第32話 見つからぬ自分
〜アルギネア領 海域〜
「しっかしまぁ、何だって今更あそこなんすかねぇ?」
ウェルゼの口から溜息の代わりに煙草の煙が吐き出される。それを右手でブンブンと払うアイズマンの表情は曇っていた。
「本部の決定ですから。確かに中立都市であるグリモアールの調査というのは気になりますが」
「大方、アルギネア陣営に引き入れたいんじゃないですかね? 1ヶ月前のレーヴァス防衛戦で上の方も焦ったんでしょう。このままじゃ、アルギネアはいずれ押し負ける」
その時は両者痛み分けの様に見えたかもしれない。だが今までの戦いを見ても、常にアルギネアは後手に回っていた。
攻められたから、守る。何かあったら、その時何とかする。
まるで先のことを見据えていないのだ。
「上層部がハスト社から新型機を買い取ったの、知ってます?」
「あぁ、ギールアイゼンですね。グリフィアとは別のコンセプトで開発されたという……」
ギールアイゼンは1ヶ月前にロールアウトを完了したばかりの新型であり、今回特務隊へ優先配備された機体である。
「あんだけ渋ってた軍備増強に大きく踏み出したんだ。やっと政府も進む覚悟が出来たんでしょう。遅い気もしますが……」
しつこく鳴き喚く海猫を睨みながら、ウェルゼは煙を吐き出した。近くを飛んでいた海猫はそれを避ける様に上空を舞った。
「今までは運良く勝てたかも分からない戦いばかりでしたし、気を引き締めないと」
「EAがあっても、ですか?」
アイズマンの質問に、ウェルゼは苦笑しながら返答する。
「高性能機5機でどうにかなる様な戦争なんてないですよ。あんたも分かってるでしょうに」
「そうですね。私としたことが」
するとウェルゼは吸い終わった煙草を甲板から海へと投げ捨てた。風に乗った煙草は遥か後方へ飛んで行く。
「ウェルゼ大尉。吸い殻を海に捨てるのは感心しませんね」
アイズマンが行為を咎めるが、ウェルゼは気にも止めずに甲板を去っていく。
そして去り際に言い残した。
「大丈夫ですよ。こんなに綺麗な海、そう簡単に汚れませんから」
背後に広がる群青色の海は、哀しげに輝いていた。
命を宿さない、美しい輝きを。
「さてさて、用事を済ませに行きましょうかね」
ウェルゼは大きな欠伸を一つし、艦内を歩んでいく。
その途中、訓練ルームの前を通りかかった。中に誰かいる様だったが、ウェルゼは敢えて中に入らずに通り過ぎる。
ガラス越しから見えた光景だけで十分だったためだ。
「うわぁっと、ごめんティノン、助かったよ!」
「気にするな、それよりまだ敵は残ってる。あと一息だ!」
「よしよし、今日も2人は仲良しっと」
気持ちの悪いニヤニヤ顔をしながら手をさする。
前まではティノンが一方的に指示や檄を飛ばすだけだったのだが、今では互いに互いを高め合う訓練になっている。
隊長としては喜ばしいことだ。
「今度は、あいつの番だな」
ウェルゼが辿り着いた場所は食堂。まだ食事を摂っているものが疎らにいる中、その視線は調理場を捉えていた。
彼女もそろそろ、独り立ちの時だ。
「だよな〜、エリスちゃん」
「は、はい?」
突如名前を呼ばれたエリスの表情はポカンとしていた。
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<MISSION CONPLETE>
画面に文字が大きく表示されると同時に、訓練用コクピットが開く。
ビャクヤは大きく伸びをした後、シートにもたれかかった。
「これでレベル7をクリアか。上達したな」
「ティノンに助けてもらいっぱなしだったけどね」
だが内心、ティノンに賞賛されたことを誇らしく思っていた。少し前までは終わった後もくどくどと説教が続いただけあり、ほっと胸をなでおろすことが出来る。
今回のシュミレーターではEAではなく、新型のギールアイゼンを使っていた。
2人の訓練と、性能テストも兼ねてだ。
「グリフィアよりも使いやすいなぁ。僕はギールアイゼンの方が良いかな?」
「あぁ、期待できる性能だ」
ティノンはヘルメットを外し、緋色の髪を整える。
「さ、訓練は終わりだ。休んでこい」
「うん」
身体をピキピキ鳴らしながらコクピットを降り、ビャクヤはドアを開けようとした。
「あ、ち、ちょっと待て!」
「え、何?」
「いや、お前が良ければなんだが、あ〜……」
ティノンは言い辛そうに視線を彼方此方に向ける。そのままフラフラと隅にある自販機前まで歩いていく。
「……どうしたの? 疲れてるんじゃあ……」
それに対する返答の代わりに、スポーツドリンクが入ったペットボトルが返ってきた。
「ブッ!!」
対応できなかったビャクヤの顔面に、ペットボトルが直撃する。冷たさと痛みで鼻っ柱が赤くなる。
「痛い……」
「何でもない。それは奢りだからとっとと行け!」
「えぇ!? 何なのさもう……」
そうしてビャクヤはそそくさと訓練ルームを去っていった。誰もいなくなった空間の中、ティノンは自らの汗を拭きとりながらぼそりと漏らした。
「また……言えなかった」
隊員一人を食事に誘うこともできない自分の情けなさに、どこか胸の空く様な気分になった。
甲板への扉を開けると、強い日差しが眼に差し込んできた。思わず手で庇う。
その瞬間、甲板から海猫たちが一斉に羽ばたき去っていった。
アクトニウムハザード以降、世界の動物の個体数は大きく変動しているらしいが、海猫のように幅広く生息している生き物はまだ見れるようだ。
ビャクヤは最近よくこの場所へ訪れるようになった。移動している間はここを気持ちの良い風が通るため、訓練が終わった後にここへ来るのだ。
普段は誰もいないか、煙草を吸いにウェルゼがいるくらいなのだが……今日は珍しい来客がいた。
青い光を含んだ銀髪が潮風に凪いでいた。
「あれ? エル?」
「……ビャクヤ」
彼女の周りでは海猫が数羽休んでいた。だがビャクヤが近づくと、何処かへ飛び去って行ってしまった。
「ここで何してるの?」
「あなたこそ、何をしに?」
「ここの風、好きなんだ。それに今なら海が見えるし」
「私も」
海の波とは対照的に、会話の波はあっさり途絶えてしまった。またしても話のネタを探し始めるビャクヤだったが、今回もまたエルが話し始めた。
「ティノンが嬉しそうに話してた。最近ビャクヤとの訓練が楽しいって」
「そ、そうなんだ。それは良かったなぁ、ははは……」
「……」
何故かエルシディアの目がジトリとした雰囲気を帯びる。本能的にそれを察したビャクヤは笑いを途切らせる。
「ど、どうしたの……」
「いいえ、楽しそうで何より」
と、言いつつも彼女の声色には不満げな色が見え隠れしていた。だがすぐにそれはなりを潜め、興味がなさそうに海へと視線を向けた。
凪風が二人の間を駆けていく。
「すごく綺麗だよね。本でしか見たことなかったから、こんなに青かったなんて知らなかったよ」
ビャクヤは独り言の様に感嘆の声を出す。
戦場や訓練の中で感じる息苦しく、血反吐を吐くような気分を忘れさせてくれるようだ。
「でもここはもう、命が生まれる場所じゃない。この海に生き物はもう住めないから」
「そうなんだよね……アクトニウム濃度が濃いからだっけ」
「でも、だから綺麗なのかも」
彼女は立ち上がり、ビャクヤの前へと向き直る。
海を背にしたエルシディアの姿が、誰かの姿と重なった。
「あなたの命にも、この海と同じ色が混ざってる。とても綺麗」
「……はぃ?」
呆気にとられるビャクヤとは裏腹に、エルシディアの言葉は更に連なっていく。
「貴方は何なの? 一体どうすれば貴方を知ることが出来るの? 私に教えて、どうして……?」
「何言ってるのさエル!? 僕は普通の人間で……」
その時だった。一際強い潮風が吹き、エルシディアの細い身体を海へと押した。
声を出すことも、風に抗うこともせず、ゆっくりと重力に引かれていく。
「エル!!」
ビャクヤはエルシディアの手を掴み、強く引っ張り上げた。だが勢い余り、二人は甲板の上へ抱き合うように倒れこむ。
「……」
「……」
間近に迫ったコバルトグリーンの瞳。横たわった後も立ち上がる素振りも見せず、手を掴んだまま離さない。ビャクヤの心臓が変な脈拍になる。
こんなところを誰かに見られでもしたら……。
カシャッ
不穏な音が響く。ビャクヤは震えながら顔をあげると、そこにはカメラを構えたエレナがいた。
「フフフ~、二人のラブラブシーンゲット~」
「うわぁぁぁぁぁ!! やめてください! ていうか何でここに!?」
「その言い方だと余計怪しいよ~。さて、アルバムに張らなきゃだからじゃあね~」
「待ってください!!」
のらりくらりと甲板を後にするエレナを追い、ビャクヤは甲板を出ていった。
エルシディアは尚も横になったまま、空を見上げていた。
錆とは違う、心に付いたものの正体が何なのか。
それをひたすら、自問自答しながら。
続く
ビャクヤくん、ちょっと、屋上行こうぜ
というわけで31話でした。ロボット要素皆無かよぉ!?
今回おっさん2人がダラダラ話して、ビャクヤくんが主人公補正(特殊)発動しただけじゃないか。
てなわけで次回からはきちんとロボットします。
それでは皆さん、ありがとうございました!