第29話(85話) アンブロシア計画
総司令官と密かに接触したのは、今回が初めてではない。
ガウェルを暗殺した後、ティノンは総司令官から情報を受け取る、筈だった。だがティノンの手腕に目をつけた総司令官は、ガウェルの下で情報流出に加担していた人物達の拘束、及び暗殺を依頼して来たのだ。自らが知る限りの情報を、ティノンに譲渡する事を条件として。
部屋に通された後、ティノンは総司令官とテーブルを挟む形で向かい合って座る。エルシディアに斬りつけらた瞼は薄くカサブタになっていた。
「その傷は?」
「エルシディアと、交戦しました。連れ戻そうとしましたが、抵抗されて…………彼女は、ビャクヤの記憶を、取り戻したいと……」
「そうか……コーヒーを入れてある。私が客人用に仕入れてある最高級の品だ」
テーブルの上に置かれたカップから湯気が上がっている。だがティノンは、それに一切口をつけようとしない。
「それなら、まずーー」
「あぁ、待ってくれ。その前に、仮面を外させてくれ。これから真実を語ろうという時に無粋な代物だ」
話を止めると、総司令官は異形のマスクに手をかけ、その素顔を晒した。
ティノンは思わず、一瞬目を逸らしてしまった。
顔は焼け爛れたように崩れ、目は白く濁りきっていた。
「総司令官……」
「今の私は、アルギネア軍総司令官としてこの場にいるわけではない。君はもう既に、私の本名を知っている筈だ」
「それなら…………アーバイン・ホープ、聞かせてください。17年前、何があったのかを」
少しの沈黙。
ティノンはまず、全ての鍵を握るであろう、あの兵器について話し始める。
「EAは……あれは一体何なんですか。私は2年前、ゼロエンドの背中から翼のようなものが生えているのを見ました。何の為に作られたんですか」
ティノンに尋ねられると、アーバインは淡々と語り出した。
「EAを作ったのは単純な理由だ。戦争に終止符を打つため。その為には当時の機動兵器を大きく上回る戦力が必要だった」
「……あれがただの、兵器だとでも?」
「少なくとも、当初のプランではその予定だった。だがアンブロシア計画、そしてアリアの存在が、EAをただの兵器からかけ離れた存在へと変えた」
アーバインは濁った目をゆっくり閉じ、コーヒーを一口啜る。再び語り出す。
「私達は……いや、正確には私とゼオンはクラウソラス博士が行なった人体実験に否定的だった。まだ臨床試験に入るにはデータが少な過ぎた。……おそらく焦っていたのだろう」
「何故……いや、何となく分かりました。確か当時はアルギネアとグシオスの……」
「あぁ。私達がアクトニウムコアの開発に着手したのは今から20年前。その当時はアルギネアとグシオスの戦争が苛烈さを増していた時期だ。軍は軍事的に有意な研究以外の支援を打ち切ろうとしていた。私はそれを利用した」
コーヒーの湯気が僅かに揺らめく。相変わらず、ティノンはカップに口すら付けず、アーバインの話を聞いている。
「支援を打ち切られたくなければ、アクトニウムコアを軍事利用する他ないと、博士に伝えた。事実上、脅迫だ。博士は直前まで否定していたが、最後には頷いた。彼の側近だったギーブルの説得のおかげだ。だがそれだけでは、足りなかった」
「…………」
ギリ、と歯を噛みしめる音が聞こえる。見ずともアーバインには分かっていた。正義感の強い彼女の表情が険しくなっていることを。
「私達はクラウソラス博士の実験データ……いや、被験者データか。それを盗み出し、彼の元を離反した。そこで私が計画したのはグリフィアに代わる戦力だ。当時は既に二足歩行機動兵器が誕生していた事、そして何より……私は人間の形に拘っていた。友人の影響を受けていてな」
アーバインの話を聞き、ティノンは理解した。あれ程の出力を持つアクトニウムコアを、何故大型兵器や陸艦に転用しないのか。おそらく人型に拘ったおかげで、正確なデータが機動兵器レベルのものしか採れていなかったのだろう。
「何故、人型に……?」
「友人の願いを体現したかった、とでも言っておこう……だがEA、プロトゼロには最大の問題があった」
「乗り手への、負担……」
「そうだ。初期型のアクトニウムコアを搭載したプロトゼロのコクピットは高濃度のアクトニウムで満たされていた。プロトゼロには高精度の電子頭脳を搭載していたが、自立機動は出来なかった……彼女が現れるまで」
彼女。
その名をティノンは口に出した。
「アリア・クラウソラス……」
「最初は偶然だと思っていた。だがそう思っていた私達の目の前で、彼女はプロトゼロのコクピットに乗り込み、剰え、動かしてみせた。そして言った。「ゼロを私に譲って。この子と私で戦争を終わらせる」と。プロトゼロを動かせるのは彼女しかいなかった。だから私は承諾した。……クラウソラス博士は、止めようとしたのだろうがな」
アーバインは当人同士のやりとりを知らないようだが、なんとなく察しはついていたようだ。当然だ。自らの家族を戦場に、更によりにもよって何が起きるか分からない危険な兵器に乗せるなど肉親に出来るはずがない。
だが、アリアは乗る事を決意した。自分にしか出来ない事を果たす為に。
「貴方は…………心が痛まなかったんですか……!?
確かにクラウソラス博士が行なった実験は許されないものだったかもしれない。でも貴方がしたのは、クラウソラス博士から贖罪の機会を奪う行為です! 犠牲になった人達は、クラウソラス博士は自分の夢をーー」
「クラウソラス博士……いや、クラウソラスは私の友人の妻を実験体にしていた。名前は…………イシュー・ソウレン」
「ソウ…………?」
瞬間、ティノンの頭の中は真っ白になった。
その姓は、聞き慣れたものだった。
「中にはまだ、身籠ったばかりの赤ん坊……ビャクヤがいた。…………成人では成功率が低いという結論に達したクラウソラスは、母胎の赤ん坊を適合させようとした」
アクトニウムは成人すら殺す程の毒性がある。肉体が異常な細胞増殖に耐えられず、立ち所に肉塊と化すほどの。
耐えられるはずがない。母胎も、胎児も。
「な、何で……? 何でそんな実験を、母親は、受け入れ…………」
「知っていて受け入れると思うか? クラウソラス博士は研究者でもあり、医者でもあった。胎児の健康状態を診ると偽って呼び出し、アクトニウムを注入した。……すぐに、イシューの身体に異変が現れた」
どんな苦痛だったのか。
ティノンは想像した瞬間、吐き気を催した。
「すぐに手術が行われた。その時にオペを行なったのはゼオン、クラウソラスから医学の知識を教わっていた医師だった。……だが、問題が起こった」
アーバインの表情は変わらない。
「胎内の胎児はまだ、生きていた。普通ならば死んでいておかしくないにも関わらず。最初は中絶させるつもりだったゼオンの意思がそこで揺らいだ。まだ生きているのなら、助けなければと。……だが彼が選んだ方法は……」
そこで初めて、アーバインが初めて顔を俯かせ、言葉を詰まらせた。
ティノンは耳を塞ごうとする。もう聞かなくてもいい。だが、アーバインの口は真実を紡いだ。
「帝王切開で取り出した胎児を、別の人間の胎内に移す。……成功するはずがなかった、いや、成功するべきではなかった手術を、ゼオンは成功させてしまった。新たな母親は…………」
「やめろ、話すな! もう聞きたくない……!!」
「アリア・クラウソラス。自らの兄が犯した罪を、妹が償った。……彼女自身の、意思で、イシューの息子、ビャクヤを引き継いだ」
その手術の後、アリアはビャクヤをその身に宿したまま、プロトゼロへ適合した。
ティノンはテーブルにもたれ掛かり、コーヒーカップを払い落とした。陶器が割れる甲高い音。えづきながら痙攣するティノンに、アーバインはハンカチを差し出した。
ハンカチを引ったくり、胃の中から込み上げるものを吐き出した。幸か不幸か、何も食べていなかった為に胃酸だけをひたすら吐き続ける。
グロテスクだとか、そんな安い表現ではない。目の前の人間達がやって来たのは、生命に対する冒涜だ。
「お前……達は…………生命を何だと思ってるんだぁ…………!!? 色んな人間の、運命を捻じ曲げてまで……自分の理想を叶えたいのか……!!?」
フラフラになりながら、敬語をかなぐり捨て、アーバインに摑みかかる。
「狂ってる……!!! 全部お前達のせいだ!! ビャクヤの人生が歪んだのは! お前が計画を利用しなければ……クラウソラスが計画を立案しなければーー」
「そうだ。だからこそ、私達は報いを受ける事になった。17年前、プロトゼロが初めて実戦投入されたあの日……砂漠の中心で翼が開いた」
「つば…………さ……?」
「気づいた時には遅かった。高濃度のアクトニウムフレアが全てを薙ぎ払い、砂漠一帯がアクトニウムで埋め尽くされた。その場にいたほとんどの人間は死に絶えた。戦場へ整備員として参加していた私とギーブルは奇跡的に助かったが、視力のほとんどを失った」
「翼……アクトニウム、フレア……?」
精神が限界なのだろう。脳が理解を拒んでいるのか、うわ言のように呟く。
アーバインは意味があるか分からなかったが、話を続けた。
「アクトニウムフレア。アクトニウムが高熱を帯びると、自らの活性化現象で無限に熱量を高め、燃え続ける現象だ。全ての物質を焼き払い、その後には粒子となったアクトニウムが微弱な活性作用で再び結晶を形成する。……私はやっと、自分が悪魔だった事を知った」
若き日のアーバインは、濁ってしまった目でその世界を見た。燃え盛る砂漠、その中で残骸を苗床に天に向かって成長を続ける結晶。
これが、自らが招いた現実。それがはっきりと見えた、最後の光景だった。
「何故プロトゼロが暴走したのか、今となっては分からない。プロトゼロはフラムシティの地下深くに封印した。回収された時、既にアリアの遺体は残っていなかった。私は彼女の純粋な願いを踏み潰し、そして……クラウソラス家を血塗られた呪縛で縛り上げた」
その後もアーバインは、自らが知っている事を全て語った。クラウソラス博士がこの後、狂気に取り憑かれた事。それがエルシディアやアレン、スティアの人生を、歪めた事。
数え切れない罪に塗れた人間達の話が終わり、アーバインは最後に締め括った。
「私が許せないか。いや、許せるはずが無い。だがこれが真実だ。……君はどうしたい? あの2人を救いたいか? もう彼らの物語に、ハッピーエンドはない。無論、私達にも。それでも、君は戦うのか?」
「…………決まってる」
ふらつく体を立たせ、ティノンは真っ直ぐにアーバインを睨み据えた。
「2人を……必ずお前達の呪縛から解放してみせる!! その為に、あの負の遺産を利用してでも、必ず、必ず……お前達の理想全てを否定してやる!!」
その言葉を聞き、アーバインは初めて、微かに笑ってみせた。どこか嬉しそうに、どこか切なげに。
だが、まだ誰も知る由はない。
様々な人の手で歪められたアンブロシア計画は、ある人物によって、未だに根を伸ばしている事を。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜遠き日の約束〜
「運命の右腕」
偽りの右腕は、何を繋ぎ、何を手に取るのか。