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Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜  作者: 雑用 少尉
第6章 終焉の始まり
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第38話(94話) 忘れていた約束

 

 本を読むのが好きだった。


 エルシディアはまだ言葉も話せない2歳の時から文字を読む事が出来た。


 普通の子供ならば、まだ話し始めるのがやっとな歳。周りの大人達は将来が楽しみだと口々に囁いていた。彼女の小さな手にはいつも学術書が握られていた。


 だが彼女は話す事が出来なかった。自分の父親も、姉も兄も、名を呼ぶ事が出来なかった。


 原因は明白だ。母はエルシディアを産んだ後に急逝し、父は子供に興味が無かった。そして何より、エルシディア自身が話す事に興味が無かった。だからいくら兄や姉が話しかけてこようと、応えなかった。

 そして周りにいた大人達は研究員ばかり。ほんの少し声をかける以上のことはしない。


 唯一自分に親身になってくれた女性がいた。父によく似ていた。だが彼女にすらエルシディアは心を開こうとはしなかった。そんな女性も、時が経つと訪れる事もなくなった。


 姉のスティアと兄のアレンとは滅多に会う事がない。それぞれ隔離されていて、決まった日にしか一緒にいる事が出来ない。

 決まった日に部屋から出され、注射を打たれる日々。こんな実験動物のような生活の中、本だけはいつも一緒にあった。



 だがある日、エルシディアに転機が訪れる。



 自分の部屋に1人の少年が入れられた。


 黒い髪、白銀の瞳、背丈はエルシディアと同じくらいだ。部屋に入った直後、バランスを崩して転倒してしまった。

「いった……ん? きみ、だあれ?」

 それはこちらのセリフだ、と目で伝える。少年はよろけながらエルシディアの元へ近づく。

「それ、絵本?」

 エルシディアは本を閉じ、顔を隠す。面倒な事になった。自分の至福の時間を、この少年は奪いにやって来た。追い返そうにも籠の中、それは叶わない。

「ねぇ、ぼくにもよませて?」

「……」

「?」

 エルシディアは嫌な顔をするが、彼は理解していないようだった。

 するとおもむろに本を開く。少年はパアッと笑い、エルシディアの側に寄って覗き込んだ。


 小さな人差し指が文字をなぞっていく。1つの文章となった。


『あっち行け』


 これで分かっただろう。エルシディアは少年の表情を伺う。

「……はなさないの?」

 何故だろう、といった表情だった。

 初めてエルシディアは、呆れを知った。



 それから、少年との奇妙な共存が始まった。



 いくら拒絶しても少年はエルシディアに話しかけた。時には本を投げつけたりもしたが、少年は一向に懲りる気配は無かった。やがてエルシディアの方が、彼を遠ざける事を諦めた。

 初めてエルシディアは、諦めを知った。


 少年は食事に与えられた1本の栄養補給ゼリーもエルシディアに分けた。いらないと本を使って示したが、何故か少し格好つけた表情で渡し続けた。

 初めてエルシディアは、満腹を知った。


 少年はエルシディアが開いていたページを、舌っ足らずな言葉で音読し始めた。静かに読みたい、とエルシディアが伝えると、小さな声で読むようになった。

 初めてエルシディアは、話す事を知った。



 どれだけの間、一緒に過ごしたのかは知らない。しかしエルシディアは少年を通して様々な事を知った。いつしか笑い、怒り、悲しみなどの感情を少しずつ、表すようになっていった。それだけではない。

「ねえねえ、これ、いっしょにたべよ!」

「…………うん」

 簡単な言葉だが、エルシディアの口は言葉を発するようになっていた。それを姉のスティアと兄のアレンが初めて見た時は驚いていた。自分達がいくら話しかけても変わらなかったというのに。

 その事について2人から問われたエルシディアは、少年を紹介した。

「私、スティア。一番お姉さんなの!」

「ぼくは……──。よろしくね」

 スティアとはすぐに打ち解け、まるで姉と弟の様に接していた。


 だが、アレンは、


「こんにちはー。よろしく」

「……」


 スティアの背に隠れたまま、様子を伺う様に少年を見つめる。

「?」

「ごめんなさい。アレン、恥ずかしがり屋さんなの」

 スティアが一生懸命アレンを前に出そうとするが、頑なに前へ出ようとしない。

 少年は手を差し出すが、その手を決して取ろうとはしなかった。


「はぁい皆さんお揃いの所悪いんですけどぉ、お時間でーす」


 高い位置から声がかかる。赤紫の髪をした、優しい顔の研究員だ。身の回りの世話や、注射なども彼が担当している。

「ギーブルさん、お願いがあります。写真を撮って欲しいです」

「んん? 突然どうしたんだいスティアちゃん?」

「新しいお友達が増えたから。だから、お願いします」

 小さな体をぺこりと曲げる。そんな様子を見たギーブルは、クスリと笑った。

「いいでしょう。……お、丁度いいタイミングでカメラがここに。はい、じゃあ並んで並んで」



 カメラを準備している間に、4人は中央に寄っていく。スティアは嫌がるアレンを前に出し、少年を間に挟んでエルシディアを寄せる。

 そして3人をスティアが抱きしめると同時に、


「はぁい時間無いので撮りますよぉ。はい、チーズ」



 カメラのシャッター音が響いた。




「…………どこ、いくの?」

 別れが訪れたのは突然だった。

 いつもの注射の時間、扉を開けたのはギーブルではなく、クラウソラス博士であった。

 無言のまま彼は少年の手を掴み、何処かへ連れて行こうとする。

「ま、まっ、て……つれてか、ない、で……ケホッケホッ!」

 噎せる。息が浅くなる。持病の喘息と心臓病は知らぬ内にエルシディアを蝕んでいた。


 少年は振り返る。無理をして作られた笑顔でエルシディアに告げた。


「だいじょうぶ。やくそくしよ、エルシディア。またあそぼうね。こんどはずっと……」





「ずっと一緒にいよう」

 ビャクヤは思い出した。

 なんて事はない、幼い日に交わした約束。時が経てば忘れてしまうほどに小さな約束。

 だが2年前のあの日、図らずも約束は果たされていたのだ。そしてまた、離ればなれになってしまった。


 今度は離さない、決して。


「エル……迎えに来た」


 猛然と燃え盛る蒼炎の中に少女の姿を見る。数多の鎖に繋がれ、今にも消えてしまいそうな生命の炎を見る。

 あの時とは違う。自分の手は伸ばせば届くのだ。



「俺は…………いや……」



 蒼い炎の中に、琥珀色の結晶が小さく輝いた。



()はもう、君の手を離さない」




 その瞬間、2機を包むアクトニウムフレアの色が変化した。死を連想させる青白い色から、生命を連想させる琥珀色へ。

 同時にアクトニウムフレアは弾け飛び、ディスドレッドとフェロータスの姿が顕となる。琥珀色の結晶が各部から露出し、フェロータスの触手に至っては全てを覆い尽くしていた。


 やがてフェロータスのコクピットが開き、中から多量の液体が溢れ出る。


「何が起きた……!? トリックフェイス! あの炎は何だ!? 何故彼奴はコクピットを開いたんだ!?」

「私が知るわけないでしょーよ」

 無線機から響くアレンの怒号に顔をしかめ、ギーブルは無線機の電源を切った。

「しかしとうとう実現してしまいましたか、彼の理想が。それだと私の夢が泡沫と化すのですが……貴女の夢はどうなりますかね、アリア・クラウソラス?」

 言葉とは裏腹にギーブルの表情はほんの少し、和らいでいた。



 液体を全て吐き出し、中から1人の少女が姿を現した。

 既に意識は無く、自分を繋ぐチューブに空中で吊られている。やがて重さに耐えられなくなり、1本、2本と、支えているチューブが彼女から離れていく。


 ビャクヤはすぐにディスドレッドのコクピットから飛び出す。オート操縦となったディスドレッドは自らの手を橋にし、ビャクヤを落下しそうになるエルシディアの元へ導く。

 細いチューブが全て外れ、とうとう臍に刺さった太いチューブだけになる。

「ッ……!!」

 僅かにエルシディアの眼が開き、こちらへ手を伸ばすのが見えた。同時にチューブが外れ、赤と緑の混じった液体と共に身体が宙へ離される。


「ビャクヤ…………ッ!!」

「エルッ!!!」


 間一髪ビャクヤは滑り込み、エルシディアの身体をその両腕に抱き止めた。

 軽くなってしまった身体に、すっかり色が抜け落ちた髪。瞼の隙間から見える瞳は、ビャクヤを映せない程に濁っていた。

 優しく抱きしめる。

「……皆、待ってる」

 ディスドレッドは2人をコクピットへ入れる。



「行か……せるかぁぁぁっっっ!!!」

 飛び去ろうとしたディスドレッドの目の前に、ネヴァーエンドが立ち塞がる。

 ディスドレッドは武器も装甲も焼け落ち、残るはカーボン筋肉とフレームのみ。抵抗する手立ては無い。

 しかし、背後から飛び出した機影がネヴァーエンドを押さえつけた。

「フェロータス……!?」

「何のつもりだ!? 何故動く、何が起きてる!? 離せ、離せぇぇぇっっっ!!!」

 セカンドブレインシステムの中枢であったエルシディアがいない今、フェロータスは動く事が出来ない筈だった。

 何故なのか、それはこの戦場にいる誰にも分からなかった。


「エルッ!! 行かないでくれ!! 姉さんも俺も、お前がいなきゃ……っ、エルゥゥゥッッッ!!!!」

「……」


 空を見上げると、限界まで降下してきたゴルゴディアスが見えた。残るエネルギーを全て推力へ変え、ディスドレッドは一気に跳躍する。

 それを確認したティノンも、同じようにエグゼディエルの本体スラスターを全開にして飛翔。

 2機はゴルゴディアスの甲板に転がり込むように着地。そして、

[ケーブルを射出しろ! あの馬鹿を回収する!]

[了解、ケーブル射出!]

 発射された3本のケーブルはティラントブロスの機体に接続。そのまま引っ張り上げるように回収する。

「だ、大丈夫か……落ちないよな、これ……」

 ウォーロックの不安をよそに、ゴルゴディアスは高度を上げていく。


「……追撃は無し。作戦、成功…………」

「こっちもだ……対象の部隊に接触。話は…………」

「ちゃんと話すさ……こっちも色々と聞きたい事があるから……ティノン」


 通信を切る。


 自分の腕の中で眠る少女の頬を撫でる。その手に彼女の息を感じる。静かに胸が上下している事を確認する。確かに生きているという事を実感する。


 涙が、次から次へと目から落ち、エルシディアの頬を濡らす。

 遅くなった。こんなにボロボロになるまで、無理をさせてしまった。

 押し留めていた感情が一気に溢れ出し、起こさないように、エルシディアを抱いた。

「ありがとう…………生きててくれて……」



「ビャ…………ク、ヤ…………」

 微かなうわ言を漏らし、ほんの少し目が開く。


 その目はもう、白く濁ってはいなかった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ふざけるなぁぁぁっっっ!!!」

 もう何度目だろうか。

 アレンの拳がギーブルの顔に叩き込まれる。兵士の何人かが仲裁に入ったのだが、むしろ半殺しにされ、地面に横たわっている。

 側にいたエリーザでさえ手を出せない状況だった。

「あんな鉄屑以下の欠陥兵器の所為で!! エルは…………彼奴にぃ……!!」

「何度も、言っている筈ですよ…………AIを調整したのは総司令官です。私に言われても困ります」

「だったらあの女をここに呼べ!!」


「もう来ているよ、アレン」


 耳に纏わりつくような甘い声。振り返れば、そこで悪魔が笑っていた。

「エルは……残念だったね、フフフ」

「何がおかしい…………!!?」

 ギーブルを床に放り出し、アレンはアリアの胸倉を掴み上げた。小さな身体がいとも簡単に宙へ浮かぶ。

「安心してるの、フェロータスは残っているから」

「無駄だ……中枢部が無ければまともに戦えない。いやそもそも!! あんな敵も味方も分からないような機体を──」

「セカンドブレインシステムの中枢ならまだスペアがある」

「スペアだと……まさか、まさか……!!?」


 震えるアレンを見た悪魔の笑顔が、更に大きくなる。



「今度の中枢はスティアにやってもらう。仕方ないよね。貴方がエルを守れなかったんだから」



 アレンの腕から力が抜け、アリアは首を軽く払う。その場を去ろうとする彼女に、アレンは肩を掴もうとする。

「やめてくれ……頼む、俺が代わりになるから……姉さんまでいなくなったら俺には……!!」

「次は貴方も、真剣にフェロータスを守るでしょう? きちんとフェロータスが制御出来るよう対策も考えておくわ。じゃあよろしくね、ア、レ、ン」



「あぁ…………ぁぁぁ…………っっっ!!!」

 アリアが格納庫を出た瞬間、アレンは泣き崩れた。今までの彼からは考えられない姿だった。

 彼は支えていた生きる目的を、全て取り上げられたも同然なのだ。家族を守りたかった。だが17年間足掻いた結果は、全てを奪われるという最悪な結末で終わった。


 このまま自害しようとまで考え始めた、その時だった。


 温かい感触が背中に伝わる。頬の涙が拭われ、ゆっくりと体を反転させられる。

「アレンさん…………」

 優しくエリーザに抱きしめられた。

 彼女の抱擁は、何もかもを失ったアレンの中を満たしていく。



「私は何処にも行きませんから……私だけは…………貴方の味方です…………」



「っ…………っ、っ…………」

 顔を彼女の胸に埋め、嗚咽を漏らす。ヒビだらけになり、突けば砕け散りそうだったアレンの心は今、温かな膜で包み込まれていた。

「頼む…………お前だけは、お前、だけは…………側にいて……独りにしないで……!!!」

「ずっと一緒ですよ…………あの時も……これからも……」


 そこに浮かんでいた笑顔は優しいものなどではなかった。



 ようやく手に入った。本当に欲しいものが。



 彼にはもう自分しかいない。彼の心はもう、自分のものだ。そして同様に、自分の心も彼のもの。


 今この時に交わした約束は永遠に守られるだろう。誰にも邪魔されないものになるだろう。



 その為には一刻も早く戦争を終わらせなくてはならない。

 例えどんな手段を用いようと。

 エリーザが見上げると、フェロータスが見返してきた。


── その為に、貴女には犠牲になって貰わないと困るんです。ありがとうございます、スティア少佐。いつか、御礼をしますね ──



 至福に満ちた笑いと共に、エリーザの目から涙が零れ落ちた。



続く

紡がれた約束の物語が、終わる時は近い


ビャクヤが受け継いだ真の約束とは


クラウソラスを蝕んだ血族の呪いの結末は



鍵を握るのはアリアと



ゼロエンドの、本来の姿

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