第1話(57話) 空白
今から二年前の事だ。
アルギネアとグシオスが、中立都市グリモアールを巡って起きた戦争。この戦争は、否、この付近の戦争は極めて特異なものだった。それこそ、人類が初めて人型二足歩行兵器を実戦投入した、帝歴黎明期以来の。
EA。進化の鎧と名付けられたその兵器は、まさしく人の過ちの全てを集約した、言わば罪の化身。
戦争終結の大義の元、人間の命を奪うために生み出され、強大な力を奮う。
その命の源は、地球が生命のリセットの為に作り出したアクトニウム。人間はとうとう、母なる大地の怒りすら己がものとしてしまったのだ。
だが、始まりは決して歪んだものではなかった。
少女の純粋な願い。
無垢なそれを歪めてしまったのは、時代なのか。時代を生きる、人間なのか。
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砂嵐が吹き荒れる荒野。潰れかけの工場が黒煙を吐き出し続ける。
ただでさえ暑いこの場所で、思わず顔を背けたくなるような熱気がノルンに襲いかかる。
「うわぁっっつ!! あっつい!!」
さっさと金型から離れると、ヒリヒリする肌を擦りながらネオンサインを振る。
「ウォーロックゥ!! 予備パーツ出来た、そっち持って行って!」
すると排気音が轟き、機動兵器が地面を揺らしながら迫る。
そして部品を金型ごと取り外し、巨大な箱の中に中身を入れる。
「はぁい、注文数揃ったぁ! 休憩ぃ!」
ノルンは両腕を伸ばし、地面に倒れこんだ。ジャリジャリとした砂の感触さえ心地よく感じてしまう。
すると機動兵器のハッチが開き、中から青年が姿を現した。浅黒い肌、レッドブラウンの髪、そして眉間から鼻、頬にまたがる巨大な傷。
「ノルン、お前は勤務延長だ。グリフィアの調子が悪い。多分マニピュレータがいかれかけてる」
「はぁっ!? 一昨日整備したばっかなのに!? 使い方荒すぎんじゃないの!?」
「使い方云々じゃねえ。きっとこいつの寿命が近いんだよ。……むしろ最初期型でここまでもったのが奇跡だ」
ウォーロックが操作しているグリフィアは、アルギネアが初めて量産化した機動兵器。その最初期型は最早ロートルというのも無理がある程の旧式機だ。
「嫌だ! 私仮眠とるから後でね! 女の子に2日徹夜させるとか本当ありえない!」
「一丁前に色気付いてんじゃねえよ。油まみれ女」
「ちょっと何よそれ!!」
ノルンは跳ね起き、ウォーロックへがなりたてる。
褐色の肌と白いショートヘアには煤や油が跳ね、黒いタンクトップと作業ズボンは砂に塗れている。
ウォーロックの言う通り、そんな姿に心惹かれるものは少ないだろう。
「寝る前に風呂に入れ。モテたければな」
「あーはいはい!」
ノルンは面倒臭そうに返事をすると、工場の中に戻って行った。
この荒野の工場に入って、もう二年が経つ。
故郷から幼馴染の数人と共に、こんな辺鄙な場所で機動兵器のパーツを作り、それを売って生活している。稼ぎも悪くないし、工場長も良い人で、何より今は需要があるから潰れることはない。文句などない、充実した生活だ。
だがウォーロックの脳裏にはどうしてもあの影が過ぎる。
自分の故郷、グリモアールを蹂躙した影が。
2年前、グリモアールで戦争が起きた。
最初は戦争など、テレビで観る程度のもの。完全に他人事だった。
だが、いざ自分がその状況に立たされてみると、そんな感覚は消え失せた。機動兵器の戦いに巻き込まれ、死ななかっただけマシだと言っていた自分を恥じた。
戦争が終わった後のグリモアールの顛末は悲惨なものだった。港のほとんどは破壊され、被害は基地だけでなく市街地まで及んだ。
都市機能は麻痺。軍もボロボロになり、人々は都市から離れていった。
ウォーロックもその一人だ。スラムで暮らしていた自分にとって、グリモアールに対する愛着などこれっぽっちだってなかった。共に生きていた仲間と共にグリモアールを離れ、偶然出会った今の工場で新たな生活を始めることが出来た。
だが今でも思い出す。
逃げている最中、機動兵器に踏み潰されて逝った仲間を。
「……」
生きる為に、仲間を殺した機動兵器を作る。
全ては、生きる為に。
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「任務ご苦労。以後の指令は追って通達します。それまで第1部隊は待機」
「了解」
広い部屋の中で、机を挟んで向かい合う2つの影。
一人はダークブラウンの髪をした若い風貌の優男。優しげな笑みを浮かべている。
もう一人は緋色の髪を後ろで束ねた女性。スラリとした美しい容姿をしている。
「グリモアールの相手に追われる日々ですからね。第1部隊に頑張ってもらう機会も多いですから、休める日は大事にしてください、ティノン大尉」
「はい、ガウェル大佐」
女性ーーティノンは一礼し、部屋を去ろうとする。
するとガウェルは独り言のように話し出した。
「もう1年ですか。貴女が大尉となって」
「…………」
「アルギネアは1年前と随分と変わってしまいました。一体、誰のせいなのか……」
2年前に行ったグリモアール侵攻作戦。
その結果に、得た戦果に、国民は納得などしなかった。
国民の反対が強まっていく中、もう一つの問題が発生した。
グリモアール残存軍によるテロ行為。
基地への襲撃、アルギネアとグシオスへの戦闘介入、市街地の破壊。アルギネアとグシオスは戦況を掻き乱されてしまっていた。
そんな中、アルギネア大統領はある決断を下した。
グシオスとの休戦協定。
グシオス側もこれを承諾。奇しくもまた、両国は膠着状態になったのだった。
「無茶な作戦を行なった結果、本当の敵を逃す形となってしまいました。結局あの戦いの犠牲は無駄になった訳でーー」
「お言葉ですがガウェル大佐」
ティノンの言葉がガウェルの言葉を遮る。背を向けたまま、低い声色で続けた。
「もう過去の話をしても仕方がありません。大事なのはこれからなんですから。…………失礼します」
閉じられたドアを見るガウェルの眼に、先程の優しさなど微塵も残っていない。冷酷な視線でティノンを見送っていた。
「つまらない女性だ、ティノン・ハスト」
「お、おいアレ…………」
「あぁ、ティノン・ハスト大尉だ……噂通りメッチャ美人だな……」
「しかも凄え強いんだろ? この前の演習でも断トツの成績だったらしいじゃん?」
「付いた異名が紅蓮の鷹。ぜひともお近づきになりたいねぇ」
少し歩くだけで多くの囁き声と視線の洗礼を受ける。ティノンは人ごみを避けつつ、小走りで駆ける。
隊長に選ばれてからはとにかく激務の連続だった。任務に出るだけでなく、報告書の執筆、隊長同士の会議、新兵指導、合同演習。
そしてそれらをこなしていくうちに背負わされた、周囲からの期待。
それでも逃げ出さず、ここまでやってこれたのには理由がある。
「…………お待たせ。やっと暇が出来たんだ」
ティノンが訪れたのは、ロンギール基地の裏側に位置する、兵士の墓地。その一角に、かつての友が眠っている。
3つの墓石の前に花を供え、黙祷を捧げる。
「隊長。貴方の仕事をして、やっと貴方の苦労が分かるようになって来ました。……前に来た時も言いましたけど、あの時は生意気な自分ですみませんでした」
「エレナ。少し前にエリスが中尉に昇格したんだ。お前の分も頑張ってる。……今度、2人で来るよ」
「ビャクヤ……」
ティノンはしばらく口をつぐんでいた。だがやがて、ゆっくり口を開き始める。
「私の事、憎いか? まだお前は生きたかったか?」
1年前。
眠り続けたまま目覚めないビャクヤに、担当していた白髪の医師が提案した。
「なぁ、お嬢さん。もうビャクヤを楽にしてやらないか?」
「楽に……!?」
「死んでるような状態で生き続ける。俺はあまり好かんのよ。何より、そんな事本人も望んじゃいないと思うぜ」
戸惑うティノン。その金色の瞳に以前の様な力強さはなく、不安な色を抱えたまま揺れているばかりだ。
「ま、まだ目覚める可能性だってある! それに…………私には…………」
「言っておくが、お嬢さんのような奇跡はそう何度も起こらない。体に関してもそうだが、何より脳へのダメージが大きい。もう目覚める可能性なんて無いに等しい」
ティノンの拳が握り締められる。
「ビャクヤは帰ってくる! 私も、特務隊のみんなもそれを信じてる!!」
「信じてる? 望んでるの間違いだろ。ビャクヤの意思じゃなくてあんたらの希望なんだ。それがビャクヤをいつまでも苦しませる原因になってる」
白髪の医師は淡々と、何の表情も浮かべずティノンに事実を突きつける。
「はっきり言わせて貰おうか。ビャクヤの事を大切に思うなら、楽に死なせてやれ。お嬢さんがたった一言言えばーー」
次の瞬間、ティノンは医師の襟首に掴みかかっていた。先程から一転して、瞳には怒りの色が混ざっていた。
「私がビャクヤを殺せって言うのか!!?」
「そうだよ。このまま生き地獄にあわせるより、人道的じゃないかと思うが」
「っ!!」
ティノンは込み上げてくる感情に流されるまま、拳を振り上げる。
しかしその時、ゼロエンドから救出された時のビャクヤの姿が目に浮かんだ。
右腕、両足を失い、耳をすまさなければ聞こえないほどか細い呼吸をする姿。生きていてよかったなどと、軽々しく言えるような状況ではなかった。
あれからずっと面会謝絶状態のまま、1年が過ぎた。
生きていて欲しいと思うのは、自分の独りよがりな望みなのではないのか。
その瞬間、ティノンは言葉が出なくなった。代わりに涙が流れ落ちる。襟首を掴んでいた手から力が抜け、床に膝から崩れ落ちた。
「よく考えて、よく話し合え。そしてお嬢さんが決めるんだ。隊長である、お嬢さんがな」
「…………私はお前を……」
その時、端末から通知音が鳴り響く。急いで応答ボタンを押すと、見慣れた顔が浮かび上がった。
「ティノン隊長、もうすぐ新人合同演習の打ち合わせがあります。今どこにいますか?」
「エリス……今は墓地にいる。すぐに戻る」
「…………はぁ。過去に拘らないって言う割に、いつまでも過去に縛られているんですね」
「エリス、一つ聞きたい。最後にエレナの墓に行ったの、いつだ?」
「さぁ? そんな事より早く集合して下さい。それでは」
一方的に通信を切られる。
そうだ。
2年前とは何もかもが変わってしまった。
いつまでも変わらないものなどない。
ティノンは墓地を後にする。次に来れるのはいつになるだろう。
「…………またな」
返事が返って来る事はこなかった。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜遠き日の約束し〜
「報復」
報復の連鎖に、終わりなどない。