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Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜  作者: 雑用 少尉
第3章 彼方の希望
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第48話 償いの涙

 

「…………そんな」

 ビャクヤが目覚めて数時間後。

 体調が回復し、訪れた格納庫でビャクヤが目にした光景は悲惨なものだった。



 グシャグシャにひしゃげ、所々に赤く伸びた何かの跡が残ったコクピットブロック。手前には蹲って泣きじゃくるミーシャと、その小さな背中を摩るガロット。


 そしてさらにその手前では、黒い遺体袋が静かに横たわっていた。


 コクピットブロックに小さく書かれた、〈EAー0002〉の文字が、犠牲になったパイロットが誰なのかを無慈悲に表していた。


 放心するビャクヤに、ベレッタが静かに近づいて来る。彼自身の表情も虚ろだった。

「……遺体、見るか?」

「…………」

 ビャクヤは無言で遺体袋に歩み寄り、そのファスナーを少しだけ開けた。



 遺体は損傷が酷く、ほとんどの箇所が原形を留めていない。

 しかし奇跡的に残っていた口元には、生前と同じ様に優しい笑みを浮かんでいた。



 ゆっくりファスナーを閉めると、ビャクヤは歯を食いしばった。

 悲しさと、悔しさ。その2つの感情が溢れない様に。

「ティノン中尉がコクピットブロックを回収してくれたんだ。本体も今回収に向かってる。……残っていれば、いいんだけどな」

「……エリスは?」

 質問に対し、ベレッタは言い辛そうに答えた。

「結構、精神的にまずいらしくてな。一度ロンギールに戻されることになった。療養の扱いになるらしい」

「パイロットは、辞められないんだ」

「辞めるのは、無理だろうな。EAの情報はかなり厳重だから、流出を防ぐためにーー」


「戦場で……黒いEAを見た」


 ビャクヤの発言に、ベレッタは目を見開いた。

「EAだとっ!? グシオスが、そんな、どうして!?」

「分からないよ……でも、もうこれでエリスは解放されてもいいはずだよ。EAの情報流出を防ぐためなら」

 手すりに座り、頭を抱えるビャクヤ。

 頭の中を先程から巡るのは、この戦いの中で知った事実達。



 犠牲、依り代、アリア、アンブロシア計画。

 蜘蛛の巣の様に、絡まりあった運命に絡め取られてもがく自分の姿が浮かぶ。



「ビャクヤ、それは無責任すぎるんじゃねえか? エリスだって、またきっと……」

「無責任!? 投げ出して一体何が悪いんだよ!? ベレッタにエリスの気持ちが分かるわけないだろ!!」

 突然声を張り上げたビャクヤに、ベレッタだけでなく周りにいる整備員達も肝を潰した。

「ど、どうしたんだよいきなり!?」

「訳の分からない宿命を勝手に背負わされて、家族を奪われても戦えなんておかしいじゃないか!! エレナさんだってきっとそんなこと望んでなーー」


 次の瞬間、ビャクヤは背後から伸ばされた手に掴まれ、

「うぐっ!!」

 凄まじい力で殴られ、床に叩きつけられた。


 見上げた先にいたのは、無表情で拳を握りしめていたウェルゼだった。

「隊長……」

「お前こそ何が分かるんだよ。エリスの気持ちも、エレナの望みも」


 分かる筈がない。

 本当のエリスの気持ちも、本当はエレナが何を望んでいたのか。


 知らない間に、ビャクヤは彼女達と自分の置かれた状況を重ね合わせていた。

 自分の痛みを、苦しみを、彼女達に(かこつ)けて叫んでいただけなのを、ビャクヤ自身が一番分かっていた。


「……すみません。頭を冷やしてきます」

 フラフラと格納庫を後にしていくビャクヤ。殴られた衝撃のせいではないことは、誰の目にも明らかだった。

「ビャクヤ……お前……」

 ベレッタが見送る先にあった背中は、酷く重い何かが縛り付けられているように見えた。


「悪いなビャクヤ……俺もそう言うしかないんだ」

 ウェルゼは小さく呟いた。

 エリスとエレナ。信頼と愛で結ばれた姉妹の絆がこんな形で絶たれてしまった。


 誰が悪いのか。誰が間違えたのか。

 いくら考えても、決して結論に辿り着く事はない。


 何も分かっていないのは、自分だって同じことだ。




 あてもなく歩いていると、医務室の前まで来ていた。すると扉が開き、中から出た人物と肩が触れた。

「あ……」

「ティノン……ここで一体何を?」

 ティノンは目を逸らし、しばらく黙り込んでいたが、やがて囁くように話し始めた。

「エリスの様子を見にな」

「どうだった?」

「…………いくら話しかけても答えてくれなかったよ」

 胸の前で握りしめていた手が震えている。唇を噛み締め、瞳はユラユラと涙が揺らいでいた。

「こうなったのは……私のせいなんだ。任された役目を果たせなくて、そのせいでエレナは……!!」

「ティノンのせいじゃないよ」


 なんて安い言葉なのだろうか。

 君のせいじゃない。何の気休めにもならない優しさでも、今のビャクヤにはこう言うしかなかった。

 今のティノンは、少し触れただけで壊れてしまいそうな程に不安定で。


「もう、謝ろうにもエレナはいない……エリスに謝ったって彼女に何もしてやれない……どうすればいい……どうしたら償えるんだ!! 教えてくれビャクヤ!!」

 ティノンは涙を流しながら、ビャクヤに身体を預ける。

 抱き返す事も、答える事も出来ずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 どうしたら償えるのか。

 自分が生まれた事で、エルシディア達に過酷な運命を強いたのだとしたら。

 自分が生まれた事で、アリアが望まぬ結果になっているのだとしたら。


 ビャクヤは天井を見つめる。

 懺悔を続けるティノンの言葉が、ひたすらに身体の中へ染みていった。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 鏡を見る。映し出された像は、当たり前だが自らの顔のみ。


 エルシディア・ゼイトの顔。


「私は、エルシディア・ゼイト」


 ーー 違うでしょ。貴女は、エルシディア・クラウソラス ーー


 聴こえるはずのない声に耳を塞ぐ。

「私は……エルシディア・ゼイト!!」


 ーー 違うでしょ。貴女は ーー


「私はエルシディア・ゼイト!! 私はエルシディア・ゼイトなの!!」


 声が聞こえなくなるまで唱え続ける。自分の名を。

 アルギネアで生きていくために与えられた、ゼイトの姓を。


 一向に頭から離れない声に苦しみ、鏡を見る。


 そこには悪魔のように、悦楽に浸ったエルシディアの歪んだ笑顔が浮かんでいた。


「貴女の名前はエルシディア・クラウソラス。いい加減認めなさい、あの時の、本当の貴女を」


「やだ……違う、私は違う!!」


 鏡から、否自分から逃げるようにエルシディアは部屋を飛び出した。

 本当の自分と、それを認めたくない自分。2つに分かれた心がぶつかり、傷つけ合い。


 薬の副作用による幻覚幻聴だと思っても、心は乱れ続ける。

 心を覆う錆が、凄まじい勢いで侵食していく。


 溺れる。苦しい。


「助けて……助けて!!」


 無心で走り続け、行き着いた先。

 優しく自分を包んでくれる、銀色の瞳の少年の元。

「助けて!!」

 部屋のドアに手をかけた瞬間、それはすぐに開いた。



 そこにいたビャクヤの瞳に、優しい光は灯っていなかった。

 部屋に駆け込んできたエルシディアに対しても一瞥したのみ。驚きも、心配も、怒ったりもしない。

「ビャクヤ……?」

「エル……」

 様子がおかしい事にエルシディアは困惑し、先程までのパニックも頭からすっかり消え去っていた。


 ビャクヤの隣に腰掛ける。


「何かあったの……?」

 尋ねると、ゆっくりとエルシディアの方へ向き直った。目の端には小さな水滴がこぼれ落ちそうになっている。

「僕は…………ただ……エルの、力になりたかった……だけど、エルが苦しんでるのは僕のせいで……」

「どうして? むしろ私は貴方に……」

「ごめん……勝手にエルの事を調べて……なのにどうする事も出来なくて……本当に、ごめん……」

「私のこと……?」


 ならば、自分の心臓と肺のバイオレストア手術のことも知ったのだろう。

 だが、エルシディアの心は信じられないほど穏やかだった。知られたくない事実であった筈なのに。


「私の事を……助ける、ため……」


「何も出来ない……僕が死んだところで何の償いにもならないんだ! ただ謝ることしかーー」


 その言葉の続きは阻まれた。



 エルシディアが、ビャクヤの頭を自らの胸に抱いたのだ。



 柔らかい感触。何にも例えられない甘い匂い。小さく聴こえる心臓の音が脳に木霊する。

「エ、ル……?」

「やっぱり君は……あの時の……」

「あの時って…………っ!?」


 その質問には答えず、



 エルシディアの唇が、ビャクヤの唇と重なった。



 ビャクヤが驚き、もがくのも構わず、そのままベッドに倒れ込む。


 蕩けてしまうような悦びが、エルシディアの心の錆を剥がしていく。


 やっと気がついた。


 自分の心の安寧を保ってくれる、優しい光が何なのかを。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 第一部隊、第二部隊、特務小隊が一時戦場から撤退。第三部隊から第五部隊までが前線に出撃して数日後、全部隊に通知が届いた。



 グシオスの増援部隊により、第三部隊及び第五部隊が全滅した事。


 そして彼等はまだ気づかなかった。


 これからが、本当に長い、長い戦いとなる事を。



 続く

次回、Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜


第49話、「怨霊の夢」


辛いけど、前に進もうぜ。戦いの先に、幸せがあることを信じてよ。

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