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Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜  作者: 雑用 少尉
第2章 Pride of Ace
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第30話 羽ばたき

 

 白い病室の中、二人の人影。


 一人はベッドの脇でリンゴを剥くビャクヤ。

 もう一人はベッドの上で半身を起こし、その様子をジッと見つめるエルシディアだった。


「あの……エル」

「なに?」

「そんなに見られるとやりずらいんだけど」

「そう」

 彼女は軽く反応するだけで、やめようとはしなかった。


 エルシディアの服の下には包帯が全身に巻かれており、三日経った今でも絶対安静を言い渡されていた。

 しかしビャクヤはというと、中破していたゼロエンドの中から救出された際にはエルシディアと変わらないほどの傷を負っていたにも拘らず、一日で歩くことが可能になっていた。


「よく生きてたね。本当なら死んでいてもおかしくなかったってグレッグ衛生兵が言ってたらしいじゃない」

「いや、うん、まあ……」

 歯切れ悪く返すビャクヤの胸の中ではある出来事が思い返されていた。



 ーー君の体の治癒力が高い原因が分かったーー


 白髪交じりの医師の言葉が反芻される。その横ではグレッグが顔を蒼白にしていた。


 ーーそれって、どういう……ーー

 ーー君の体内、正確には血中にアクトニウムが溶け込んでいる。今は特に悪影響は無いが、個人的にパイロットを続けるのはあまりお勧めできないなーー



「ビャクヤ」

「えっ、う、うん、何?」

 いつの間にかリンゴを剥く手が止まっていた。


 このことは皆に告げないでおいた方が良いのかもしれない。

 今回の戦いで分かった。戦争はこれから更に加熱化していくに違いない。ボロボロになったゼロエンドを格納庫で見たとき、このままではいずれ戦場で散ることも。


「……よし、剥けた。はいどうぞ、テーブルに置いておくから」


 細かく切り分けたリンゴを皿に入れ、横のテーブルに置く。

 だがエルシディアは一向に食べる様子を見せない。視線をビャクヤから逸らしてすらいなかった。リンゴに何か気になることでもあったのか。


「今、手は使えない。……食べさせて」

「え、えぇ!?」

 あまりに突然、あまりにとんでもない回答に、ビャクヤは凍り付いた。その言葉の意味を分かっているのだろうか。

 だが心の奥底では喜んでいる自分が恥ずかしい。


「て、て、手が使えないなら……仕方ない、か」


 ビャクヤはリンゴを皿から一つ取り出す。そのままエルシディアの口へと運ぼうとするが、手がぶれてうまく定まらない。

 ティノンに見られたらどやされそうだ。色々な意味で。


 ようやく口の前に辿り着くと、エルシディアの小さな口が開き、リンゴを迎え入れた。

 リンゴを高い音と共に齧り、そしてシャキシャキと小気味良い音が続く。


 ただその操作を繰り返しているだけなのだが、なぜかそれが妙に色っぽい。さっきからビャクヤの心臓の音が不自然なリズムを刻んでいる。


 相も変わらず味についての感想はないが、微かに笑っている。それだけで十分だった。


 ビャクヤは椅子から立ち上がり、そのまま病室を後にしようとする。


 すると、袖口を掴まれる感覚。

「どこに行くの?」

 表情のない、だがその中に寂しそうな色が見て取れる顔が見上げていた。

「ハスト社にティノンを迎えに行くんだ。そろそろ約束の時間だし」

「……」

「エル?」

 エルシディアは何も言わず、その手を離す。

 ビャクヤは少し戸惑いつつも、病室を後にした。



「ビャクヤのこと……私はもっと知りたい。もっと、もっと……」

 ベッドの中に隠していた右手には、ビャクヤのカルテが握られていた。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 久しぶりの我が家。


 大好きだった家。


「ティノンお嬢様!?」

「ティノンお嬢様、何時お戻りになられたのですか!?」


 驚愕する執事にメイド。忘れはしない。幼少の時にとても良くしてもらったのだから。

 まだ自分をお嬢様と呼んでくれる。



 父は、自分のことをまだ娘と呼んでくれるのだろうか。




 3日前、グシオス軍が撤退した後に、ティノンはグリフォビュートへと帰還した時のことをふと思い出す。

 怪我が酷かったビャクヤとエルシディア以外が自分を迎えていた。

 エグゼディエルから降り、うつむきがちに敬礼する。

「……ティノン・ハスト中尉。帰還、いたしまし、た…………」


 迷惑をかけてしまった。自分の身勝手な振る舞いで傷つけた人だっている。

 本来なら合わせる顔なんてない。



 最初にゆっくりと歩み寄ってきたのは、エリスだった。険しい表情をして俯いている。

「ティノンさん」

 背中が震えた。

 どんな罵倒が来るのか、不安で堪らなかった。無意識の内に後ずさる。



「眼、治ったんですね! 良かった、本当に良かった!!」


 ティノンの体を、その小さな体で抱きしめたのだ。

「あ、え、あ、あ?」

 突然のことでティノンはしどろもどろになる。

「ティノン〜!」

 畳み掛けるようにエレナまで抱きついてきた。

「良かった〜、本当に良かった〜」

「待ってくれ、ちょっとエレナ……!」

「ふえぇぇん、ティノンさ〜ん!」

「何でエリスが泣くんだ! って、エレナまで抱きつくな!」


 次第に2人とも涙声になり、何を言っているのか分からない有様になっていた。


「おいおい、2人とも何言ってんだか分かんねえ! プフフ」

「空気読めモヒカン!!」

「空気読んで下さいビリーさん!!」

 吹き出すビリーを嗜めるクラウンとカイエン、ティノン達をにこやかに見つめるマックス、アイズマン、リン。

 そしてそれを遠くから見つめていたウェルゼ。


 まるで本当の家族のように迎え入れてくれた仲間たち。




 次は、血の繋がった家族との決着だ。


 温かな思い出をそっと閉じると、ドアノブへ手をかける。


 扉はティノンを拒絶するように重かったが、力を込め、開けた。



「…………パパ」

「…………ティノン」



 何時ぶりだろう。こうして対面するのは。

 幼少の記憶では優しく微笑んでいたその顔も、今では鋭く睨み据える形相になっている。


 母が亡くなった日から変わっていなかった。


「何故ここに来た?」

「パパと、話したかったから」

「デタラメを言うな」

 この言葉に嘘はない。

 だが予想通り、デイレックの耳にティノンの声は届いていなかった。


 ふと、ある物が目に映る。


「写真……」

 まだ若さが残るデイレックとイリシア、そしてその間で幸せそうな笑う、幼いティノン。


 ティノンは複雑な笑顔を浮かべる。

「まだ残ってたんだ……」

 遺品を遺さず亡くなった母との、たった一つの思い出。


「やっぱりパパだって本当はママの事……!」

「勘違いするな。それはあの日の憎しみを忘れないためのものだ」

「そんなの嘘だ! パパは誤魔化して逃げてるだけ! 本当はーー」

「黙れ!!」


 デイレックは吐き捨てる。ティノンを見るその眼には、娘を思いやる感情は一切含まれていない。


「私とお前を残して戦場に散ったあいつを、絶対に許さない! 許せるはずがあるか!!」

 普段の冷静さは影を隠し、激情はとどまるところを知らなかった。

「何故お前は私の思い通りに動かない! 何故お前はイリシアのように生きようとするんだ!?」

「それは……」


 誕生日の日に、自分を残して亡くなったイリシアのように生きようとする理由。

 死の道を歩もうとしていたデイレックを、その淵で引き止めた理由。


「私は……二人の娘だから」


 時が静止したような間。

 一瞬だが、デイレックの瞼がピクリと震えた気がした。

「……もういい!!」

 デイレックは机に拳を打ちつけると、写真立てをティノンの足元へ投げ捨てた。



「私の前から失せろ!! そして金輪際ここへ来るな!!」



 心臓を打ち貫くような衝撃が胸に伝わる。

 落ちた写真立てに入ったヒビは、決してあの日が戻らない事を示していた。


 目に涙が浮かぶ。それでもその一粒を、彼女は零さなかった。


 写真立てを手に取り、自分を突き放した、唯一血の繋がった家族へ別れを告げた。

「……さようなら」





「そんなこと……とうの昔に分かっていた」

 誰もいなくなった部屋の中、デイレックは一人、誰に話すでもなく呟いていた。

「ずっとイリシアを忘れられなかった。一番許せなかったのは、いつまでもあの日から進めなかった私自身だ。それをずっと誤魔化すために……」


 既に遅い。

 自分に残された選択肢は、ティノンを自分から遠ざけること。


 家族とも自分とも向き合わなかった自分への罰。

 たった一人、孤独に果てること。

「イリシア……ティノンが君に似て、よかったよ」


 静かになった部屋へ水を差すようにコールがかかる。

[これはどうも。久方ぶりです]

「……総司令官」


 この声と話し方。名乗らずともわかる。


「何のご用件で?」

[分かりきったことを。貴方の処遇についてです]

「どうぞ、好きにしてください。極刑だろうと甘んじて受ける覚悟は出来ています」


[極刑……。全く、貴方は最後まで逃げ続けるつもりですか]


「……何を仰られる?」


 地獄から聞こえるように低い声は、何処か笑っているようだった。


「貴方には地獄の底まで付いてきてもらいます。EA計画完遂のために……」



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ティノンお嬢様より、こちらでお待ちくださいとの事です。それでは」

「どうも」

 恭しく礼をし、忙しそうにメイドは去っていった。

 ビャクヤが案内されたのは小さな客室だ。小さなテーブルに、お菓子が小綺麗に並べられている。

 こうして改めて思う。ティノンには帰る家があり、家族がいた。

 もしティノンの母が戦死していなければ、ティノンはどうしていたのだろう。

 幸せな家族のまま、幸せな人生を歩んだのだろうか。


 もしも自分に家族がいたら。

「僕の……家族は……どこに?」


 ズキリ、と頭が悲鳴をあげる。これ以上考えてはいけないと脳からの勧告。

 指輪をそっと握り締めると、潮が引くように痛みは消えた。


 と、扉が開く音。久方ぶりに見た緋色の髪をした少女が相見える。

「あ、ティノン。迎えに来たよ」

「……あぁ」

 反応が遅れ気味だったが、いつも通りぶっきらぼうな返事をする。

「じゃあ帰ろうか。みんな待ってるよ」

「いや、待て。その……良かったら、何か飲まないか? 丁度、菓子もあるし」

「そう? じゃあそうしようか」


 ティノンが注いだコーヒーが、2つテーブルに置かれる。

 芳醇な香りがする。おそらくインスタントではなく、高級なコーヒー豆を使っているのだろう。

 口をつけてみると、少し苦味が強かった。


「ティノン、何かあった?」

「……何だ、急に?」

「ティノンが僕をお茶に誘ったことなんてないじゃないか」

 何故かムッとした顔で睨んでくる。

「どういう意味だそれは」

「い、いやいや、本当にそうでしょ? あまり訓練以外で会わないから……」

「まるで私が鬼教官みたいな言い方をするな」

「いや鬼教官だよ……あっ」

 口が滑ってつい日頃思っていることが口に出てしまった。すぐにでも拳が飛んでくることを覚悟し、目を瞑る。

「い、いや、今のは違……」

「……ハハ」


 予想は外れた。

 ティノンは今まで見せたことのないような、優しい微笑みだった。


「今のお前とのやり取り……まるで本当の家族みたいだったよ」

「それって、どういう……?」

「いや、何でもない」

 ティノンは首を小さく横に振ると、コーヒーカップをソーサラーに置く。

 それっきり、言葉を発さなくなってしまった。

(ど、どうしよう。何かまずいこと言っちゃったかな?)

 普段とは違うティノンを見て、ビャクヤは不安な気持ちに陥る。こんな時にどんな言葉をかければよいのか分からず、時間ばかりが過ぎていく。


 だが、ティノンがふと口を開いた。


「……ビャクヤ」


 身を乗り出してビャクヤの肩を強く掴む。その目と口は微かに震えていた。


「私は誓うよ。どんなことがあっても、もう立ち止まらない」


 彼女は失った目を取り戻した。

 だが幼少の頃に負った深い心の傷は今でも癒えていない。いや、この先完全に癒えることはない。過去をなかったことにするのは出来ないのだから。


 それでも彼女は、再び戦場へ戻ってきた。


「だからお前も……最後まで生き残れよ」

「もちろんだよ」


 肩に置かれた手が、ビャクヤの背中に回される。

 金色の眼から、涙が一筋輝いた。



「約束だ」



 続く

もう一度、空を……


というわけで30話でした。一応、これで二章は終了です。

直接和解は出来ませんでしたが、きっと届いているよ、ティノンの想い。


さて、と。

三章は……覚悟していてください。


それではみなさん、ありがとうございました!

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