小さな英雄
「ふう。ここまで来りゃもう大丈夫だろ」
『迷いの森』を抜け、一直線にユークリッドまで駆け抜けたユーリ。
城と城下町をぐるりと囲む高い城壁が見えて来た事で、ゆっくりと速度を落としていく。
ジグたちの事を思い出すとムカムカしてくるが、背嚢の中にあるレアモノを思い返すだけでつい頬が緩んでしまう。
羽根だけでも銀貨5枚の価値がある上に、魔石まである。魔石も含めれば銀貨7枚の収入。一回の狩りとしては上々だ。
世界共通の通貨である銀貨。
金貨、銀貨、銅貨、鉄賃、鉛賃の五種類があり、通貨の事を総じてゼニーと呼ぶ。
金貨一枚で10000ゼニーの価値があり、銀貨は1000ゼニー、銅貨は100ゼニー、鉄賃は10ゼニー、鉛賃は1ゼニー。
ユーリが手に入れたソライロアゲハの素材と魔石は7000ゼニーの稼ぎと言うことになる。
『迷いの森』で取れる素材や魔石は初心者しか利用しないと言うこともあってか、良くて100ゼニーに届くかどうかと言うもの。
ユーリの稼ぎは一日150ゼニーちょっと。これだけなら安い宿を借りて少し豪華な食事を摂ってもお釣りが来る程度。
だが、ユーリは稼ぎの半分を世話になった孤児院へ仕送りしているため、いつも宿無し飯無しの根無し草だった。
とは言え、家と呼べるか分からない廃墟を寝座にしているので宿は必要ないのだが。
「5000ゼニーを先生に渡して……そろそろナイフの研磨出さないとな」
上機嫌で歩きつつ、右腿に固定してあるナイフへ視線を落とす。
どこにでも売ってあるような鉄製のナイフなのだが、ユーリにとっては大切なもの。
ユウトが譲ってくれた解体用のナイフ。冒険者、もといサポーターになってから早二年。
長年愛用しているナイフは刃こぼれ一つなく、使い込まれているにも関わらずほぼ新品同様の切れ味を保っていた。
力が無いわけではないのだが、サポーターと言う職種の影響もあってか、ショートソードなどの長めの武器が使えないユーリにとっては唯一の武器であり、無二の相棒なのだ。
ここ数日稼ぎが悪く、碌に研磨も出せていなかったので切れ味が悪くなってきていることを不満に思っていたユーリは、漸く研磨に出せると心を弾ませていた。
その他にも5000ゼニーと言う結構な大金を渡した時の孤児院の先生の驚く顔や、美味しいものが食べられると目を輝かせる子供たちの顔を想像し、人目も憚らずにやにやとだらしなく笑っていた。
と、ユーリがこれから起こるであろう出来事を想像しながら笑い続けながら、ユークリッド城下町に入るための正門を通過しようとしたところで、
「なんだ良い事でもあったか、冒険者もどきのユーリ君?」
からかうような声とほぼ同時に、くくっと笑いを噛み殺す音も聞こえる。
ユーリはそちらをじろりと睨めつけ、聞こえるように大きく舌を打った。
「うるっさいな。そんな嫌味な性格だからモテないんだよ、おっさん」
「てめっ、誰がおっさんだ! 俺はまだ26だ馬鹿野郎!」
「リリシア先生も言ってたぜ? もういい歳なのに彼女すらいないなんてねぇ……ってなぁ!」
「うるっせー! 作りたくても作れねーんだよ! どいつもこいつも『そんな人だとは思わなかった……』とか抜かしやがって! 美しい女性を見れば一目見たいと思うのは男の性だろーが‼」
「いや、クレインの女好きも大概にしろって思うけど」
「ガキが悟ってんじゃねーぞぉ⁉ ―――ハッ、お前まさか俺より先に大人の階段を……? 教えろユーリ! いや教えてくださいユーリ先輩‼」
「だぁぁぁ違うって! 鬱陶しいから離れろぉ‼」
自分よりも遥かに大柄な男に抱きつかれ、心底気持ち悪そうに男を引き剥がすユーリ。
190Cほどある身長に、ユークリッド城に仕える兵士に配給されている鎧に身を包んだこの男はクレイン・ヴァルヘルト。
ユーリと同じくリリシアが個人で経営している孤児院出身の孤児。
優れた身体能力と流麗な槍捌きを評価され、孤児でありながらユークリッドの兵士と言う役職に就けた孤児院の憧れの的。
銀髪碧眼、一目見て美青年、と評されるほどの整った容姿をしているが、女性とあれば見境なく声をかけてしまう悪癖があり、今まで恋人と言うものを作った試しがない。
ユーリが孤児院に入った当初は顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたが、とある事件をきっかけに親友、兄弟のような深い絆が生まれ、兵士とサポーターと言う立場になった今でも垣根を超えて、ユーリに好意的に接してくれる数少ない人物なのだ。
兵士になれたと言えどクレインはまだまだ下っ端なのでこうして門番になっていることが多い。
そのためユーリが正門を通って迷宮に出かける際は必ずこうやってちょっかいをかけてくるのだ。
とは言え、そのちょっかいによってユーリもささくれ立った心が和らいでいることは本人も自覚していることだが。
「俺より先に15歳になったばかりのユーリが童貞を捨てただと? 世界はどれだけ風紀が乱れていると言うんだ……ハッ、お前まさか無理矢理―――⁉」
「もう黙れよ。へへっ、驚くなよ? ソライロアゲハを見つけたんだ」
「あーハイハイそういう嘘はいいから。滅多に姿見せないから幻の蝶って言われるアレだろ? そんなレアモンスをお前が―――」
馬鹿にしくさったように鼻で笑い、片手をひらひら振っていたクレインが、ユーリが背嚢から取り出した鮮やかな青い羽を目にした瞬間ぴたりと身を硬直させた。
それを見たユーリはしてやったり、とにんやり笑い、ささっと背嚢にそれをしまう。
あまり人目に付く場所で見せびらかしていると、貴重な素材を持っていると目を付けられ、強盗や恐喝に合う可能性があるからだ。
「お、おま、おま、マジかよ⁉」
「へっへー、いいだろー。これで久しぶりにうまいもん食える」
「……お前もしかして、まだ先生に仕送りを……」
「クレインが気にすることないだろ。それに、クレインは王宮の兵士なんだ。俺たちの自慢なんだからそんな顔すんなって」
何気ないユーリの一言にハッと何かに気付いたクレインが眉根を寄せ、悲痛の表情を浮かべて目を伏せる。
そんなクレインに対しユーリはケラケラと笑い飛ばし、力いっぱい背中に平手を叩き込んだ。
鎧を着込んでいるため大した衝撃ではないのだが、クレインの心にずしんと鉛のような重さを与えた。
兵士になってからは多忙を極め、日々を忙殺されているクレインは兵士になって以来孤児院に顔も出せずにいた。
兵士になれたとは言え、末端の末端であるため給料もそこまで多くなく、決して余裕のある生活を送っているわけでもないため、仕送りさえ出来ずにいた。
そのことに罪悪感を感じているクレインだが、院長であるリリシアも含め、ユーリ、孤児院の子供たちはそんなことはどうでもよかった。
クレインが兵士になり、立派に職務を果たしている。それだけで誇らしく、何よりも喜ばしいのだ。
国から支援が出ているわけでもないため、リリシアを含め、孤児たちは質素な生活を送っていた。
兄が頑張っている分、弟が頑張らないでどうする、とユーリはこうして迷宮へと出向き、少ないながらも孤児院へ仕送りをしているのであった。
「と言うかさ、たまにはリリシア先生にも、あいつらにも顔見せてやってくれよ。寂しがってたからさ」
「美人のお誘いは断らない主義なんだが……悪いな、しばらく休暇がないんだ」
「無理に、とは言わないって。それじゃ、俺はこれを換金してくるから」
「おう、気をつけてな。それと、お前もあんま無茶すんなよ。この前なんかゴブリンにボッコボコにされてたろ」
「なんで知ってんだよ⁉ っと、急がねぇとジグの野郎が戻ってきちまう。じゃーな!」
そう言って駆け足でギルドへ向かうユーリ。
遠ざかっていく土色の背嚢をじっと眺めつつ、クレインはそっとため息を吐いた。
「あいつはあんなに頑張ってんのに……俺は、何やってんだろうな……」
ぽつりと呟かれた言葉は誰の耳に届くことなく、吹き抜けた風に乗って掻き消えていった。