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Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜  作者: 雑用 少尉
最終章 Ambrosiaの騎士
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第3話(97話) 折れた翼

 

 昔、ある小説を読んだことがある。


 その中で描写されていた牢獄は石造りで、天井からはいくつも水滴が滴り落ち、それが床にいくつもの水溜りを形作る。

 暗く、湿っていて、陰鬱な空間。


 しかしスティアが閉じ込められている空間はそのどれにも当てはまらない。


 真っ白な壁に囲まれ、扉がある場所にはガラスが一面に張られている。いつも交代で兵士に見張られ、食事や手洗いすら自由に行く事が出来ない。

 無機質な空間。更には不自由な足にまで枷をつけられ、自害出来ないよう簡素な服に着替えさせられて。

 小説で読んだ牢獄の方がマシだったのかもしれない。


 ドアが開き、人影が牢獄の中に入る。


 自分の世話をしている男だ。2年前軍にいた時には見ない顔。しかし新入りにしては風貌が若くない。

「随分調子は良さそうだな」

「…………皮肉がお上手なようね」

「悪かったよ。あんたみたいな美人毎日見れるってんで浮かれてた」

 シュランは片手に食事を乗せたトレイを持ち、スティアの前に差し出す。中にはドロドロとした粥らしきものが入った器がある。

「それ食ったら表に出な。あんたに会いたいって人が来てる」

「私なんかに用事……それって、私とよく似た男の人?」

「まぁなんだ。会えば分かるさ」

 枷を外し、器を手渡される。しかしスプーンを持つことを許されていないため、器に口をつけ、飲み込むように口に含む。粥の味は酷く薄かった。

 その様子を、シュランは黙って見つめていた。

「……もう仕事は終わりでなくて?」

「器の回収とあんたを面会室まで連れてかなきゃならないからな」

「貴方がする必要あるの?」

「総司令官命令なんで」

「どこまで本気で言ってるのやら」

 スティアは器を置く。中身はほとんど減っていない。少し食べただけでも戻してしまいそうになる。

「随分やつれてるな。本当はもっと美人なんだろうが…………もったいねぇ。貰い手もいただろうに」

「こう見えて私、未亡人ですよ。2年前に、夫は戦死して……唯一彼との思い出だった指輪は、取り上げられてしまいましたが」

「その歳で……いや、な。俺が言えたことじゃないんだが……苦労、してたんだな、あんた」

「そうですよ、だからもっと労って下さいね」

 こうして笑って返す冗談にすら、力がこもっていない。酷く衰弱しているようだ。

 見れば首や左腕にはいくつか注射痕が生々しく残っている。最近つけられたものだ。大方あの仮面の男にやられたのだろう。シュランは辟易した表情を浮かべる。

「……食わないなら行くぞ」


 扉が開き、2人の兵士が現れる。

「丁重に運べよ」

 シュランは先に牢獄を出ようとする。

「ほら、立て!」

「うっ……!」

 車椅子に乗せようとせずに無理矢理立たせ、歩かせようとする兵士。銃で背中を小突き、よろめく身体を急かす。

 その時、部屋を出ようとしたシュランが踵を返し、その兵士へと歩み寄っていく。

「……? どうかされま、ブグッ!!?」

 突如兵士の顔面を殴りつけ、地面へ引き倒す。更にそのまま顔を踏みつけた。

 そしてもう1人の方を向き、低い声でもう一度言った。

「丁重に、運べよ」

「は、は、はぃぃぃ!!」

 逃げるように車椅子を取りに行くのを見送り、シュランは今度こそ部屋から去っていった。




「め、面会時間は、10分です。そ、それでは」

 未だに恐怖が拭いきれない様子の兵士が去り、スティアは強化ガラスで仕切られた部屋へと踏み入る。車椅子で仕切りの前に辿り着いた瞬間、向こう側の面会室の扉が開いた。

 スティアは目の前に座った女性の名を呟く。

「エリーザ、さん……?」

「お久しぶりです、少佐……あぁ、今は違いますね。スティアさん」

 その笑顔は優しさに満ちていた。しかしそれを見た瞬間、スティアは首筋に氷を当てられた様な冷たさを感じた。この笑みは自分を思ってのものではない。ならば彼女は一体何の目的で自分に会いに来たのか。

 だがその動揺を悟られぬ様、スティアは平静を装って話し始める。

「どうしたのかしら、突然。私に会いに来たって何も…………」

「ただ顔をお伺いに来ただけです」

「……っ。ア、アレンとは上手くいってるのかしら? あの子不器用な所があるから、貴女に迷惑をかけていないか心配で……」

「心配いりませんよ。アレンさんは私が守りますから」

「っ、っ? え、えぇ、心強いわ、とても」

 話が噛み合っていない。というよりも、エリーザはスティアの話を聞いている様で聞いていない。何処か無機質な印象すら与える笑顔が、それを一層不気味な雰囲気を醸し出していた。

 すると今度は、エリーザの方から話を切り出した。

「スティアさん、今、幸せですか?」

「え……!? し、幸せ、なわけ……う、ううん、幸せ……幸せ、よ。だって貴女がアレンのそばにいてくれるのなら……」

「私はとても幸せですよ。大好きな、大好きなアレンさんとずっといっしょにいられる。今の彼は私だけを見てくれているんです」

「……エリーザさんごめんなさい、私、貴女が何を言いたいのかさっぱり──」

「でもアレンさん、毎晩魘されるんですよ。貴女達家族の事を忘れられなくて。だからこの際、はっきりと言わせてもらいますね」

 強化ガラスに両手を叩きつけ、狂気を孕んだ眼差しでスティアを睨みつけた。


「貴女達家族はもう、アレンさんを縛り付けるものでしかない。早くアレンさんの記憶の中から消えて下さい」


 無茶苦茶な要求だ。

 スティアはその言葉に戦慄し、強烈な吐き気に襲われる。今の彼女は正気ではない。記憶から消える。そんな事出来る筈がない。

「む、無理に決まってる……! エリーザさん、貴女おかしいわ! 一体何があったの!?」

「分かりませんか? 何で分からないんですか? 貴女はアレンさんのお姉さんでしょう? 大切な弟なんでしょう? その弟が苦しんでるんですよ?」

「貴女じゃ話にならない!! アレンを、アレンをここに呼びなさい!! 貴女アレンに何をしたの!? 私の大切な家族に何を──」



「大切な家族!? 笑わせないでくださいよスティアお姉さん!? 貴女は彼に何をしてあげたんですかぁ!? あの女……エルシディアが彼に何を与えたんですかぁ!? 貴女達は血が繋がってるだけで、アレンさんを苦しめるだけの呪いなんだ!!!」



 呪いという一言はスティアの心の均衡を崩し始める。目眩と頭痛が激しくなる。更にエリーザの言葉は凶器となって襲い掛かる。

「エルは…………エルシディアはどうしたの……!? 貴女とアレンなら知っているでしょう!? 私は貴女達を信じてエルを……!!」

「あぁ……さぁ? フェロータスに乗せられたらしいですけどぉ……コクピットにはいなかったらしいですよぉ? まぁどの道あんな状態じゃ助からないでしょうけど」

「フェロータスって何!? まさかエルをまたEAに……約束が違う!! トリックフェイスをここに呼んで!! アレンをここに連れて来て!! 貴女なら出来るでしょう!? 早く、早く!!」


 必死に泣き叫び、強化ガラスに爪を立てる。半狂乱となったスティアを見て、エリーザは笑いが止まらなかった。

 何も知らない可哀想な人。弟にも妹にも置いていかれた非力な人。

 腹の底でアレンの独占を企んでいた自分にまで優しさを与えてくれた、優しすぎる人。


 感謝しかない。


「ふふ、ふふふふふ……!! でももう貴女達はいらないんですよ……アレンさんは貴女達を捨てて、ようやく前に進めたんです…………重い枷を、私が解いてあげた…………私が……あはは」

「私達を……? アレンが……? 嘘、嘘に決まって、う、う、ぐ、おぉっ……!?」

 とうとう耐えきれずに、スティアは車椅子から転げ落ちる。胃が捲り上がる感覚に耐え切れず、無理矢理嘔吐する。まるで受け入れられない現実を吐き出す様に。

「今までありがとうございました……ご機嫌よう。お、ね、え、さ、ん」

 エリーザは来た時と同じ様な笑みを浮かべながら、軽やかに部屋を後にした。


「あぁ、ごめんなさい…………ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………アレン、エル…………私のせいで…………私の、せい……」

 力無く滑らかな床を掻く事しか出来ない。スティアはただうわ言のようにブツブツと呟き続けていた。




「さぁビャクヤ、こっちに座りなさいな。今美味しいお茶とお菓子を持ってくるわ。うっふふ」

 アリアは身体を離すと、小躍りするように部屋を動き回る。戸棚から溢れんばかりの菓子が入った器を取り出し、ティーポットから紅茶をカップへと注ぐ。

「夢みたい……! こうして大きくなった貴方とお茶が出来るなんて……この日をどれだけ、どれだけ待ち望んでいたか……」

 悦の混じった吐息を吐き、だらしなく緩くなる頬。記憶が正しいなら、現在の彼女の年齢は推定30代後半。しかしそうとは思えないほどあどけなく、幼い顔立ち。無邪気な笑顔がビャクヤの方を向く。

「お母さんとっても嬉しい! さぁビャクヤ、一緒に食べましょう!」


 その言葉一つ一つが、その表情一つ一つが、ビャクヤに得体の知れない不安を抱かせた。

 ビャクヤはもう知っている。自分の母は別にいる事を。だが目の前でアリアを名乗る女性の腹にいた事も、産まれた事も事実である。だからこそ知りたい。過去に何が起きたのかを。


「……貴女に、聞きたい事があるんです」

「…………?」

「過去に何があったのか。僕は貴女から……いや、ゼロエンドからある程度の知識は得ています。けど僕は、直接貴女の口から真実を聞きたい」


 ビャクヤは不安を振り払い、アリアへと伝える。彼女はしばらく口を小さく開けたまま動きを止めていたが、やがてその口元へ再び笑顔が戻った。


「過去の事なんかどうでもいいじゃない。今が幸せで、あとはこのまま戦争を終わらせればずっとこの幸せが続くんだから」

「…………その為にアルギネアを、首都のロンギールにあの怪物を放つんですか? 関係のない人達が死んでもたらされる平和に意味が無いことを、貴女は17年前の事件で知ってるんじゃないんですか!?」

「17年前……?」

「ゼロエンドのシステムが暴走して、アクトニウムが砂漠を覆い尽くした事件。あの時記憶の中で見た貴女は後悔していた、絶望していた! だったらなんでこんな事を……!?」

「…………覚えていないわ。私、嫌な事なんてなーんにも思い出せない。そんな事よりビャクヤ、このチョコ、とっても美味しいのよ! ほら、食べさせてあげる、はい、あ──」

 自らの口元に伸びた手を、ビャクヤは乱暴に掴んで止めた。か細い腕はまるでロウソクのように細く、白い。だが行き場のない想いは腕に一層力を込めさせる。

「い、痛いよビャクヤ。どうしちゃったの? お母さんの事、嫌いになっちゃった?」

「質問に、答えてください、アリア・クラウソラス!!」

「私は本当に何も──」

「知らない筈がない! 答えろ、アリア!!」

 ビャクヤが声を荒げた瞬間、アリアの手から力が抜けるのを感じた。手に摘んだチョコレートは重力に引かれ、紅茶へ着水する。

「……………………彼奴の所為だ」

「っ?」

「そうに違いない、彼奴がやっぱり何かしたんだ。あの時、あの時ビャクヤに何かしたんだ。そうに違いない……何で…………」

 次の瞬間、アリアはビャクヤの手を振り払い、ティーポットを床に叩きつけた。

「何で殺したのに、死んだのに……私の邪魔をするのぉぉぉぉぉぉ!!!?」

 甲高い破砕音が鳴り響き、アリアの絶叫が部屋に木霊する。


「何度も、何度も、何度も何度も何度も!! 命乞いしてきた情けない奴を殺してやったのに!! 死体が残らないくらい甚振って、烏に喰わせて……ああぁぁぁぁどうしてどうしてどうしてぇぇぇ……!!?」

 狂乱するアリアに、ビャクヤは何もすることが出来ない。自分の指を喰い千切る勢いで噛み、涙を流すアリア。

「ビャクヤを、優しいビャクヤを……こんなの……酷すぎる……クラウ、ソラス…………ぜったいユルサナイ……!!!」

 よろよろと身体を揺らし、呆然としていたビャクヤを再び抱きしめる。背に爪を立て、決して離さないという意思を見せながら。

「お願い、優しいビャクヤに戻って……もう一度、お母さんって呼んで……? 大好きだよって、言ってよ……」



 ビャクヤは全てを理解した。



 彼女の目に、今の自分(・・・・・)は映っていない。彼女の時は過去のまま止まっている。幼い頃のビャクヤの幻影しか見えていない。

 忘れているなんて嘘。本当は自分が今までしてきた事を、愛する小さな息子に話したくないだけ。知られてしまったら離れてしまうと、嫌われてしまうと、分かっているから。


 先のやりとりで分かった事実は1つだけ。アリアはクラウソラス博士を惨殺した事。何故、何の為に。それを知る事は、彼女の口からは出来ないだろう。

 何故グシオスの総司令官へなったのか。ゼロエンドと自分がフラムシティで出会うように仕向けたのか、偶然だったのか。何故憎き兄の子供であるエルシディア達を殺さなかったのか。聞きたい事は山ほどあった筈だった。



 そんな疑問は何処かへ消えた。現実という檻に閉じ込められ、必死に妄想の世界へ手を伸ばし続けるアリアの姿を見て、ビャクヤが抱いていた不安と恐怖は、別の感情へと変わった。



 アリアの身体を引き離し、涙ぐむ彼女へ向けて、ビャクヤは想いを伝える。





「僕は、貴女の息子なんかじゃない。だから必ず、貴女を止める。アリア・クラウソラス」



 放心したように崩れ落ちるアリア。叫んで発狂する事も、怒り狂ってビャクヤを殺す事もしようとしない。

 ビャクヤはただ黙って、彼女の返答を待つ。決して受け入れない事を、知っていても。

 アリアはやがて通信端末を取り出し、微かな声で告げた。



「…………全部隊、出撃命令。攻撃目標、アルギネア首都ロンギール。フェロータス投下予定時間までに戦力を削いで。…………アルギネアを、灰にしろ」


 通信を終えたアリアの顔は不気味な笑みと、焦点の合わない瞳でビャクヤを見ていた。

「ビャクヤ、私以外に大切なものが沢山出来たんでしょう? だから、お母さんに冷たいんだ……じゃあ、きっとそれを全部取り上げれば、また、私を見てくれるんだよね?」

「アリア……!」



「平気よ。だって私…………貴方を愛してるから!! 貴方を取り戻す為だったら、世界を滅ぼしたって、人類を皆殺しにしたって構わない!! アッハッハッハッハッハッハッ、クフ、アッハッハッハッハッハッハッは!!!」



 ビャクヤが部屋を飛び出し、艦を出る時まで、彼女の笑い声は耳で響き続けていた。



続く

次回、Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜


「進化の終着点」


行き着いた先にある2つの結末(エンド)。それぞれが見据える未来とは。

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