中心に見覚えのある黒い影が四方に放出し、円状に波打つ。ヒタチが下半身を軽く踏み込んだ。フィアットも無数の稲光を指先から発する。二人はお互いを見やり、呼吸を合わせる。@は、とうにヒタチの腕から離されている。
三人の発する圧倒的な闘気に、大地は震え、青空さえも揺らめいてみえた。
「愚昧が!! 汝らには阿鼻叫喚が相応しいかろ!!」
「天罰覿面ですわ、昇天しませい!」
「電磁の彼方に消し飛ばしてやる!!」
「やってみなさい!」「やってみろ!」「やれや!」
「俺はいっすよ」
………………。
「んぁ?」「ぉほ?」「みょ?」
「オッケーです」
「「「はぁ!!」」」
一呼吸どころか、三呼吸も遅れて、三者三様の間抜けな声が上がる。当の本猫はごろんと地面の上で寝返りを打っている。
「いいんじゃないっすか、別に。好きにすれば」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って@! 忘れたの、昨日のあいつなのよ! 見かけに騙されないで!」
「そ、そ、そ、そうですわ、@様! 彼奴らは我ら生きとし生ける者に仇なす魔神! そんなに軽々しく!」
「い、い、いいのかえ? 妾は@殿の命を狙ったものぞ。寝首をかかん、さよ思わんぞな?」
「えー、もういいや、昔のことは」
「で、でもさ、@」
「何とかなるでしょ。二人もいる訳で」
「そ、そうはおっしゃいましても、魔神は賢しい者、どのような悪辣な手で」
「考えたら負けだよ。よくね、面倒だし」
後ろ足でバリバリと耳を掻く@に、三人は呆気にとられている。ヒタチは脱力し、フィアットの放電も雲散し、幼女の黒影も消滅した。
「本気?」
「うん」
「正気ですか?」
「たぶん」
と、突然、幼女が大声で笑い出した。
「くははは、かははははは。さすが@殿ぞや、傑物じゃのう!! 小娘どもに少々痛い目を遭わさねば埒が明かぬと思っておったが、話が早い。……安心しや、小娘ども。妾は@殿を三千世界の主にしたいだけぞや。そしてその傍で朝日を迎えたいだけぞ」
「……どういう意味ですか?」
「戯れ言は好きじゃない、バッカじゃないの?」
「まあ、聞きたもれ。@殿こそ、真の勇者、汝らもそれは認めんや?」
「ええ」
「まあね」
「その勇者が、地上を、天界を、魔界を治めんとするや、いかん? 汝らの書物にもあろう、『万能なる者が治める国こそ、楽園なるや』違うかえ?」
「「……」」
「まあ、細かいことはあぢきなしじゃ。@殿の許しを得た今、無理やりでもついていくぞえ。妾の名はトリンプじゃ、よろしゅうな」
「うん、よろしく」
「@殿、刀は妾が預かるえ、必要なときおほしたも」
幼女と一匹は、考え込む二人をおいて道を進む。
「あ〜、もういい! わかったわかったわよ! どうなっても知らないんだからね!」
「御御足が汚れますわ。どうぞ私の腕の中に」
覚悟を決めたのか、慌てて追いかけてくる。
「それじゃ、今晩は宿場町ね。トリンプって言ったわね? あんた、宿代ぐらい出してよ?」
「妾は何も持たんぞえ」
「だあ、あんた、魔神でしょ!? 黄金でも財宝でも山ほど持ってるでしょ!?」
「ああ、五百年前に奪われたぞな。古強者どもめ、今でも怖気が出るわい。まあ、@殿には敵わんがの」
「それは仕方ない。うん、よろしく」
「後はよろしくですわ、フィアット」
「よろしゅうな」
「な、なんで私なの!! なんで私なのよ!!」
「宿場町の次はどこへ行きますか?」
「どこでもいいかな」
「近場の国でも滅ばさんえ?」
「どうしてそうなるのです!」
「@殿に王の座をしたたまん」
「……むう、た、確かに、神の名の元、ない話ではありません。@様の治める国ではあれば必ず平安に……」
「な、妾の言う通りじゃろ?」
「ヒタチさん、俺はマタタビがあればいいわけで」
「あら、そうでしたわ。……でも、困りましたね。崇喜花は小さな街では手に入りませんもの」
「すまぬかった、@殿。妾のせいで」
「うん? まあ、いいよ、トリンプちゃん」
「となるとエルフの集落を探すのが、近道ですね。フィアット、この辺に……あら?」
「おい、エルフの小娘や、なぜについてこぬや?」
「うん? フィアット、その小さな胸はどうにもならないと思うけども?」
「ああ、わかったわよ! 行きます払います案内します! もうこうなったらトコトンだからね! @を主だろうが王だろうが神だろうが、とにかくなってもらうから! そんときに全部返してもらうんだから!」
「うん、できたらね」
一行は新たに魔神を加え、旅を再開する。この旅路がいずれ千年を越えて語り継がれるとは誰も想像しない。
とくに、この世界で独匹の猫は。まあ、猫だしねえ。
じゃじゃーん! かは、フィアットと思ったかえ? くははは、そは無念! 絶対カリスマワンダフルプリチー幼女、グレ……おっと、間違えた! トリンプちゃんぞえ! かははは、頭が高い頭が高いぞや!
ここで、汝らにおまけしといたろ。スペシャルサァビスじゃ! @殿と華麗なる妾、その邪魔者二人の神身格式の公開え! ぱんぱかじゃじゃーん! どむどむどむ! 何や、その冷たい目は。手を叩くえ、穀潰し。……こほん。実は妾こと、トリンプちゃんは神身格式がちょっと見えるスキルを持ってるのだ! どうじゃ、すごかろ? 褒めてもよかろ? べ、別段、出番が欲しかったわけじゃないぞえ! よろし、それではご覧じろ!
名前:フィアット
種族:最高位エルフ
性別:♀
神命職業:雷光導師・聖霊遣い
AS:雷光放電(放出電刃)
↑フィアット特有の体質を利用した術じゃ。
聖霊召喚(令切裂雷那威使明)
↑電子の塊を相手にぶつけ、原子崩壊を起こす惨い術じゃの。あな、おそろしや。
PS:放電体質
↑常に多量の電子を纏うことで、防御力を上げるのじゃ。
選ばれしエルフ
↑高位聖霊との交渉が可能となる。普通のエルフじゃ相手にもされんな。
魔力供給
↑ターンごとにMPが回復するえ。エルフ固有のスキルじゃな。
名前:ヒタチ
種族:人間
性別:♀
神命職業:永久たる神に使いし巫女・神言導師
AS:回復魔法(神霊息吹)
↑体力全快じゃ。これを唱えられる司祭はごく僅かじゃ。
防御魔法(絶対神完全守護防壁)
↑神の築きし楽園の壁ぞや。何人たりとて、越えられぬぞえ。まさに鉄壁じゃ。
聖拳制裁
↑達人級の武闘家を越える格闘術とな。相手にとっては物騒武骨で大悶絶じゃの。
PS:神の寵愛
↑いかなる呪法も軽減する、選ばれし人間ということやな。
肉体の天使
↑体力、腕力、敏捷、すべてが常識外じゃ。ほんに人間かえ、こやつは?
神使いし司祭
↑ターンごとにHPが回復するぞえ。司祭なら当然とな。
名前:トリンプ
種族:魔神
性別:?
↑今は♀じゃが、そんなものどうにでもならんや。のう、@殿?
神命職業:幼女(妾の好き放題するえ!!)
↑魔神じゃからの。そも、カテゴリーが違うぞえ。
AS:無間の闇(死者なる投げ槍)
↑妾の手足のようなものじゃ。常人は触れるだけで正気を失うぞえ。
漆黒の使い魔(虚無なる魔鎚)
↑闇の眷族を使役する技え。虚数空間の存在を……おや、難しや?
暗黒武闘(剛腕による漆黒の大剣ブン回し)
↑妾の全魔力により強大な反物質を召喚し、対象を滅殺、のみならず闇エネルギーの大爆発を起こす禁忌じゃったが、@殿には通じんかったぞな。かはは、素敵じゃの!
PS:魔神
↑生ける者を超越する潜在能力ならん! 妾、サイコー!
冥暗の気配
↑周囲の影の動きを感じる能力ぞ。視覚嗅覚聴覚の混じったものかの。
魔眼
↑妾の能力、相手のスキルを読み取る力じゃ。他にもいろいろできるえ。
幼女
↑身体能力の大幅ダウン。……溜めに溜めた魔力がなくなったゆえ……あな、口惜しや。
名前:@
種族:猫
↑初めて見る種族よ。いとおかし♡
性別:♂
神命職業:遥か遠方より来たる王族・侍い大将軍
AS:引っ掻き
↑単純にして強力な攻撃じゃ。よもや、魔神たる妾の身体をも切り刻むとは……。
猫パンチ
↑当たるとその衝撃で意識が遠なる。妾も吃驚。
猫キック
↑げに、おぞまし……。思い出したくもないえ。
PS:王族
↑周りにちやほやされるぞや。妾もメロメロじゃ。
侍い
↑妾を封じた古えの強者と同じぞな。聖魔区別なく斬り伏せる力ならん。
悲劇逆転
↑世にある英雄をも凌駕する凄まじき天運と言えるの。蓋し、英雄とは悲劇と共にあらんが、@殿は違うらしい。一体、何者じゃ……好き♡
どや? どないや? 少しはわかってくれたもか? とは、言うても、こはごく一部。不明もあれば伸びしろもある。願わくは、妾もその結末をこの目にしとうが……。まあ、旅路は始まったばかりじゃ。それもいつかの楽しみとならんや。
おや、@殿、もう行かれるのかえ!? およよ、お待ちをたもれ!! 妾は幼き見姿ゆえ、さように速くは……ん? まだおったかの。妾は急いでおる。また機会があれば、存分に語ろうぞ。いざ、さらば。これからもよろしゅうな!