伝説の再来
ユークリッド中央広場に位置する冒険者専用の建物、通称ギルド。
ギルドは様々な役割を持っており、ユークリッド以外にも世界中のあらゆるところに点在している。
どんなに辺境の村でもギルドだけは絶対に存在しているほどだ。
さて、このギルドが何をする場所なのかと言うと、冒険者登録は勿論の事、魔石や素材の買取、冒険者宛に発信される仕事や依頼の斡旋、転職の手続きなどを全てここで行っている。
そんな場所であるから当然建物の中は冒険者でごった返している。
どれもこれもユーリとは程遠い良質な装備で身を固めている人間が多い中、薄汚れた衣服、みずぼらしい格好で入ってきたユーリは言うまでもなく浮いていた。
サポーターと言うことも相まってか、ユーリの姿を見た冒険者たちの反応は全て似たようなもの。
失笑、嘲笑、侮蔑、嫌悪。決して友好的でない視線を全身に受けても尚、ユーリはけろりとした顔で奥へと向かっていく。
目指す場所は換金所だ。と、その前に挨拶しておきたい人物がいるので先に済ませておこう……と意中の人物を探す。
ユーリは15歳にしては身長が低く、まだ160Cに届くかどうかと言う体格なのでクレインのような人間がごろごろいるギルド内ではあっという間に埋まって見えなくなってしまう。
幸い、背中の背嚢がわりと大きめなので目印としては申し分ないのだが、自分から見つけるとなるとやや骨が折れる。
ちょこまか人の波を縫って仕切られたカウンターの奥で作業をしている職員たちに目を走らせ、どこだどこだと忙しなく探し回る。
と、ようやく意中の人物を発見する。
それは向こうも同じで、人ごみを掻き分けて近付いてくるでっかい土色の物体を目にし、やれやれ、と言った様子でカウンターへと歩いていく。
「今日は一段と嬉しそうね。何かいいものでも見つかった?」
鈴を転がしたような美しい声の主は、カウンターまで近付いてきた土色の物体―――もといユーリを向けてにっこりと微笑む。
その笑顔を見てでれっとだらしなく鼻の下を伸ばす冒険者の男たち。
カウンターに両手を着き、褒めて褒めてとぶんすか尻尾を振っているようにも見えるユーリを見て微笑んでいるこの人物はギルドの受付嬢、アルル・メイプル。
腰まで伸びた艶やかな白髪。頭頂部付近にはふさふさの毛で覆われた三角系の尖ったもの―――狐の耳がぴくぴくと忙しなく動いている。
宝石の輝きを思わせる鮮やかな紅色の瞳。ギルド職員の制服であるダークグレーのパンツスーツを完璧に着こなし、老若男女問わず視線を釘付けにしてしまうほどの美しさを持つ亜人種―――フォックス族の女性。
年齢は不詳。過去ユーリが訪ねて恐ろしい目に会っているのでスリーサイズ以上のトップシークレット扱いになっている。
冒険者は勿論、職員にも絶大な人気を誇るアルルだが、ひょんなことからユーリの担当、と言うより面倒を見るようになっていた。
最初はユーリの外見や年齢、職種を聞いて面倒だな、とあまり気乗りしていなかったのだが、今では性的な目でしか見てこない下衆な連中よりも、純粋に姉のように慕ってくれるこの不遇な職種の少年を弟のように可愛がっている。
二年間ユーリの担当を勤めていただけあってか、言葉にせずともユーリの感情の機微を読み取れるほどになっていた。
「聞いてくれよアル姉! 今日はすっげぇレアモノゲットしたんだぜ!」
いつもはやる気が皆無、ささくれた印象を与える目がきらきらと輝いており、やはりまだ年相応の子供だな、とアルルはくすりと小さく笑う。
さて今日はどんな報告かな、と柔らかく微笑んで見守っていたのだが、ユーリが背嚢を下ろして中身を漁りだした途端に巌しい表情へと移り変わった。
「ユーリ、ちょっと頭出して」
「え? な、なんで?」
アルルの幾分か温度の下がった言葉を受け、ユーリの肩がびくりと跳ね上がった。
その反応を見て決定だな、とアルルは確信し、無言でこつこつ、と人差し指でカウンターを二度叩いた。
アルルの取った行動にユーリは目に見えて狼狽し、違うんだ、今日はちょっと運動したから、などと早口で捲し立てている。
「ユーリ」
再びアルルがカウンターを指先で叩く。今度はこつ、こつ、こつ、とゆっくりめに三回叩いた。
うぐぅ、と呻きつつ、観念したようにユーリが頭頂部を差し出すようにアルルに近付ける。
アルルは動けないようにがしっと後頭部を鷲掴みにし、ユーリの頭に鼻を近付けてすんすん、と鼻を鳴らした。
そして次の瞬間、
「あんた昨日風呂に入ってないでしょ‼」
ユーリの返事も聞く前に、騒がしいギルド内の喧騒も何もかも吹き飛ばす怒声と共に、ユーリの頭に強烈な拳骨が振り下ろされた。
悲鳴も上げる暇もなく、ユーリはカウンターに顔面から叩きつけられ、せっかく止まっていた鼻血を再び吹き出す事になってしまった。
「毎日風呂にだけは入れとあれほど言ってるでしょうが! 例え衣服がボロだろうと体だけは清潔にしていろって! ただでさえ怪我しやすいのに不衛生なままでは治るものも治らない! 他のものに誤魔化せても私の鼻は誤魔化せないわよ馬鹿たれ!」
「アル姉、声抑えて……と言うか血が……」
「んん? そんなもの綿突っ込んでおけば勝手に止まるでしょ。怪我に雑菌が入り、そこから化膿して死に至ることも有り得るんだよ。私がいつも口を酸っぱくして言っている事の一つだったよね? 聞いているのユーリ? ん?」
有無も言わさぬ迫力で詰め寄るアルルに、ユーリは鼻を抑えながら涙目で首を振ることしか出来ずにいた。
アルルは別に潔癖と言うわけではない。だが、出来る限り身を清めておけと言う事はあながち間違っていない。
無論食事も重要なのだが、傷を負った際に汚れたままの体ではどんな雑菌が潜んでいるか分からず、小さな傷だったにも関わらず重症にまで陥る可能性が非常に高いのだ。
過去、そういった経緯で親しい人を亡くしてるアルルにとって、たかがそれだけの話ではない。
故にアルルは冒険から戻ったら風呂、洗濯を必ず行えと厳しく指導しているのだ。
それを破ろうものなら―――結果は見ての通りである。
アルルは苛立った様子で手元にあった救急箱から綿を取り出し、ユーリの顎を引っ掴んで無理矢理鼻の穴に綿を詰め込むと、柳眉を逆立てたままじろりと睨みつけた。
「……ごめんなさい……」
「……謝るくらいならきちんと言いつけを守りなさい。お金がないならうちのシャワーを貸してやると何度も言っているでしょう」
「アル姉に頼りっきりじゃ悪いし……なによりめんどくさッ⁉」
言い終わる前に平手打ちが飛んだ。叩かれた音がバシッではなくビタン! だったことから相当の衝撃だったことが想像できる。
現にユーリは隣のカウンターまで転がって行ってしまっている。
頬を抑えてうんうん唸りながら蹲っているユーリなど気にした素振りを見せず、アルルが再びこつこつ、とカウンターを叩いた。
これは苛立っている時やユーリに早く来いと示すアルルの癖である。
柔らかな微笑みを浮かべているその姿は美人そのものなのだが、顳顬にくっきり青筋が浮かび上がっているところや、口元とは反して全く笑っていない目元が恐怖心しか煽らない。
条件反射とも呼べる速度でアルルがいるカウンターまで戻ったユーリはびくびくと怯えながらアルルを見上げていた。
アルルは女性にしては176Cと背が高いため、自然とユーリを見下ろす形になる。
しばし無言でユーリを睨んでいたアルルだったが、深いため息と共にふっと相好を崩した。
「まぁ、今日も無事に戻って来たんだからこれくらいにしといてあげる。で、どんなレアモノを手に入れたの?」
「あ、え、っと、そうそう! 見てくれよコレ!」
たった今怒られていたことを頭から忘れ去ったユーリが背嚢からソライロアゲハの羽と魔石を取り出し、カウンターの上に傷つかないように気を使いつつ、誇らしげに置いた。
それを目にした瞬間、アルルはおろか、アルルの怒声とお仕置きのせいで注目せざるを得なかった職員や冒険者がギョッと目を見開いた。
途端に変わった空気に、ユーリは何事かと周囲を見回しながら首を傾げる。
ソライロアゲハ自体の討伐はそこまで難しくない。そして数は少ないなれど討伐の報告も上がっている。
しかし、ユーリが持ち出した素材と魔石は見る人が見れば、否、討伐したユーリが知らないだけであり、明らかに異常と思えるものなのだ。
まずソライロアゲハの羽。四枚とも原型で残っている事自体、たった一度しか報告に上がっていない。その上に傷一つない美品。
次に魔石。全くの損傷がない状態の魔石など珍しいを通り越して奇跡。かつて英雄とまで称された男しか成し遂げた事のないもの。
なぜユーリがそれを持っている。落ちこぼれの職種であるサポーターのユーリが。
素材と魔石を凝視しているすべての視線がそう物語っていた。
ユーリからすれば子守唄の代わりに聞かされていた話の通りに従って討伐しただけであって、誰もが知っているやり方だろうと思っている。
「……ユーリ。これは、あなたが、一人で?」
震える声で素材を指差し、笑顔を取り繕おうとしているのだが、ひくひくと引き攣った笑みしか出来ていないアルルが、訝しげに周囲を見回しているユーリに言葉を詰まらせながら言う。
ユーリは眉根を寄せ、当たり前だろ、と言いたげに首を傾げる。
アルルもユーリが一人で狩りに行っていることは把握している。
故にあまり魔物が強くないところに行けと指導していたのだが、言いつけはきちんと守っているようだと安心する反面、目の前のものがそれどころではないと頭を振って思考を切り替える。
「ユーリ、あなたはこれがいくらになるか分かっているの?」
「ん? 羽と魔石合わせて銀貨7枚じゃないの?」
なんで? と首を傾げたユーリに、アルルは眩暈を覚えてそのまま後ろにばたりと倒れ込んでしまった。
「うお⁉ アル姉どうした⁉ 働きすぎじゃないのか⁉」
「……あなたは毎度毎度驚かせてくれるわね」
恨み言を言いながらゆっくりと立ち上がる。
この目の前の少年はいつもいつも驚かせてくれる。
サポーターにしかなれないと言うこと。
サポーターと言うなんの加護も恩恵も無い職種にも関わらず、尋常じゃない逃げ足を持っていること。
育ての親がかの英雄と名高い神出鬼没の男であったこと。
「……なるほど。英雄に育てられたことは伊達ではない、と言うことね」
「アル姉大丈夫か? お菓子ばっか食ってるから栄養が足りなくなったんじゃないのか? ん? でもその割には腹が出てきてるような……あっだだだだだだだだだだだだ⁉」
「余計な事は言わなくていいのよ? それにあんたも碌に食事摂ってないでしょう?」
太った、と言う禁句を口走った愚かな罪人に粛清を下したアルルはぽいっとユーリを投げ捨て、カウンターに置かれている鮮やかな羽と魔石に目を落とす。
「どれも完品、傷一つない。となるとこれは―――金貨5枚相当ね」
「はぁ⁉ 金貨⁉」
アルルの言葉に、それまで床でのたうち回っていたユーリが凄まじい速さでカウンターにかぶりついた。
耳を疑った。金貨と言えば10000ゼニー。それが五枚。つまり50000ゼニー。
それだけあれば孤児院の新たな設備の購入、延いては今まで買えなかった教科書なども人数分用意出来る。
思わぬ大金にユーリの昂ぶりは最高潮に達した。
それはもう目に見えて落ち着きがなくなり、隣のカウンターまで振動が伝わるほど体を揺すっていた。
「アル姉! 早く早く! リリシア先生とクレインに自慢する‼」
まだかまだかと急かすユーリに、アルルはわかったわかったと苦笑しつつ微笑み、素材と魔石を持って奥へと引っ込んでいった。
待っている間ユーリは興奮冷めやらぬ様子であれこれ考えていた。
真っ先にクレインに自慢しに行き、無理矢理にでも今日のお勤めが終わった後、一緒に孤児院へ行こう。
その次にリリシア先生のところへ行こう。45000ゼニー渡して、チビどもに教科書を買ってもらって、リリシア先生の美味い飯を作ってもらおう。
きっとあいつら飛び上がって喜ぶぞ。これから向かう先の人物がどういった反応をするか楽しみで仕方ないユーリは背嚢を抱きしめたままぐへへっ、と周囲がドン引きする笑い声を上げながら妄想に耽っていた。
「お待たせ。これが換金したお金―――」
「ありがとアル姉! また来るねー‼」
カウンターに戻ってきたアルルの手から小さな麻袋を即座にひったくり、聞く耳持たずと言った様子で風の如く走り去っていった。
あっという間の出来事にぽかんと口を開けて固まっていたアルルは、扉が乱暴に開かれ、閉ざされる音でハッと我に返り、額に手を当てて深いため息を吐いた。
「……全くあの子は……。自分が何をしたか分かってるの? まぁ、クレインのところに行ったんだろうから大丈夫だろうけど……」
ぼやくアルルの声は嵐のごとく過ぎ去ったユーリがいなくなったギルドの喧騒の中に掻き消えていった。
期待と喜びに満ちたユーリは気付いていない。
初心者しかいない迷宮の素材と言えど、熟練の冒険者でも成し遂げれなかったソライロアゲハの素材と魔石の完品。
たかがこれしきの事、と嘲る者もいるだろう。
しかし、ユーリが持ってきた素材と魔石は、かつて世界を股に飛び回った英雄、ユウト・ロベルティアが残した伝説をなぞるものだったのだ。
それにこれっぽっちも気付いていないユーリはいつも以上に速度を上げ、城下町を疾走するのであった。