第一話 アゼルは舞い降りた [2]
アゼルさんはお父様の急な転勤で日本に引っ越してこられましたが、子供の頃日本でくらしていたことがあるそうで、ごらんのとうり日本語はお上手です。だからみんなも遠慮せず、どんどん話し掛けてあげて下さいね」
土井先生が彼女を紹介する間に、このクラスの男子は例外なく、ほぼ全員彼女の虜になっていたと俺は断言できる。(それにはもちろん俺も含まれているわけだが)それぐらい彼女の……アゼルの美しさは圧倒的なものだった。
「えーと、それじゃあ、アゼルさんの席だけど、とりあえず水谷君の席の隣が開いてるんで、あそこに座ってちょうだい」
「はい、わかりました」
「新学期になったら改めて席替えをしましょう。それじゃあ、さっそく授業始めるから。えーと、今日はこの前の続きだから…」
ウソだろ!マジかよ。
彼女は俺の席の方に向かって、まっすぐ歩いてきた。
「よろしくお願いします。水谷君」
「あ、いえ、こ、こちらこそよろしく」
俺は緊張のあまり舌を噛みそうになった。
情けないとは思いつつ、サエコ以外の女子と普段まともに会話したことのない俺にとって、まさに今は非常事態!
助け舟のつもりなのかどうか知らないが、斜め後ろの席のヒデアキが話しに割り込んできた。
「オレ、安藤ヒデアキ。ヒデアキって呼んでよ、アゼルちゃん!」
「はい、よろしくお願いします。ヒデアキさん」
続いて、彼女の後ろの席のサエコも話かけてきた。
「なに馴れ馴れしく話かけてるのよ!私はサエコ、島村サエコです。困ったことがあったら何でも相談してね、アゼルさん」
「ええ、ありがとう島村さん。こちらこそよろしく」
そんなこんなしてるうちに、ようやく授業が始まった。
「水谷君、アゼルさんに教科書みせてあげてね。まだ持っていないそうだから」
「あ、はい、えーと、じゃあ今日はここからで……」
俺は教科書を開くと、隣の席のアゼルが読めるように席を近づけた。
彼女の甘く官能的な香りが俺の鼻腔をくすぐる。
女の子ってこんなにいい匂いがするのか。
俺は心の中で密かにささやかな喜びをかみ締めた。
昼休み。
転校生のアゼルを囲み、クラスの女子たちがにぎやかにおしゃべりしている。
「アゼルさんって、いつ頃日本に住んでたの?」
「10年ほど前、私が小学校に入学するまで住んでました。私が小学校に入学するのと同時にアメリカに戻ったんです」
「どの辺りだったの?」
「神戸です」
「ご家族は?兄弟は?」
「父と母と、あと妹がいますけど、妹はアメリカで祖父と一緒に住んでます」
「えー、どうして?」
「バカ、そんなこと訊くもんじゃないわよ」
「あ、ごめんなさい」
「いえ、いいんです。妹はちょっと……身体が弱くて……」
気まずい空気がその場に流れた。
慌てて他の生徒が話しかける。
「それより、アゼルさんって何か趣味とかあるの?好きな音楽は?」
「あ、そうですね。クラッシックとか……」
そんな和気あいあいな光景を遠くから男どもが羨ましげに眺めている。
「いいよな、アゼルちゃんて」
「ホント、ホント、美人でおしとやかで性格もいいし」
「それに気品ってもんが感じられるよ。ありゃー、きっとどこか名門の血筋だよ。ご先祖様は貴族とかじゃね」
「ったく、それにしてもうらやましいよな、水谷のヤツ。ただでさえ幼なじみの彼女がいるってーのに」
「くそー不公平だ!俺たちは恋愛不公平格差の是正を要求する!」
教室にいるとロクなことがなさそうだ。
さっさと学食へ行こう。
財布を握り締め、俺が教室から出ようとした時、いきなりヒデアキのヤツが抱きついてきた。
「おいおい、ツトム。この幸せモンが!」
「よせよ、席が隣になっただけだろ。すぐに夏休みだし、新学期になったらどうせ席替えさ」
「いいや違うね。この世のことは全て運命づけられているんだ。アゼルちゃんがおまえの隣の席になったことも然り。きっと大いなる意味が存在してるのさ」
俺はヒデアキを振り払い、めんどくさそうに答えた。
「バカバカしい。俺はおまえと違って運命論者じゃないんでね。そんなこと信じやしないさ」
「そのうち分かるさ、おまえにもな。世の中理屈じゃないってことが」
ったく、よく言うよ。
それより早く学食に行かないと、本当に昼飯を食いっぱぐれることになりかねない。
「はいはい、わかりましたよ。それよりさっさっと学食に行こうぜ。俺は自分の昼飯の運命の方が気になる」
「ロマンのないヤツだよな。おまえって」
俺たちは足早に教室を後にした。
「どうしたの?」
俺たちが教室から出て行くのをジッと見つめていたアゼルにサエコが尋ねた。
「ねえ、水谷君って、どんな人?」
アゼルの口から出た思いがけない言葉にサエコたちはどよめきたった。
「え、なに、興味あるの?まさか一目ぼれとか」
女子の一人がそう尋ねると、サエコが横槍を入れてきた。
「バカなに言ってんのよ。そんなことあるワケ……」
だが、サエコが言い終わる前にアゼルは答えた。
「ええ、すごく興味があるんです」
一同絶句。
もはや誰も笑ってはいない。
アゼルは穏やかに微笑みながら言葉を続けた。
「彼が……水谷ツトム君のことが」