誰が為に
「クッレイィィィィィン‼」
門番の仕事に精を出すクレインの元に、聞き覚えのある声が届く。
声がした方向に顔を向けると、見覚えのある土色の物体が凄まじい速度でまっすぐこちらへ向かって爆走してきていた。
「何やってんだあいつ。……ははぁ、7000ゼニー手に入ったから嬉しくてしょうがないんだな? まぁあいつにとっちゃ大金だもんなぁ……」
ギルドであった経緯を知らないクレインは顎に指を添え、ふむふむと一人で納得していた。
その間にもユーリは速度を緩める事なくぐんぐん近付いてくる。
「ん? ちょっと待てユーリ。そろそろ減速してもいい頃じゃないか? おいユーリ? ユーリ⁉ おま、ちょ、止まれ馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉっ⁉」
「クッ、レッ、イィィィィィン‼」
「ごっふぉっ⁉」
手を振りながら笑顔でぐんぐん近付いていくユーリ。
結構な速度で隣を走っていた馬車を一瞬で追い越し、それでも勢いを止めない。
嫌な予感を察したクレインがバタバタと両手を大きく振って止まれと合図するも、嬉しさ絶頂のユーリには全く届いていない。
みるみる近付いてくるユーリに顔を引き攣らせたクレインが慌てて背を向けて逃げ出そうとした瞬間、弾丸のような速度で疾走していたユーリが勢いそのままに、逃げるクレインの背中目掛けて飛びついた。
背中から大砲の直撃を受けたかのような衝撃が走り、肺の中の空気を全部押し出されたクレインは短い断末魔をあげてユーリ共々派手にすっ飛んで行った。
「きーてくれよクレイン! なぁ聞いてくれってクレイン! クレイン! クレインって!」
「……おごあ……がふっ……」
凄まじい衝撃をモロに受けたクレインはユーリ共々激しく転がり、六回転半したところで勢いがなくなり、クレインが息絶えたかのようにぱたりと横たわった。
しかしユーリはそれどころではない。ぐったりと横たわるクレインの肩を掴み、がくがくと激しく揺さぶる。
自分がしでかしたことを理解出来ていないユーリは、クレインが死にかけていることなどお構いなしに話を聞けと揺さぶり続ける。
一方クレインは鎧を貫通してまで響いた頭突きのダメージに青い顔して苦悶に喘ぐことしか出来ずにいる。
結局、クレインが回復するまで五分はかかり、回復したクレインから本気の拳骨を頂戴したことは言うまでもない。
「で、一体どうした? 銀貨7枚がそんなに嬉しかったか?」
「ちっげーんだよ! 金貨だよ! 金貨5枚だよ‼」
「はぁ? 金貨? ソライロアゲハの素材がそんな―――」
未だ興奮冷めやらぬユーリが差し出してきた小さな麻袋を受け取り、半信半疑で袋の結び口を開いて中身を確認し、絶句する。
麻袋の中で光る、黄金色の丸い硬貨は紛う事なき世界通貨の金貨、一枚10000ゼニーの価値があるもの。
「嘘だろ⁉ おま、どんな状態のもの持ち込んだ⁉」
「ん? 四枚羽と魔石だけど?」
「はぁっ⁉」
今何と言った? この生意気なクソガキは何と言った? 四枚羽に魔石?
熟練の冒険者ですら三枚羽がやっと。もしくは一部欠けた魔石だけしか手に入れられない。
それを羽と魔石、しかも四枚羽?
ちらっとしか見てなかったから何枚羽か確かめていなかったが、仮にそれが出来るとなると金貨5枚と対価は納得出来る。
さらりと当たり前の事のように言うユーリに、クレインは顎が外れるんじゃないかと思われるほどあんぐりと口を開いて固まった。
「な、なんだよ、みんな同じような反応するな。親父がこれくらい出来なきゃ冒険者なんて名乗れないって言ってたぞ。クレインだってこれくらい出来るだろ?」
出来るわきゃねーだろ! と叫びたい気持ちに支配されたが、それ以上に聞かなければならない事が真っ先に浮上したのでユーリの首の後ろから右腕を回し、ほぼ密着するような形を取る。
遠巻きにこちらを見ている人間がちらほら見えるが、会話が聞こえる距離に人はいない。
そのことを素早く確認したクレインは気持ち悪い、離せと暴れるユーリを押さえつけ、声を潜めて話し始めた。
「お前、これを見せた時、ギルドの誰かに見られたか?」
「え、あ、ああ……アル姉と、ギルドの職員と、結構な数の冒険者……それがなんだよ?」
「……アルルさんはフォローしてくれなかったのか?」
「いやー昨日風呂入ってないのバレちゃってさ。説教食らっちった」
「―――っ、なにしてくれちゃってんのアルルさん……」
額に手を当て、深々と嘆息するクレイン。
状況が把握出来ていないユーリは怪訝そうに首を傾げている。
言い付けをきちんと守ってないユーリにも言いたいことがあるが、ギルドの職員として、保護者としてユーリに多大な愛情を注いでいるアルルの事を十分に理解しているため、そうするであろうことも踏まえて頭を抱えた。
職員ならまだしも、冒険者たちにもアレを見られていたとなると、非常にマズイ。
何しろ伝説の英雄、ユウト・ロベルティアと全く同じ手口をサポーターであるユーリが見せつけてしまったのだ。
やり方を聞くだけならまだいい。一番危険なのはユーリがサポーターと言う立場を利用して、ユウトがユーリにだけ残した情報を盗み出そうとする輩が絶対に出てくると言う事。
ユーリがユウトに育てられた事を知る人物はクレイン、リリシア、アルルの三人のみ。
別に話すことでも隠すことでもないと思っていたユーリがクレインとリリシアに育ての親がいるとぽろっと喋ってしまったのがきっかけ。
それを聞いたクレインとリリシアは冗談だろうと笑いながら聞き流していたのだが、ユーリが話している内容がユウトの軌跡をあまりにもなぞりすぎていておや?と首を傾げた。
そして飛び出た英雄の名に、滅多な事では笑顔を崩す事のないリリシアの表情が一瞬で凍りつき、クレインと共に孤児院の子供たちが飛び起きるほどの絶叫を上げたのだった。
アルルもそのことを知っているのだが、またの機会にお話するとしよう。
「おいクレイン、いい加減離せよ気持ち悪い」
身を捩って逃げ出したユーリにも、ユーリの言葉すらもクレインには届いていない。
ごく当たり前のようにやってのけたユーリもそうだが、仕方ないとは言え隠し通せなかったアルルにもやらかしてくれた、と胸中で恨みの言葉を零す。
悪い意味で目立っていたことは風の噂で聞いていたが、これはそれ以上に厄介極まりない事件だ。
遅かれ早かれユーリの噂は大陸中に広まる。あの英雄でしか成し遂げなかった偉業を、サポーターと言う最底辺の職種の少年があっさりと成し遂げてしまった。
ユーリは冒険者を嫌っているが、人自体を嫌っているわけではない。
警戒心は強いのだが、一度懐くととことん懐くので一言で言えばチョロいのだ。
大人ぶっているとは言えクレインから見ればまだまだ子供。どんな甘言に騙されるかわかったものじゃない。
クレインは深い深いため息を吐き、その場にしゃがみこんでしまう。
「お、おいクレイン? 金貨だぞ? これだけあればチビたちが美味いメシにありつけるんだぞ? 何がいけないんだよ?」
「ちげーよ……そりゃ嬉しいけど、問題はそこじゃねーんだよ……」
「え? お、俺なんかしたか? なぁクレイン、俺なんかやらかしたのか?」
「……やらかしたっちゃやらかしてるけど、アルルさんも同罪だからなんとも言えねーんだよ……はぁぁぁぁぁ……」
両手で頭を抱え、でかい図体で道にしゃがみこんでいるクレインは端から見ずとも目立っていた。
そんなクレインに、ユーリはおろおろと狼狽することしか出来ずにいた。
まぁ育ての親が親だしな、とため息と共に愚痴を零し、気持ちを切り替えてゆっくりと立ち上がる。
こうなってしまった以上はやるべき事は一つしかない。
リリシアがなんと言うか分かりきっているが、迷っている暇はない。
既に賽は投げられてしまっているのだから。
「ユーリ。ちょっと待ってろ」
「は? いきなりどうし―――おいクレイン!」
言うや否や、クレインは何かを決意したかのような強い眼差しでユーリを一瞥し、正門の脇にある門番用の詰所に入っていった。
五分も経たずにクレインが詰所から出てきた姿を目にした瞬間、ユーリはぎょっと目を見開いた。
いつもの鎧姿ではなく、思いっきり普段着に槍を担いで出てきたのだ。
さすがに槍は布を巻いて持っているが、問題なのはその格好だ。
クレインは王宮に仕える兵士であり、今は職務中。
サボることなど許されるはずがないのだ。
悪い悪いと片手をあげて近付いて来るクレインに、ユーリは泡を食ったように慌ててすっ飛んで行った。
クレインに気付いたもう一人の門番が巌しい表情で睨んでいるのだ。
「ちょ、クレイン何してんの⁉ 仕事中だろ⁉」
「ん? いやもう俺兵士辞めたから。別に問題ねーよ」
クレインの言葉を聞いたユーリは一瞬にして蒼白になり、もう一人の門番はみるみる憤怒に顔を歪めていた。
「いやそんな個人の勝手でやめれるわけないだろ⁉ 何してんだよ⁉」
「はぁ? 俺みたいな門番しか出来ない木っ端が辞めたところで王宮に響くわけねーだろ? せいぜい罰金ってとこだ。罰金分も詰所に置いといたから問題なし。ってことで行くぞ」
「ちょ、待てって! お前何してんだよ! 近衛騎士団に入ってモテまくるってのは嘘だったのかよ!」
かつてユーリに語った、兵士になる前の夢。
動機は不純極まりないとは言え、近衛騎士団はユークリッド王国における兵士の最高地位。王の盾となり、剣となって最前線を駆け抜ける冒険者と変わらぬ憧れの的。
絶対に近衛騎士になる、そう言ってクレインは孤児院を出た。リリシアもユーリも孤児院の子供たちも応援した。
絶対に成し遂げると信じて疑わなかった。クレインの槍の腕はどこに行っても通用する素晴らしいものだと誰もが言っていた。
しかし、現実は甘くなかった。毎日毎日門番の仕事。やりたくもないデスクワークの日々。
クレインは孤児院出身と言う事が災いして、兵士たちからやっかまれていたのだ。
基本的に王宮兵士は貴族が多い。庶民から階級が上がったものも存在するが、それはほんのごく一部。
絶対に昇級できないと分かっていても、クレインはずっと耐えていた。
リリシアや孤児院の子供たち、そして毎日のように顔を合わす、弟同然のユーリから向けられる期待を裏切りたくなかった。
その一心だけで兵士を続けていたが、可愛い弟の危機となっては夢もへったくれもない。
クレインは迷わず今の地位を捨て去り、ユーリのために動こうと決意したのだった。
「嘘じゃねーよ。でも、今は夢よりも弟を守る方が大事だ。とにかく行くぞ。ぼさっとしてると面倒になる」
「は? ちょ、待てよクレイン! おい‼」
抗議するユーリの声と、鬼のような形相で睨みつけている門番の視線を無視して、クレインは歩き始める。
向かう先はただ一つ。この事情を知らない母親とも呼べる存在、リリシアの孤児院。
「さてさて、今日は何時間で終わるだろうか……」
事情を話せば理解してくれるとは分かっている。
しかしそれでは済まないことも理解しているクレインは苦笑を浮かべつつ、ニコニコしながら延々と理詰めしてくるリリシアを思い返し、また苦笑するのであった。