第50話 忘れない
マーシフルを着艦させると、エルシディアはヘルメットを脱ぐ。損傷率は約10%。整備にそれほど時間はかからないだろう。
ハッチを開けると、ミーシャがドリンクを片手に駆け寄って来た。
「お疲れ様! 対艦刀の研ぎ直しと装甲の手入れがあるから、30分休憩ね。まだ大丈夫?」
「……大丈夫」
ドリンクを飲みながら、エルシディアは何処かへと歩き去っていく。
「ど、どこ行くの?」
「ちょっと、用事」
「そう? あまり無理しないでね。休みたいときはいつでも言って!」
「うん」
急ぎ足でトレーニングルームに向かうと、パイロットスーツを脱ぎ、シャワーを浴びる。
鏡を見ると、いつも通りの自分の顔が浮かび上がっていた。だが少し違うのは、少し笑顔であること。
前までの快楽に歪んだものではない。年相応の少女が見せる、純粋なものだった。
シャワーを浴び終え、再びパイロットスーツに着替える。時計を見ると、まだ時間はたっぷり残っている。エルシディアは駆け足でとある部屋へ向かった。
ドアを数度叩くと、すぐにその部屋の主は顔を出した。
「エル?」
「…………」
その瞬間、エルシディアはビャクヤに身体を寄せた。甘えるように頬を胸に当てる。
ビャクヤはほんの少し驚いたような素振りを見せたが、すぐにその背中を摩る。
流石に2週間も同じ事をしていれば慣れるものだ。
「お疲れ様」
「うん」
嬉しそうに微笑みかけるエルシディアの姿に、ビャクヤも自然に笑みが浮かぶ。懐かしさすら感じていた。
「……懐かしさ?」
シミット防衛戦後に見た笑顔、レーヴァス戦後に見た甘える姿。過去に見たエルシディアの一面は確かに初めて見たはずで、だからこそ今の姿を懐かしく感じるはず。
だが今感じた懐かしさは、もっと遠い過去に感じたようなものだった。
「……ビャクヤ」
考え事に囚われていると、エルシディアに襟を引っ張られて現実に戻される。
「ご、ごめん。ちょっとボーッとしてた」
「ちょっと、座って」
と、ビャクヤを椅子に座らせる。そして、今度はその頭を自らの胸に抱いた。
これももう、慣れたものだ。この独特の柔らかさはまだ慣れていないが。
「……本当に、これで落ち着くの?」
「これじゃなきゃダメ。ビャクヤじゃなきゃダメなの」
落ち着いた声で告げるエルシディア。しかしビャクヤにはその言葉の裏にあるものが見て取れた。
彼女は、必死に崩れそうな心を持ち堪えさせようとしている。
あの日の夜、エルシディアが求めた感情を受け止めた日。
彼女は泣きながら語った。自分がバイオレストア手術を肺と心臓に受けていた事を。手術は成功こそしたものの、バイオレストアに用いたアクトニウムに完全には適合出来ず、発作を抑えるために抑制薬を飲んでいた事。抑制薬の副作用で起きる、精神異常に苦しんでいた事を。
そして改めて明かした。
自分が、グシオス人である事を。
「私がアルギネアにいるのは、総司令官のおかげ。アクトニウムの研究チームにいるのは……何処かで思ってたのかも。この身体を何とかしたいって。そうすれば辛い現実から目を逸らせるから……」
「現実は誤魔化せない。見て見ぬ振りをしてたって、僕達には蜘蛛の糸のように運命が絡まっていく。苦い現実を味合わなきゃいけない……」
「でも苦い味は誤魔化せる。甘い味で……」
唇が深く押し当てられ、細く白い四肢がビャクヤの身体に絡まる。
ビャクヤの眼からは、いくつも水滴が流れ落ちていた。理由は分からない。虚しさとも、安心感とも取れる、胸を突く謎の感覚に飲まれていた。
「そろそろ行かなきゃ」
ビャクヤがあの日の夜のことを思い出していると、エルシディアの身体が名残惜しそうに離れる。
「行ってらっしゃい。僕も早く行けるよう、ベレッタ達と頑張るから」
「うん。行ってきます」
そしてビャクヤの頬に小さくキスをすると、エルシディアは部屋を後にした。
目を逸らし続けても、忘れる事は出来ない。歩みを止める事は許されない。
まだ、約束は果たせていない。
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「あれがフブキ准尉の新型か……」
「えぇ! 確か本人はヴォイドリベリオンと名付けてました。仇でもいるんですかねぇ」
ハリッドとトリックフェイスの2人は肩を並べ、格納庫の様子を見物していた。
ゲオルガイアスも連日の出撃で消耗していた為、一度本格的な修理が行なわれる事となった。対してハリッドはというと、疲労している様子は一切見られない。
「あなたもぉ。中佐でしたらわざわざここまで来ないで、安全圏で上からポンポン指示飛ばしてりゃいいじゃないですかぁ。どうしたってこんな面倒な……」
「それが出来ていれば命を張らずにすんなり出世できたかな? 何分、戦果をあげてのし上がってきた出来の悪い人間でね」
「なぁるほど。あなたが人の上に立つのが向いてないわりに、人から信頼されている理由が何となく分かりました……ところで」
トリックフェイスは興味を無くしたようにこの話を切り上げると、すぐさま話題を切り替える。
「あれ……何故アンドラスの回収を?」
「彼は……キーレイ曹長は実直な男だったとアレンから聞いていてな。それに、EAを墜とした彼の遺志は遺しておきたい」
「ふふーん。実直ねぇ……でもまぁ、EAを倒したのは確かに讃えられるべきでしょうね」
回収されたアンドラスの残骸は無惨なものだった。機関部の爆発の衝撃で胴体付近はフレーム以外残っておらず、武装のほとんども破損。当たり前だが、パイロットであるキーレイの遺体は出て来なかった。
彼の戦果はEA一機。戦争を終わらせるなどと意気込んでいた割に、自分の自信作に不名誉なレッテルを貼ったキーレイに、トリックフェイスは内心憤っていた。
「さて、私はアレンを呼びに行ってくるよ。そろそろ私のゲオルガイアスも修理が終わる。もうすぐ出撃だろう」
「あぁ、それなら一緒にフブキちゃ……ごほん、フブキ准尉とエリーザ少尉もお呼び下さい」
「エリーザ少尉も? 彼女のアルミラージも修理が終わったのかい?」
「何というかですねぇ。むしろアルミラージが壊れたおかげで完成が早まったというか……ヒヒ」
不気味な笑い声を漏らしながら、トリックフェイスはタブレット端末を起動し、ハリッドに見せる。
映し出された機体を見たハリッドは、初めてその表情を変えた。
「トリックフェイス……君は一体何者だ……?」
「ちょっと金持ちとパイプのある、ただの天才科学者ですよ……あぁ、自分の才能がコワァァイ! ヒヒヒヒヒヒ」
アナザーナンバー2、ヴォイドリベリオンの隣にある名前。
アナザーナンバー3、「フィーアバエナ」。
「フブキ……」
「止めないでよ。私は行くから」
暗い廊下で話す影は3つ。アレンと、彼の隣に付き添うエリーザ、そしてそれに正面から向かい合うフブキ。
「止めるつもりはない。だがお前は本当にそれで良いのか? あの機体は、アナザーナンバーはお前を殺そうとしたものと同じ力だぞ……」
「なら好都合じゃん。やっとあいつと同じ土俵に立てたんだ。それにもう油断はしない。もう遊びで戦いなんてしない」
するとフブキは、エリーザに向き直る。エリーザは少し身構えたが、直後の行動に驚いた。
「あんたにも、もう歯向かわないよ。あんたの指示にも大人しく従う。だからさ……私に、リベンジさせて」
「……っ」
「話は終わり。じゃ、次の戦いで」
そう言い残し、フブキは2人の前から去って行った。
「フブキ……一体どうして……」
「奴も思うところがあったんだろう。自分より上を知って、何が足りないのかを」
「……私にも、力があれば」
「何の為のだ?」
「え?」
アレンはエリーザの肩を掴む。エリーザの頬が赤く染まるが、アレンは構わず続ける。
「俺は呪いを断つ為に、フブキは敵を倒す為に、力を欲した。お前は何の為の力が欲しい? それを見失えば……」
「私は……ただ……」
視線を逸らし、エリーザは頭を垂れる。やがて小さく、消え入りそうに話した。
「貴方の力になりたい……あの時から、変わってません…………」
「俺の力に……か」
アレンは静かに返すと、微かに笑った。肩に置いた手を、エリーザの頭の上に乗せる。
「ならお前は、俺の許可無しに死ねない事になる。それを忘れるな」
「はい」
エリーザも笑みで返す。
あの日に交わされた2人の約束を、思い出していた。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜
「叛逆の凶弾」
再び相見える、真紅の鷹と、虚空を穿つ叛逆者。