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Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜  作者: 雑用 少尉
第2章 Pride of Ace
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第24話 決意をその眼に

「全く、君はそんな無茶をするような奴じゃあなかろうに」

「すいません……」

 マックスの溜息交じりな言葉に、ビャクヤは申し訳なさそうにこうべを垂れる。


 社長室から痣だらけで出て来た時には驚いたが、社内の医師には大事ないと言われていたのを聞いて安堵した。

 見たところ、顔の痣も薄れている。


「しかし、一体何があったんだ?」

「……艦長」

 ビャクヤの声は、先程からとても沈んでいた。痛みによるものではない。思いつめている様子だった。

「ティノンと社長の間に何があったんですか? どうしてあそこまで……」

「いや、んん、と…………」

 マックスは、何やら答えずらそうに目線を逸らす。

「私は詳しく知らないなぁ……かなり込み入った事情というのは分かるが……」

「…………そうなんですか」


 誰も、ティノンの事を詳しく知らない。もちろん、自分も含めて。


「ティノンは、もしかして……」

 と、ビャクヤのポケットの中で通信端末が震える。

 メールだ。その送り主は……

「っ!」

「どうした?」

「い、いえ……。すみません、僕はもうグリフォビュートへ戻りますね」

 端末を切り、ビャクヤは足早にその場を去っていく。マックスが少々心配そうにしていたが、気にする余裕はなかった。



 〈件名: 無し〉

  用件: 今から一人で医務室に来てくれ。

  待ってる。

  ティノン



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 時刻は深夜。


 ハスト社からグリフォビュートのある港まではかなり距離があるため、すっかり時間が経ってしまった。

 インターホンを押すと、グレッグが応対した。事情は聞いているらしく、ビャクヤだと分かるとすぐに扉を開けてくれた。


 ティノンは今、医務室の中にある集中治療室の中だった。前回の一件以来、彼女の精神状態はより不安定になってしまったらしく、面会謝絶が続いていた。


 しかし、突然どうしたのだろうか。しかも、自分一人だけ。

 言い知れぬ不安を抱えながら集中治療室の扉を開いた。



 見慣れた、緋色の長い髪が枕から覗いていた。

「ティノン……?」

 ビャクヤが声をかけると、その頭がゆっくりと起き上がる。

 その眼には依然包帯が巻かれていたが、心なしか、その表情からは前ほど負を感じなかった。

「ビャクヤ……もう少しこっちに来てくれないか?」

「距離、分かるの?」

「不思議なものでな。目が見えなくても、最近は分かるようになった」

 言われた通りビャクヤは近くに歩み寄り、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。

「ティノン、その、どうしーー」



 ビャクヤの質問は、ティノンが突然抱きついたことによって遮られた。

 温かく、心地良い体温が身体に伝わる。



「っ!? な、な、何……を」

「今だけで、良いんだ……頼む」

 ビャクヤは思わずビクリとした。その声は余りにも弱々しく、余りにも微かな響きだったためだ。

「昔話に付き合ってくれるか、ビャクヤ?」

「……う、うん」

 上ずり気味に返事をしたビャクヤの様子が伝わったのか、ティノンは語り始めた。



「私の父は今と同じく兵器会社を経営していた。今ほど大きくなかったけど、パイロットだった母と、私と。とても幸せだった」

 ティノンはまるで、今話している過去が見えているようだった。とても嬉しそうな色が、声にも表情にも表れていた。


 しかし、それは一瞬の内に消え失せた。

「だけどあの日だった。全てがおかしくなったのは……」




「ねぇママ、また、仕事?」

「あぁ。でも今度はすぐ帰ってくるよ。ティノンの誕生日には間に合わせる」

 そう言って幼きティノンの頭に細い指を乗せたのは、彼女の母、イリシア・ハスト。

 それを傍で見守っているのは彼女の父、デイレックだった。

「さあティノン、パパと一緒に待っていようか」

「ママ、早く帰って来てね」

「当たり前だ。ティノンのママは最強のパイロットなんだから。……それじゃあ」




「そして私の誕生日、イリシア・ハストの訃報が届いたんだ」

 ビャクヤはその結末を予期していた。デイレックが言っていたイリシアというのは、ティノンの母。



「私は悲しみよりも先に、怒りが湧いてきたよ。絶対にグシオスを許さない。母を奪ったグシオスから、今度は私が奪ってやる。……だけど、父は許してくれなかった」



 そして、図らずもそれが二人を引き裂く結果になったことも。

「私に……言ったんだ。お前は傍観する側になればいい。私の跡を継いで、陰で戦いを操れと…………私は……」

 ビャクヤの背中を抱く力が一層強くなる。



「でもいつか、いつか分かってくれると思ってる。認めてくれるって、信じてる! ……だからまだ、戦いをやめるわけにはいかないんだ」

「え?」


 ティノンは身体をビャクヤから離すと、その眼に巻かれた包帯を取り外した。


 思わず目をつむってしまった。

 両眼に深く刻み込まれた傷痕が現れる。


「バイオレストア手術、って知っているかビャクヤ?」

「…………いいや」

 聞いたことのない単語。しかし、いつか感じた痛みが頭の中をよぎった。

「細胞をアクトニウムで活性化して再生した後、それを有機機械を仲介に肉体に埋め込む手術らしい」

「ん、と…………?」

 聞きなれない言葉の羅列にビャクヤが戸惑っているのを感じ取ったのか、ティノンはクスリと笑う。

「つまり細胞を持った義眼を私の眼に埋め込んで、私の視力を戻せるんだ」

「……そ、それってつまり!?」



 ティノンの両眼は治る。

 彼女はまた、戦えるようになる。



 しかし、その後の一言は残酷なものだった。





「成功率は、5%以下」




 ビャクヤは声を出すことすら出来なかった。成功率、5%以下。場合によっては高い数値なのかもしれない。だが、手術においてこの数値は絶望的なものだ。


「失敗すれば……どうなるの?」

「義眼と脳を繋ぐ手術だからな。運が良くて記憶障害。ま、大体は死ぬらしいけどな」

 自嘲気味に笑うティノン。

 笑うしか、出来ないのだろう。




 自分の誇りと、命を天秤にかけろと。

 彼女にはそう告げられているのだ。




「ティノンは、手術を…………」

 言葉が続かない。ビャクヤの心はまるで鈍器で殴られたかのように揺さぶられ、上手く言葉が出ない。

 そんな言葉を受け、彼女は静かに告げた。


「自暴自棄になっていた私に、降ってきた細い希望なんだ。みんなの為に、何より、私の為に。掴んでみせるよ」

 




 知らずうちに、ビャクヤの頬を涙が伝い始めた。微かな嗚咽が、ティノンの耳には届いてしまっていたらしい。


「お、おい、なんでお前が泣くんだよ?」

「……前に言ったこと、本当にごめん…………誰にだって戦う理由が、誇りがあるって、そんなことすら気づけなかった……自分のことしか考えてなかった……!!」


 一番泣きたいのはティノンなのに、涙が後から後から溢れ出していく。


 そっと、ビャクヤの頬に手が触れた。

 ティノンの指先はゆっくりビャクヤの頬を登って行き、その涙をすくい上げた。

「自分のことしか考えられない人間は、誰かの為になんて泣けない」

「…………」

「こんなに自分のことを話したのは初めてだ。ありがとう、ビャクヤ……」


 ビャクヤの額と、ティノンの額が、コツンと触れ合う。



 体温は、とても熱かった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 医務室から出た後も、ビャクヤはしばらく虚空を見つめていた。



 成功率、5%。



 本人でなくとも、その重圧と不安を感じてしまう。

 ティノンはああ言っていたが、決して全て受け入れた訳ではないだろう。でなければ、ここに誰かを呼ぶことなどしない。


 だが自分は、彼女に何もすることが出来なかった。



「こんな時間に、どうしたの?」

 消え入るように儚い声が耳に入り、その方向を向く。蒼銀の前髪の隙間から、コバルトグリーンの瞳がこちらを見つめていた。


 ビャクヤは複雑な心境で彼女を見る。


 エルシディアがティノンに、あの選択肢を与えた。しかしそれは、重い代償を払って起こす、奇跡。


 悪魔の取引だ。


「エル、どうしてーー」

「バイオレストア手術は、人間への臨床実験の前例はない」

 ビャクヤが質問をする前に、エルシディアは淡々と口にした。


 しかもそれは、とんでもない事実だった。


「どういうこと!?」

「言葉通りよ。まだ人体に対してバイオレストア手術は行われていない。マウス実験が最近のこと」

「つまり……成功するかどうかすら分からない!?」

「成功率5%は、あくまで実験データを参考にさっきの点を考慮して出した値。成功する確率があればの話、だけど」

「…………ティノンにその事は?」

「言ってどうなるの。その事実は、彼女に残された唯一の選択肢を潰しかねないでしょう?」

「エルッ!!」

 ビャクヤの怒りを灯した視線と、エルシディアの零下の熱を帯びた視線とが交わる。


「ティノンを人体実験の材料にでもする気かっ!?」

「死ぬと決まったわけじゃないわ。それとも貴方、ティノンがあのまま腐り果てていくのが見たかったの?」

「違う! でも……でも!!」

「言ったでしょう、私は選択肢を与えただけ。決めたのはティノン。貴方がとやかく言う義理はないはず」


 恐ろしさすら感じる無機質な表情が、ビャクヤの心を絞めつけた。


「それに、ティノンがどうなるかなんて私には関係ない。手術のデータが取れればそれでいいの。むしろ、死んだほうが彼女は幸せなんじゃないかしら。父親が娘のことを認める気がないことを、いつか知るよりだったら」


「なん……だ、と……!!」

 視界が赤く染まるように感じた。制御できない憤怒に操られるまま、彼女の小さな肩に掴みかかろうとした。


 だが、その手は途中で止まる。



 エルシディアの瞳は、一切光を宿していなかった。


 自分は悪魔だと思い込まなければ、自分が出した狂気の選択をティノンに選ばせた罪を背負いきれないように感じた。

 しかもその事に、恐らくエルシディア自身は気がついていない。



 どうして彼女達はこうも、強そうに見えて、



 その実、どうしようもなく弱いのだろうか。


「エル…………嘘つくの、下手だね」

 いつかエルシディアに言われた台詞を、彼女へ向けた。



 エルシディアは一瞬目を見開いたが、やがてビャクヤから逃げるように去っていった。


 小さく呟いた「ごめんなさい」を、ビャクヤは聞き逃さなかった。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 深い闇の空に、中途半端に欠けた月が浮かんでいた。

 デイレックは一人、社長室の椅子に座り、月を眺めていた。


 だがそこに、一人の来客が訪れた。

「社長さ〜ん。お話したいことがありま〜す」

 軽薄な声と共に、微かな足音が近づいてくる。

 月明かりに照らされた、ウェルゼの顔は不敵に笑っていた。

「面会時間を考えられないのか? 礼儀の知らない態度は、パイロット共通らしい」

「いやいや、あんたに比べりゃ礼儀はあるほうですよ? 二股かけるような男と一緒にしないでくれますかね」

「…………何を言っている?」

 デイレックはウェルゼへと向き直る。その眼は明確な殺意が込められていた。

「とぼけないでくれます? こちとらわざわざ、あんたんところのデータベース潜って証拠かき集めたんだから」

「ほぅ、ハッカーか。ネズミか何かのようだな」

「正確にはクラッカーですよ。んで、グシオスとの取引データがぜ〜んぶこのメモリに入ってます。こいつを本部に提出すれば、あんたは晴れて国家反逆者だ」

「……フッ」

 デイレックに、慌てる様子は微塵も見られない。奇妙なほど落ち着いている。

「ん? 誤魔化しも、慌てたりもしないんかい?」

「私を国家反逆罪で捕まえてハスト社を麻痺させてしまえば、困るのは君達だ。それに……今は出来ない」

「は?」

 眉を歪めるウェルゼを見ると、デイレックはニタリと笑った。

「グシオスから戦線布告が送られてきた。EAデータの受け渡しを拒否したからだろうが……近い内に攻めてくるだろう」

「おい、あんたまさか……」

「予定通り見せてもらうとしよう。EAの性能をな」




 ウェルゼは瞬間悟った。

 このことを計算していたのか。


「なんでそんなことまでして……!?」

「私は見たいんだよ。この戦争(ゲーム)がどう動いていくかを」

 そう言うと、椅子に座って背を向けた。これ以上話すことはない。そう言っているように思えた。


 ウェルゼは口惜しそうに睨みつけていたが、やがて踵を返した。

 去り際にこう言い残した。




「そんな大層な理由には、俺には思えないがな」



 続く

5%って、5%って…………


というわけで24話でした。ティノンはどうなるか、ハラハラしてお待ちください。次回は戦闘もありますよ!(本格的宣伝)


それでは皆さん、ありがとうございました!

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