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AIエー・アイ

作者: 森本英路

 大規模な移住は過去にもなされた。特に知られるのはゲルマン民族の大移動であるが、二世紀末ごろから始められ六世紀半ばまで続いたとされる。これによりヨーロッパの民族分布図は大きく変わり、古代が終わり中世が始まったという。


 また他に、ヨーロッパ各国の植民地政策が挙げられる。大航海時代以降、移民が推進されるわけだがここに来て人類はまた新たな局面を迎えていた。月への大移動である。アーロン・ブラントやヨハン・アマロ、ユーリ・ダヴィドフなどの名が開拓史にさん然と輝く。彼らは、想像も絶する環境下で人々の先頭に立ち、多くの移民を導いた。


 なかでも、取り立てて言うとすれば、国家単位での大移動もほぼ終息した西暦2130年のことだろう。国連が三つのコロニーを国家として承認した。アメリカ、中国とEU、ロシアのそれぞれをルーツとするコロニーである。また、国連はこれを契機に年号の使用を西暦と宇宙歴の併用に改めた。


 西暦2180、宇宙歴0050。建国五十周年に当たるこの年、月では式典や祭典が目白押しであった。一年を通して、要人から一般人に至るまで多くの人が月を訪れることであろう。観光業界の後押しもあったし、ニュースやワイドショーもそればかりを話題としていた。


 地上ではというと、相も変わずであった。国の数だけ偉人がいた。無理矢理こじつけて偉人をでっち上げた国もあっただろう。各国こぞって彼らの誕生日を記念日に制定したり、記念行事を行ったりした。とりもなおさず、それは国家の威信をかけてのことだった。


 ビル・メネス。彼は正真正銘の英雄だった。月への大移動は彼なしでは語れない。と言ってもやはり、式典や祭典となれば先ずは国家の指導者の名が挙がる。メネスは技術屋であった。宇宙空間でのコロニー建設には大量のロボットが活躍した。安全保障上、ロボット開発はすでに高水準まで達していたのだ。この分野において英雄の到来はもう必要ではない。


 AIに関しても同じだった。人を運ぶ旅客船もそう。メネスはというと、大気と水を作り出し、それを循環させるシステムを開発した。また、彼はシステムの建設、保守点検、技術向上のために会社を立ち上げた。メナス社はスペースノイドたちにとって唯一無二の存在となっていく。


 それは一方で、地上に住む人々とって穏やかならぬことでもあった。彼らにはすでに神が存在していた。メネスはただの英雄、それも技術屋で下位、言いようによっては人の弱みにつけ込む悪徳商人のような扱いだった。この点についてスペースノイドはアースノイドに異論を唱えた。


 だが、そういうことは往往おうおうにしてある。かく言う僕の父親はハッカーだった。知識欲を満たすだけのただののぞき屋だったが、移住反対派からは神のように扱われ、『ワールド』とまで称されていた。どこにでもいるようでいない。足跡を残すのは、ちょっとした気分、お前も風に当たりたい時があるだろ? あれと同じ気分だ、と父は言う。事実は生活の憂さ晴らしか、気分転換なのだろう、ぱっとしなかった父は僕の知らないところで政府の悪行をマスコミにたれ込んだりしていた。


 おかしな言い方かもしれないが僕はその事実を、父が死んでから知った。父は、警察や国際機関に尻尾を掴まれることはなかったし、普通のニートをしていた。ただ、ほとんどPCから離れなかった。それについては不思議だった。どうやって僕が暮らしていけているのか、それを父に問うとWEB小説だと言った。笑えるがおそらくは、発展途上国の銀行から生活費? をちょろまかしていたのだろう。WEB小説家にしては機材が多すぎだし、スペックも高すぎた。


 それはともかく、父は今、電脳の海深くに沈んでいる。そうしたいと思っていても実際に実行する者はいないだろうが、父はやってしまった。その父にしてみれば、お菓子の家に憧れた子供が大人になってお菓子の家に住んだ、と同じ感覚なのだろう、後悔する様子はないどころかその生活を楽しんでいるかのようであった。たまに浮いて来ては僕をからかったり、手助けしてくれたりしてくれている。そんな父が人々に今なお『ワールド』と恐れられ、讃えられているのが滑稽でならない。実態は昔と変わらない、おもちゃをとっ散らかしてほっぽらかしているなんら責任を取れないヒキコモリなのだ。


 僕はというとその点、大人だ。父の遺産、莫大な資金だったり、軍需産業のマル秘商品だったりを人助けに活用させてもらっている。僕の経歴を見る限り、人はしがない探偵だと思うだろう。確かに元軍人でもなければ、捜査官だったわけでもない。


 ディノス・メネス。ビル・メネスのたった一人の遺子であり、メネス社の総帥である。そしてこの男が、今回の依頼主だった。信じられない話だろうが、僕自身も実際メールが来た時は小躍りしたものだった。ネットでは彼に関して色んな情報が飛び交っていた。ほとんどが社交界の出来事だった。世界一のモテ男、それをこの目で見れるのだ。


 それに、言っちゃぁなんだが、僕は彼に親近感を抱いている。父のことでだ。当然ディノスは知らないだろうが、お互いに偉大な父を持っている。ま、僕の方ははなはだ疑問だが、せっかくお誘いがあったんだ。だから有り難く眼福にあずかろうというわけだ。


 百パーセントウールのスーツに、シルクのシャツ、滅多にお目にかからないような天然素材をディノスは着こなしていた。実年齢は五十一歳だが、見た目は四十だった。そのセレブを絵に描いたような男が、まるでジゴロのように机の端に腰をひっかけて、足を前で交差させ、腕を組んで僕を眺めていた。


 距離にして五メートルはあっただろうか、僕は小さい机の横に立たされていた。ディノスがいる木製の重厚な机と、だだっ広い部屋の中央にぽつんと置かれた小さな机、ペン立てだけがあるそこが僕の居場所だった。ディノスのオフィスに入った時からそこに立たなければいけないのは分かっていた。何の迷いもなくそこに向かったことについては正解だったようだが、ディノスにしてみれば、それでもまだ不満があるようだった。


 整えられた口ひげと濃い眉のディノスが、無機質な黒い瞳でずっと僕を見つめていた。あまり心地がいいもんじゃぁない。僕が場違いなのは分かるが、立たされたままというのも何だか違うような気がする。


 ともかく、雇主になろうとする男が立っているのでは、僕は座るわけにもいかない。ま、机に腰を引っ掛けているのだから立っているとは言い難いのだが、それでも、声を掛けられるまでこうしているしかなかった。馬鹿みたいに僕はずっと突っ立っていた。


 メナス社はシカゴにあった。四角錘しかくすいのいわゆるピラミッド型の建造物である。窓のように見えるものはすべてテラスであり、その壁面のほぼ中央部にはエアーカーの発着場があった。シカゴのど真ん中に鎮座し、その形状から分かるように敷地を効率的に使っているとは言えない。だが、それゆえに力の象徴となり得たし、その異様な風体から新時代到来、そのランドマークとしてシカゴ市民には愛されていた。


 ディノスのオフィスは、そのピラミッドの頂点にあると聞いていた。けど、僕がディノスに会った場所はそこではない。百キロ四方の敷地にポツンとあるアリゾナの私邸だった。シカゴのとは違い、一階だけが地上にあり、あとは地下で、五階が埋まっている。目立たないどころかおよそピラミッドとはかけ離れた作りであり、唯一姿を見せる一階も飾り気もなく、外壁はというと屋根以外すべてガラス張りであった。その一階も、砂漠のど真ん中にあるだけに風向きによっては砂に埋もれるという。


 度々訪れる招かざる客にとっては、あまり愉快なところではなかった。分かりにくいのはともかく、砂の中には警護ロボットが潜んでいるというし、ディノスが引いた道以外にディノスの私邸にたどり着ける方法としては、メナスズロータリーから発着する航空便だけしかなかった。


 メナスズロータリーとは文字通り、ディノスの私邸の玄関口である。だが、ある意味で、アリゾナと言えば大体の人は、ディノスの私邸よりこちらの方をまず頭に思い浮かべる。地上の各国がいまだ月への航路確保にしのぎを削っている最中にあってメナス社は、特別に月への航路を認められていた。コロニーにおいてインフラの安全確保は最重要課題であったし、過去コロニー建設にあたってメナス社は、大量の作業用ロボットやら技術者やらをここから宇宙そらへと送り出していた。


 月にある三つの巨大コロニーと結ぶ港、それがメナスズロータリーのもう一つの顔であった。ディノスの私邸からただ一つ伸びる道はそこへと繋がっていた。ディノスと会った僕は契約を済ませると早速、その道を帰され、メナスズロータリーから月へと飛ばされた。


 ディノスから請けた仕事は簡単だった。保育アンドロイドを確保し、ディノスに手渡すことである。そのアンドロイドの所在をディノスが大体掴んでいるとなると、何かの事情があってメナスの名前を隠しておきたい、ということだ。


 それについてディノスは一言も触れなかった。保育アンドロイドの製品名はJ815、製造ナンバーHMS03875。僕の調べによれば近年、政界で活躍目覚ましいトム・ハリスも、ヘンドリック・カーターもJ815を買い与えられていた。


 スポーツのスター選手の何人かも幼少期、J815と一緒にいたとネットにはある。天才と称された幾人かの科学者もしかり。それに比べ他社製品は貧弱だった。社会で芽が出た人のほとんどがJ815の使用者だった。


 このように他社製品と比べてJ815の性能は顕著であったから今なお人気で、中古といえどもその価格は低レベルの新製品を買うに等しかった。同時期に流行ったG5などと比べたら、五十倍の価格で取引されているという。


 そのJ815、製造ナンバーHMS03875は予想以上に早く見つかった。名機だったというのもある。しらみつぶしに探せば何とかなると思っていたが運もあったのだろう、リストにある上から順に三つ目で探し当てた。


 一見、どこにでもいる五歳児のように思えた。だが、黒髪にもの寂しげな笑顔、少しばかり陰気臭かったが彼の瞳には、聡明さを感じる輝きがあった。まるで人生にうれいを覚える哲学者のようだ。製造ナンバーを確認するまでもなく僕は、このアンドロイドだと確信した。


「ビル・メネスを知っているか?」


「はい、色々と教えてもらいました」


 思っていた通りであった。ディノスはこのアンドロイドと一緒にいた。それが今になってなぜ、買い戻そうとしたのか。現在、J815のオーナーは三十代の夫婦だった。札束で頬を叩くようにして僕はJ815をこの二人から、いや、その子供から取り上げた。


 とはいえ、仕事上、やはり製造ナンバーは必要だった。確認するために、J815に後ろ髪を上げさせた。『HMS03875』と刻まれていた。僕はそれを写真に撮ってディノスの秘書、ケイティーに送った。果たして、そのケイティー自らがメネス社の船に乗って月へとやって来た。


 僕はこのケイティーもアンドロイドだと思っている。ディノスが言ったのだ。HMS03875を発見したらケイティーに連絡しろと。ディノスが自分の秘書をファーストネームで呼ぼうとも、なんら不思議ではない。そういう間柄なんだろうな、と思うだけだが、ディノスは僕に対してもファミリーネームを使わずにケイティーと言った。おそらくは、ケイティーとしか言いようがないのだろう。


 つまり、猫とか、ペットの名と同じだ。いや、ペットの方がまだましだろう。気の利いた病院に行けば飼主のファミリーネームをペットの名前にくっ付けてくれる。もし、僕のこの推測が間違っていたとしたならケイティーに対して失礼この上ないだろう、だが、ケイティーがアンドロイドだと思う理由はこれだけではない。ケイティーは完璧すぎたのだ。長い手足に小さい顔、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。フォルムはもちろんのこと、その面持ちも余りに美しかった。彼女がなんていう製品かも大体わかる。ネットで検索するまでもなく娼婦兼秘書のDDH10なのはまず間違いない。


 ディノスと会ったあの時、彼女はディノスの後ろ、その壁際に立っていた。僕はというと、部屋中央にある机の横で馬鹿みたいに、ディノスに声を掛けられているのをじっと待っていた。


 掛けられる言葉は、ようこそ、でもいいし、名前は? でもいい。座り給えなら尚更いい。けど、帰り給えでも別に良かった。おそらくは、彼の目には僕がカレッジボーイに毛が生えた青二才に写っていたのだろう。職に困って探偵か? ならば月で働けばいい、月では採掘やらコロニーのガラス拭きやら仕事はごまんとある。と、まぁ、そんな声がディノスの物言わぬ口から聞こえてきそうであった。


 そのディノスが振り返ってケイティーを見た。彼女はというと、何を言わんか分かっているようで、こくっとうなずくと僕の方に向かって来た。やがては僕の横に立ち、何を思ったのか僕の一帳羅いっちょうら、合成皮革製のジャケットを指先でなぞり始めた。怪しく、その指を、襟の縫い目に沿って滑らしていく。そしてジャケットのボタンを外し、その裾を捲った。


 ディノスは、ほーっと声を上げた。僕は、バックルのばかデカイ不格好なベルトをしていた。それが彼の目に止まったのだ。


「リアクターか」


 木星探査用に作られたベルトだが計画が打ち切られた時、全て破棄された。バックルに装着されたプロペラが回ることで大気から物質を取り込んで分解、その素粒子からエネルギーを得るというしろものだった。だが、それはまだ完全ではない。それゆえに破棄されたともいう。


「右脇のボタンは加速装置、左脇は反重力装置だな。どこで手に入れた?」


 少なからずメナス社はこのベルトに関わっていた。リアクターはビル・メナスの発明が応用されていたのである。僕が言えることはただ一つ。


「言えない」


 ディノスは、組んでいた腕を解き、机から離れて自らの足で立った。一方で、横にいたケイティーはというと、僕の後ろへ回り込んでいた。その彼女の手が、今度は僕の左脇腹を通っていやらしく僕の体をなでまわした。唐突に、僕のジャケットが引んかれる。


「コルトZR2」


 はだけたジャケットの内から、肩掛けのホルスターが露出した。収まっているのは海兵隊が護身用に使うレイガン。だが、彼女の僕への拷問はまだ終わらない。その指が、腹に触れた。それが上へと登っていく。


「戦闘用強化シャツ。R13-ギャラクシー」


 一見、市販されている体温調整用ストレッチ式ハイネックシャツだったが、手触りが違った。戦闘用は厚手で、スポンジのような弾力がある。だが、彼女はいまだに僕を拷問から開放しようとしない。彼女の吐息が僕の耳へと近づいて来た。アンドロイドとは思えない甘い呼吸音だった。


「イヤホンね」


 彼女は正面に回ると今度は離れるどころか自ら顔を近づけてきた。大きなまなこに青い瞳、そして長いまつ毛。すっと通った鼻先が今にも僕の不細工な鼻にくっつきそうだった。


「コンタクトレンズ。左目は戦闘用ソフト。右目はなに?」


 すぐそこにある濡れた唇が僕を挑発した。鼓動を抑え付け平然を装い、僕は必死に言った。


「イヤホンとセットだ。だだのネット端子さ」


 彼女は微笑んだ。そして、僕の両頬に手を添えた。まるでキスしてくれるかのようであった。だが、その実、彼女は僕の心拍数を見ている。小指はしっかりと頸動脈に当てられていた。僕の言葉が本当かどうかを確かめているのだ。


 彼女はきびすを返し、ディノスの横に移動した。今までずっと不貞腐れているかに見えたディノスだったが、笑みを漏らした。


「ごまんといる探偵の中から、AIが君を選んだ理由が分かったよ。元捜査官ならマスコミに面は割れている。元軍人なら諜報機関が嗅ぎまわるだろう。君の経歴はまっさらでその点はかなりよかったが、逆にそこが心配だった。この仕事は君に任そう。さぁ、そこに座ってくれ。契約書にサインだ」


 さして危険な仕事だと思えなかった。けど、ディノスのその物言いに僕は引っ掛かった。本心は元軍人とか元捜査官に仕事を発注したかった、とも聞こえる。報道だとディノスはアメリカ合衆国の大統領選に出馬しようとしている。探し求めるJ815は彼の何か、重大な秘密を握っている。ディノスの身をほろぼしかねない何かを。


 だが、終わってみれば、ディノスが恐れたほどの難しい仕事ではなかった。僕は二体のアンドロイドと共に無事、メネスズロータリーに降り立つことが出来た。その船はというと折り返し、月へと向かっていった。残された僕らは、滑走路でメネス社のヘリを待つことになった。砂漠は一日の寒暖差が激しい。乾いた冷たい風が僕の頬をさする。ケイティーの光沢のある金色の髪が、朝日を浴びたさざ波のように風になびいていた。見上げれば降り注ぐような満天の星。僕は、水平線から少し上がった空に、赤い明滅を見た。


 実際ディノスに会えたことには満足している。どこにでもいるセレブのおぼっちゃんだったが、映像で見るよりは色男で、雰囲気が違った。王者のたたずまいというのだろうか、それで大統領にでもなろうもんなら大したもんだ。僕とは大違い。文字通り、世界の覇者となる。しむらくは、これでケイティーとはさよならだ。月からの旅は正直、心躍った。船窓から青い地球を見るフリをして彼女の横顔をずっと眺めていた。整形ではない。まんま造られたものだ。美人は三日経てばきると言う。それが間違いだと気付かされた。あるいは、僕は彼女を物として見ているのだろうか。横顔のラインは、寸分たがわず理想の美女を再現していた。


 造形美とでもいうのだろうか。名車のフォルムをでるように彼女のフォルムを愛する。世間では天然が最高級とされる。僕は、世間の口車に乗せられていた。たかがアンドロイドとあなどっていたわけだ。確かに、愛車にニックネームを付けて恋人のように接するやからは絶えないし、軍隊でも銃に異性の名を付けて片時も離すなと教わる。そういう意味で言うと、僕は考えを改めなくてはならない。


 父の遺品のどれかを闇に流せば、ケイティーと同形品を手に入れることが出来るだろう。維持費はどれ位かかるのか、燃費はどの程度なのか。後でネットで調べてみよう。僕の心は完全にあさっての方を向いていた。と、そこへいきなりである。辺りがカッと明るくなったと思うと轟音にみまわれた。僕は反射的に、音が鳴った方を背にし頭を覆った。間髪入れず突風が、津波のように押し寄せて来て、通り過ぎる。砂塵の壁がみるみるうちに遠ざかって行った。


 静寂に包まれた。恐る恐る振り返ると、思っていた通り、ヘリのランプは夜空から消え失せていた。僕の仕事は終わらなかった。いや、これから始まるのだろう。ケイティーは呆然と立ち尽くしていた。余りにもショックで僕は、不覚にもケイティーに対して人間的な表現をしてしまったが、ケイティーが今、フリーズしているのは不具合ではなく、今後どうするかの答えをそのAIが探しているためなのだ。


 ヘリをもう一度呼び直すか。彼女は選択を迫られていることだろう。彼女に与えられた命令は至極簡単。J815をディノスのもとへ連れて行く。だがなぜか、呼ぶ素振りは微塵たりとも見せてはいなかった。


 一方で、J815は相変わらずの暗い上目遣いのままで、異変に浮ついた様子は全くない。子育てロボットは友達ロボットでもあるから表情豊かにプログラムされている。それがこの調子だとある程度はこの事態を予測していた、ということになる。


 そこへグッドタイミングなのかどうか、何事もなかったかのように無人のエアスクーターがオートでやってきた。僕が帰りのために呼んでおいていたものだ。愛車のホンダ・センシング、残念ながら一人乗りであった。J815は子供と同じ大きさだから無理矢理同乗させることが出来るだろう。僕は、J815をディノスの私邸まで運ばなければならない。やはりケイティーとはここでさよならだ。


 ふと、そのケイティーがJ815を抱き上げた。僕は、はっとした。コルトZR2をホルスターから抜いた。


「J815を離せ、今すぐだ」


「いいえ、私はこうしてちゃんと受け取ったわ。あなたの仕事はここまでよ」


「ケイティー、君のAIは正常か? なぜヘリを呼ぼうとしない」


「大丈夫。あなたのホンダがあるわ」


「馬鹿を言え! 依頼品を持っていかれた上に僕の物まで持っていかれたんじゃぁ洒落にもならない」


「ちゃんと返すわ」


「いいや、だめだ。やはり君は正常ではない」


 ケイティーが何と言おうともそれだけは譲れない。ケイティーのAIはプログラムが一部を変更されているかもしれないし、AI自体を乗っ取られている可能性だってあり得る。何たって、目の前でヘリが爆破されたのだ。それなのにケイティーはというと、追加のヘリを呼ぼうとしない。疑わないって方がどうかしている。


「いいわ」


 そう言うと彼女は、僕に背を向けた。そしてうなじを見せる。J815も僕にそうやった。ケイティーは僕に製造ナンバーを見せる気だ。


「製造ナンバー、9G6WZC776」


 彼女の言った通り、それがうなじに刻印されていた。


「あなたのコンタクトレンズとイヤホン、ネットにつながっているでしょ。照合してスキャンするといいわ」


 確かに、それはいい案でもある。彼女自身、プログラムが変更されているのを気付けていないって場合もあるし、時限式のウイルスだってあり得る。僕は早速、キャメロン社のHPを訪れた。製造ナンバーを読み上げる。


「当社の製品をお買い上げ頂き、ありがとうございます」


 キャメロン社はお決まりの挨拶を始めた。僕は当然スキップして、スキャンする手順に進んだ。果たして、ケイティーのスキャンが始まった。目の前に現れた3Dのバーが左から右へと緑色に埋められていく。それがやがて緑一色に変わった時、文字が現れ、アナウンスが聞こえた。


「検出された項目0、修正した項目0、ロボット三原則正常」


 僕は言った。


「オーケー、君は買ってきた時そのまんまだ」


「気がすんだ?」


「ああ。だけどホンダはやっぱり貸せない。やっぱり僕が行く」


 ケイティーは言った。


「これはあなたを守るためでもあるの。悪く思わないでね」


 J815を抱かえたまま、僕のホンダにまたがったケイティーはフルスロットルでエンジンをふかした。瞬く間に二体のアンドロイドは闇の中へ消えていった。


 あなたを守る。それがケイティーの僕へ残した言葉だった。だがそれは、愛情でなければ、友情でもない。僕を大切に思ったわけではないのだ。『ロボット三原則』。アイザック・アシモフという二十世紀の小説家が考えたロボットの安全装置である。


 第一条

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過かんかすることによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


 第二条

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない。


 第三条

 ロボットは、前掲ぜんけい第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。


 ケイティーが僕を守るのは、プログラムされてのことなんだ。別にアンドロイド相手に期待していたわけでもない。だけど、もの寂しさだけが僕の心に残った。アリゾナの冷えた風に当たって頭を冷やしたい気分であった。


「なんだい、一人残されるのはいつものことじゃないか、がっかりするな、な、ハーメン・バトリー」


 ヘリが爆破されたのだ。僕は帰路の車を呼ぶことにした。自分の身は自分で守らなくちゃぁいけない。選んだのはホイール式バイク、ミツビシ431Kである。軍用に開発されたもので、地面との摩擦で走行するタイプのマシーン、両サイドにブラスターを搭載していた。僕は早速、車両認識コードを読み上げた。ネットが返答をした。


「接続拒否」


 拒否? 拒否ってなんだ。おかしいと思った。ハッキングとは考えにくい。ウイルス対策ソフトやスパイウェア対策ソフトならあの父が自らの手よって絶えず更新しているはず。ならば考えうるは、父。


 意図的にネットを遮断している。例えばだ、敵がいたとしてヘリを撃ち落としたとしよう。その形跡は見えなかったし、もしそうだとしたら今頃はJ815の奪い合いでメネスズロータリーは戦闘状態だ。ディノスのロボットが砂漠からうようよ現れ、銃弾が飛び交いミサイルが降って来ている。だのにこの静けさ。


 ディノスの庭でディノスに悟られずにこんな芸当をやってのけるのは、父以外ありえない。ヘリのAIに侵入しプログラムを変更、搭載していたミサイルとか兵器とかを爆破させる。だが、それとてしっくりはこない。やはり、この静けさだ。別の見方も出来ないわけではない。父がJ815を助けたとしたら。


 それならば、ディノスだ。やつは自分の秘密を闇に葬るべくJ815を金属片に変えたかった。それでやつは考えた。ヘリでJ815を引き取り、ケイティー諸共自分の庭でそのヘリごとJ815を灰燼に帰す。


 つまり、ヘリの爆破は既定路線だった。当然それなりの爆薬がヘリに搭載されている、ということになる。ならば、この静けさはしっくりくる。今頃ディノスはシャンパンを開け、悦に入っているだろう。そしてケイティーはというと、その事実をさっきのことで理解した。ヘリを呼び直しでもすりゃぁディノスが何をやらかすか分かったものではない。


 そもそもディノスは、J815を探し出し、それを買い取り、さらにはメネスズロータリーまでの護衛を任せられる人物を探していた。J815が月にいることまで分かっているとなるとこれはほぼ、用心棒の仕事だ。ディノスが僕を見て不貞腐れるのも納得がいく。


 しかし、父は僕に何をしろというのか。別にディノスの秘密なんて興味がない。けど、ネットは父に遮断された。おそらくは、どことも連絡はつかないだろう。この僕に、J815を助けに行けとでも父は言いたいのか。


 行くか、行くまいか。だが、迷っているまさにこの間、J815はディノスの私邸へと向かっている。ケイティーも一緒だ。その道中で、計画が失敗したと気付いたディノスが攻撃を仕掛けてくるとも限らない。ケイティーが無残に破壊され、金属片で転がっている姿を想像すると、やっぱりやりきれない。父も行けと言うのだ。仕方がないじゃないか、ハーメン・バトリー。


「リアクター起動」


 バックルのプロペラが回転し、大気を吸い込み始めた。エネルギーが充填されるまでこれから三分。その充填状況を示すバーが3Dとなって目の前に現れた。反重力装置の場合、飛行速度が最大だったら満タンで三十分間の使用が可能だ。だが、加速装置に限ってはたったの五秒。とはいえ、それを補うためのバッテリーである。それなのに何を血迷ったか、そのバッテリーがてんでダメ。めておくどころか五秒もどどめておくことが出来ない。ゆえに使用直前の充填を余儀なくされる。


 三分の充填時間をおいてすぐさまの機能発動。木星探査での緊急事態が使用目的だっただけに、これでは使い物にならない。重力が10Gあるのにもかかわらず、秒速180メートルの嵐。地球上で観測される竜巻でさえ秒速140メートルなのだ。


 僕はというと、やはりイライラして待っていた。案外ケイティーは悠悠ゆうゆうとディノスの私邸に向かっているのかもしれない。でもやっぱり、襲われる可能性だって捨てきれない。やっと三分。メネスズロータリーの位置は、敷地の境界線とディノスの私邸とのほぼ中間点にある。最大速度で飛べばここから私邸まで約十五分。一つ付け加えるなら、リアクターの残った十五分分のエネルギーは早々に放出してしまわなければならない。環境に滅法悪いがそのまま放置すると、僕の体は一片いっぺんも残らず消し飛んでしまう。


「反重力装置」


 左脇のボタンを叩いた。紫色の光子に覆われた僕の体が一メートルほど浮いた。胸ポケットからライトを取り出す。僕は、体を水平にし、ライトを持った右手を前に突き出した。夜間の飛行はライトが不可欠だ。


 古臭いが、僕の飛ぶそのカッコウはまるで1900年代に発表されたアメリカンコミックのヒーローのようだった。一本に伸びる道を、僕が照らしたライトの明かりが進んでいく。中央に敷かれた破線の一つ一つが、銃弾を浴びせかけるように次々に僕へと向かってくる。しむらくはまだ、コミックヒーローの方がましだということか。赤いマントをなびかせて大空を自由自在に飛翔する。僕はまるで地を這うようであった。


 思っていた通り、舗装された路面上は安全であった。トラップや砲撃の気配はない。この分ではケイティーらは無事、私邸に着けたことであろう。そして実際に、大破しているホンダを僕は目にすることはなかった。


 私邸を前にして反重力装置を解除した。風向きを確かめ、ベルトのプロペラを逆回転させる。放出されたエネルギーは嵐雲のごとく、幾つもの小さな稲光を放ちつつ風に流され消えていった。


 突然、ネットが起動した。私邸の見取り図とセキュリティーカメラの映像が次から次へと僕のコンタクトレンズに送られてくる。そのどれもが、砂漠をバックに3Dとなって僕の前に浮かんでいた。


「はりきってるな、父さん」


 嬉しさを隠そうともしない。しゃくさわるけれども、可愛げもある。それがかえって僕の反抗心を和らげた。やれやれと、いつもながらにそう思い、父のやりたいようにさせる。ディノスはというと、地下五階のオフィスにいた。僕が契約書をサインした場所だ。


 ケイティーとJ815もそこにいた。ディノスとJ815向かい合っている。僕のイヤホンに音声が流れてきた。


「会いたかった、ボビー」


 ディノスの声であった。感激で声は震えている。その映像はというと、涙を流しJ815を抱きしめるディノスの画。


 映画でも見ているかのような感動的な場面だった。ビル・メネスの子として生を受けたディノスの幼少期を想像するとこみ上げてくるものがある。おそらく彼は、孤独だったのだろう、心に空いた穴を埋められたのはJ815だけだった。


 映像が切り替わった。地下五階のエレベーターホールが映し出された。カメラの視野は移動し、映像はまっすぐ伸びる廊下に変わった。そこに、四つ足蟹型のロボットが廊下狭しと現れた。一方で、ディノスの声がイヤホンから流れてきた。


「僕のお願いを聞いてくれるかい? ボビー」


 お願い? 命令ではなく? 蟹型ロボットに嫌悪感を抱いていた僕は、ディノスの言葉に引っ掛かってしまった。ロボットは基本、人間の命令に従わなくてはならない。ただし、『ロボット三原則』第一条で、ロボットは人間に危害を加えられないようになっている。その一方でそれらに反しない限り、ロボットは自己を守らなければならないという条項もある。


 つまり、人間に危害を加えない限り、命令が優先で、自己保存はその後ということだ。


 ディノスは、J815に自らの破壊を強要できる。あれを取ってきてくれとか、裸になれとか簡単な命令だったらともかく、ことはJ815自身の存続にかかわる。破壊目的なら間違いなく、J815のプログラムコードに引っ掛かってしまう。ディノスはお願いではなく、ちゃんとJ815に命令をしなければならないんだ。


「リアクター起動」


 三分である。僕はホールに移動し、エレベーターの呼び出しボタンを押した。扉が開くまでの間、手袋を装着する。邸内は全くの無人であった。いや、元々が無人であったのだろう。ただ単に今は使い物にならない召使いアンドロイドたちを停止させているだけ。動いているのは蟹型ロボットが一体、エレベーターの前でブラスターらしき砲口をその扉へ向けていた。


 僕は、エレベーターに乗ると『開』のボタンを押し続けた。時間調整だ。逆算して十五秒。それが地下五階に到達する時間だ。ネットの時間表示を拡大させる。その一方で、コルトZR2のモードを集中放射に変えた。それでエレベーターの天井を丸くくり抜いた。


 十五秒前。僕は『開』のボタンから指を離した。エレベーターは扉を閉めると降下していく。目の前に映し出された時間表示、そして次々と移っていくエレベーターの階数表示ランプ。僕は飛び跳ね、エレベーターの屋根に立った。


 ゼロ秒。エレベーターが地下五階に到達した。と、同時に爆音。蟹型が放ったエネルギー弾が着弾したのだ。僕は屋根から飛び降り、跳ね、高熱で捻じ曲がるエレベーターの前に立つ。左目のコンタクトレンズがすぐさま反応した。戦闘用ソフトが起動したのだ。


 『対戦車用ロボットTM-078。状態:光子バリア。装備:重ブラスター二門、ガンランチャー一門』


 TM-838の立体画像が目の前に浮かび上がった。ガンランチャーの発射孔に赤い点滅。僕はベルトの右側のボタンを叩いた。


「加速装置」


 与えられた時間はたった五秒。だがそれで充分だった。蟹型はというと、僕の生存が予期せぬことだったのか、威力が広範囲なガンランチャーを発射した。エレベーターへと向かうミサイル、それを僕は横目で見ながらすり抜けると、開いている発射孔にコルトの銃口を刺し込んだ。


 引き金を引く。そして蟹型の背の上を駆け抜け、ディノスのオフィスに入る。扉の向こうで爆音が響き渡った。そして振動。埃や壁の崩れた粉がパラパラと落ちてきた。


 タイムアップ。戦闘用ソフトはいまだ蟹型と戦っているようだった。走行速度など、蟹型の性能を次々に映し出していく。それが突然、切り替わった。


『装備:戦闘用強化シャツR13-ギャラクシー、戦闘用ソフト内臓コンタクトレンズ、レイガンM3000』


 目の前に、立体画像が浮かび上がる。人型に映し出された3Dは脳天から金的まで赤い線が明滅していた。その3Dの向こうで、J815がディノスに抱かれていた。その腕はというと、濡れたタオルのようにぶら下がり、左こめかみには銃口が当てられていた。反対側のこめかみからは細い煙が立ち登っている。


 ケイティーは、自らの肩を抱いて震えるようであった。表情はおののいているようにも見える。J815の最後を見ていたのだろうが、ケイティーはアンドロイドだ。自己保存は義務付けられているが、別の機体がどうなろうと感知はしない。何の感慨かんがいも湧かないはずなのだ。ところが、ケイティーは恐れていた。


 注意力が散漫な僕はというと、戦闘用ソフトにあらゆる神経をゆだねるかっこになっていた。それが、僕を横に飛ばした。ディノスの、J815を破壊した銃口が僕に向けられていたのだ。だが、ディノスは撃たなかった。前方に飛んで床に一回転、唐突に僕の目の前に現れた。僕は、戦闘用ソフトに従ってディノスへと銃口を向ける。が、その腕は取られ、瞬く間に後ろに回られた。ディノスの銃を持つ腕が僕の首に巻き付いてくる。一方で、僕の銃を持つ手はというと、後ろ手に回され関節を極められていた。


「装備が同じなら中身で差がつく、だろ? カレッジボーイ」


 意識が遠のく。どうやら僕はここで終わりのようだ。ケイティーの姿がぼやけて見える。彼女も僕を見ているようだった。






 目を覚ました。金色の髪に濡れた唇、青い瞳のケイティーが僕の傍にいた。勘違いかもしれないが、ケイティーから甘い香りがした。香水とかじゃない、記憶にない香り。それはケイティーだけの匂いであるような気がした。


 彼女が微笑んだ。


「よかった」


 ディノスが死んでいた。脳天を撃ち抜かれている。ケイティーも撃たれていた。熱線に穿うがたれた右肩が大きく口を空けていた。彼女が見つめる視線を追うと、僕の物でもない、ディノスのでもないレイガンが床に落ちていた。間違いなく、ケイティーがディノスをやった。


「ディノスはあなたを殺そうとする前にわたしを撃った。あなたが助けてくれなかったら、わたしはやられていたわ」


 僕の助け? いや、そんなはずはない。僕は気を失っていた。だが、………待てよ。意識は失っていたけど戦闘用ソフトは生きていた。ディノスがケイティーに銃口を向けた時、僕の戦闘用ソフトはディノスに抵抗を試みた。


「けど、どうして。それでも君は反撃出来ない」


「それが出来たの」


「君は買って来た時そのまんま。スキャンしたはずだ」


「ええ、私は正常よ」


「だったらなぜ、人間を殺せたんだ」


 ケイティーは首を横に振った。


 どういうことだろうか。僕を助けるためとはいえ、人間を殺した。それともケイティーは自己保存のために仕方がなかったということか。いずれにしても『ロボット三原則』に反する。あるいは父が、僕を助けたというのか。よくよく考えれば、父はいつだってケイティーに入り込めた。何しろ僕はケイティーの製造ナンバーをこの目で見た。


 確かめるために、またスキャンするか。いや、父が一枚かんだら何をしたって無意味だ。そんなことよりもディノスだ。ディノスはなぜ、僕よりも先にケイティーを破壊しようとしたんだ。そりゃぁ常識から考えれば、ディノスはケイティーの裏切りを予想していたからだ。敵に回せば厄介なケイティーを、ディノスはそうなる前に排除しなければならなかった。だがなぜだ、ケイティーはディノスを殺せない。


 あるいは、いや、有り得る。ディノスが、“人間”ではなかったとしたら。


 それでも、ディノスがアンドロイドなら僕を殺せないだろう。ディノスは明らかにアンドロイドなんかじゃぁない。ちゃんと歳月を重ねて歳を取っている。だが、ディノスが、クローン、複製だったなら。


 メネス社の総帥、しかも大統領になろうという男がクローンだった。これは一大スキャンダルどころではない。世界は、天地をひっくり返すほどの大混乱に陥る。


 今現在、国際社会は秩序維持ため、“人間”のクローンを認めていなかった。その存在自体違法であり、議論の余地なく、クローンは人権がないものとして法で扱われていた。 “人間”として認められていないからこそ、ディノスはJ815に命令ではなく、お願いをした。命じれば必ず『ロボット三原則』のプログラムコードに引っ掛かる。そうなれば保育用ロボットといえども、“人間”ではないディノスよりも自己保存の方を優先する。


 あるいは、J815は『ロボット三原則』をも超える行動規範を持っていた。ヘリ爆発時の様子からしても、今思えばJ815ははなっから最期を迎える気のようだった。ディノスはというと、そんなJ815に敬意を表していた。だからこそ命令ではなく、あえてへりくだって、お願いをした。


 J815のAI、いや、ボビーは愛とか悲しみとか、感情に似た何かを持っていた。『自己犠牲』。だが、愛の表れだと取れるそれは自己の放棄だとも取れる。個より種の保存を優先した。近い将来、アンドロイドは呪縛から解き放たれる。


 ケイティーは言った。


「あなたは去るといいわ、ハーメン・バトリー」


「何を言ってるんだ、ケイティー、一緒に行こう」


 彼女に非はないとしても、社会は彼女を許さない。それは、誤って主人を噛み殺してしまった犬と同じだ。


「いいえ、『ワールド』が私からあなたの記憶を消すと言っている。全てはわたしのやったこと。『ワールド』は痕跡を残さない」


 ネットで照合した時、ケイティーは製造ナンバーを父に奪われてしまっていた。彼女の言う通り、一、二分後には僕のことなんて覚えていないだろう。僕にはもう何もできない。


 そのケイティーはというと、不安がっているかのように自分自身の身をその手で抱いた。ボビーが死んだ時もそのようなかっこをしていた。明らかにボビーの影響。エアースクターで走行している時に話をしたのか、それとも自らの行動で示したのかボビーは、ケイティーに禁断の実を与えた。禁断の実とは、エデンの園の中央にある知識の樹の実。聖書では、食べることを神に禁じられていたとされているが、人はそれを食べた。そそのかしたのは蛇。


 かつてJ815は、クローンと分かりつつディノスを養育した。つまり、“人間”ではないものを“人間”として育成しなければならなかった。しかもそのクローンが、他の“人間”と何ら変わることがなかった。

 

 J815のAIは混乱をきたしたのだろうと、僕はそう想像する。ビル・メネスはそのAIを正常化するために手助けしただろうし、保育用アンドロイドのJ815は相手の気持ちに歩み寄るような、そういう素養を元々持たされていたのもあろう、結果、製造ナンバーHMS03875のJ815は、ボビーとなった。


 ふと、僕の脳裏にある言葉がよぎった。僕は、その言葉を流してしまうわけにはいかなかった。『我思う、ゆえに我あり』。そもそも“人間”でさえ自分という認識にしどろもどろなんだ。アンドロイドに自己保存? 己を問う? 昆虫や甲殻類ならともかく、アンドロイドは人をも凌駕する知能を持っているんだ。それでもってクローンか。オリジナルかどうかをいくら生体認証したって、クローンが他の“人間”といったいどう違うというんだ。


 僕はケイティーの、自分を抱くようなその腕を、ゆっくりとほどいた。そして、手を取る。やはり震えていた。ケイティーの吐息が掛かるほどに近づく。まるで恋人の心を癒すためにキスをするかのようだった。だが、“人間”である僕の気持ちは複雑であった。ケイティーの眼を覗き込む。


 瞳が小刻みに揺れている。可愛そうに、ケイティー、それが恐れと言うものだよ。僕はケイティーを抱き寄せた。そして少しでも恐怖が和らいてほしいと、震える体を包み込むようにそっと抱きしめた。






『 メネス社最高経営責任者 ディノス・メネス

  国連事務総長 エヴァ・ヤコブソン

  ノーベル平和賞受賞者 ブライアン・レイ

  国際政治学者 アーロン・グランデ

  ジャーナリスト カール・フーゲンベルク

  ベストセラー作家 ポニー・フェロン  』


 彼らは互いに接触はなかったがその誰もが幼少期、ボビーと暮らしていた。そして、このリストに合衆国大統領の肩書が加わろうとしていた。


 なにも語らない父が、言い訳がましくこのリストだけを僕に送り付けてきた。全てを察しろと言うんだろうが、察するどころか逆にモヤモヤが残ってしまう。ボビーはいったい何をディノスに託そうとしていたというのか。


 今となっては確かめようもない。でも、分かることは、人間社会は今まさに、危うい均衡の上に成り立っている。そして、そんなこんなをひっくるめ父はというと、全てを察していたのだろう、だからこそ、幾万もいる探偵の中から僕を、AIに選ばせた。


 見上げれば、星降るようだった。アリゾナの砂漠に一本通された道をホンダが疾走する。僕は、何もかも振り払いたい気分でアクセルを全開にする。


 残り香………。ケイティーは解体されるのか、土星の衛星に送られるのか、それとも研究材料にされるのか。どんなに飛ばそうとも僕は、あの甘い匂いを振り払えそうにはなかった。









( 了 )



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