第36話(92話) パンデミックの使者
「回避しろぉぉぉっっっ!!!」
ウォーロックが叫ぶのと同時にゴルゴディアスが急旋回。凄まじい風圧をその身に受けながら、ティラントブロスは必死に甲板へしがみつく。
真横を通り過ぎた触手の正体を確認する。それは内部に群青色の液体が充填されており、先端部には鋭い針が備えられていた。まるで巨大な注射針である。
「あれに刺されたらどうなるか…………いや、考えなくていいか。あんなのにやられたら──」
直後、更に触手が大挙してきた事を、ティラントブロスのレーダーが知らせた。
ゴルゴディアスの方でも感知したのか、再び船が大きく揺れる。しかし流石に避けきれず、触手は艦の底を掠めた。
だが次の瞬間、ウォーロックの耳に信じられないような情報が飛び込んできた。
[艦底から…………これは、アクトニウム!?]
[アクトニウムの結晶が……だがゴルゴディアスにはアクトニウム、もといアクトメタルは使われていないぞ]
[徐々に艦へと侵食しています! 機関部にまで達したら……!!]
[隔壁を下ろせ。…………まぁ、気休めでもないよりはマシだ。あとは何とかしてビャクヤ君へ連絡して彼を回収…………]
[攻撃、来ます!!]
三度艦が急旋回。すっかり通信内容に夢中になっていたウォーロックは、ティラントブロスを踏ん張らせる事を忘れていた。
「あっ、ちょっ、マズイ!」
気がついた時には既に遅し。甲板から滑り落ちたティラントブロスは真っ逆さまに謎のEAのいる地面へ落下する。
[馬鹿、ウォーロック!? 何勝手に落ちてんだ!!]
「リムジー黙ってろ!! 落ちちまったもんは仕方ない、このまま彼奴ぶっ倒す!!」
シールドを両手に構え、様子を伺う。
落下の衝撃で気がついたのか、ゴルゴディアスへ伸ばしていた触手を一旦戻し、ティラントブロスを睨み据えるEA。ゆっくりと、一歩踏み出した。
「来るか……!?」
ウォーロックの操縦桿を握る力が強くなる。
だが、EAは踏み出した瞬間に転倒。立ち上がろうと地面を握りしめるが、再び滑って転がる。
「…………やっぱり、ですか」
回収のヘリが来るまでの間、ギーブルは7号機──フェロータスの様子を遠方から観察していた。よろよろと立ち上がろうとしては転ぶフェロータスを哀れむようにな目で見つめている。
その時、自分が外に出るのを待っていたかのように通信が入る。
「はぁい、総司令官?」
[何処をほっつき歩いているかと思えば……何をしていたの?]
「ま、帰ったら洗いざらい話しますよ。それで……7号機のあれは何です? 貴女がAIに教育を施した筈でしょう?」
[いいでしょう? フェロータスはゼロとよく似ている。でも、まだ産まれたばかりの赤ん坊なの。仕方ないんだよ]
我が子を慈しむような表情が、無線機越しにでも分かる。
兵器は兵器でしかない。そんな考えのギーブルにとって、兵器に愛を注ぐ精神は理解が出来なかった。
「あれが赤ん坊、ね……」
再び悲鳴のような駆動音を響かせ、フェロータスは立ち上がった。機体は小さく震え、背中から伸びる触手からはアクトニウムが滴り落ちる。
「私には、痛みに苦しんでいるようにしか見えませんが……」
「……さて、そろそろ貴方にも降りて貰うよ、アレン」
アリアは通信を切り替え、カタパルトでスタンバイしているネヴァーエンドのパイロットへ呼びかける。
システムをスリープモードに切り替えているせいか中は薄暗く、ヘルメットで隠れた顔からは表情が伺えない。
[アレン少佐達の任務は、フェロータスの護衛。指定されたポイントまで誘導して。今回はあの子の稼働試験のようなものだから、気楽にね]
その言葉を聞いた瞬間、アレンのヘルメットの中から歯が軋む音が漏れる。
「隊長……?」
心配するようなエリーザの声。しかしアレンの耳には届かなかった。
発進準備完了のコールと共にハッチが開いた。
「……………………」
「エリーザ・ベネトレイ、フィーアバエナ、出ます」
カタパルトがスライド、2機のEAが地上に降り立った。
「またなんか来たな…………ってか、あの機体なんなんだ? まともに歩けすらしねぇなんて……」
よろめくフェロータスに動揺を隠せないウォーロックだったが、更に後方へ降り立った2機のEAを見て我に返る。
[大丈夫かよウォーロック……3機だぞ3機……]
「はっ、問題ないな。そのくらいスペクターが来るまで耐えきってやる……」
と言いかけたその時だった。
ティラントブロスの胸部に強い衝撃が走り、大きく後方へ後ずさった。分厚い装甲には大きな焼け跡が刻まれ、煙が微かに上っている。
[遠方からの狙撃だ。付近に見えねえってことはざっと3、4kmって所か。あの距離からとか化け物だぜ? んで、ウォーロック君、問題はないんだよな?]
ゼオンからの通信。ウォーロックは歯を噛みしめながら通信機に向かって叫んだ。
「はやく合流しろスペクタァァァァァァァァ!!!」
通信端末から流れた絶叫に思わず顔をしかめるビャクヤ。ゼオンが言っていた狙撃の正体は、ビャクヤがいる地点からは見えていた。
広大な平原の中で唯一、少しだけ小高くなっている丘。そこで巨大な狙撃銃を構えたヴォイドリベリオンの姿があった。
レバーが引かれ、2つある内の前方にあるリボルビングが回転。次弾が装填される重苦しい音が耳に伝わる。
「早く行かないとウォーロックが死ぬな……」
ビャクヤは移動用のバイクの速度を上げる。流石にバイクの走行音を拾えるような距離ではない。無事にヴォイドリベリオンの横を通過する。
しかしその時、両軍に衝撃が走った。
フェロータスが突如前進を止め、ある一点を睨み据える。
平原を疾走する、ビャクヤのバイクだった。
「エリーザ、あの機体どこ見てんの? バグった?」
「バグ……? EAに搭載されたAIにバグが発生するのかしら……?」
「いや……!!」
様子がおかしいことに気が付いたアレンが機体を先行させる。
「隊長!?」
慌ててエリーザも後を追う。
「こっちに気が付いてる!?」
嫌な予感が脳裏を過ぎったビャクヤは更に速度を上げる。
だがフェロータスは背中の武装を、あろうことかビャクヤ目がけて撃ち放ったのだ。
「くっ!!?」
次々と地面に突き刺さる触手。
何とかバイクを蛇行させて躱し続けていたが、やがて触手の1本がバイクの近くを穿った。衝撃で投げ出されたビャクヤはギリギリのところで受け身を取る。しかしそんな中でも触手は容赦なく襲い来る。
避けようとするビャクヤ。だが触手によって増殖したアクトニウムは空気に満ちていき、ビャクヤの左腕は激しく出血。眩暈も引き起こされる。
「これは、一体……!?」
遂に膝をついてしまうビャクヤ。それを待っていたかのように、フェロータスの触手が迫る。
次の瞬間ビャクヤの耳に届いたのは肉を貫く音ではなく、何かが切断される音だった。
僅かに開いた目に見えたのは、ゼロエンドとよく似た漆黒の機体がフェロータスに組み付いている光景。
「あれは……黒い、ゼロ……」
「……!!」
頭の中で否定する。あそこにいる青年の姿を、ある名前と重ね合わせないように。
だが遅れて届いた通信でそれは否定される。
[やっぱり、彼に惹かれるのね。中のパイロットの所為かしら。……指令よアレン。ビャクヤを守りなさい]
「ビャクヤ……何故生きて……」
[薄情な子。昔会った事があるのにもう忘れているのね]
「そんなことはどうでもいい!! 7号機はお前が調整したんだろう!? こんな欠陥機を──」
[欠陥機? 欠陥品の貴方が言える事? いいから命令に従いなさい。……スティアとも、お別れしたいのかしら?]
「……っ!!」
ネヴァーエンドのパワーは容易にフェロータスを押し返した。衝撃に驚いたのか触手を背中に戻し、地面を這いずり回る。
「こいつ、まだ……」
フェロータスはビャクヤを求めている。
「エル……どうしてそこまで、ビャクヤを……」
呆然と立ち尽くしていた時だった。
──キィィィィィィィィィィッ──
泣き喚く様な駆動音と共に体を反らせ、触手を全方位へと発射。ネヴァーエンドだけでなく付近にいたフィーアバエナやティラントブロスをも薙ぎ払おうとする。
「なっ!? 一体何が……!?」
「うぉぉっ!!」
触手に触れまいと、ウォーロックはティラントブロスを後退、エリーザはフィーアバエナを高く跳躍させた。触手はそれぞれの盾、戦闘棍を掠める。
すぐに異変が生じる。
掠めた部分から、徐々にアクトニウムの結晶が生長を始めたのだ。
「やられたっ、クソッ!!」
「これじゃ使い物にならない……!」
エリーザはすぐに戦闘棍を投げ捨て、ウォーロックも結晶が生え始めた右の盾をパージする。
尚も泣き叫ぶような駆動音を響かせるフェロータスは、這い回るような動きでビャクヤを追おうとする。そこへまたネヴァーエンドが立ち塞がり、背部から伸びたテールバインダーを首に巻き付ける。それでもフェロータスは懸命に、ビャクヤへ腕を伸ばす。
「どうして、俺を…………」
《緊急状態を確認しました。EAをオートモードへ移行。義手の位置座標までの転送、開始》
突然ビャクヤの右腕がシステム音声を発する。いつ搭載されたのかビャクヤは知らなかったが、空を見上げた時、そんな疑問は消えた。
「心配性だなぁ、ゼオンさん……ありがとう」
「何だ……!? 空から機動兵器の反応が──」
アレンが気づいた瞬間だった。
空から振り下ろされた斧槍がネヴァーエンドのテールバインダーを切断。更に胸部を蹴りつけられ、大きく後退する。
拘束から解き放たれたフェロータスはビャクヤの元へ駆け寄ろうとするが、銀色の腕に頭部を掴み上げられ、空中へと放り投げられた。
「…………行こう、ディスドレッド」
ディスドレッドは静かな排気音で応え、パイロットを自らの胸に迎え入れた。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜
「貴方に会いたい」
たとえどんな姿になろうと、どれだけ時が経とうと、絡み合った運命の糸を手繰って、私は貴方に会いに行く。