第41話 君ありて、幸福
「何だ……これ……」
ビャクヤは医務室を後にし、グレッグを何とか説得して得たエルシディアのカルテを見て絶句していた。受け入れ難い事実がそこに記されていた。
エルシディアの肺と心臓に謎の手術痕、そして血液にはビャクヤと同じくアクトニウムが溶け込んでいたのだ。
謎の手術痕、この単語を見た瞬間に過ぎった言葉があった。
「これって……バイオレストア……なんじゃ……」
徐々にあの頭痛が襲い始める。だが以前にティノンから聞いた時よりも鮮明に、そして激しい痛みだ。
そもそも明確に記されていないにも関わらず、何故バイオレストアだと分かった?
これが本当にバイオレストアならば、エルシディアは成功率5%の手術を2回も経験している事になる。彼女がバイオレストアを知っていたのはこれが関係しているのか。
頭痛は既に激痛へと変わっていく。カルテを握り締め、呻き声が口から漏れる。
まるで思い出すのを拒絶する様に、痛みは激しさを増す。しかしビャクヤは考えをやめない。
記憶の中の細い糸を必死に手繰り寄せる。
知っているはず。何か自分は、重要なことを、忘れている。
ぼやけた視界の中、1人の幼い少女の姿が見える。本を両手に抱え、こちらを真っ直ぐ見据えている。
「君は、誰だ……」
少女はこちらに手を伸ばす。ビャクヤはその手を掴もうと、右手を伸ばした。
しかしそれを、真っ白な左手が諌めた。
薬指に見覚えのある指輪をはめた、小さな手。
ーー まだ……思い出しちゃダメ……君は知っちゃダメ ーー
「どうして止めるんだよアリア!!」
自らの叫びで、意識を取り戻す。頭痛は消えたが、まだ夢うつつの状態だ。グシャグシャに潰れたカルテは、最早誰のものか判別出来なくなっていた。即座にクズ箱に投げ入れる。
と、ドアが叩かれる。ふらつく体を何とか立ち上がらせ、ドアを開ける。
隙間から、ティノンの金色の瞳が見つめていた。ビャクヤは先程考えていたことを思い出し、思わず目を逸らしてしまった。
「ビャクヤ……大丈夫か? なんか叫んでたが……」
「ううん、何でもないよ。ゴメン、うるさくして」
「それは別にいいが……って、そうだ、別の件を言いに来たんだ」
「別の件?」
ティノンの表情が少し険しくなる。
「ロンギールに着いたら、またすぐにグリモアールに向かうらしい……今度は正真正銘、グリモアールと戦争になる」
「グリモアールと!?」
ビャクヤは勢いよく扉を開ける。その様子に驚くティノンに構わず、ビャクヤは更に問いただす。
「そんな……だってアルギネアにはグリモアールと戦争する理由なんて……」
「確かにお前の言う通り、アルギネアとグリモアールが衝突しても意味がない。……エルのあの件だって、口実にしては弱すぎる。今回の戦闘に関してもそうだが、どうもグリモアールの意思とは少し違う気がするんだ」
「それにあの機動兵器……やっぱりこの戦争、グシオスがーー」
「そんな考察こそ、意味なんてある?」
背後から2人の会話に入り込む声。ティノンの陰から蒼銀の髪が覗いた。
「エル……」
無意識のうちにビャクヤは一歩後ずさる。対象にティノンはエルシディアの元へと一歩距離を詰めた。
「意味って言われても……お前は今回の戦い、おかしいとは思わないのか?」
「理由がどうあれ、もう戦いは避けられない。……戦争の口実を作ってしまった私が言うのも変だけど」
「あれはグシオスが挑発したからだ。何もエルだけが悪いわけじゃ……」
ティノンが必死に庇うものの、エルシディアはそれを首を横に振ることで否定する。
「それでも私は、今までと変わらない。兵士は命令通りに動けば、それでいい」
その言葉はいつものエルシディアの様に鋭く、冷たいもの。
ティノンは戸惑う様に瞬きしていたが、やがて静かに笑った。
「そうかもな。エルの言うことも一理ある。理由がなんであれ私達は戦わなきゃならない。そうだろ、ビャクヤ」
「……えっ、あ、うん」
ビャクヤはしどろもどろになりつつ返答する。
「ビャクヤ……本当に大丈夫か?」
「う、うん。少し疲れてるだけだよ。だから少し休む」
「そうか? なら、私はこれで失礼するよ」
ティノンは特に追求することなく、部屋の前から去っていった。
再び、エルシディアと目が合う。
しかし、すぐにエルシディアも部屋の前を過ぎていった。
ビャクヤは一息つき、疲れ切った体をベッドへ投げ出した。
エルシディアのカルテ、激しい頭痛、グリモアールとの戦争。脳のキャパシティと心への負担が大きい出来事ばかりだった。
その後、睡魔が彼を飲み込むまでに、時間はかからなかった。
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数時間後、ロンギールに到着した特務隊はすぐさま他の部隊と合流。後に全部隊の召集がかけられた。
全部隊に言い渡された指令は、中立都市グリモアールへの侵攻、その軍事基地全てを破壊すること。
総司令官の代理である男は言葉を選んでいたが、その真意は全ての兵士に伝わった。
俺たちは喧嘩を売られた。徹底的に叩き潰せ。奴らを屈服させろ。
「とうとう、初めての制圧戦だな、ビャクヤ」
ビャクヤは集会が終わった後、格納庫でウェルゼに呼び止められた。
「はい……」
「あ〜、やっぱり辛いか? どんなに理屈並べたって、侵略には変わりないし」
「辛くないなんて言ったら嘘です。でも僕はもう、戦うしかありませんし」
「……お前、変わったな」
「え?」
ウェルゼは寂しそうに微笑んでいた。
「何でもねぇ。ならいつも通り死なねえ様に頑張れよ」
ビャクヤの肩を強めに叩くと、そのままフラフラと人混みの中に消えていった。
確かにグリモアールはグシオスと手を組み、アルギネアに牙を剥いた。
しかしそこでは、平和に暮らしてきた人々がたくさんいる。いくら命令とはいえ、フラムシティの時の様な惨劇を見たくない。
「……でも、そんなこと言い訳にして逃げたらダメだ」
民間施設は攻撃目標にない。軍事施設のみを討てばいいのだ。
敵は機動兵器。敵は、機動兵器。
「アリア……君は、どう思う?」
返答はない。だが代わりに、左手がチクリと痛む。
これが何を意味していたのか、ビャクヤには分からなかった。
「これが……新しいインプレナブル……?」
エレナは格納庫からグリフォビュートへ搬送されるインプレナブルの姿を見た。
あれだけ積まれていたミサイルコンテナや装甲は大半が取り払われ、他のEAに近い姿になっていた。
肩の150mm砲もガトリング砲に変更、武器腕は通常のマニピュレータに変更されていた。
「火器管制システムも簡略化したよ。コクピットも……単座式に、したから……」
エレナに話しかけるミーシャは心苦しそうに語る。ガロットから事情を聞かされた時は反対していたのだが、2人の最近の様子を見て、コクピット改修の決心を彼女はした。
「ねえ、エレナ姉は大丈夫?」
「ん〜? 何が?」
「だってグリモアールはエレナ姉とエリス姉の故郷でしょ?」
「そうだね〜、故郷だね〜」
エレナの顔は変わらない。見慣れた静かな笑顔のまま、インプレナブルのことを見つめていた。
「……嫌じゃないの?」
「故郷って、帰る場所だよ。だったら、今の私の故郷はここだよ。エリスがいて、みんながいる、ここ」
「そう、なんだ」
ミーシャにはまだ理解できなかった。だがいずれ、大人になった時に分かることを信じて、この話を切り上げることにした。
「ミーシャちゃん。新しいインプレナブルの名前は?」
「……エレナ姉が決めて」
「どうして?」
エレナが首をかしげると、ミーシャは困った様に笑う。
「インプレナブルがね、そういった気がするの……多分」
「そっか。じゃあね……」
エレナは少し考え込む様に指を唇に当てる。やがて頷いた後にこう名付けた。
「インプレナブル・ゼラニウム」
「ゼラニウム?」
「そう、赤いゼラニウム。……だからさ、ミーシャちゃん、ちょっとお願いしていい?」
エレナはミーシャに耳打ちする。するとミーシャの表情がみるみる内に明るくなっていった。
「分かったエレナ姉! みんなー、インプレナブルにオーダー入ったから付き合ってー!」
エレナは微笑みながらミーシャの背を見送ると、グリフォビュートへと向かう。
もう一つ、自分がやらなければならない事を果たしに。
「ギールアイゼンの調子は?」
ベレッタは搬送が完了した機動兵器のリストを確認しながら、グリフォビュートの中で作業を続けるガロットを尋ねる。
「整備はEAより楽だからなぁ。こいつは万全だが、後は……」
ガロットは口を閉じると、コクピットのハッチをノックする。
「システムは大丈夫か、嬢ちゃん?」
「はい、問題ないです。アシストシステムもきちんと起動します」
「おし、なら終了だ。お疲れさん」
ハッチが開き、中から金色の髪が覗いた。
「あ、お疲れ様です、ベレッタさん」
「あ、あぁ……」
ベレッタはぎこちなく返答する。
そのままエリスはギールアイゼンから降りようとする。
「あっと、エリス准尉!」
「はい?」
ベレッタは呼び止めた後に、この話題に触れていいものか自信がなくなる。だがこの疑問を解消しないことには、先の戦いで弊害が生じる予感がした。
「もう……エレナ少尉とは仲直りしたのか?」
エレナ、という単語にピクリと反応する。しかしそれっきり何も答えず、格納庫を去ろうとする。
「おい待てって! 結局同じチームなんだ、戦う時にそれじゃーー」
その時、エリスの動きが止まった。ベレッタの言葉にではない。
目の前に現れた、姉の姿にだ。
「エレナ少尉……?」
見たことのない表情だった。いつもは柔らかなそれが、今ではしっかり見開いた瞳でエリスを見据えている。
対してエリスの顔は蒼白だった。マリンブルーの瞳は自らの姉を直視せず、ずっと俯いたまま。
「エリス……」
エレナが口を開いた瞬間、エリスは耳を塞ぎながら脱兎のごとく駆け出した。そのままエレナの横を通り過ぎようとする。
しかしエレナはその手を掴み、もう一度向き合った。
真っ直ぐな瞳と、揺れる瞳が再び交錯する。
そしてエレナの体が、エリスの体を優しく包んだ。
「っ……」
いつもされていたような、何気ない抱擁なのに。
姉に捨てられたという絶望も、一人で戦う不安も、この時だけは何処かへ消えていた。
「後でちゃんと話すよ。あの時のこと、そしてこれからのこと…………でも、これだけは聞いて」
「お姉ちゃん……?」
抱き締める力が強くなる。微かに震える声で、エレナは言葉を紡いだ。
「私の幸せは、私の生きる力はエリスだから……! 愛してるよ、エリス」
「っ!」
エリスがピクリと震えたのを合図に、エレナの体はゆっくりと離れる。
あの微笑みを浮かべ、エレナは格納庫から出て行った。
温かみが消えた自らの体を抱き、エリスは唇を噛み締める。
愛している。
唯一血の繋がった家族が言ったこの言葉。
信じていいのだろうか。
自分以外に、他に誰がこの言葉を、エレナの言葉を、心の底から信じる事が出来る?
「じゃあ、ちゃんと帰ってこなきゃ、ダメだね。お姉ちゃん」
頬を伝った一筋の涙が、床に弾けた。
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「どぉ〜ですかねぇ、調子のほどは?」
トリックフェイスの声が反響する。
そこには荒く息を吐き、目が充血したキーレイの姿があった。
「問題……ありません……これぐらい」
「アンドラスの調整は終わってます。シミュレーター上の貴方の数値もビューティフルでしたよぉ。この勢いで、次こそEAを墜としちゃってください」
「分かってます……それと、ミスタートリックフェイス」
キーレイは絞り出すような声を発し、まだ中身が入ったペットボトルを握り潰した。浮き出た血管が切れ、手からは血が流れている。
「次の戦いは……もっと投薬量を増やして下さい……。奴らを、アルギネアを叩いて、早く戦争を終わらせるためには力がいくらあっても足りないんです……!!」
「ふぅ〜っ! お安い御用です。その覚悟があるなら何の心配もいりませんね。では、私はこれで」
そう言うとトリックフェイスはキーレイの部屋から出て行った。
「はぁ、やっぱり万人向けにはまだ遠いですかね」
トリックフェイスは手の平で薬が入った容器を弄ぶ。フルフェイスのヘルメットの奥から失意の溜息が漏れ出した。
「アクトニウムの活性化作用……もっと上手く使えればねぇ……。バイオレストア手術と組み合わせないと使えないなんて、そんなんじゃ価値ないんですよもう!!」
実験はほとんど失敗したようなものだ。
キーレイの様に馬鹿真面目な人間などそうそういない。戦争を自分の力で止めたいなどと真顔で言えるロマンチスト。腹の底から笑いが出そうな人間だが、ちょっと餌をちらつかせたら食いついてくれたのはありがたかった。これで貴重な人間の被験体を得る事が出来たと、その時は思っていた。
「所詮はただの人間だったか。少しは期待してたんですけどねぇ! あれじゃ近い内に実験ネズミと同じ末路だ」
地団駄を踏み、壁に頭をガンガンぶつける。発狂したように歩き回りながらも、その思考が止まることはない。
「ま、て、よ? 確か前にこの薬を飲んで生き残った被験体がいたような?」
自身の記憶のデータベースを検索していく。確か十年程前に行った実験体に、アクトニウムを血中に取り込んでも唯一、後遺症すら残らなかった者がいた筈だ。
「そうだ、あのデータを見ればきっと……でも、何故パーフェクツな私がそんな重要な被験体を逃したんですかねぇ? ま、其奴が誰かさえ分かれば関係ないですか!」
トリックフェイスは急ぎ、自分のラボへと駆けて行った。
続く
フラグ乱立警報発令なう
というわけで41話でした。次回は戦闘パートだぜ。姉妹喧嘩は多分、多分解決したんじゃないですかな?
それでは皆さん、ありがとうございました!




