性 ~saga~
同じ快楽を貪ったはずなのに。
どうしても拭えない、不公平感。私は今までに何度ため息をついたことだろう。
23歳の冬の夜に、暇と行き所のない気持ちを持て余す女性は、世の中にいったい何人いるのだろうか。対照的に人生を謳歌している人数と、どっちが多いのだろう。
週末の今晩、彼は新年会に出席中だ。今年に入り、もう何度目かの“新年会”。私を放っておいて、自分だけ楽しく飲んでいる。どうしても出席しないといけないというのなら、二次会以降をキャンセルすればいいのに。「これから三次会、やっぱカラオケかな」そんな浮かれた連絡を寄越してからもう4時間が過ぎている。着信にも気づかず、気分よく酔っ払っているのだろう。私の返信は、未読のまま。
一人の部屋で退屈しきった私は、またため息をつく。つくづく世の中は不公平だ。
こんな発言をする私は、傍目にはどう映るのだろう?きっと「恋人を過剰に束縛するワガママお嬢ちゃん」などと思われるのが関の山ではないかと…、それは、私も自覚している。
少なくとも、一年前まではそうだった。疑うことなく、そういられた。
今は、違う。もうお嬢ちゃんとは呼べない立場。ここは新婚の2LDKの新居、そして私のおなかには、子供がいる。
結婚願望なんてさして強くなかった私だけれど、それでもなんとなく想像していたのは。プロポーズされ結婚し、甘く幸せな日々を送るうちやがて愛する人の子供を宿したら…、きっと幸せな、穏やかに満ち足りた時間を過ごすのだと思っていた。そうあって当然だと、信じて疑わなかった。
この一年間に私に起こった、人生の節目と呼べる出来事は、予想外に多すぎた。大学の卒業、新社会人デビュー、それから間を開けずの妊娠発覚・入籍・引越し、そして退職…。節目の目白押し。自業自得とはいえ、めまぐるしすぎだ。幸せの甘さを体感する暇もなく、大波に飲まれたかのように慌ただしい生活の変化。専業主婦になってしまえば、あとには退屈しか残らなかった。
私は…、いや、私たちは。まだ親になるには早すぎた。今さらだけれど、実感する。親になるためにはまだ、人生経験だけでなく経済力も何もかも、経験値が足りない。全然、足りていない。
自分の行動を棚に上げ、批判を承知で本音を言えば「なぜ妊娠してしまったんだろう」という一言に尽きる。「こんなはずではなかったのに、運が悪かった」と。
勝手な言い分だということは、少し考えれば分かる。地球上の他のどの生物だって、交尾の目的は繁殖だ。人間だけが一時の快楽を得るために安易に繋がり、純然たる生殖行為をしておいて、いざ妊娠したら驚きうろたえる矛盾。結果が、この後悔。
私の心は、怒涛の日々を送るうちに摩耗して不感症になったのかもしれない。大好きな彼の子供を妊娠できてうれしい、授かったこの子を大切に育てようと思った。それは間違いないけれど、世間の反応・職場での風当たりにさらされ、そして想定外に単調な結婚生活を送るうちに。夢と現実とのギャップに失望し、「幸せ」と思えることの数は激減していった。今では探してもすぐには見つけらないほどだ。
かわりに心を占めるのは、例えば…、生理の遅れに気づいた深夜、夜明けを待つまで、いてもたってもいられずに、とあるサイトに書き込んだ相談文が良識ある閲覧者の皆様の良心を刺激し炎上して、多数寄せられたお叱りコメントの心をえぐられるような辛辣な内容だったり。忙しい職場からやっと得た半日休暇で受診した、産婦人科の待ち時間の、何とも落ち着かない心細い気持ちだったり。今後の経済的なことを考えれば何としても残りたかった職場に、けれど試用期間中の身でしがみつくことは難しかった自分のふがいなさだったり。
肉体的には何の変化もきたすことのない彼に――というよりはもうすでに配偶者となった夫に――さえ分かってはもらえない、こういった事情。理解してもらうことはおろか、気づいてもらえる見込みすらもない。かといって言葉に換えて伝えることだって到底不可能だと思われるような、女ならではの悩み。間近に迫る生みの苦しみだって、これほど科学の発達した現代にあっても原始と変わらず、女だけが味わうもの。
わだかまる不満をあえて一言で言い表すなら、「こんなはずじゃなかったのにという、不公平感」という表現になる。
嘆いても、時は待ってはくれない。妊娠が分かったのが5月末。そして今は年が明け、1月。胎児は育ち切り、暴れまわって痛いくらいだ。はちきれんばかりに膨らんだ腹部のせいで行動が制限され、体が重く、歩くことすら息が切れる。もう間もなく確実に爆発を迎える、私の中に埋め込まれた時限爆弾。これは無自覚に快楽を貪ったことへの罰なのか?
『目の中に入れても痛くない』と表現されるほどに愛おしいはずの我が子をこんな風に思う、私は悪い母親だ。こんな考えの私に、胎児は怒っているのかもしれない。現在私と一体でありながら、別の人格を持つ小さな人間は、私の内部から怒りをたぎらせている。燻ぶりは次第に激しく燃え上がり、今や噴出も近い。
× × ×
陣痛が始まった。時限爆弾の、カウントダウン開始。この痛みは、母に存在を否定された胎児からの、無言の抗議ではないだろうか。そんなことを考え、胎児との根競べのようにここまで痛みに耐えて。ようやく入院までこぎつけたのに、生まれるまでにはまだ数時間を要するらしい。痛みで声なんてあげたくはないのに、意志に反してうめき、あえいで喉が渇く。苦しくて、自然に体がよじれる。
間もなく我が子との対面を果たすこの期に及んでもなお、心の片隅から離れないのは「この子さえいなかったら」という気持ち。この子さえいなかったら、私は。まだ結婚しなかった。働き続けられた。こんなに悩まなかった。深夜まで遊べた。飲みにも行けた。はぁぁ、体のラインも崩れず、おしゃれもできた。んんっ、こんな痛みに耐える必要もなかった―――。上限の見えない痛みに我を失いつつある私は、叫び、呪い、拒絶して。
意識の途切れる前に「母体の血圧低下」という慌てた声を聞いた気がするけれど、定かではない。
ふと気づくと、私は川辺にいた。
ひょっとしてこれ、三途の川?渡った私は、死んじゃうの?そう思いを至らせるのと、おなかに目を落とし急ぎ触って確認する行動とは、どちらが早かっただろうか。外を歩くのさえ恥ずかしいと思うくらいに大きく前にせり出し、足元を視界から隠していた私のおなかは、嘘のように平坦になっていた。あれほど強い痛みがあったはずなのに、今、私の体にはそのあとかたもない。
赤ちゃんは?どこ?どこに行ったの?
辺りを見回してもむなしく、うら寂しい川辺の風景だけが目に映る。そうだよね、あの子はきっと「お母さんと一緒に行こう」とは思ってくれないね。今までのこと考えたら、当然だよね。「子供なんて欲しくない」って思うような、私は悪いお母さんだったから…。
しばらくあたりを見回して探しても、色彩に乏しい冬の川辺には誰もいない。誰も来ない。誰の声も聞こえない。仕方がないから私は一人で歩きだす。
もしこちら側が川を渡った先であるなら、さっきまでおなかにいたあの子が今ここに、私と一緒にいないことは、きっといいことなのだ。そのほうがあの子にとっては、幸せだ。そう思いながらも、一人でいるのがこんなに寂しいのは、涙があふれて止まらないのは、なぜだろう。母になることをどれだけ否定しても、私はもうすでに、お母さんなのかもしれない。280日という期間は、なかったことにするには重すぎる。
神のみぞ知る領域で采配されるのが、妊娠。
私なんかが軽々しく扱っていいものかどうか、ちょっと悩みました。
望む人にはなかなか授けられずに、望まないところに授かってしまう不条理も、現実にはままあるでしょう。かくいう私も、長年の不妊治療を経ての子供だったといいます。そうやってまでして迎えてもらったことに、感謝はしています。なので、決して軽んじているわけではなく、綿密な下調べもして書き上げました。
たとえば陣痛って、母になるための登竜門として必要な儀式なのかなあとか、思ったりはするのですが、残念ながら経験したことはないんですよねえ、私…。